みんなの事情
獣人の背中を追って、私たちは奴隷商の館を抜け出した。
背後から追ってくる気配がないことを何度も確かめながら、異世界の街の裏路地を走り抜けた。
異世界の夜は、思った以上に騒がしい。
ファンタジー的なきらびやかさはどこにもなく、代わりに漂うのは生ゴミと鉄錆、そして人の諦めみたいな臭いだった。
「……この先だ」
低く短い声。
獣人は一度も振り返らず、迷いなく進んでいく。
正直言うと、怖い。
本当にこの人についていって大丈夫なのか……。
でも、あそこで立ち止まるほうが怖かったし、あの状況で他の選択肢なんてなかった……。
「……ここ、王都でいいんだよね?」
思わず口に出すと、青年が肩で息をしながら答えた。
「多分……王都の裏っすね、スラム街っていうのかな。観光ガイドには絶対載らないヤバいやつ」
「そんなのいらない情報だから……!」
女子高生は黙ったまま、私の服の裾をぎゅっと掴んでいる。
さっきから一言も喋らない。
……無理もないよね。
普通の高校生が、いきなり異世界に放り込まれて、奴隷にされて、逃亡中。
これでメンタルが無事なほうがおかしいもの。
……まぁ、それを言うならただの子持ちの主婦の私もそうなんだけど。
しばらく走ると、獣人がやっと足を止めた。
「……ここだ」
そこにあったのは……
崩れかけの建物。
壁はひび割れ、扉は半分壊れている。
どう見ても「住居」なんかじゃない。
「……こ、ここ?」
「知り合いの当てだ。今は留守だが……問題ない」
「えっと……問題しかなさそうなんだけど」
中に入ると案の定というか、そりゃそうですよねってしか言えない感じで、まぁ……ボロボロだった。
でも、外から見たよりはいくらか……マシ?
最低限の雨風は凌げそう。
ようやく、逃げる必要がないと分かると、
「……はぁぁ……」
足から力が抜けた。
私はその場に座り込み、胸元を押さえる。
紅く光るアザは、さっきより少しだけ落ち着いていた。
……でも。
心臓の奥が、ずっとざわざわしている。
「……ちょっと、いいすか?」
青年が言った。
「改めてって感じなんだけど、状況整理と自己紹介しません? つか、しないと頭が追いつかない」
「それは……そうね。私も賛成」
私も頷く。
まずは――落ち着いて状況の確認が大事。
「じゃあ、言い出しっぺの俺から」
青年は一度深呼吸してから、少し照れたように頭を掻いた。
「俺の名前は、佐々木志郎。二十歳の大学生……でした」
「……でした?」
「ついさっきまで、レポートとバイトに追われる普通の人間だったはずなんすけどね。飼ってる犬の散歩してたらトラックに跳ねられて……いやテンプレ異世界転生で笑える」
そんな自分の死因を軽い感じで言われても困るんだけど。
目は笑ってないし身体は震えてるし、苦笑いしかできない。
「で、気づいたら召喚されてて、魔力量を測られて……『平均以下』、貰ったギフトも……『役立たず』ときて、最後に『勇者候補外』って」
佐々木くんは……震えを誤魔化すように肩を竦めてそう言った。
「で、ゴミは処分って言われて、そのまま手枷と連行のコンボ。あとは知っての通り」
「処分……」
「人手不足の補填とかなんとか。便利な言葉っすよね」
吐き捨てるように言って、彼は私を見た。
「……お姉さんは?」
「私は、鈴木華。27歳。育休中の主婦です。『魔力なしの"無能』って言われたの」
「「……え?」」
二人が一瞬、固まった。
「え? なにその反応」
「27……主婦……?」
「そうだけど。なに、おばさんだって言いたいの?」
佐々木くんが目を丸くして驚いてる。
そりゃ、あなたたちに比べればおばさんだけどね!
子供二人も産んだらしょうがないの!
ホルモンバランス崩れるし、身体はポヨポヨだし……。
最近じゃ髪の毛も抜け始めてきたし……あ、ちょっと悲しくなってきた。
「そ、そうじゃなくて、27には見えないっていうか……」
「なによ、もっと老けて見えるって?」
「いや、違くて。もっと若く、それこそ俺と同じくらいだと思ったから。なぁ?」
「は、はい……全然見えない……」
二人揃ってそんなことを言う。
んなわけないでしょ!
「はいはい、お世辞ありがとね。二人の子持ち捕まえてよく言うわ」
「いやお世辞じゃないんだけど。しかも子持ちって、見えねぇ……」
「もういいから。はい、じゃあ次はあなた!」
私は女子高生に声をかける。
「あ……あの……」
小さな声。
「わ、私……白石ひまりです。高校二年生」
彼女は自分の体をギュッと抱き寄せる。
「私、ずっと、いじめられてて……友達も、親も、頼れる人はいないし……それで、嫌になって……自分で……」
一瞬、言葉に詰まる。
佐々木くんも、この子、白石さんも、普通に召喚された。
だから、一度死んでいる。
「……だから、最初はちょっと期待しました。気づいたら異世界で……大好きなんです、私、オタクなんで。でも……」
俯いて、涙が滲む。
「あのお爺さんが……ギフトを見た途端、『穢れてる』って言われて……そのまま」
声が震えた。
「穢れてるって、汚いってことですよね? 私……またあっちと同じように……っ!」
「そんなことない――」
私は彼女に近づき、震えるその体をそっと抱きしめる。
「あなたは汚くなんかない。大丈夫。……ありがとう。話してくれて」
そう言うと、白石さん、ひまりちゃんは落ち着いたのか小さく頷いた。
思わず抱きしめて、そう言ったけど。
いじめられて、それが苦でたぶん自分で……。
死を選ぶほど辛かった彼女に、こんな軽い言葉しか言えない自分が嫌だ。
この子はまだ子供だ。
歳は全然違うけれど、自然と自分の子供達と重ねてしまう。
自分が親になった今だから思う。
守らないとって気持ちが湧いてくる。
「それで、あなたは?」
最後に、獣人。
彼は壁際に立ったまま、短く言った。
「名は、ガラル。元、傭兵だ」
「元?」
「嵌められ、罪を着せられた」
吐き捨てるように言う。
「俺の一族は……古くから龍を崇めている。だからだろうな」
獣人――ガラルさんは、そこでじっと私を見つめてくる。
「……竜? それだけで?」
「十分だ」
淡々とした声。
「……少なくとも、神が治めるこの国ではな」
でも、そこに滲む怒りは隠せていない。
「罠にハマり奴隷に落とされ、戦場を転々としたあとこの街に流された。……お前たちに会ったのは、偶然だ」
ガラルさんは、言うことは言ったと言わんばかりにそれきり黙り、壁に寄りかかって腕を組んだ。




