リハビリとビーフシチュー
高速回転する刃物が僕の前にあった。
「動かないでね。ズバッと切れることはないから落ち着いて」
頭ではわかっているつもりだ。だが体は強ばる。キュイーンと音立てなから高速回転する、移動刃が右足に襲いかかる。
「はい。足は終わりました。次は左腕ね」
まだやるのか、今度は左腕。僕は歯を食い縛り左腕に刃が入るのを眺める。
「はい。無事にギプス取れました。では本格的なリハビリ頑張って下さいね」
ついにギプスが取れた。これで完治かと思ったが違うらしい。怪我は形だけは戻ったが、完全治癒にはもう少しかかるとのこと。筋力もだいぶ衰えているため、即座にリハビリをするように言われる。本音は風呂に入って腕と足を洗いたい。
今日の弥生さんは夜勤開け。たぶん寝ている。病院内で会えるかと思っていたが無理だ。少し残念に思う。
リハビリ棟に前回と同じ年寄り看護師に連れられ移動する。
「あら?どうしましよ?あちらの勤務表はわかりませんが、夜勤明けでしょうか?」
付き添いの看護師が待合室の席で寝ている弥生さんを発見する。
「ええ、確か昨日が夜勤の最終日と聞いています」
「熟睡していますね。王子様のキスで目覚めるのでは?」
「冗談、よして下さい」
「彼女と今日、約束してましたか?」
「いえ、夜勤明けですから、特には」
「愛されてますね。今はこのままで寝かせてあげましょう。リハビリ終了時には起こして一緒にいて上げてくださいね」
「はい」
弥生さんのお馬鹿ぶりに、嬉しくはあるが彼女の体を思うと心配になる。何故そこまでする?そんなに頑張らなくても僕は逃げない?
そうか、不安なんだ。僕がハッキリしないから。離したくないんだ。一歩間違うとストーカーなんだけど。僕自身、弥生さんに付きまとわれるのはイヤではない。
もし、別れることになったら、彼女は僕に付きまとうだろうか?彼女を見ていると、その時はあっさり別れてくれるように思う。ハッキリさせよう。夏休み中にけじめをつけなくては。
リハビリを始める。今までの緩い感じとは負荷のかけ方が違った。少々キツイ。運動したって感じだ。この程度で運動とかアスリートの方々には怒られそうだが、デスクワークの男にはキツイのだ。ほんと風呂に入りたい。
リハビリが終わり弥生さんのところに戻る。彼女はまだ眼を覚まさない。王子様のキスで目覚める?ないないない。僕は首を横に振る。ここは病棟。かなりの量の人々が動く。目立ち過ぎる。
「弥生さん起きて。僕のリハビリは終わりましまよ」
僕は弥生さんの肩に触れ彼女の体を揺らす。
「先生、ビーフシチュー最高です」
「え?」
彼女はまだ寝息を立てている。眼を覚ました気配はない。可愛い寝言だ。レストランの食事でも見ているのかな?。今度は、ビーフシチューの旨い店に今度連れて行こう。イヤ、ビーフシチューなら僕が作ってもいいかな?割りと得意料理だ。久しぶりに作ってみるかな。今はそれより。
「弥生さん。起きて下さい」
「え?」
今、間違いなく。目が開いた。そしてまた寝た。もう一度呼び掛ければ起きそうだ。
「弥生さん。起きて下さい。帰りますよ」
「王子様のキス」
あ、起きている。そしてキスを迫られる。いいよ。してあげるよ。知らないよ。彼女は僕にされるままに僕を受け入れた。
「か、帰りましょう」
彼女はハッキリ目が覚めた模様です。
「ゴホン。冗談を本気にされては困ります。寝ている人にキスなんて強制わいせつ罪です」
「はい。ごもっともです」
僕らは少し前に病院を出て、こ洒落た洋風レストランで昼食を取っていた。そこで弥生さんに叱られる。当たり前だ。病院内を行き交う人々に注目を浴び、目立つこと目立つこと。弥生さんの次の勤務は噂で大変なことになりそうだ。でも弥生さんが要求したんですよ。悪のりした僕も悪いのですが。
「弥生さんの大好きなビーフシチューです。機嫌直して下さい」
夢のお告げと思い。彼女の夢を実現させる。
「わぁ。ご馳走様です。んー美味しい」
弥生さんはビーフシチューを幸せそうに食べる。ちょっとお高いけど連れて来て良かったと思う。
「でも私のイメージとちょっとだけ違いますね」
ぽつりと呟いた彼女の言葉がひどく気になった。デートに使うなら文句ない店だ。僕もお洒落過ぎて敷居が高く感じられた。味もなんというか、美味しいんだけど食べた気がしない。
「僕も少しだけイメージにズレがあるな」
自分で作ったほうが遠慮なく行けるなぁ。
「先生の料理したビーフシチューが食べたいです」
「いいですよ。今度、作って上げますよ」
「ありがとうごさいます」
楽しく二人で昼食を取り店を出た。
「今日はどうします?」
今日も弥生さんを食べたいと思った。ただ彼女は夜勤明けだ。無理をさせるわけにはいかないので予定を聞く。
「今日ですか。先生におまかせします」
弥生さんは僕の腕に絡み付いて来た。僕はそれを一度振りほどき、彼女の腰に手を滑らす。彼女と僕の体を近づける。
「僕の家に連れて帰りますよ」
彼女は小さくうなずいた。




