雨よ、私の雨よ
シトシト雨降るこんな夜に、ひとつ雨に纏わる思い出でも語ってみようかと。
ハタチになったばかり頃、バンドをやっているうちに一人、すごく気の合う男と巡り逢いました。
彼は私の2コ上だったけど、すでに業界では有名な人でした。白髪ドレッドに鍛え上げた小麦色の体、顎の下まで伸びた羽のタトゥー。その歳にして音楽以外に人生の選択肢を捨てた体は神々しかった。
でも、孤高故にか、極度の人見知りで気の合った人にはありのままをさらけ出して依存し、甘える。
彼は私の部屋でも2ヶ月ほど暮らしました。
「愛してる」も「好きだよ」も無く、ただそれがもう当たり前のように毎晩彼の腕に抱かれ眠りに就く日々。殆ど毎日一緒に風呂にも入っていましたが、彼とのセックスは一度もありませんでした。不思議な関係でしょ?
始めて一緒に風呂に入ったとき、彼はエレクトしていて、「なあ、セックスしよう」って言ったのですが、何となく私は「やだ」って言ったんですよね。それ以来、彼はもう一度も同じ事は言わなかった。
それでも彼は変わらずに優しいままで、当たり前のようにキスをして、当たり前のように私を腕に抱いて眠っていました。
なんのきっかけだったか覚えていないけれど、それほど些細な出来事であるかのようにある日彼は私の部屋からスッといなくなって、別の女の部屋に移り住みました。全く、自分の感覚が麻痺したのかと思うほど何の感情も無く、「ああ、この部屋の蛍光灯ってこんなに白かったんだ」って、だたそれだけ気が付いて、そう思ったのを覚えています。私は彼を嫌いになったりはしませんでした。
その後も彼は沢山の女の部屋を渡り住む放浪生活を続け、次第に彼は「要注意人物」として各界の女性からその名を知られる男となりました。そしてある時期から、「あの男から連絡があっても、みんな徹底無視するように」と業界全体に御達示が出たのです。
それでも別に私は彼から嫌な思いをさせられた訳でもないし、嫌いになった訳でもないので彼からの電話には普通に出ていました。たわいもない会話しかしてこない彼は私にとっては癒しといっても良いものだったし、彼のセンスや存在の稀有さは私にとって十分尊敬に値するって認めていたし。むしろ彼の事を無理矢理にでも毛嫌いして、何かの集まりとかでフッと彼の名前を口にした私を最高の礼儀知らずみたいな扱いで見下した女達の方がよっぽどバカなんじゃないかって思った。
そんな状況の中、ある雨の日に「あの男が狂って行方不明になっている」との電話がありました。
彼はそんな嫌われ者になってはいても、ギターの腕は所属のレコード会社では必要不可欠な至宝になっていたからね、会社からも彼の実家からも捜索願いがすでに出されていて、それでももう10日も行方が分からないとの事でした。誰もが、もしかしたら死んでいるかもって思ったんじゃない? そうなると焦ったのは彼を嫌って無視していた女達で、みんな心の中で「私のせいかも」なんて思ったのか必死になって彼の行方を探していろんなところに電話しまくってたみたいです。
ただ、私にはピンと来た場所があった。
いろいろ問題があるので詳しい場所は言えませんが、彼が私と眠る前、何度か彼が話してくれたその場所を探しながら、レコード会社の人の車に乗せてもらって辿り着いたときには夜中の1時半を過ぎていました。
土砂降りの雨、どこまでも広がる水田地帯の真ん中に小さなコンクリート製の給水ポンプ小屋があってね。私が横から懐中電灯で照らしながらレコード会社の人が恐る恐るドアノブを回すと鍵が開いていてドアが開いたの。
中を照らすとポンプ機械の横の床に寝袋があって、その端に白いドレッドが見えて、思わずその異様過ぎる光景に叫び声を上げそうになったけど、彼は確かにそこにいました。
レコード会社の人が「おい、〇〇君、なにやってんだよこんなとこで」って怒鳴ると、彼はビックリしたみたいにムクっと顔を上げて、でもすぐに何か諦めたみたいにまたスッと横になった。
「早く東京帰るんだよ、お前、捜索願い出てんだぞ、分かってんのかよ」
また怒鳴ったレコード会社の人は小屋の中に入って行って、彼の寝袋を掴もうとしたようでした。すると彼も、今怒鳴っているのが誰なのか分かったようで、またムクっと上半身を起こしました。
一瞬の沈黙の睨み合いってやつですか、私の感じる音は雨音だけ。ただバツバツと傘に当たる大粒の雨音だけ。
そんな一瞬の間を置いて彼は寝袋のチャックを開け始めました。
「なぁ、羽生えた生き物を檻から出したらどうなると思うよ?」
そう言いながら寝袋を抜いで立ち上がった彼は全裸でした。
「逃げて、隠れて、すぐに死ぬって分かった」
そう言って彼は私達の方に歩いて来ました。
全裸だし、レコード会社の人も歩いて来る彼をよけて道を空けるしか術がなく、私も同様。
私に気が付いて横を通り過ぎるとき、彼はいつものように優しい目で私をチラッと見ました。
土砂降りの雨の中、彼は全裸で真っ暗なたんぼ道を少し歩いてこっちに振り返り
「この真っ暗なのが俺の生きてる世界なんだよ」って叫んで、田植えの終わったばかりくらいのたんぼに両手を広げてダイブして、そのまま仰向けになって浮かんで、そのまんま。
雨音、闇、みんな孤立。
みんなどうしようもなくなって、しばらくして結局、レコード会社の人が警察を呼んで、彼はパトカーに乗せられて行きました。
彼はその後の検査でやっぱ精神的におかしいってなって療養施設で生活する事になり、私たちの住む世界からはいなくなってしまいました。
今でも夜に雨音を聞くとあの日の光景を思い出す事があります。
彼の事は今でも嫌いじゃないし、彼の見た世界って、分かればきっとカッコイイものなんだと思う。到達しちゃいけない神の領域でもあるのでしょうが。




