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その少年は女王の傍らに座す 1話

よろしくお願いします。

 夜。雨が道の脇に広がる大きな森の木々を打ち、雲は月明かりを世界から遠ざける。ほんのわずかな光の中で分かるのは微かな影と、辺りを埋めつくす雨の音だけだ。

 まっすぐ伸びる一本道の真ん中には、その闇を見つめ呆然と立つ子供が一人。夜の闇の中で詳しくは分からないが、少なくとも親元を離れるような年ごろではない。夜盗や獣が闊歩する夜にいるにはあまりにも無防備だ。

 その少年は途方に暮れた様に周囲を見渡す。微かな影でしかわからぬその動きからも、その少年が望んでここにいるのではない事が分かった。

 

―――――遠くから、馬の蹄の音が聞こえてくる。


 最初は雨の音に紛れて聞こえない程だったが、すぐにその音が大きくなる。泥を跳ね飛ばす力強い足音と、急きたてられる馬のあらい鼻息まで少年の耳に聞こえるようだ。音は一つでは無い。尋常ではない馬の呼吸音が少年の耳にまで入ってくる。

 その乗り手は最初は微かな影として、そしてすぐにその後ろから照らされる人工の光によってくっきりと照らされる。最初に現れたのは泡を吹きながら走り続ける馬とそれに乗る女だった。雨の性でぐっしょり濡れた髪の毛を靡かせ、必死の形相で馬の手綱を握り振り続ける。そのすぐ後ろ、雨避けの覆いをした光を片手に追いかけるのは数人の兵士だ。甲冑こそ帯びていないが剣を抜き、剣の腹で馬の尻を叩く。

 少年は、自身よりもかなり大きい馬がこちらにまっすぐかけて来るのを見ても、困惑したような表情のまま動かない。


 女が少年に気付いたのは馬が少年にぶつかる直前だった。


「きゃ……っ!」

 女が咄嗟に手綱を引き少年を迂回しようとするが、恐慌状態の馬はそれに何とか従おうとした結果道の泥に足を取られ転倒、馬ごと叩きつけられた女が地面に投げだされる音から、女が受けた衝撃が察せられる。少年に当たりこそしなかったが、女は道に投げ出され、転倒した馬は首をあり得ない方向に曲げたまま動かなくなった。

 女が何とか起き上がろうとした所に、野蛮な表情をした男たちが追い付く。数は5人、女が倒れた音を確認して速度を緩め、前方を照らす光の中、倒れた女と首の骨を折った馬、そして何が起こっているのか分からないと言ったように目を開き首をかしげている少年の姿を認めた。

「王女殿下。勝手に抜けだされては困りますね」

 兵士の中でもひと際体の大きい男が女に声をかけ、手に持っていた雨よけのついた明かりで女を照らす。

 白い肌と細い顎、高い鼻梁からは雨による水がしたたり落ち、そのうちの幾条かが噛み締められた唇に伝う。色が濃く芯のある金髪が雨に濡れた状態で顔にかかり、その髪の隙間から気の強そうな褐色の瞳が男を睨みつけていた。倒れた衝撃から立ち上がれないのだろう、地面に手を付けて上半身は懸命に起こしているが、その場から素早く動けないことは明白だった。

「尼僧院で大人しくしてくれないと」

「父が危篤状態なのに黙ってみてろっての?あなたは脳味噌まで猿の様になっているのかしら」

 女は挑発的な声色で言葉を投げつける。

「王都がどうなっていようと関係ありませんよ。あなたは一生籠の鳥でいてくれないと」

 剣を納め、男が馬から降りる。そして痛みから動けずにいる女の顔を掴み、無理やり男の顔に近づけた。

「その為には体の見えない部分ならどのようにしても良いと言われてるんでね」

 女は顔を掴む手を払おうとするが、男の太い腕の力に対抗できない。

「離しなさいよ」

「私の頭は猿並みらしいんで。王族さまのお偉いお言葉は理解できんのですわ」

 涎が垂れるような笑みを浮かべると、男が女を無理やり立たせる。

「隊長。この子供、どうしますか」

 男の取り巻きが、道の真ん中に茫然と立つ少年を剣と明りで示す。

 小さな少年だ。黒い髪からは滝のように水が流れ落ち、前髪は目に厚く掛かっている。服は質素な麻のシャツとひざ丈のズボン。手足は細く、人工の光に照らされるその肌は少年らしさ、というよりもむしろ少女に近いような繊細な白さを持っている。明りをまっすぐ見つめ返す少年の表情に恐れはなく、かわりに急展開する状況への戸惑いのみが目立っていた。

「殺して道の脇にでも捨てろ」

「野蛮人!!こんな小さな子供も殺すっていうの!?」

 女は掴まれたまま、さらに怒りと驚愕の色合いを深めた激しい表情で罵った。

「なんとでも言いな。おい」

 少年に一番近い兵士に向けて男が顎をしゃくる。

「やれ」


 そう言われた兵士は全くためらうことなく冷たい光を放つ剣を振り上げ、こちらを不思議そうに見上げる少年の顔に向けて振り降ろした。迷いのない剣圧が少年の濡れた前髪を吹き飛ばし、彼の顔の全貌が夜闇に晒される。

 女はギュッと目を閉じ顔を背けた。女の耳には肉が裂ける重い音と、骨が砕ける音が一瞬雨音を駆逐して、すぐに強い雨の音がすべてを覆い隠した。


 自分をつかむ男の息をのむ音に、女がゆっくりと目を開ける。そして、目の前の光景を見て更に目を見開いた。

 振り降ろされた筈の剣は元の形が分からない程に捻じ曲げられ、男の手に絡まりついている。余裕の表情は自身の腹から生えている鱗の付いた肢を見て、驚愕にとって代わられていた。その顔のまま肢の持ち主である少年に目を向けた。


「人間が我に傷をつけようとは」


 少年は夜の闇の中にあって尚暗いその鱗肢を振って刺さっていた男の死体を払い飛ばした。少年の右肩から生えているその肢だけで少年の体の数倍はあるだろうか。道脇の樹よりも太い強靭な筋肉と、地表を削り取りかねない程の暴力的な爪。何より、黒とはまた違う闇色の鱗は見るものに死への直接的な恐怖を与えて止まない。

「誰がお前たちに鉄を齎したか。我が何者か。はっきりさせてやろう」


 少年の目が闇色の鱗のように一瞬キラリと輝く。

 何か巨大なものが近づいてきた。そんな気がした。


 ズン


 地面から飛び出した金属の杭が兵士達の体をたやすく貫く。その衝撃で兵士たちの体は撓み、意識は一瞬で虚空に弾けた。

 辺りに雨でも流れきれない血の匂いがする。女が咄嗟に息をのむ音が聞こえた。

 少年は巨大な腕を薙ぎ払い、地面から生えた巨大な杭ごと兵士の体を吹き飛ばす。

「ば…化けものが!」

 女の近くにいる唯一残った兵士が剣を構えた。

「龍だ」

「あ?」

 少年は眉間にシワを寄せながら口を開いた。

「我を化け物と一緒にされては困る。我は龍。遠く人の里から離れた山に住み、人に鉄と戦いを齎した者。鉄に愛され、死を愛し、人に気まぐれな繁栄を築かせ、それを多くの死で以て無に帰す事を楽しみにするものだ」

 少年の巨大な腕が急速に縮み、少年らしい細く柔らかい腕になる。だが、その少年の眼は、黒でも紫でもない、闇の色になって、冷たい雨の中から男を覗いていた。

「闇の中に巣食う死と鉄の化身。闇よりなお深き闇」

 大きく手を広げ、ゆっくりと男の方に近づいて行く。

「冥府より来たりし滅びの龍。この言葉が我のお気に入りだ」

 闇夜に浮かぶ瞳が細まり、その内の虹彩がわずかに広がった。

「別に冥府なぞには知り合いはおらんがな。人間は詩的な表現をさせたら実に素晴らしい文言を考えてくる」

「近付くな!これ以上近づくとこの女を殺すぞ!」

「別に困らん」

 へたり込んだ女の喉元に剣を当てる男の言葉は、まったく価値がないものとして切り捨てられた。

「だが、一つ聞きたい事がある」

「あぁ?」

「質問に満足いく言葉を返す事が出来れば、お前の望みをかなえてやろう」

 少年は尚もゆっくりと男に近づいて行く。

「簡単な質問だ」

 少年の腕が男の胸に当たる。少年の表情には先程の戸惑いの色は微塵もなく、ただ暴力への快感に酔う無邪気な喜びと、力で解決できない目の前の問題に対する苛立ちが同居していた。


「ここはどこだ?」


「………は?」

「答えろ。気付いたらここにいたのだ。我は住処に帰りたい」

 少年の顔は明らかな苛立ちの表情を形作っている。

「こ、ここはアルベール街道だ。誇り高き平和を戴く王都マールから北に昇って行った所だ」

「なんだ、その街は。聞いた事がないな。まぁ、良い。次の質問だ」

 少年の手が、先程の凶暴な暴力の形になる。

「&%’(%%&$’山はどこにある」

「……は?今何と言った?」

「&%’(%%&$’山だ。どこにある」

「そんな山聞いた事が―――」

 風船がはじけるような、そんな音がした。

「それなら用はない」

 頭部が無くなった体が剣を持ったままゆっくり崩れ落ちる。雨交じりの返り血を浴びた少年がそれを見下ろした。女は自分のすぐ脇に泥をはねとばして倒れてきた男の死体から咄嗟によけると、唾を飲み込みながらその死体を見つめる。強い光を湛えたその眼は死体を見て濁っている。

 だが濁ってはいるものの、その眼にはいまだに強い意志が感じられた。何より、その女の表情は男の死を悼むわけでもなく、恐怖に思考を止めているわけでもない。助かるための命乞いをしている様な後ろ向きな状態でもない。


 少年は先程と変わらない表情で女の方を見る。その闇色の視線を真っ向から受けるその顔には、死への恐怖すら凌駕する、人間らしい野心がありありとうかがえた。



「おい」

「な、なによ」

 女は気丈な声で少年に返答した。

「お前にも聞こう。&%’(%%&$’山はどこにある」

「し、知らない」

「そうか」

 少年の腕が膨張し闇色の鱗が肩を超えて顔にまで侵食していった。

「じゃあ用はない」

 そのまま神速が振り下ろされる。

「で、でも!!」

 その腕は女の前髪を数本吹き飛ばす距離でとどまった。その衝撃は周囲の雨粒を一瞬吹き飛ばし、女の顔を強い風が叩く。

「でも、王宮の中にある書物庫なら、何か載ってるかも知れないわ」

 女の額には冷や汗と雨水が混ざって滴っている。目に水が入ってもまったく感じていないかのように、女の目は見開かれたまま少年の方に向けられていた。少年の鱗肢がのび、死を削る様な太い爪が女の首にかかる。

「そんな面倒な場所に行かずとも、ここで道行くものに聞いて行けば誰かが知っている。我は面倒は好まない」

 銅褐色の瞳が闇色の瞳を見返す。

「私はこの国の王女としてこの国はもちろん世界中の地理を頭に叩き込まれてるわ。でもあなたが言った山の名前は知らない。それどころか何という山なのか発音する事も出来ない」

 女は息継ぎもせず一息にそこまで喋った。

「……ほう」

「という事は、あなたが言っている山の名前が人間の地図に書かれている名前と違う可能性が高いわ」

「………続けろ」

 鱗の擦れる掠れた音と共に少年の爪が女の首から離れる。女はホッとしたように一瞬表情を緩め、また慌てて顔を引き締めた。

「という事は、あなたは山の正式名称を知った上で、そこに行くための方法を探さないといけないの」

「それで?」

 少年の腕から鱗が消え、年相応の細い腕になる。

「いろんな角度から情報を検討する必要があるわ。地形の情報からも、名称からも、その山の周辺の人口分布からも。古文書なんかの情報もいるかもしれないわ。その為には多くの知識が必要よね」

 女の頭が計算と打算に物凄い勢いで回転しているのが分かった。少年にはその頭の動きが手に取るように分かった。

「私ならそれを提供できる」

「何が望みだ?」

「え?」

「お前たち人間は話が遅くていかん。さっさと条件を言え」

 少年は雨の中でくっきりと目立つ瞳を女の方に向けて先を促した。女は準備していた言葉を言おうとして、それを寸前で飲み込む。代わりにただ一言だけ、声を震わせながら吐き出した。

「………私の力になって」

 少年の顔がしかめられ、ガリガリと雨で濡れた髪を掻く。

「具体的にはなんだ」

「私は今、王位争いをしているの。でも王都に私の味方は殆どいない。特に騎士団の様な武力を私は動かす事が出来ない。今王都に行ってもそのうち排斥されてしまう。だから、私の力になって欲しい」

 少年は口を開かない。

「その代わり、王宮書物庫をあなたに自由に使わせてあげる。あそこにある書物はこの国どころか周辺国のどこに行ってもないような貴重な書物の山よ。あなたが知りたい情報があるとしたらそこにある」

 少年は尚も口を開かない。

「決して悪い条件じゃない筈よ。あなたの力なら普通の人間どころかこの国一番の騎士を100人相手にしても一瞬で蹴散らすことができる。私にその力を貸してちょうだい。悪い目は見せないわ」

 女の言葉が、そこでいったん止まる。

「…………どうかしら」

 しばらく黙って聞いていた少年だが、突然右腕を極限まで膨張させた。

「ひっ!?」

 近くに生えている森の樹よりも太く強靭な腕を再度目の当たりにした女の口から悲鳴に近い声が漏れた。

「名前は」

「え?」

「お前の名前だ」

「え………メリーデゥル。メリーデゥル・フォン・マール」

「ではメリー。お前の条件を飲もう」

 少年は自身の腕から手の甲程の大きさがある鱗を一枚引き剥がす。

「だが口約束はしない。我は誠実な約束を求める。胸元を開けろ」

「…胸……」

 女が一瞬ためらうが大人しく自身のシャツの胸元をくつろげる

「こういうこと?」

「そうだ。じっとしていろ」

 少年はゆっくりとその白い胸元に顔を近づけ、小さく赤い舌でその部分を舐める。

「ヒ…ッ」

「良い味だ」

「な!?」

 女が顔を紅潮させて抗議しようとした瞬間、引き剥がした鱗を開いた胸元に押し付けた。

「ァ……ッ」

 鱗はやすやすとメリーの胸元に潜り込んで行き、やがて外から見える部分が女の爪程の面積にまで狭まった。まるで女の胸元に闇を抱いているような、みればそれが明らかに異質なものであることがわかる。

「これは契約の証しだ。夜を胸に懐く者よ」

 埋め込まれた闇を指の爪で叩いてみせる。

「お前に力を貸そう」

「あ、ありがとう……」

「この契約の証はお前に埋め込まれているが、どちらかというと我を縛るものだ。健康の害はないから安心すると良い」

「………」

 少年の声に意外さを感じた女は思わず声をかけた。

「なんか、もっとこちらに不利益になるような条件があるのかと思ったわ」

「どうせ山に帰っても暇なのだ。久方ぶりに王の近くに侍っているのも悪くないだろう」

 龍は腕を元に戻し、女に差し出す。

「手を貸そう。立ち上がれ」

 女は柔らかそうな少年の手を掴むと、引き上げられるのに任せて立ち上がった。

「メリー。我が名はヨルだ。そう呼べ」

「ヨル?夜ってこと?」

「そうだ。名前を付けられたのはだいぶ昔の事でな。世界にほとんど意味のある言葉がなかった。数少ない意味のある言葉から母が付けた名前だ」

「母親がいるのね」

「当然だろう。生き物には母親がいるものだ」

 それを聞いたメリーは一瞬目を開けて、それから笑いだした。

「ではメリー。改めて、お前の力になることを約束しよう」

「よろしく、ヨル。あなたの力になることを約束するわ」

 少年と女は冷たい雨の中、夜闇に包まれながら握手を交わした。


 この握手が後に血と死体の上の玉座に座る女王メリーデゥルと、そのすぐそばにいつも侍る謎の少年によって醸し出される繁栄と恐怖の幕開けとなった事は、どの歴史家も哲学者も予想しない事であった。


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