その少年は女王の傍らに座す 3話
馬は泥を跳ね飛ばしながらまっすぐ続く道を走っていく。馬にとってみれば何も見えず、雨のせいで鼻も耳も使えない状況だが、その背に乗って手綱を握るものから伝わる自信を根拠にひた走っていた。その手綱を握る女は、馬に自分の不安を感じさせないよう懸命に取り繕っていたが、彼女もまた闇を見通す目を持っている訳ではない。
彼女は自身の足の前に座る少年を唯一の心の支えにして、先の見えない道を進んでいる。
「ずいぶんと長い道がまっすぐ進むものだな」
少年が闇色の瞳を馬越しにまっすぐ向けながらつぶやいた。
「私の曾祖父が主要な街道ということで王都から8本の道をまっすぐ造ったの。これはその中の一本。でも、この先にある国に問題が起きてこの街道は重要度が薄れたわ。そのせいで、未だに舗装もされていない」
「なるほどな。人は短い生で長い事業をやろうとしがちだ。状況は刻一刻と変わるというのにな」
「ずいぶんと知った風な口をきくのね」
女は少年の言葉に冗談めかした皮肉を返した。
「当たり前だ。我が力を貸して力を肥やした王が何人いると思っておるんだ。人は欲望を持つものだが、王という人種はその中でも大きな夢を抱く。そして、足りぬ力を我が与えたときその夢が実現に近づく」
少年の声はとても愉快そうに耳に響いた。
「近づくだけ?」
「近づけば近づくほど、人の欲望は大きく、実現が難しくなる。我が与えるのは力だけだ。王の知恵や才能が実現するに足るものでなければ、待っているのは破滅だ。国を巻き込んでのな」
少年は小さく振り返って、女の方をみる。
「安心しろ。契約を破ったことはない。自身が無敵になったかのような、身の程を弁えない野望を抱かなければ、すばらしい統治ができるぞ」
試すような目で女を見上げる。
「お前はどうだろうな、メリーデゥル・フォン・マール」
「………つまらないこといってないで前を向いてちょうだい」
少年は肩をすくめながら前を向く。
「あと、王都につく前にあなたのしゃべり方をなんとかしないと」
「ん?何か変か?」
「王の横にいる子供の口調にしては、古めかしくて横柄だわ。ヨル、もっと可愛らしくして」
「何だ、それは。うるさいことを言う奴は我の腕で吹き飛ばしてやる」
「そしたら城が無人になってしまうわ。いいから私に力をかすっていうんならいう通りにして」
ヨルはしばらく無言で前を向いていた。
「ヨル?」
「なぁに?僕のしゃべり方ってこれでいい?メリーお姉ちゃん」
振り返ってにっこり笑いながらメリーを見上げ、しゃべり終わった後エヘッと笑い声まであげる。
「メリーお姉ちゃんじゃなく、メリー王女ね。後首尾よく私が王位に就いたら女王陛下、もしくは陛下よ」
「はぁい、わかったよ、メリー王女。………これでいいのか」
「えぇ。とりあえず、周りに私たち以外の人がいるときはそういうしゃべり方にしてちょうだい。もしくはすこし人見知りする子供って感じでも良いわよ」
「注文の多い奴だな」
ヨルは眉間にしわを寄せながら前を向き直る。
「私に力を貸してくれるんでしょ」
「そうだ。まぁ、その方が都合が良いというならそうしよう。媚を売るのも王の側に侍る際には必要だ」
ヨルはメリーの体に背中を預けるように座ると、馬の揺れも気にせず腕を組んで前を見据える。
「かなり遠くにだが、何やら大きな門が見えるな」
「早いわね。まぁ、かなり馬に無理させたから」
「そういえば、お前の口調もかなり私の知っている王のそれとは違う気がするんだが」
「普段からかしこまった口調でしゃべってたら口が針金みたいに固くなるわよ」
「ほう、それはおもしろそうだ」
「冗談よ。真に受けないでくれる?」
「………馬鹿にしておるのか?」
「多少気に食わないこと言ったくらいで怒らないでよ」
メリーは自身に体重を預ける少年を見下ろした。
「………人間はすぐに付けあがる。忘れていた」
「あとどれくらいで門のところまで到着する?」
「この調子でいけば、そう長く待たぬうちに到着するぞ」
夜闇を見通す瞳が、人では見通せない距離を伝える。
「よし。門のところに黒い布はかかっていない?」
「かかっていないな」
「よしよし」
手綱を握る女の手に力が加わる。
「まだ父は死んでいない。あなたがいれば、まだ巻き返せる」
「まかせろ。で、具体的には何をするんだ?」
「私は、父が死んでいる段階で王都にいれば第一王位継承者なの。でも、王都にいないと、逆に従兄が正式に王位を継承することになるわ
「ほう」
ヨルはメリーの言葉を少し退屈そうに聞く。
「だから、従兄は私を何としても王都から追い出そうとするわ。そのために色々難癖をつけてこようとするでしょうけど、私は父の看病を盾にその難癖を無視する。となると、従兄殿はどう動こうとする?」
「理屈が通じぬのなら腕力を使う。それが知恵のあるまっとうなやり方だ」
「えぇ。私は先日従兄殿が牛耳っている騎士団に、強引にこの道の後ろにある尼僧院に軟禁されていたわ」
「つまり、我は無理やり連れ出そうとする者共を排除すれば良いわけだな」
「まずはね。そのうち、私は従兄殿が持っている騎士団に対する権力を取り返さないといけない。私が女王になれば、少しずつでもそれができるわ」
「理屈はお前が整えれば良い。我はお前が整えた理屈の上でそれを邪魔する勢力を排除する。という事だな」
「その通りよ」
「ふむ。楽な仕事だ」
ヨルは不敵な笑みを浮かべた。
「あなたは、どの程度のことができるの?」
「どの程度というと?」
「さっきの様子を見てるとあなたは本調子じゃないのよね?騎士団が部屋にぞろぞろ入ってきてちゃんと対応できるの?」
「お前は体がだるい状態の時、羽虫に襲われて死ぬか?」
「死なないわね」
「なら愚かな質問をするな。それより、書物庫の件、忘れるなよ」
「大丈夫よ。最悪私が王位を継承できなくても、場所を教えたら入れるわ」
「一般でも入れるのか?」
「無理やり入ったらいいじゃない。どの道私が王位継承できなかったら、こんな国つぶれたって痛くもかゆくもないわ」
「ほぅ。なら、そうなった場合はそうさせてもらおうか。我としてもお前が王にならないんであれば書物以外には用がない」
馬は背中で交わされるそんな会話を理解せず、ただひたすら泡を吹きながら走り続ける。
そうしている内に、夜の暗さに慣れた女の目にも見える距離に、巨大な門とその門の脇から広がる長大な石の壁が見えてきた。
「そろそろよ。まずは、あの中に入らないといけないわ」
「任せろ。あんな門消し飛ばしてやる」
「そんなことしないでよ。私の町なんだから。少なくとも行けるところまでは穏便にいくわ」
道の脇に広がる森が背後において行かれると同時に、その門の偉容が眼前に広がった。
門の高さは遠目でないとその頂上が確認できない。それひとつで巨大な建造物だ。巨大な岩がアーチ状になるように組まれ、その枠の中にある扉は数百本の木から切り出された木材を組み合わせて作られている。数百本の組み合わせによって浮かび上がる模様は、幾何学的に計算された一つの装飾の体をなしていた。その門の肩のあたりから、街を囲むように作られた外壁は昼間の空気が澄んだ時に見たとしても、端が見えないほどに長い。外壁にも巨大な岩がいくつも使われ、その岩が決して一辺倒ではない複雑な組み方をされることで巨大な自重を支えているようだ。いかなる外敵をも撥ねつけるかのような、強固な守備の要として、その圧倒的な存在感を周囲に示している。
「亀みたいな街だな」
「昔見栄っ張りなご先祖様が作った遺物よ。そのお蔭で石の加工技術が発展して今や我が国を代表する産物になったわけだけど」
「ほぅ。まぁ、見栄だろうがなんだろうが、実際に作れるという事はそれだけの財と人があったという事だ。裕福な国である証拠だな」
「確かに豊かな国ではあるわよ。それが必ずしも良いことではないけど」
ヨルはただ肩を竦めるだけだ。