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13話

 翌日瑛は事務所に居た。自社ビルの地下にレコーディングスタジオまで持つ大きな事務所は、取材なども受ける別室がいくつもあった。さすが多種の芸能関係者を生み出している巨大プロダクションである。

 けれどこの世界では新興だった。僅か十年ほどでここまで大きくなったことは脅威といってもいい。そこで瑛は朝から数社の取材を次々に受けていた。昨日の酒は悪酔いで、今朝梶のマンションで目覚めた時は最悪なコンディションだった。取材中も頭痛がして頭の回転が鈍かった。

 こんな仕事の仕方は瑛のポリシーに反するが、穴をあけるわけにもいかない。すべて自分が招いたことだった。午前中の分が終了して、休憩になった。広い廊下がそのまま休憩場所になっている所で、ソファーに崩れ落ちた。

 午後もどうにか持ちこたえたい。これでは情けなさ過ぎた。長い手足を投げ出して、目を閉じていると額に詰めたいものを押し付けられる。よく冷えた缶コーヒーだった。

「冷たっ……!!」

 思わず目を開けると、冷めた瞳が自分を見下ろしていた。

「うわっ!」

 思わず冷ややかな視線にじたばたしてしまう。するとそれを観て、いっそう冷ややかな視線が注がれる。

「なにやってるの」

「なにって、休憩ですよ」

「何しに来たの?」

「取材ですってば」

 さすがの瑛もたじろぐ相手は、この事務所の女王様だった。同じ事務所に居ながら、番組で一緒になることはあってもこんなところで会うのは珍しかった。

れいさんは?」

 姿勢を正して尋ねた相手は、ずいぶんと小柄な女王様だった。大柄な女性が多い芸能界で彼女の身長は160㎝に満たない。細身ですごく華奢な身体をしていた。それでも彼女が貧弱に見えないのは、小さな手足と、小さい顔のせいで小柄ながらにすごくバランスがいいからだ。コンパクトだが均整は取れていた。

 しかも纏っている雰囲気が半端じゃない。瑛が睨まれたくらいでたじろぐほどだ。『女王様』とは瑛が密かに付けた仇名だ。

 この不思議なカリスマ性を持った、元アイドルのボーカリスト葉月怜はづきれいには、なぜか皆がかしずく。だから密かにつけたあだ名が女王様。瑛からすれば大先輩で、雲の上の人間のはずだが、瑛が俳優から歌手になった時に桜井が怜に相談したと言う経緯があり、怜の方もそれから瑛を気にかけてくれるようになった。

 年齢も瑛よりかなり上のはずなのだが、妙な迫力を除けば時に少女のようにも見えてしまう。不思議な存在感の人で、一時引退していたあと復帰しても、またあっという間にトップに上り詰めてしまった。持っている雰囲気が、冷たいというか冴えた月のようだと瑛は思う。仕事の顔は普通なのに、仕事を離れるとすっと冷めた表情をしてしまう。話せばけして冷たい人ではないのに、人を寄せ付けない雰囲気を纏っている。

(真幌と似ている)

 ふと瑛はそう思った。

「死んだ顔しているわ。 まさかその顔で取材受けてたんじゃないでしょうね」

 彼女は仕事に厳しい。彼女のポリシーは、自分に厳しく、他人にも厳しく、だそうだ。以前聞いたことがある。

「すみません……」

 弱っている瑛は珍しく先に謝ってしまった。彼女の眉がわからないくらい顰められた。彼女が顔に表情を出すのは珍しいことだった。

「なんかあったの?」

 同じ事を尋ねられても、有紗の物腰とはだいぶ違う。有紗の方が彼女よりも少し年上だが、女優のせいなのか、物腰が柔らかく色っぽい。それに比べると怜の方は、固くて張り詰めた空気を纏っている。

 でも瑛は怜のこの感じが嫌いではなかった。しかも話すととてもドライで、それが却って何でも話しやすかった。普通の女性には無い雰囲気だった。女性の持つ無条件の柔らかさはないが、そのかわりまとわりつくようなしつこさもない。中性的である分、男同士で話すような気分で話が出来る。

「ちょっとショックなことがあったんです」

 気づけば瑛は昨日の話を怜に告げていた。


「それで?」

 話を聞きおわった怜が瑛に尋ねる。

「どうしたいの?」

「え?」

「好きになるのやめるの?」

「いや、それは……」

 やめるかといわれて、やめるとはいえない。そんな単純な話ではなかった。

「だったら、うじうじ悩むことないじゃない」

「まぁ、そうだけど」

「たとえば、止めろと言われても止められないんでしょ」

「そりゃたぶん……」

「なら考えるのも馬鹿らしいわよ」

「はぁ……」

 まるで数学の答えを出すように簡単に言われてしまった。でもそう言い切られるとそんな気がしてくるから不思議だった。しかも確かに、止められる思いではない。そんな軽い気持ちではないのだ。

「人に譲れる恋は本当の恋じゃない」

「え?」

「昔、ある人に言われたの」

「怜さん……が?」

「そう、ある人を諦めた時に、ね」

「ぁ……」

 怜の恋物語は知る人ぞ知る伝説だった。

「それが」

 瑛はもうひとつの秘密を思い切って怜に告げた。彼女なら明快な答えが返る気がしたのだ。

「相手がさぁ、男、なんだけど」

「それで?」

 本当に明快な答えがストレートに帰ってきた。それにどんな問題があるのだと言うような言い方だった。馬鹿馬鹿しい。怜の顔はそう告げていた。

「そんなことでうじうじ悩む子だとは思ってなかったわ」

 失望したような言葉を返されて、瑛は反発する。

「うじうじしてませんよ」

「してるじゃないの」

 それこそちょっと馬鹿にしたような視線を返されて、瑛の頭に血が上った。

「半端な気持ちじゃないんだっ!」

「だったらけっこうなことじゃない。あなたの歌も少し変わるかしらね」

「は?」

 いきなり話の方向が変わって瑛が拍子抜けする。

「なに?」

 瑛が理解に苦しむと、

「少し悩んだ方がいいわ、あなたの歌。軽すぎるから」

「意味……わかんないんですけど」

 瑛は問いかけた。

「小器用にまとまりすぎてるわ。このままじゃ先が見えてる」

「え?」

 意外なことを言われて瑛は固まった。

「それはどういう……」

「いま説明してもわからないと思う。そのうちわかるわ」

 怜は席を立って行こうとしている。

「怜さんっ!」

 呼び止めた瑛に、

「仕事はしっかりやりなさい。そのあともう一回彼と話すのね」

 彼女は言い残すと去ってしまった。追いかけようとした瑛に、梶が現れて呼び止める。

「瑛くん」

 瑛は怜を追うことを諦めた。その気になればいつでも彼女を捕まえることは出来る。彼女の行動は社長の桜井が把握しているはずだった。

「怜さんと何か?」

 梶は瑛が失礼なことを言ってないか心配している。怜はこの事務所では女王様だ。当然どのスタッフも彼女には気を使う。彼女の方はそんなことを頓着しない鷹揚さが身に付いていたが。

「なんか用?」

 尋ねた瑛に梶は気になることを言った。

「眞幌さんと連絡が取れないんですけど、何か知りませんか?」


 怜に言われたことが気になり、梶の言ったことが気になって瑛はその後の取材も散々だった。怜にあれほど仕事はしっかりやるように言われたのに。瑛は自己嫌悪がMAXになりながらも、仕事を終えた。

 梶は昨日のことを察していた。有紗から何か聞いたらしい。もっとも、瑛があれほど悪酔いしていれば何かあったと思うのが自然で、仕事が順調な瑛がいま悩むとすれば眞幌のことだと、梶が見抜いても不思議ではない。

「眞幌さんの方も気になったので、朝から連絡しているんですけど、電話に出てくれないんですよ。ちょっと心配なので」

 眞幌も昨夜眠れなかったのかも知れない。瑛の中で泣いた眞幌を放り出してきてしまったことに後悔の気持ちが浮かぶ。

「俺、酷い捨てぜりふ吐いて来ちゃったしなぁ」

 だがあのときは瑛も他に余裕がなかったのだ。考えて散々悩んで、思い切って気持ちを告げようとしたら、逃げられたあげくに他の男の写真を大事に抱きしめているのを見れば傷つく。

 怜にはああ言ったが、さすがの瑛も諦めの気持ちがないわけじゃなかったのだ。だが怜に正面切って問いかけられて、反抗的な気持ちになった。そんな簡単な思いじゃなかったはずだ。だからこそ悩んだのだから。

(一回で諦めるなんて俺らしくないよなぁ)

 それによく考えたら、あの男のこともよくわからない。ひょっとして恋人かと思ったのは、早とちりかも知れないし。そう思ったら自分が間違ったことをしてしまった気がして、気が気じゃなくなった。仕事が終わったとたんに、梶を急かせてマンションに戻る。

「私も行かなくていいですか?」

「いいよ。 なんかあったらすぐ連絡するから」

「わかりました。 お願いしますね」

 梶も事情が事情なので瑛に任せることにした。


 ドアの前に立った瑛はさすがに一瞬戸惑った。二十四時間前のことが頭を掠める。あのときの気分とは百八十度違っていた。呼んでも無駄だと思い、鍵を使って入った。オートロックのドアに、まだ鍵を持っていたことに感謝する。

 玄関から入ると部屋の様子は変わっていない気がした。もっとも普段でも使っている気配の薄い眞幌の部屋は、ほとんど変化がない。だがキッチン、リビングと覗いて瑛に疑問が浮かぶ。昨日のままだった。料理は途中のまま、片づけもしていない。几帳面な眞幌には考えられない。やはり眞幌も相当ショックだったのだろうか。瑛は不安になり、小さく眞幌の名前を呼んだ。

「眞幌……?」

 姿がないので寝室のドアの前に立つ。自分が思い切り締めて出ていったドアだ。そのドアの前で躊躇する。瑛はドアの前で深呼吸した。思い切ってノックしたが返事はない。傷つけた眞幌に今度はどんな言葉を返されるかわからない。

 ひょっとしたら今度こそ決定的に拒絶され、二人の仲が駄目になるかも知れないのだ。眞幌が許してくれるかわからなくて、さすがの瑛も気弱になる。だがこうしていても仕方がない。もう一度深呼吸して思い切ってドアを開けた。

 ここも昨日と同じだった。昨日も電気がついていなかった部屋の隅に眞幌は居た。リビングからの明かりだけでやりとりして、瑛は怒って出ていったのだ。いまも暗いままだった。そして。

「まほろ……?」

 もう一度瑛は呼んだ。眞幌は昨日と同じようにベッドの脇の隅で、同じように横になって丸まっていた。

「眞幌、昨日はごめん。 あのさ、俺……もう一度ちゃんと話した方が……」

 入り口で遠慮がちに話しかけた瑛だったが、異様な雰囲気に話を止めた。何かがおかしいと告げていた。

「眞幌?」

 驚いて眞幌に近づく。眞幌は泣いていた。また泣いていたのかと、胸が痛んだのだが様子がおかしい。眞幌の顔は涙で汚れていた。見てみると、着ているもの、部屋の様子、その他不審だらけだ。なにも変わっていない。一日前に瑛が出ていったときのまま、何ひとつ変わっていなかったのだ。

「眞幌、まさかずっとこのまま居たのか」

 驚いて眞幌を抱き起こすと、眞幌が何か呟いた。

「ごめん……ごめんね」

 そう言えば昨日も眞幌は同じ言葉を呟いていた気がする。写真も手に持ったままだった。苦い思いは無理矢理呑み込んで、瑛は後に回すことにした。

「おいっ、眞幌っ!」

「ごめんね……崇埜……ごめんね。 わかってあげられなくてごめん…………」

 眞幌は何か見えない物にでも訴えているようだった。

「おい、眞幌……」

 もう一度強く眞幌を揺さぶって、瑛は軽く眞幌の顔を叩いた。

「俺を見ろ。 こっち、見ろよっ!」

 そのとき、涙でぐしょぐしょだった眞幌の表情が動いた。

「あ……きら?」

 瑛を認めたらしいその言葉にほっとする。

「良かった。 おかしくなっちまったのかと思った」

 膝を突いていた瑛は、座り込んで眞幌を抱え直した。安心して気が抜ける。

「お前……ずっとあのままだったのか」

 瑛の問いかけも眞幌はわからないようだった。

「いま何時か知ってるか?」

 微かに首を振る眞幌に。

「あれから25時間経ってるぜ」

 自分の腕時計を見ながら瑛は告げた。

「危ない奴だなぁ、俺が居なかったらどうするつもりなんだよ」

「瑛……もう来てくれないと思った。 崇埜みたいに……もう帰ってこないと思った」

「どこにも行かない。眞幌を置いてどこにも行かないさ」

 瑛は眞幌を抱きしめてそう言ってやった。




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