第二話【14分の1の幸運】
「あんたマジで花屋?」
殺風景な事務所の中で、武田ゆうりが、うさんくさそうに辺りを見まわす。
「花屋といっても、創るのは花嫁のブーケだけだから、必要な分だけ仕入れるのよ。」
「ああ、アーティストってやつか。」
ブーケを創る作業台にコーヒーカップを二つ置くと、ゆうりがそくざに一つ手にとって口をつける。
花を入れる冷蔵庫はない。代わりに、この部屋自体の温度が冷蔵庫なみに低いのだ。
「霊安室。」
ゆうりが眉をひそめていった。
「消毒薬の臭いはしないわ。」
「うん。」
彼の苦い表情が、自身の体験を物語っている。
二十代前半のようだけど、時々それよりはるかに歳をとってみえるのは、心にある傷のせいかもしれない。
「あの事故で亡くなったのは、ただ一人だったわね。」
「俺の妹だ。」
コーヒーの湯気が、彼の表情を隠し見えない。訊いてしまったことを後悔したが、すでに遅すぎた。こうなれば、思い切って会話をつづけるしかない。
「苗字がちがうのは?」
「両親が離婚して、俺は親父に引き取られたんだ。」
ゆうりが少しコーヒーを飲み、また口を開く。
「妹は母親といなくなった。・・・もう、10年以上前になる。」
今度は飲まずにカップの中を見ていた。
「次に奈緒を見たのは霊安室でだったよ。」
「・・・そうだったの。」
亡くなったのは彼の身内かしらと感じてはいたが、それが真実となると、やはり心臓がちくりと痛む。
私でさえ、いまだバスに乗るときは緊張してしまうのだから。
「あんたケガの後遺症とかは?あっ、バス恐怖症なのは当たり前だろうけど。」
「えっ、私は・・・他は平気よ。」
私はいきなり心配されて驚き、しどろもどろになって答えた。
「そうか、よかった。」
少し安心したように彼が微笑んみ、私ははっとした。
「同じ笑顔・・・。」
「なにが?」
「あの事故以来、今日あなたに会うまで、私、会ったこともないあなたを思い出していた。」
「今よりもっと若いあなたを。」
ゆうりの瞳が大きく瞬いた。
「どんなふうに?」
私は、彼にまっすぐに見つめられて、なんだか居心地悪くなってしまったが、彼は答えを待っていた。
「あなたは、よく河原でサッカーの話しをしてくれてた。」
ゆうりは懐かしそうに微笑んだ。
「俺は中学までサッカー部だった。転校してやめちゃったけどな。」
「あなたはいつも楽しそうに笑ってた。」
「・・・そう、あの頃はね。」
あの頃という言い方に、それからの日々が平穏でなかった事を読み取って、私は話を続けるべきか躊躇した。
「父親がリストラされてから、そんなふうに笑えなくなっていたみたいだけど。」
「怖い顔をしたあなたは見た事ないわ。」
私の言葉に、彼は一瞬驚いたように目をしばたかせ、やがて失望したように小さくため息をついた。
そして、「そうか。」といったきり空になったコーヒーカップを見ていたが、また寒さが襲ってきたらしく、体をさすりながら時計に目をやった。
「これは、本当にあなたの妹さんの記憶なの?」
「おそらく。」
コーヒーのおかわりを勧めたが、彼は首をふって時計を指差す。
「なぜ、私が彼女の記憶をもっているのかしら?」
「俺にもわからないよ。」
「私は彼女の幽霊にでも取り憑かれてるのかも。」
「いや、そういうんじゃないと思う。」
ゆうりのきっぱりした口調が意外で、私は目を丸くして彼を見た。
「なぜ、そういいきれるの?」
「他にもいるんだ。」
「えっ?」
「あんたみたいに、奈緒の記憶をもっている人が。」
「うそでしょ?」
「でもみんなそれぞれ違う。断片的で、それひとつでは意味がないようにみえる。」
「白昼夢。」
私が呟くと、ゆうりは目を細めて私を見た。
「そう、まるで白昼夢みたいに。だからみんな、自分がおかしくなったのではと思っているのかもしれない。」
「人に言えば、精神科に行けといわれるわね。」
「セラピストっていうんだ。今は。」
英語でいえは別物みたいに聞こえるが、私にとってはそう違いはない。
行かなくてよかったと思った。同時に胸にひっかかっていた疑問を彼に尋ねた。
「ねぇ、あなたはどうして私が記憶を持っていると思ったの?」
「事故の後、町で見知らぬ男に呼びとめられたことがある。」
ゆうりは、話すかどうか迷っているように見える。
「その人は、夢で俺を見たといってた。その夢の中で、俺は、母親に、『死ねばいいのに!』といったらしい。」
子供が反抗期になり、親や他の大人にそういった暴言をはいたりすることはあるだろう。
けれど私は、ゆうりの表情から、その言葉にもっと深刻な背景があることに気付いた。
おそらく、彼は本気で死ねばいいと思っていたのだろう。
私は勝手に彼のカップにコーヒーを注いだ。
彼は、無意識にそれを手にする。
「それが事故の被害者の一人だったの?」
「ああ、それがはじまりだった。」
「それから、ニュースで、俺の顔を見たという人が、電話をしてきて、同じように白昼夢のことを話してくれたよ。」
「私、あなたの顔なんて見てないわよ。」
「顔は出さないように報道関係にはいっといたんだけどな。いくつかの週刊誌が無視してだしたみたいだ。」
「でもあなたは、私に会いに来た。」
「あんたは美人だからさ。」
ゆうりが人の悪い笑みを浮かべ、肩をすくめる。
ただの社交辞令だろうが、私は自分の顔が赤くなるのを感じてたじろいだ。
いつもなら、かるく受け流す余裕はあるのに。
「なんていって、バスに乗っていた人みんなに訊いてまわってるんでしよ?」
「まあね、実はそうなんだ。」
ゆうりは悪びれもせずに認めた。
「だけど今更彼女の記憶を探してどうするの?」
彼女はもういないのに、という言葉は飲み込む。
「知りたいんだ。過去を。」
「俺と別れてから奈緒がどんな一生を送ったのか。」
「わからないの?」
「奈緒が死んだとき、あいつはほとんど何も持ってなかった。」
「身分証も役所の住民票も母親の離婚したときのままだったし、でもそこも、近所の人の話じゃ、何年も誰も住んでない。」
「どういうこと?」
「さあ?俺にもわけがわからない。」
するとデニムのポケットから、携帯の着メロが聞こえてきた。
「ごめん、俺、これから人と会わなきゃならない。」
「私、お役に立てた?」
「充分に。」
そのときゆうりが見せた笑顔は、あのころと同じものだった。
また心臓の鼓動が早まって、私はあわててドアを開けに席を立った。
後から歩いてきたゆうりがいった。
「また、話をきかせてもらえる?」
「仕事が忙しくなければ。」
ゆうりは頷いて名刺を差し出した。
私はそれを受け取って文字を見、彼を見直した。
「メイクアップ・アーティスト!?」
「そう、同じアーティストってわけだ。世界は違うけどね。」
「同じ生き物を使う。」
私が言うと彼は嬉しそうに微笑んだ。
「どちらも、生き物をより美しくみせる仕事。」
私は思わず笑ってしまった。彼の今度の笑顔は、今日一番好きな顔だった。
「じゃあ、また。」
かるく手を振って足早に走り去るゆうりは、振り返るそぶりすらみせない。
美人に会いに来たというわりには、あっさりしすぎだが、お世辞でも誉められて悪い気はしない。
今日だけでも気分よく仕事ができるだろう。
14人。
ふと思い出した。
あの日、私を含めバスに乗っていた人数は14人。
事故で生き残ったみんなが、死んだ奈緒という女性の記憶を持っているのだろうか?
しかしなぜ、その記憶は断片なのだろう?
色々な映像が頭の中浮かんでは消えた。
少し考えてみたものの、私は混乱してしまい考えるのをやめた。
武田ゆうりは、また訪ねてくるといっていた。
いずれ、残りの記憶の断片を彼が見つけるだろう。
あまり悪い記憶でなければいいけど──。
ネガティブな考えを振り払い、私はゆうりの笑顔を思い出そうとした。
だけど思い出せたのは、なぜかさっきの大人になった彼の顔だけ。
たぶん14人の中で私は運がいいほうなのだ。