心の秘密その4
その特殊教育プログラムは、色々と派生して、そのうちに主にアスペルガーと言われていたものも、『発達障がい』という分類からほぼ完全に外してしまったらしい。
特に、アスペルガーの人は、この時代にもある商業用コンピューターのプログラマーとか、物理学の研究者とか、弁護士とかには非常に適性があることが分かっているそうだ。その中でも弁護士などの法曹資格者については、一時期AIが発達して人間に取って代わっていったために10分の1くらいまで人数が減っていたところ、特殊教育プログラムアスペルガー版が開発されてからは、今度はアスペルガーの人が完全にAIを圧倒してこれに再度取って代わっていったらしい。
すげーな、人力。AIを始めとするコンピューターによる大量情報処理システムが全般的に廃れてマイナーな存在になっていったのには別の理由もあるそうだが、少なくとも、法律分野で言えば、完全に人力がAIを凌駕したことが理由らしい。
今では、法律関係で言えば司法試験というものはなく、アスペルガーとして幼少期に見いだされたやつが保護者の希望を踏まえて法曹資格者となるための特殊教育プログラムを受けて就任するしか事実上道はなく、健常者が法曹資格を取るのは、
「制度上は不可能ではありませんが、右利きの人がわざわざ左利きのプレイヤーとしてプロスポーツ選手となって大成するよりも難しいと思われますので、誰もそれをする人はいません。本来、社会はおおむね右利きの人が暮らし易いように作られていますので、その暮らし易さを捨てる理由もないのです」
とのことである。
結局、2万5000年前に『発達障がい』と言われていた人の大半は、この時代では、社会の中でかなり重要な役割を果たす専門職として、特に障がい者としてでもなく普通に生活しているということだ。詳しくは訊く時間はなかったが、他の障がい分野についてもかなりの範囲でそのようなやり方が普及しているらしかった。
それでも俺には少しだけ疑問が残った。
「ただ、ハイパーサイメシアの方が情報提供サービス士になるのだとすると、人数が足りなくならないんですか?そんな人、割合的にごく稀にしかいない気がするので、今みたいに全国各地の役所に全て人員を配置するなんてことは難しいように思うのですが」
この疑問に対する上実の答えも明確だった。
「はい、その通りです。なぜ人数を現在のように増員出来たかと言いますと、元々はハイパーサイメシアの方々を情報提供サービス士とするための特殊教育プログラムだったのですが、ノウハウが蓄積されるうちに、それまではハイパーサイメシアではないと考えられていたその他の発達障がい者にはかなりの割合で潜在的には同種の能力者がいることが分かりました。そして、特殊教育プログラムを応用してそのような潜在的能力者の能力を発現させるプログラムも開発されました。しかも、実際に行ってみるとハイパーサイメシアの人を教育して情報提供サービス士に育てるよりも、むしろ潜在的能力者の能力を少しずつ発現させて特殊教育プログラムを行った方が、より短期間で、教育を受ける人にとっても負担が少ない形で、情報提供サービス士となれることが分かったのです。そして、我が子を情報提供サービス士に育てることを希望する保護者も大変多かったことから十分な人数が集まり、結果的に現在行われているような形で人員を配置することが出来るようになりました」
彼女の話では、上実自身も、そのように教育された元潜在的能力者ということだった。
もう、何にどう驚いているのか自分でも分からんが、この話には改めて驚かされた気がした。
とにかく、情報提供サービス士についての上実の話は俺のこれまで(この世界では生まれて数日だが)の経験で想像できる範囲のものとはかけ離れていて最初は理解できなかった。ただ、ある程度話がつながってきた頃からは自分でもよく分からないがどんどん話に引き込まれていく。まあ、10年20年の話じゃなくて、何せ2万5000年の試行錯誤の末のノウハウだからなあ。意外と気が長いな、人類……。
気がつくと、2時間以上の時間が経っていた。俺は、
「それでは、業務終了時刻となりましたので、情報提供サービスをここまでで終了させていただきます。ご利用ありがとうございました」
という上実の決まり文句を聞くまで、いつの間にか正午になっていたことに気がつかなかった。
元々は、今日は、出版業界の情報を仕入れに来たはずだったが、半分くらいそちらの話を忘れてしまいそうだ。
(今日はもう、アパート帰って、静かに頭を整理しよう)
そう思って一度は部屋に戻った俺だったが、どうしても静かに黙って部屋の中でいるのが落ち着かなくなり、夕方には街に出ていた。
(健全な精神は脂ぎった肉体に宿る、か。何なんだ一体、人の才能って)
どうしてもじっとしている気分になれなかった。俺は、それまで俺が生きていた時代と何も変わらずに見える街を行き交う人々の群れをぼんやり眺めながら、街の灯りが少しずつ消えていく時間になるまで駅前の繁華街を歩き続けていた。




