アパートに戻る【困惑】
「あ、あの、俺の原稿、読んでくれたんですか?」
何をどう尋ねたらいいのかまるっきり考えがまとまらなかったが、とにかく頭に浮かんできた言葉をそのまま口にしてみる。
「もちろんです!」
野子はキラキラした瞳を俺に向けながら即答した。
「何か、その、読みにくかった所とか、なかった?」
「漢字とか、ちょっと難しいのはありましたけど、辞書で調べたりして読みました」
どこか俺が訊きたかったことと噛み合っていないとは思ったが、それでも、野子は俺の書いた文字をそのままこの世界で通用している文字として違和感なく読んでいたことは疑いようがなかった。読めない漢字を辞書で調べたなら、俺の書いた漢字が辞書に載っているってことだから、間違いない。
……のか?
(何で俺の書いた文字がこの時代の辞書に載ってんだ?2万5000年前の古代文字だぞ?)
ますます本当にわけが分からなくなった。
とにかく、色々確かめねば。
しかし、何がどうなっているのか確かめようと必死になって質問を考える俺だったが、野子はそれ以上俺に質問する暇をくれなかった。
「杉田さん、いえ、杉田先生なんですよね?こんな、こんな小説って奇跡すぎますよね?私、この小説がベストセラーになってるの知らなくて、恥ずかしいですごめんなさい!」
野子は、段々文章の切れ目がなくなる勢いで、俺を先生、ベストセラー作家と呼びながら、渡された2話分しかない原稿がどんなに未知の感動を与えてくれた光り輝く作品であったのかについて、20分以上延々とまくし立て続けた。
息継ぎしてんのか、この娘?いや、むしろ過呼吸で倒れんのか?人工呼吸、ありか?なしか?
残念ながら、そこまで考える余裕はその時に俺にはなかった。
「あ、ありがとう。でも俺、無名でまだデビューとかしてない」
ようやく一言だけ口を挟めたものの、むしろ火を点けてしまった。それからさらに30分以上、ひたすら野子から質問攻めにされ続け、本当にこれが出版されていないなら続きの原稿を読ませて欲しいのです、的な鬼気迫る懇願をされ続けた。
「あ、ありがとう。すごく嬉しいよ。そんなに喜んでくれるなら続き書くね。あ、そうだ、原稿用紙切らしてたんだった。ごめん、今から買って来るね」
ダンボール箱に入っていた原稿用紙の束はまだだいぶ残っていたが、とにかく野子から一旦逃げるために嘘を言って買い物に出かけるフリをして何とかその場を離れた。
「……全く分からない」
俺はそうつぶやいて、今度は駅前に向かって歩きながら考え込んでいた。
何で野子は俺の文字が読めたんだ?
最初の疑問に戻ってしまった。結局何も分からなかった。それに、俺の作品を気に入ってくれたのはすごく嬉しいが、とろう系だぞ、ブックマーク50未満作品だぞ、しかもたったの2話、そこまでJCが褒めちぎってくれるものなのか?いや、野子みたいにちゃんと活字読んでる娘は、むしろとろうサイトとか見ないから、これまでは読者層がそもそも偏ってただけで野子の評価の方がまっとうなんじゃないか?
考えがどんどん迷走して行く。とにかく俺は駅ビルの中で文房具屋を見つけたので、原稿を入れるための大きめの封筒やボールペンなどの文房具とさらに原稿用紙を100枚ほど買い足してみた。ペンも紙もこの世界ではこれからも使うようだから少しくらい多めにストックしといてもいいだろう。それによく分からんが、これで気分一新だ。何にせよ、もう一度、今度は長めに続きを書いて野子に渡してみよう。