その9
口から煙を吐くようになったのは高校を卒業する手前くらいだったか。
体に悪いと聞いていたけど思いのほかしっくり来た。小さい頃臭かったはずの臭いは吸う側だとあまり気にならず味も少し苦いがその時の俺には丁度よかった。こんな物で気分が晴れるのなら安いものだ。
その時の心は常にざわついていて苛立ちを隠せず仲が良かったクラスメイトともしばしば疎遠になってしまったのは少し後悔している。
卒業式の最後まで彼女の顔を直視する事はできなかった。
高校生の恋愛など所詮こんな物。俺みたいな人間なんて彼女が人生で出会う男の中でわんさかいるだろうし俺以上の男だってわんさかいる。振られるのは妥当、仕方がない。
そう割り切れたらどれだけ楽だったか。
うまい飯を食っても夜寝る時も知らない女に慰めてもらってもふと雲一つない綺麗な空を見上げても、心の片隅で彼女は優しく微笑んでいる。
世間で見ればあまりにも短い時間しか付き合っていなかったけど青春と言う濃密な時間軸のおかげで、すっかり彼女は俺の心に住み着いてしまった。
何度も何度も追い出そうと彼女がいる心の部屋のドアを叩いても拳を強く握れない。弱弱しいノックしかできない事を肯定する自分がひどく情けない。
恋をしなくなったのもこれくらいの時期か。
好きって感情がわからない事はないけど、あまりにも彼女の事を愛しすぎて比べて終わってしまう。多分俺の人生の中で彼女に勝る女など現れないだろうから俺は人を好きになるのをやめた。
これ以上の恋はない。お金とか世間体とかそういった飾りなどない純粋な好きか嫌いかの恋だった。
ただ願わくば、吹っ切れてなんていないけど、丁度成人する今だからこそもう一度彼女と会って話をしたい。場所はどこでもいい。少しばかり二人きりになってこじゃれたカクテルなんかをちびちび飲みつつあの時の答え合わせをしてみたい。意味なんてないのかもしれないけど、そうでもしないと終わらない気がしてならないのだ。
小鳥遊と秋と飲む事2時間。
終電までまだあるけれども帰らないと駄々をこねる小鳥遊を早々に帰した。
秋を見た途端小鳥遊の雰囲気がシベリア並みに凍てついたのには焦った。そんなに秋の事嫌いなのか?
秋も気を使いつつうまい具合に場をなだめていい感じに事は進んでいたのだけど。小鳥遊の余計な一言で少しばかり台無しになってしまった。
「久我君、前の彼女さんの話って聞いていい?」
小鳥遊に悪気はないしただの興味本位で聞いたと思う。誰だって気になるとは思う。
でもそんな軽い気持ちで俺と彼女の思い出に踏み込んでほしくはないのだ。
前の彼女と聞いただけで心はざわついてその時の記憶が鮮明に頭の中でフラッシュバックした。
彼女との明るい日々がスライドショーのように流れていきそして最後に、振られた時のシーンがずっと映し出される。もう忘れてたと思っていたけどそんな事あるはずがない。思い出さないように必死になっていただけのようだ。
「話したくない。ごめん。これ以上聞かれたら駄目になるから聞かないで。」
小鳥遊がひどく悲しそうな顔をしたけどそれよりも俺の顔の方がひどかったと思う。
そこからはあまり覚えていない。覚えていないというよりかは他の事を考えていた。
秋が俺の様子を見かねたか肩をぽんと叩いてからお開きになった。
小鳥遊を駅で電車に乗るまで見送って帰ろうとすると携帯が鳴る。
「近くのバーで待ってるから絶対来い。お代はアンタ持ち。」
優しくそれだけ言われて電話が切れた。
小走りで待ってると言われたバーに入る。値段は張るけど薄暗く静かないい雰囲気のバーだ。
いつもの席によく見る顔が座っている。
「もしもしくらい言えよな。まぁいいけど。」
隣に座りいつもは飲まない度数の高いお酒を頼む。
背が低く太いグラスが出される。
「このグラスいつ見てもモブだよな。そっくり。」
「低いのは認めるけど太くはないから!……そんな事より、乾杯。」
こつんとグラスが静かになる。他に客はおらず申し訳程度の音量のジャズが緩やかに流れていた。
無言でお互いお酒をちびちび飲む。お酒にあまり強くはないから顔がすぐ熱くなる。
「ねぇ。」
秋はコトンとグラスを置いた。その音に少しだけ驚いてしまう。
「吸いなさいよ煙草。吸ってなかったでしょ全然。」
俺の吸わない銘柄の煙草を差し出してくる。一本貰いお互いに火をつける。
「お前煙草吸うんだったら大学の喫煙所一緒にこいよ。一人寂しいんだぞ。」
「馬鹿、こんな時くらいしか吸わないわよ。」
こんな時とはどんな時なのだろう。前に秋が吸ってるのを見たのもこんな時だったか。
「前の彼女の事、あんたちょっとしか教えてくれないけど今だからこそ聞いていい?」
煙草の灰を落としながら真剣な眼差しを向ける秋。
しかしまだ俺には勇気がでない。話して楽になれるってのはわかるけど話してしまうと大切にしまっていたはずの物がぽろぽろと崩れ落ちていく気がしてならない。
秋の問いかけに返事をできる事なく宙に舞って消えゆく煙を眺める。こうやって気持ちも簡単に消えればいいのに。
「言いたくないなら無理に聞かないけど。大学入ってからだけど短い付き合いじゃないから、おこがましいかもしれないけど、ちゃんと知ってちゃんと心配したい。」
秋の言葉は眩しく強い。社会的に死んだ方がマシ系男子の俺に向ける言葉ではない。でも俺を理解してなおこの言葉を言ってくれる秋は本当に素晴らしい。
チビチビ飲んでたお酒を一気に飲み干す。熱いのどの痛みと強いお酒の香りで頭がどうかなりそうだ。秋からもらった煙草を半分も吸ってないのに灰皿で潰す。
秋は残念そうに小さく溜息をついて帰り支度を始める。
それを左手で制す。
「煙草なら自分のがある。後明日の授業はいけないと思え。マスター、これより弱めのを一つお願いします。」
ただの女々しい男の恋愛話でドン引きするかもしれない。
でも秋なら大丈夫だろう。真摯に向き合ってくれるとそう思えたから。
ずっとしまっておいた綺麗な思い出を語りだす。




