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 7話

 たった数日で眞幌の身辺は激変した。それまでもミリオンは出したことのある高柳瑛だが、路線変更かと思える作風に衝撃があったのか、売り上げ枚数に比例して取材の数も激増した。

 もちろんその中には作者の眞幌を取材させろという申し出が相当な数に上ったが、所属事務所のA・Eでは極秘扱いで、それを許さなかった。瑛同様に眞幌の管理はA・Eでマネジメントを行っており、とくに眞幌自身の個人的なことに関しては社長の桜井の許可がなければ、なにもできないようになっていた。

 本名を出すと差し障りがあると踏んだ桜井と眞幌はライター名を'M'として覆面で通した。出来る限りこの状態を通すつもりだった。だがいずれ写真も公表していない眞幌が、写真誌などに追い回されて素性がばれる時が来る。まして最近、瑛の側に必ず居る若者の姿がマスコミの耳に入れば時間の問題である。

「眞幌、あのアパート引っ越せよ」

 瑛は何度となく眞幌に勧めた。

「もっとセキュリティーのしっかりした部屋に引っ越した方がいい。なんなら俺と同じマンションに越してこないか」

 眞幌は冗談ではないと思った。瑛のマンションには行ったことがある。'超'が付くだろう高級マンションは瑛が住むにはいいが、とても自分のような人間が住むような場所ではない。だが瑛だけでなく桜井からも引っ越しの勧めが来た。

「眞幌、瑛のマンションに越す必要はないが、管理できる部屋には越した方が良さそうだ。君のことを調べ始めたマスコミが居る」

 桜井の勧めでは断るわけにいかない。

「君に依存がなければこちらで適当な物を用意するが」

「お願いします」と眞幌は応えるしかなかった。


 古びたアパートの一室。ここに何年居ただろうか。高校を出て十八歳の時に眞幌は幼なじみで親友の安藤崇埜あんどうたかやと共にここへ移り住んだ。

 眞幌と崇埜たかやは同じ施設で育った。崇埜の両親は事故死してすでにいなかったが、眞幌は事情があって施設で育てられた。父親はどこの誰なのか知らないが、母親は知っている。いまも健在だ。だが一度も会ったことはない。少なくとも眞幌の記憶にはなかった。

 母親は眞幌が施設を出るまで多額の寄付をし続けた。ずっと援助だけは続けていて、眞幌が施設を出ると決まったときにはその後も経済的な援助はすると言ってきた。自分の弁護士を通じてである。そんなときすらも姿を現さず、お金だけで事を済まそうとする母親に反感は捨てきれず、もう援助は結構だと眞幌は代理の弁護士に言い捨てた。

 以来、苦労しながらも生きてきた。それでもその後もその弁護士が眞幌の保証人になったり、あれこれ世話を焼いてくれたことを思うと、それも母親のおかげなのだと思い知らされる。それは仕方がない、未成年のうちはなにをするにも保護者の承諾が要る。

 母親は自分が表に立つ代わりにすべてを弁護士に委ねたらしい。今更世間に眞幌のような息子が居るなど公表できるはずもない。眞幌の母親は現在、かなりの有名人だった。自分の夢のために眞幌を捨てたと思うと、『会いたい』などという気持ちも起こらない。『死んだ』と思って割り切った方がずっと楽だった。

 だから成人したあとはいっさい連絡をしていなかったし、向こうからもなかった。やっとすっきりしたといえる。それでもそんな強がりが言えたのは、いつでも自分には寄り添える人間が居たからだった。

 眞幌は少ない自分の荷物を整理しながら、押入からひとつのボストンバッグを出した。以前ここに一緒に住んでいた、崇埜のものだった。崇埜はすでに居ない。四年前ここへ二人で移り住んで、ずっと寄り添ってきた。

 施設の時代から数えたら十八年。眞幌は崇埜と一緒だった。けれど崇埜は一年前に死んだ。そのことが眞幌の心に大きな疵を残して、いまだに癒えない。

「崇埜……俺、ここを出ていくよ。こんな風になるなんて思ってもみなかったんだけど。

これから、どうなるんだろう」

 眞幌は今の不安を、死んだ崇埜にそう告げた。


 けっきょく眞幌が引っ越したのは瑛と同じマンションだった。瑛の強い希望で、会社側も安全上や仕事の都合などでその方がいいと強く勧めたからだった。それでも眞幌は瑛よりも三階下で、部屋も2LDKで瑛の部屋よりは半分近くコンパクトに出来ている部屋を選んだ。

 家賃は事務所が契約料代わりに出してくれるそうで、いまはまだ殆ど収入がない眞幌にとってはこれでもかなり身分不相応な部屋だった。それでも桜井が、

「これからのマスコミ対策もあるから、引っ越しておきなさい」

 そう言ったので眞幌はその言葉に従ったのだ。先々に予想される一連のことを思うと眞幌も気が重い。回りの人間に少しでも迷惑をかけないようにしようと眞幌なりに気を使ったのだった。

「なんだよ、どうせ同じマンションなら俺の部屋の隣だって空いてるのに。 どうしてわざわざ三階下なんだよ」

 眞幌の気持ちも分からずに瑛は不満を言う。冗談ではない、瑛の部屋の隣は同じ間取りで、あんな贅沢な部屋では眞幌は落ち着かない。昔からずっと古く、小さな施設の部屋で他人と一緒に生活してきた。

 そこを出たあともあの古くて狭いアパートで崇埜と共同生活をしていたのだ。こんな高層マンションで、しかも無駄に広い部屋でなど暮らせない。

「そんなこと、すぐに慣れるのに」

 瑛が言った。そうなのだろうか。そう言うことはすぐに慣れてしまうものなのだろうか。あの小さなアパートから持ってきた荷物は寝室の隅に置いただけで収まってしまった。

 家具付きのこのマンションでは最低限のものはすべて揃っていたので、眞幌は何も用意しなかった。まるでホテルか他人の部屋のようだと居心地悪く思いながら、それでも新しい生活の一歩は始まっていった。


 アルバムのプロモーションが始まった。先行シングルの評判もあり、所属のレコード会社やプロダクションももちろん期待で気合いが入っていたし、マスコミ側も人気者の高柳瑛を引っぱり出そうと、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌とあらゆるものからオファーが来て、マネージャーの梶は対応に四苦八苦のようだった。

「いつも以上にすごいですよ」

 梶はそう眞幌に言った。眞幌に実感はない。いつもの瑛がどう言った様子なのかも知らないわけだし、今の自分や自分の作品がどういう位置なのかもまったくわからない。とまどいはあったが、右も左もわからないと言うのは反面ありがたいことで、そのことで焦ることも緊張することもなかった。

「お前すごいな」

 瑛にそう言われても、すごいのは自分ではなく瑛だとしか思えない。レコーディングが終わったあとは、眞幌も特にすることがなく。さすがにプロモーションで引っ張り回される瑛は眞幌を構う時間もなくて、むしろ眞幌は暇を持て余していた。

 これからの自分の仕事だと思い部屋で曲を作り、たまに呼び出された事務所で桜井や他の人間から、これからのことや、現在の売り上げのことなど説明された。眞幌にとっては自分のことではなくて、あくまで瑛のことでしかなかったが。

 その瑛は忙しい時間をぬっては眞幌に連絡をよこした。週に何回かは食事も一緒にした。本当にマメな男である。今は寝る暇もないだろうに。

 眞幌は可笑しくなる。瑛は会えば、会わない時間のことを事細かに、眞幌に説明して聞かせて怒ったり笑ったりしている。最初から変な男とは思っていたが、本当に変わった男だった。

「明日さぁ、休み貰ったんだよ。 どっか行かねぇ?」

 ある日、レストランで食事をしながら瑛が言った。

「行くって、どこへ?」

「う~ん、どこでもいいよ。 眞幌行きたいとこないの? お前最近どこにも行ってないだろう?」

 眞幌は家と事務所の他は本屋へ行くくらいでほとんど家から出ない生活だった。元々眞幌はそんな生活で、別に行きたい場所もない。

「よく休み取れたね」

 眞幌は何気なく言った。よくはわからないが、梶からも瑛のスケジュールは殺人的だと聞いている。今の時期に休みなど普通は無理ではないのか。

 もっとも、この二週間。休みなく働いている瑛がちょっと心配でもあったので、瑛のためにこの休日は喜ばしいことなのかも知れない。

「まぁな」

 瑛は言葉を濁した。休みなどとうてい無理な状態を、梶からなお無理を言ってもぎ取ったのだ。

「俺はいいからさ。瑛、ちゃんと休んだ方がいいよ」

 眞幌は正直にそう言った。休みがもらえたのなら出歩いてないで、ちゃんと寝て休息した方がいい。頑丈そうな瑛だが、それでもオーバーワークだろう。

「いや、俺はさぁ。眞幌とどっか行こうと思ったから休みを貰ったんだよね。どっか行きたいとこない?」

「べつに」

 眞幌の答えはあっさりしたものだった。瑛は拍子抜けする。

「でもさぁ……」

「ちゃんと休んだ方がいいって。無理して梶さんに頼んだんだろう? 貴重な休みなんだからさ」

「だからぁ……」

 瑛は溜息をついた。鈍いというのかなんというのか、眞幌には瑛の気持ちが伝わらないらしい。誤解が解けてトントン拍子に話が進んだものの、今度はゆっくり眞幌と話す時間もなくプロジェクトに追われ、あっという間に三ヶ月が過ぎた。

 眞幌も同じマンションに越してきた。なのに二人の間だけが進展しない。そろそろもうちょっと親しくなってもいいのではないかと思うのだが。

「行きたいとことか、ないの?」

「ないよ」

 あっさりと眞幌は言う。

「じゃぁさぁ、買い物でもして映画見て、食事とかは?」

「そう言うことはさぁ、彼女とやれば?」

「そうなんだけどさ、俺いま特定の彼女とか居ないし」

「そうなんだ」

「めんどくせーから、基本的にそう言うの好きじゃないんだよ」

「じゃ止めれば」

「…………」

 確かに。瑛が面倒がりで特定の恋人を持つのが不得意なのは本当である。適当に遊ぶ相手はいくらでも居るので、女に不自由はしない。順を踏んだデートなど馬鹿らしいと思っていた。

 けれど、いま眞幌を誘ったのはどう考えてもデートコースだ。瑛は自分でも驚いた。

「自分の彼女でもないのに、俺に気ぃ使うことないよ。 俺はひとりでも平気だからさ。いつもひとりだったんだし、それよか自分の身体休めた方がいいよ」

「俺がヤなんだよっ!」

 急に瑛が大きな声を出したので眞幌は驚いた。有名人の瑛なので食事もたいがいは個室を利用している。他の客は居ないが、店の従業員には聞こえたかも知れない。怒鳴った瑛も自分で唖然としていた。

「ぁ、ごめん」

 瑛が謝った。

「いいんだけど、疲れてるんじゃないの?」

 眞幌の言葉に瑛が黙り込んだ。ずっとひとりで居る眞幌を思っただけで、なんだかやるせなかったのだ。今までひとりで暮らしていた眞幌のことは知っているし、子供じゃないのだから自分で自分の生活をきちんとしていることはわかっている。

 けれど、同じマンションにいながら仕事に追われている瑛はほとんど眞幌と顔を合わすこともない。今はそれほどすることもない眞幌が、毎日あのがらんとした部屋で何をしているのかと思うとなぜかいたたまれない。そんなことを思うのは変なのだろうか。

 瑛は余り自分の行動をじっくり考える方ではない。思うより行動が先になってしまうので迷ったりすることもないのだが、この感情は自分でもよくわからなかった。

「瑛……」

 しばらく黙って見つめていた眞幌だが、ずっと黙り込んでいる瑛に声を掛ける。

「ん?あぁ、悪りぃ……」

 瑛もしばらくぼんやりしていたことを自覚して気を取り直した。

「じゃぁさ、明日は俺が飯でも作ってやるよ」

 眞幌の言葉に瑛がはっと顔を上げる。

「ほんとか?」

「別にたいしたもの作れないけど、出かけたりしないで家でゆっくりしろよ」

「眞幌の部屋、行ってもいいか?」

「べつに、いいよ」

 とたんに瑛は機嫌がよくなり、眞幌はそんな瑛を見て笑った。


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