動き出すその2
俺は、その後3日間は、ほぼ自分の部屋に缶詰めになって丸山に送る原稿を書いていた。
もちろん、俺の持っている原稿には明確に限りがある。なのでできるだけ例の原稿用紙を節約したいのはやまやまだったから、当初の計画では、野子たち親子に見せた原稿を丸山にはそのまま送るつもりだった。
「いや、本当にそれでいいのか……」
どうしても不安だったのだ。
俺の脳裏には、転生前の挫折を繰り返し続けていた数々の記憶が焼き付いている。自分の才能を今更信じないわけではないが、それでも効果が不十分だったりしたらどうしよう、鼻で笑われたらどうしよう、内容を気に入ってもらえないだけならまだしも、日本語ですらない、いや、正確には日本語ではあるがどこかの異世界を舞台にした作品の設定用資料にしか見えない古代文字で書かれた原稿をそのまま認識されたりしたら、一体、俺はプロの編集者を前にどうなってしまうんだろう、そんな恐怖感が理屈抜きに俺の中で無視できなくなってしまったのだ。
結局、もったいなことこのうえないし、意味もあまりないことは俺自身も頭では十分に分かってはいたが、どうしても心がついて行かずに、持ち込み用の新しい作品を覚え立てのこの時代の文字で書き直すことにしたのだ。
新しい作品、と言っても、やはり野子たちに見せた『異世界部活シリーズ〜ネコ耳卓球娘の地区予選大会〜』を下敷きにしたものだ。この世界に来てから何か目に見える形で作品になっているのはそれだけだったので、とにかく、それを見ながら、まだかなりおぼつかないこの時代の文字を必死で調べながら、とにかく書ける限界まではこの時代の文字を使って書き直していった。どうしても分からない漢字などは仕方がないので古代文字で書いたが、せいぜい全部で10箇所くらいだろう。例の原稿用紙を使えば内容はあまり問題にならないというところだけはとにかく信じて、できるだけひらがなカタカナと俺がちょっとずつ身につけ始めていた中学生までの常用漢字を使って書いていった。普通に読めば子どもが書いたような文字の使い方だろうが、そこまでは今の俺にはどうしようもない。
とにかく大変な作業で、最終的には18枚まで縮めた作品に仕上げたものの、ほぼ丸3日かかってしまった。それでも何とか丸山に送る期限には間に合うように書き上げた俺は、念の為、速達にして上実に書いてもらった丸山の檜原本社の住所に宛てて、その日のうちに原稿を発送した。
「くそっ、俺も意外と小心者だな」
俺は、駅前の郵便局を出てアパートに戻りながらつぶやく。
これで引き返せない。よく考えてみれば、俺は『自分はとろう系作家だ』と転生前は必死に自負しようとしていたが、実際には素人投稿サイトに投稿していただけのただの無印警備員に過ぎなかった。自分の作品が認められて世に出て行くことを夢見てはいたが、実際には『自分の作品が認められて世に出て行く』というのが本当はどういうことなのか、金持ちになるとか有名になるとか、そんな抽象的な話じゃなくって、もっと具体的に、リアルにそれが何なのか想像したことは実はこれまで一度もなかった。
「想像しなかったわけじゃあない。想像できなかったんだよな。作家の世界のことも、出版の世界のことも、実際には俺の人生の中では接点すらなかったんだから」
……あと、685枚。