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 4話

 数日後、瑛は再び眞幌の元を訪ねた。今日は少し離れた場所に駐めた車の中で梶が待っている。さすがにそうそうの時間がとれるはずもなく、今日は仕事の合間を縫っての訪問だった。瑛が時間を守らないといけないと梶が心配して自分が付いてくることを譲らなかったのだ。

 眞幌の住むアパートの前の空き地で瑛は佇んで煙草を吸っていた。今日はドアの前に立つことはやめた。先日の一件から眞幌も不快だったのだろうと瑛なりに気を使ったのだ。

 待ち伏せすることに代わりがないことに瑛は気づいていないが、梶はそんな瑛の気遣いをそれでも進歩だと受け止めた。どうやら眞幌という人間が、さすがの瑛にも思うようにならないほどの器だと梶も理解した。

 社長の桜井からはしばらく瑛の好きにさせるように言われている。社長にどんな考えがあるのかは知らないが、瑛を監視する梶の仕事がまた増えてしまって頭が痛い。

 瑛はけして悪い人間ではない。今までずいぶん揉めてマネージャーも替わったが、梶は自分が瑛に付いて彼を知るほどに瑛を皆が言うほど我が儘だとも尊大だとも思っていない。ぶっきらぼうで言葉遣いが悪いときがあるから誤解もされるかもしれないが、瑛の言うことには常に一理ある。たぶん我が儘なのではなく正直すぎるのだ。

 正攻法しか瑛は知らない。また許さない。この世界に限らず存在する、狡さや画策は瑛のもっとも嫌いなものの一つだ。表裏のある人間も瑛の嫌いなものの一つ。瑛にはいつでも正直にぶつかればいい。

 瑛に不満があれば、そのまま伝えるし、叱責もする。梶はそうやって瑛に接して信頼を得てきた。瑛に要求されても無理なことは無理だとはっきりいえば、瑛は納得する。瑛がそれでも要求するときは何とかなることを見抜いているからだ。

 瑛に嘘は通用しない。梶が瑛のマネージャーになって一年になるが、瑛がこれほどなにかに肩入れする様を初めて見た。いったいあの眞幌という青年にどれほどのものがあるというのか。確かにきれいな歌声と優しい作品には惹かれるものがある。だがスカウトは桜井達がするならともかく、瑛の仕事ではない。個人的に瑛が執着する意味が分からなかった。

「女の子……でもないしな」

 梶は一人呟く。確かに優しげで儚い顔立ちだが、眞幌は女に間違えるほどの容姿ではない。しかもあの瑛と互角にやりあってるとすれば、なかなかの強情さがあると思う。

 梶は知らなかった。やり合うもなにも、いまの時点で瑛は眞幌の眼中にさえ入れてもらえてないことを。それを知ったら腰を抜かすほど驚いたかもしれないが。



 普段はほとんど見ない時計を見て瑛は盛大にため息を付く。梶との約束の時間が迫っていた。今晩の番組は生放送でどうしてもはずせない。それでもリハーサルの後、本番までの休憩時間を利用してきたのだ。絶対に遅れることは出来なかった。

 短くなった煙草を携帯の灰皿に入れる。そういうマナーはしっかりしている瑛だった。

「帰るしかないか……」

 独り言を言って諦めたとき、向こうから眞幌がやってきた。ギターを持っていないと言うことは、やはり歌ってはいないようだった。留守なのでもしやと思ったのだが予想は外れたようだ。

 眞幌は階段の手前で瑛に気づいた。また無視されるのかと思ったが、いちおう立ち止まってこちらを見ている。眞幌が歩き出さないうちに……と思い瑛は近寄った。眞幌の表情は相変わらずで読めない。怒っているのか、それとも。

「あ、あのさ」

 どうも眞幌の前に出ると調子が狂う。なぜ高柳瑛が続く言葉を探して口ごもらなければならないのか。自分でも不思議だった。

 まだなんか用?眞幌の表情はそう言っていた。

「もう歌ってないの?」

 聞きたいことではあったが、本件の核心とはほど遠いことを聞いてしまう。しばらくの沈黙に無視されるのかと思いきや眞幌が口を開いてぼそりと言う。

「あんたのせいで歌えなくなったんだよ」

 カリスマ歌手の高柳瑛が通い詰めてることが噂になり、どこからともなく眞幌がプロになる話にすり替わった。周りが騒がしくなり、歌うどころではなくなったのだ。

「もうこの辺じゃしばらく歌う場所なんかないよ」

 人の噂も七十五日とかいう。少なくともそのくらい経たなければ、周りが静かになりそうにない。

「ご……めん」

 瑛は思いがけない展開にしゅんとなった。自分のせいで眞幌から歌う場所を奪うことになったなど、いままで気づかなかった。

「ほんとうにごめん!!」

 瑛は大きな体を真半分に折り曲げて眞幌に頭を下げた。

「もういいよ、仕方ないじゃん」

 それは瑛を慰めるよりも、眞幌が自分自身にする言い訳のように聞こえた。それはまたどうでもいいことのようにも聞こえて瑛は辛くなった。

「どうすればいい? 俺どうやって謝ろう」

 瑛も独り言のように呟いた。すると――――

「俺の前から消えてくんない」

 大きな声で詰られたわけでもなく、責められたわけでもない。やはり独り言のようにぽつりと呟かれて瑛は息をのんだ。

 モデルをしてる頃は同業者の嫉妬から、それは酷い噂を立てられたり、誹謗中傷は日常茶飯事だった。落ち込んだりもしたが本当の意味で瑛を傷つけた言葉はなかった。けれど、眞幌の言葉に瑛は呆然としてしまった。

「あやまんなくていいからさ、もう来ないでよ」

 瑛にそう言うと眞幌は階段を上がって行った。


 眞幌と瑛がいったいなにを話したのか知らない。姿は見えていたが、車の中の梶には声までわからなかったからだ。それほど長い時間でもなかった。大きな体を折り曲げて瑛が何か謝っていたのだけはわかったが。

「どうにかなりませんかねぇ」

 梶はまた独り言を言う羽目になる。あれから三日。瑛は元気がない。仕事はこなしているが、現場でも皆が首を傾げる有様だ。今のところ仕事に支障はないが。

「どうしますかねぇ」

 梶の呟きに社長の櫻井が答える。

「しばらく放っておけ」

「いいんですか?なにかあったら」

「瑛もそう馬鹿ではない、少々無鉄砲だがな。どうせ自分で納得しなければ引き下がらないだろうから好きにさせてやれ」

 櫻井は相変わらず瑛には甘い。

「わかりました」

 梶は盛大に溜息をついた。

「すまんな、面倒だが頼む」

 梶も社長にそこまで言われれば反論できなかった。


 しばらくおとなしくしていた瑛だったが、五日ほどして瑛は暇が出来ると眞幌の元に通いだした。もしかして諦めたのかと思った梶は自分の考えが甘かったことを思い知らされた。

 それ以降、瑛は仕事に空いた時間が出来ると眞幌の元に通った。だがそばに近づいて声を掛けるようなことはしなかった。アパートの側の空き地で佇んだり、眞幌のバイト先のコンビニを見つけるとそこへ通ったりした。

 店の中には一度だけ入って買い物をする。雑誌だったり、飲料だったりあとは目立たない場所に立ってじっと眞幌のことを待っていた。それは眞幌を見守っているようでもあり、許しを請うて居るようでもあった。瑛の立場からすると、である。

 おそらく眞幌からすれば酷く迷惑で鬱陶しいものではないだろうか。

(完全にストーカー状態ですよ、瑛さん)

 梶はそう思ったのだが、瑛も必死なのがわかるので黙っていた。仕事に穴を開けることがないので梶は黙っているが、ほとんど毎日のように通う瑛は大変だと思う。

 そこにどんな意味があるのか、梶にはわからない。瑛が何を思ってそんなことをしているのか。仕事の合間の時もあれば、終わってから夜遅いときもある。

 そんなときは眞幌の姿を見られるわけでもなく、ただ佇んでいるだけなのだ。眞幌の部屋を見上げてなにを思っているのか。梶は許す限り自分が送り迎えをしたが、瑛は車の中で待つようなことはなくいつも立って眞幌を見つめていた。

 天気の悪い日も、寒い日も。眞幌もそんな瑛に気づかないはずはないのだが、無視を決め込んでいた。無視する眞幌もなかなかだと梶は感心する。本当にあっさりと無視するのだ。

 視界に入らないはずはないし、鬱陶しくてひとつ間違えば変態行為だと思うのだが、無いものと決めてかかっているのか、相手にしない代わりに騒ぎもしない。普通なら意味を問いただすとか、詰るとか、そんなことをされては困るが警察に言われても文句は言えないのに。

 梶は感心してしまった。無視される瑛も辛いだろうが、無視し続ける眞幌の根性もすごいと思っていた。梶もまた、このときは眞幌がどんな人間か知らなかっただけなのだが。

 瑛は目立つ。いくら帽子やサングラスで顔かたちを隠していても、日本人には珍しいその長身や纏っているオーラが普通ではない。おそらくアパートの住人にもコンビニの店長にも知られていることだろう。

 それによって眞幌も何か言われているはずで……そのことを眞幌が文句を言っても不思議ではないのだが。瑛はものの見事に無視されていた。抗議されて真っ向から嫌われるのが辛いか、こんな風に無いものとして扱われる方が辛いか。

 梶は深い溜息に沈んでしまう。こうなってくると根比べのような気がしてくる。だが、終わる日が来るのだろうか。どちらも譲りそうになく、この戦いは果てしなく続くように梶には思われた。

 出来る限り梶は瑛に付いていったが、いつもと言うわけにはいかない。トラブルがあったらまずいので出来るだけ一緒にいてやりたいが梶にも仕事がある。瑛の予定はそんな風でこのところ押さえ気味にしていたから、そのせいで梶はよけいなことに時間を費やしスケジュールのやりくりに奔走する毎日だった。


 その日、眞幌は夜のバイトだった。以前は昼間のバイトだったが、駅で歌わなくなってから夜のローテーションに入ることもあった。瑛もその辺の情報はつかんでいた。

 以前の眞幌は昼間フリーターで働き、夕方出かけ夜まで歌う毎日だった。それが瑛に出会ってから生活形態が崩れた。そしてあれ以来歌っていないらしい。瑛自身もそのことを心苦しく思っていた。

 コンビニから出た眞幌の後を瑛も歩いた。なにが目的なのかもわからず、出来る限り会いに来た。会いに来ると言うよりは見に来るだけなのだが。言葉はもとより視線さえ合わせてもらえない。そんな日々だった。瑛自身もどうしたいのかわからない毎日だった。

 けれど来てしまう。来なくてはいけない気がして。距離が近いアパートまでは十分ほどだった。瑛が居ることに気づかないはずはないのに眞幌は何事もないようにそのまま自分の部屋に消えた。

 瑛はそのままアパートの下に佇む。もう眞幌が部屋から出てくることはないのだから帰ればいいのにそれがなかなか出来なかった。今日は梶も居ない。彼がいれば付き合わせるのも悪いので早々に引き上げるのだが、今日は一人だった。

 外廊下に眞幌の部屋の明かりが洩れていた。小さなキッチンの明かりだと思う。外廊下に面した窓に眞幌の影が映っていた。自分でも馬鹿なことをしている自覚はある。何の意味があるのかもわからない。

 だが立ち去ることも出来ずにしばらくの間見つめていた。寒い空から冷たいものが降ってきても瑛は動かなかった。傘がない瑛は濡れるままだった。すぐ側に車があるのに乗ろうともせず、佇んでいた。しばらくそうしていると不意に眞幌の部屋のドアが開いた。

 二階から眞幌がじっと瑛を見つめていた。



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