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 2話

行くのはもう止めようと思っていた瑛だったが、やはり今日も来てしまった。

社長や梶には内緒である。もう目立つことはするなと言われ、その変わりにと無謀な駆け引きをしたらあっさりと認められた。あとはおとなしく待っていればいいものを、そうは出来ないのが瑛である。

 やはりあの『天使』の顔を見たくて来てしまった。嬉しくて伝えたいこともあったし、どちらにしろ言葉くらい交わしたかった。挨拶だけでもいいから。

(いや、でもな……)

 珍しく瑛は慎重になる。ここまで来たらやはり後は社長達に任せて、いまは余計なことは言わない方がいいだろうか。

(やっぱり顔見るだけにした方が……)

 瑛にしては考えられないほどの譲歩を思い浮かべて、それでも彼の顔が見たいと思う。


 この間、はじめて視線を合わせてくれた。それがすごく衝撃的だったのだった。彼の黒い髪は短かったが、その割に長い前髪が顔の表情を隠していた。けれどその間から見えた瞳がすごく綺麗で、それだけが印象に残った。

 はっきり言ってそれまでの瑛は、声にばかり気を取られていて『天使』の顔にまではあまり注意を払っていなかった。彼はたいがい俯いていたから、と言うのも理由のひとつだったが。

 けれどその日――勢い込んで会いに出かけた瑛はがっかりすることになる。そこに『天使』は居なかった。こんなことは初めてだった。今まで二桁に近い回数を通い詰めたが彼が居なかったことはない。

 けれど今日はそこに居なかった。彼に会えないその失望の大きさを瑛は初めて知った。




 翌日。

 瑛は梶が止めるのも聞かずに社長室に飛び込んだ。今朝まで待ったのが奇跡なのだ。昨夜は梶に電話でさんざん詰め寄り、けれど社長はどうしても掴まらないと言うことで仕方なく引き下がった瑛だった。

「どういうことだよっ」

 業界でもトップクラスに入るA・Eカンパニーの社長に、こんな口が利ける人間はそう何人も居ない。そう言う意味でも瑛は特別だった。

「会いに行ったそうだな」

 それには答えない瑛に、

「もう行かない約束じゃなかったか」

「だから居なかったって言ってンだよ」

「彼が居るか居ないかは問題じゃない。あとはこちらで交渉するからお前は首を突っ込むな」

「交渉……って。契約したんじゃないのかよ」

「交渉次第だ」

「なんだよっ!決まったんだろ?」

「こちらが欲しいと思っても、向こうがデビューしたいと思っているかはわからないだろう?これからいろいろ話し合うんだよ」

「んだよぉ~なにが問題なんだよ。デビューできるんだぜ。あんなところで歌ってるよりいいに決まってンじゃん」

「おまえなぁ」

 社長の桜井は溜息をついた。

「お前みたいに常に問題と答えが直結してるような人間は少ないんだよ。普通はみんな迷うもんなんだ。とくにこんな将来のかかった大事件はな」

「めんどくせーな。俺が話す」

「なに?」

「俺が直接話すから、住所とか教えて」

「馬鹿なこと言うな」

「俺が話した方が早いよ」

「それはお前の仕事じゃないだろう」

「どうだっていいよ、そんなこと。おれはあの声と唄が欲しいんだ」

「彼はモノじゃない、彼の意志が一番大事なんだから」

 桜井は50を少し過ぎた年齢で、芸能プロの社長としては特別若くもないが、これだけ大きな芸能プロを立ち上げてからまだ十年と少し……という話になると別だった。

 大手の芸能プロから訳あって独立した桜井はやり手であり、苦労人だった。担当していた歌手を巡って以前の事務所と揉めて退社。そのことを踏まえてA・Eカンパニーは新時代的な芸能プロだった。

 タレントの自主性を重んじて、あまり煩いマネジメントは行わず、それぞれの個性にあったプロジェクトを組んでいた。だからこそ、瑛のような人間でも自由に個性を伸ばせるのだった。

 普通、瑛のような人間は旧体質のプロダクションに居たら三日と持たないだろう。

そんな瑛がここでやって行けるのは、ひとえに桜井の慣用さとマネージャーである梶の忍耐力の賜物だった。


「彼の才能は認める。うちとしても欲しいと思う。お前の作品にも参加してくれるように頼みもしよう。だがな、それは彼がこの世界に入ると決めてからのことだ」

 不満そうな瑛に、

「お前も知ってるだろうが、この世界は才能だけじゃやって行けん。それなりの強さも覚悟もないとな。いろいろあるから……」

「わかってるよ」

 桜井が独立した陰にはある人間の存在がある。彼らの為に事務所を起こした桜井は、この業界でずいぶん苦労したらしい。桜井が惚れ込んだその歌手たちもだ。業界では伝説のようになったその話を、瑛も知らないわけではなかった。

 紆余曲折があって、けれど彼らはそれを乗り越えた。いや、乗り越えてる途中なのかもしれない。それだけの強さがないと駄目だと桜井は言っているのだ。

『わかってる』

 けれどそう言った瑛が分かっているのは、自分に置き換えての話なのだった。

 瑛は強い。モデル時代にはずいぶんな思いも扱いも受けたらしいが、それを跳ね除ける強さがあった。けれど、自分のその強さが特別なのだとわからない部分があった。

誰しもが瑛のように強いとは限らない。

 桜井は覚悟をした。このままだとひと騒動起きるのは間違いなかった。



 皆口真幌みなぐち まほろというのが、『天使』の名前なのだと瑛は初めて知った。口をつぐんだ桜井を説得できずに、矛先は梶に向かった。梶を責め立て、まだ極秘事項の真幌の情報を引き出した。

 会社はとりあえず、真幌と契約する下準備の為に彼のプロフィールは調べたようだった。心配する梶を尻目に、瑛は真幌の住むアパートを訪ねた。念のために来る前には駅前を確認したが、やはりきょうも真幌はいなかった。

 夕暮れも終わり、暗くなろうとする時間なのに真幌の部屋には誰もいない。だが瑛はそこで諦めるような人間ではない。初めて訪ねたにもかかわらず、目立つこと極まりない自分を省みることもせずに部屋の前で待ち続けた。

 深く被った帽子とサングラスで顔は見えないかもしれないが、まれに見る長身とテレビを通してさえ伝わるその威圧感は普通ではない雰囲気を常に纏っていた。

 モデルにスカウトされる前から、すでに目立っていた容姿と雰囲気は今では凶器にも近い。つまりは梶が言うところの『悪目立ち』しすぎるのである。そんな男が小さなアパートのドアの前に座り込んでいたら、誰もがギョッとして身を引くのは当たり前で、前を通ろうとした大学生風の男が恐いものを見るようにそそくさと歩いて急いで自分の部屋に飛び込んだ。

(ふん)

 それをつまらなそうに見て、時刻を確認する。すでに一時間以上が過ぎた。けれど瑛は帰らない。今日の夜の仕事はキャンセルしたから時間は十分あった。それでも今ごろスケジュールの調整を急遽させられた梶が、泣いているだろうことはお構い無しだ。

 なぜなら瑛に言わせればそれが梶の仕事だからだ。瑛は歌うことも、たまにやる演じることも要求される以上のことを常に心がけている。瑛にとってはそれは当たり前のことだった。なぜなら瑛はプロだからだ。それで十分な報酬をもらっている以上は自分も周りも納得出来る仕事をするのが瑛の信条だ。けしていい加減な仕事や手を抜いた仕事はしない。

 そのかわり、それが出来る環境も必用だった。ゆえに瑛は遊びもすれば、羽目も外す。

仕事の時の自分のバランスを取る為だった。仕事だけでは全力投球は続かない。そして、そのための環境を作るのが、マネージャーである梶の仕事だと思っている。

 だからこういう時にスケジュールの調整をするのは梶の仕事で、梶もプロならそれくらいは当たり前だというのが瑛の考えなのだ。マネージャーとは常にタレントが仕事をする環境を、最高の状態に整えておくのがプロとしての仕事。

 この瑛の考えについていけなかったマネージャーが何人も居た。

 瑛はまだ二十二歳である。二十二歳の若者にここまで言われて「ハイハイ」と言う通りにする大人はなかなか居ないものである。次々と代わるマネージャーに代わって瑛に付いたのが梶だった。

 梶はすでに三十歳。今まで付いたマネージャーの中では一番、年齢もキャリアも上だった。年が離れすぎているようだったが、大人びた瑛にはちょうど良かったようだ。

ちょうど良かったのは梶の年齢というよりはその穏やかな性格だったのかもしれないが厚顔不遜な瑛に振り回されながら、梶は怒ったことがなかった。周りにはよほど気の長い人間だと思われている。瑛はそれくらいある意味で『俺様』な人間なのだった。


 さすがに秋も深まった冬も近い夕暮れは日の落ちるのも早いが、寒さが増すのも急激だった。コートは着込んできたが、さすがに冷えてきたと思った時、向こうから真幌まほろがやってきた。瑛の姿に驚き、足を止めた真幌に瑛は声をかけた。

「やぁ……おかえり」

 瑛がはじめて『天使』にかけた言葉だった。



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