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 1話

その人の声は天使のささやきに似ていた

初めての……その瞬間を忘れない

あなたへの想いは止まらずに

きっと

ずっと溢れ続ける

いつまでも

終わることなく――――――






   ―プロローグ―


 高柳瑛たかやなぎあきらはその日、たまたま出かけた用事を済ませ帰り道を急いでいた。

 うつむきがちに歩く寒い日。都合で車ではなく電車で出かけた非常に珍しいその日を、彼は後に『運命の日』と名付けた。寒さと人目に付きたくない思いが急がせていた足をふと止めることになったのはそのとき聞こえてきた歌声だった。

 地方都市の大きくも小さくもない駅の前。道行く人はやはり誰もが急ぎ足で、夕暮れの街を急いでいた。こんな寒い日は誰もが急いで家に帰りたいだろう。殆どの人間が忙しく行き来する中、駅の改札へ上がる階段とエスカレーターがある場所から少しだけそれて人垣が出来ていた。

 よくある珍しくもない有名なハンバーガーのチェーン店の横。店舗と道行く人の妨げにならぬ場所で、集まる人影。瑛がそこに注意を向けたのは、その人垣の中から聞こえてきた『声』だった。普段なら、絶対にそんなところへは近づかない瑛は、何かに引き寄せられるように人の頭の後ろから『それ』を覗いた。

 大抵の人間よりも頭ひとつ分背が高い瑛には、一番後ろから覗くだけで十分だった。そこにはギターを抱えて座っている少年が一人。高校生くらいだろうか?二十二才の瑛よりは年下だと思える少年が歌っていた。

 『天使の声』瑛は少年の声を聞いたとき、そう思った。瑛はクリスチャンではないが、教会の聖歌隊の少年はこんな風に歌うのではないだろうか。少年はうつむき加減になったまま歌っていた。そこに集まる若者達には全然顔も視線も向けずに、ただ歌っていた。

 媚を売るでもなく、愛想笑いをするでもなく、まるで自分一人しかそこにいないように淡々と、ただ自分の世界を表現するだけの彼が『そこ』にいた。


─────瑛は今日も忙しい仕事の合間をぬって出かけてきた。人垣が出来たのを合図に停車した車から出る。

 目深に被った帽子にサングラス。マスクこそしてないがかなり怪しい格好だった。夏でもないのに色の濃いサングラスは、どこか普通の人ではないような印象を与える。それでなくとも背が高く、その持っている雰囲気だけで十分周りを威圧している。

「瑛くん、その格好は悪目立ちし過ぎです」

 マネージャーのかじが危惧してそう言ったが、おとなしく忠告を聞くような瑛ではない。

「何回も言うようですが……」

「わーかってるっ!」

 物静かなマネージャーの困った声を遮ると、いつもの場所に立ち止まった。

 駅前の『天使の声』が聞こえる場所。初めて聞いたあれから何回となく足を運んでいた。忙しいスケジュールをぬって、周りの目を気にしながら、渋るマネージャーを説き伏せて通い詰めた。

 だがそれにも限界があった。目立つ瑛の容姿があだになり、やはり見つかってしまったのだ。騒ぎになるのは瑛の本意ではない。歌っている彼にも迷惑がかかると渋々瑛の方も諦めた。

 今日を最後にここへ来るのは止めると、社長にも約束してきた。なのにすでに噂は広まっているらしい。あの『高柳瑛』が来るらしいと。

 いつもにもまして人垣が多いのはそのせいだろうか。心なし、周りもざわついている。

そしてやはり数人がすぐに瑛だと気づき、ささやきあっている。

(ウザイ!)

 そう思うことにも慣れていたが、さすがに歌う『彼』に迷惑だと思うと引き上げざるを得ない。せめてもう少し聞いていたかったが、仕方ない。迷惑をかけたくなかった。後ろ髪を引かれるように離れようとしたときに、不意に目の前の『彼』が顔を上げた。

 いつも顔をうつむけて表情すらわからないことが殆どだった。それなのに周りの空気に気付いたからなのか。顔を上げたことのない『彼』が真っ直ぐにこちらを見ていた。

 周りのざわめく空気の中、そんなことには気づきもしないように『彼』はこちらを見ていた。瑛の中で時間が止まった。『彼』の視線を受け止めて真っ直ぐに瑛は見つめ返した。

 しばらく二人はそうやって見つめ合っていた。




      ◇◆◇


 瑛は歌手だった。

 二十二才、身長百八十五センチの長身で、高校生の時にアパレルメーカーのモデルにスカウトされた。その後、雑誌やショーモデルにも多少引っぱり出されたあと、芸能界に入った。

 最初はドラマに出て俳優の真似事をした。その瑛を有名にしたのは二年前、今の事務所の社長にその声が注目された時だった。

 あるドラマの時間待ちの時に、スタジオの隅で軽い気持ちで歌っていた声を、たまたま来ていた事務所の社長に聞かれ、彼の耳にに留まったのがきっかけだった。

 瑛の所属する通称A・E。アカデミーエンターテイメントという事務所はかなり大きな事務所で、幅広い経営を行っていた。社長の桜井は昔、他の芸能事務所でタレントのマネージャー業をしていた。以前は歌手を育てていたこともあって瑛の声に気づいたとたんに瑛に歌手の道を歩ませた。

 瑛の声は声域が広く高い声が出るのに、その高音部が掠れたような独特な声質が実に個性的だった。加えて最初から玄人はだしの声量とモデル時代から囁かれてたカリスマ性も手伝って、熱狂的なファンをすぐに掴んだ。

 七割は女性ファンだが、若い男性や中にはサラリーマンのような年代にも人気がある。歌手になってから二年。デビュー曲から順に売り上げを伸ばして、いまやミリオンも出すランキング上位の常連。

 一年に一度くらいはドラマで主役級も張り、ステージでのロックをシャウトする姿とは別に普通の青年役も評判がいい。

 我が道を行くタイプな為にわがままだと評する人間もいたが、その分自分の責任を果たすことには努力を惜しまない人間だった。高校生になるまで素人だった彼が、妬みも多いモデルの世界で功績を挙げ芸能界へ。不慣れなその世界でも俳優、歌手へと次々と転身していずれも成功した裏には本人の並々ならない努力もあった。

 だが確かに一方では唯我独尊、特にマネージャーの梶などは振り回されっぱなしだった。それでも少々のことでは事務所も瑛のわがままに文句は言わない。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの瑛には会社からも業界からも大概のことは許されていた。

 その日、珍しく早く仕事を終えた瑛が事務所の椅子に座りマネージャーの梶を待っていた。

「どうだった?」

 男にしては繊細だが、それでも大きな手の長い指でタバコをはさんだまま瑛は訊ねた。

「交渉はしてみるそうですよ」

 そこで梶は溜息をついた。

「なんだよ」

 瑛が咎めると

「瑛君の気まぐれには慣れていますけどね……」

「慣れてるならいいじゃないか」

 随分な言いぐさにもう一度溜息をついた梶は

「今回はその中でもスペシャル級ですよ」

「でも、社長は了解したんだろ?」

「まさか瑛君のわがままが通るとは思いませんでしたよ。そりゃ今までも随分甘かったですけど、今回は並はずれてます」

「でも俺は欲しいんだよ」

「欲しいってね……」

 梶は何回目かわからない溜息をついて、

「相手は人間なんですよ」

 呆れたように大きな声でいった。おとなしい梶にしては珍しかったが、それもその筈。瑛が事務所に頼んだのは、『あの駅前で歌っていた少年が欲しい』そう言う要求だったのである。


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