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〜精神病。克服までの道程〜  作者: たかポン
第一章〜精神病と言う名の闇〜
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心の在り処を脳にだけ問うても

以前にも申し上げましたが、この文章は、治療目的では、ありません。ただ筆者の精神病罹病者としての、世界観を申し上げてるに、過ぎません。そこのところを、ご理解していただけるよう、よろしくお願い申し上げます。



心と言う言葉は、広く認識され、使われているのに。何故か精神科では、全てを脳が司っているとしか言わない。中世ヨーロッパでは、魂の存在をエーテル体、アストラル体と今ではすっかりオカルトの分野に成り下がってしまったものまで、最新の科学として取り扱うと同時に掘り下げていた。今こそその部分を再び科学と融合し、心とは何か魂の求めるものを探求して頂きたい。


何故こんなことを声高に言うのかと言うと、凡そ現代社会は、魂の求める行動と真逆を行く仕組みだと感じるからだ。魂は休息を要し、理屈よりもより原始的な本能や、心の求める方へと向かいたがる。働くことの究極の目的はなんだろうか?恐らくお金を稼ぐことに他ならない。原始、人は狩を生業とし、または農耕をし、漁をし、その日食べるぶんだけを採って生活していたとされる。しかし、現在は、明日明後日、来週、来月、下手したら、何年後まで見据えてお金を蓄える。それが、明日の糧となり、雨露を凌ぐ家となり、他人と隔てる壁となり、衣食住全てを賄えるものとして、必要不可欠なのは、言うまでもない。しかし、本来魂が望むのは、人の在るべき姿で生きることであり、またこれらが仮に必然で進歩した文明にしても、その方向性は明らかに、魂にとって苦痛な世界に成りつつあるのでは無いだろうか?


今日では、世界的には一生のうちに、精神病を発症する人は、6人に1人と言われてるそうだが、このまま行けば、必ずと言っていい程、2人に1人の時代が来るだろう。そうなってしまっては、もう他人事では済まされないのだ。心とは何かもう一度よく考えて欲しい。心や魂が望む生活または、治療はこんなものでは、無いはずだ。

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