その少年は女王の傍らに座す 5話
メリーとヨルが乗った馬は雨の道をかなりの速さで駆け抜けていた。道を進めば進むほど家は大きくなり、冷たい雨の中で健気に光る街灯の数も増えていった。それらを瞬く間に後ろに追いやりながら、メリーはまったく迷うことなく道を選択していく。
「ずいぶんと急ぐんだな」
「先手を打たないと。私の帰還を従兄殿に知られる前に、私の味方をしてくれる人たちに声をかけないと。後、濡れた服がいい加減気持ち悪いわ」
メリーは時折煩わしそうに頭を振って濡れた髪を振り分けると、太陽が白み始めるお蔭で見えやすくなっている道をまっすぐ見据えた。
「王都だというのに随分と人が少ないんだな。真夜中だからか」
「それもあるわ。でも、父が死にかけてるから、あまりはしゃぐのは良くない、っていらない気を回してるのよ」
軽く片方の口角を上げながら皮肉な笑みを浮かべる。
「おかげで金の周りが良くないのよ。迷惑な奴よね」
「あまり父親のことを好かんようだな」
「まぁね。父の良い行いは、私を第一王位継承者として産んだ事と、私以外の子を作らなかったことね。政治力も人間的な魅力も大したことない奴よ」
指にはめられた指輪が朝焼けを反射してきらりと光る。
「そいつは死にかけてるわけか」
「えぇ。私が尼僧院に連れて行かれた時は意識はあったけどまともにベッドから起きられるような状態じゃなかったわ。危篤って言ってたから、今は知らないけど」
メリーは自分の前に座るヨルのつむじを見下ろす。
「ヨル、あなた人の病気を治せたりするの?」
「いや。そんな器用なことはできん。どうした?治してほしいのか?」
「いいえ。ただそんなことを思っただけ」
メリーは表情を引き締め、馬の速度をさらに上げた。馬が大きな通りを疾走していると、暗闇の中から浮かび上がるように、巨大な塔が姿を現す。馬の足音が鳴る度にその塔は大きくなり、またその下にある巨大な城の本体が姿を現していった。
「ヨル。これが懐かしき我が家よ」
メリーは心なしか誇らしげな声を出す。
「我の鼻息で吹き飛びそうにないところは評価してやろう」
ヨルはそれに対して辛辣な言葉で返した。
その城は、雨の中白み始めた微かな光の中で荘厳な雰囲気を遺憾なく周囲に示していた。正面には灰色の石で造られた細く縦長の門、その門からいくつもの芸術的な細工が施されたアーチを介して風雨に磨かれた堂々たる姿の塔が後ろにつながっていた。決して空虚になること無く、また詰まりすぎて見苦しいことはありえないように計算された塔とアーチ、その装飾の関係はこの城の建築者の才能と努力をうかがわせる。それらの塔が引き立たせているのが、中央に聳える一際大きな建物だ。中央に大きなドーム状の屋根があり、それの四方を石の回廊が囲んでいた。歴史を感じさせる重厚さと芸術を感じさせる細部のこだわりがうかがえる形状で、縁には巨大な蔦が絡んでいる様な彫刻が施されている。窓や壁の形状、石の独特の模様に至るまですべてが調和を保って一つの体を成している。
その正面の門のあたりにいくつか明かりが動いているのが見え、それが警備にあたっている兵士であることが近づくにつれ分かる。厳めしい顔には眠気の一つもなく、かなり訓練された兵士であることが察せられた。
「あれらは潰さないで大丈夫か?」
「大丈夫よ。おおっぴらに私に危害を加えることはないから。別に私に好意的なわけではないけど」
メリーは自分の姿が良く見えるように姿勢を正しながら少しずつ馬の速度を落とす。すぐに兵士たちは近づいてくるメリーの姿に気づき、持っていた槍を構えてメリーたちの方に向ける。
「警備ご苦労!その任務に対する忠実な行動に免じて、私に槍を向けていることは許しましょう」
メリーは槍など気にならないとでもいうようにまっすぐ進むと、兵士たちに顔を見せるように濡れた髪を掻きあげる。
「メ、メリーデウル王女殿下!?戻っておいでだったのですか!?」
兵士たちは急いで槍を引き上げた。
「父が危篤という事でいてもたってもいられず今さっき戻ってきたのです」
微笑みすら浮かべるような柔らかい表情を浮かべながら、ひらりと馬から飛び降りる。
「まさか、私が城に入ることを止めはしないでしょうね?」
メリーはヨルが馬から降りるのを助けながら、兵士たちを見て目を細める。
「め、滅相もございません」
「ありがとう」
メリーは歓迎の色に乏しい困惑の表情を浮かべる兵士たちの脇を、なんの躊躇いもなく足早に通り抜け、高い門の下をそのままくぐって行った。
「メリーデウル殿下。どちらに」
「すぐにでも父の所に行きたいところだけど、この濡れ鼠のような姿では父に会えないわ。自室で身支度をします」
メリーは石畳みを鳴らしながら唐突に見返り、追いすがろうとする兵士たちを見下ろすような表情で言った。
「まさか私を追い出した後、私の部屋を取り壊しているわけではないでしょ」
兵士たちは何かを言おうと口を開くが、メリーはそれを無視するようにまっすぐ前を歩く。その脇をほとんど走るように追いかけるヨルが、メリーに小声で話しかけた。
「兵士が一人城の方に向かって走って行ったぞ。始末しなくて良いのか」
「物騒ね。別にいいわよ。どうせ従兄殿に連絡をしてるんでしょ。従兄殿は私の“警護”に付けていた兵士に連絡を取ろうとするでしょうね。……そういえば、死体をそのままにしておいたけど大丈夫かしら」
「知らん。あの場で食ってしまったほうが良かったか?」
「そうしたほうが良かったかもね」
「冗談だ。人を食うのは好かん」
「あら意外」
「食うよりももっと面白い使い方があるのになぜ食わんとならん」
「それはどうも。人の代表としてお礼を言っておくわ」
「それには及ばん」
メリーは喋ることに集中しようと心掛けているように見えた。だが、会話が途切れた瞬間に無意識に周囲を警戒するように見渡すのを止めることができないようだ。
門を抜け正面にあった廊下に入ると、その廊下も門と同じように天井の高い造りになっていた。はるか上の天井には複雑に編まれた糸のように梁が張り巡らされ、その梁を見上げるのを妨げないような絶妙の間隔で白い柱が天井を支えている。壁や床に使われている石材は磨き抜かれ、鏡として使えそうだ。まだ廊下には人気がなく、二人が歩く足音以外はわずかに降る雨の音だけだ。
「正面から誰か来るぞ」
「私が攻撃されそうになったら、ちゃんと守ってよ」
「もちろんだ。任せると良い」
ヨルは薄笑いを浮かべてメリーの脇に立つ。
「でも、そうじゃなかったら良い子にしててよ」
「愚弄しておるのか?」
「とんでもない」
メリーはしれっと言いながら、肩を張るように背を伸ばしてその正面から近づいてくる何かに向かって歩いて行った。
すぐにメリーの耳にも足音が聞こえてくる。石の床の上でもあまり目立たない小さな音だ。その歩く間隔はゆっくりで、まるで何か考え事をしてるように聞こえる。メリーは緊張の色を見せながら、それでも長い廊下の歩みを緩めない。
やがてメリー達は廊下の少し膨らんで絵画が飾られている空間に出た。メリーの数倍はあろうかという大きな額縁に、にっこりとほほ笑んだ男の肖像画がかかっている。優しげで、それでいて誇り高い騎士にも見える堂々たる顔の造作だ。きわめて写実的で、遠くから見ればそこに人がいるようにも見えるだろう。
「これは、お前の父か」
「えぇ。そうよ。国一番の絵師に描かせたら実物よりも威厳あるように見えて間抜けな事この上ないわ。きっと大分報酬をはずんだんでしょうね」
メリーは歩みを止め、腕を組みながらその絵をにらみつけた。
「メリー………王女様?」
そのメリーたちに震えるようなか弱い女の声がかけられた。 メリーたちがその方向を向くと、そこにいたのは、手で口を押えメリーたちを見て震えている細い女性だった。控え目にフリルのついたスカートから覗く足は握れば折れそうなほど細い。腰がきゅっとしまったタイプの服がそのか弱さを一層引き立たせる。髪は緩く後ろでくくった黒髪でわずかに波打っていた。まるで小鹿のように大きくうるんだ瞳は、まるで信じられないようなものを見る目でメリーの事をまっすぐ見つめている。
「アレンナ。ただいま」
その女性の姿を認めたメリーの表情が一気に和らぐのを夜が目の端で認識した。
「あぁ………私は夢でも見てるの………」
「まだベッドの中にいる時間だけどね。でも夢じゃないわ」
メリーは笑いながらその女性の方に近づく。だが、メリーが一歩歩くか歩かないかのうちに相手が走り寄ってきてメリーに抱きついた。
「メリー様!」