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ペトリコールと怪女達  作者: カシノ
黄衣小女孩

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075

 暴力はよくない。

 吾亦紅先生の蛮行にも、実の父親に対しても力で対抗した僕に言う権利はないが、争いは対話で解決すべきという真っ当な常識は持ち合わせているつもりだ。たとえ僕等が思春期で、ヤンキー漫画でよく見る光景に憧れがあったとしても、ステゴロで決着をつけるというのは些か乱暴な発想ではないだろうか。


「おらー! いけー!」

「弁柄! 男みせろー!」

「包介くーん! がんばってー!」


 しかし、そんなことを今更考えたところで、この場は収まりはしない。

 烏羽さんとの特訓にいつも使っている体育館と旧校舎に挟まれた空き地。普段は誰の目にも止まらないひっそりとしたこの場所に、大勢の生徒が押し掛けている。

 どうしてこうなった。いや、理由ははっきりしている。僕に決闘を申し込んだ弁柄君が、でかい声で方々に吹聴したからだ。大人しい校風の学校とはいえ刺激に飢えた中学生である、同級生が決闘すると聞けば人は集まる。

 ただ、予想以上に集まりすぎた。片目の見えないちびと補欠とはいえ現役野球部員の喧嘩だ。普通なら賭けにもならない勝負であり、観客は五、六人いれば多い方だと高を括っていたのだが、着いてびっくり三十人近くが集っている。自然と人の輪でリングが出来上がり、ストリートファイトも斯くやという光景であった。


「はあ……」


 まったく乗り気ではない。烏羽さんだって、痴情の絡れを衆人環視の前で決着をつけるなんて真似、望んでいないはずだ。

 しかし、決闘を持ちかけてきた当事者は彼女の気持ちを微塵も気にすることなく、歓声に得意げに応えている。好きな女の子を自己満足で野蛮な催しに巻き込んだというのに、よくもまあ笑顔でいられるものだ。


「よぅし! それじゃあルールを確認するぞ!」


 足裏で地面の状態を確認していると、レフェリー役を買って出た松葉鼠(まつばねず)君が高らかに宣言した。わざわざ野次馬にやって来た暇な生徒達の熱も一段と上がり、無秩序なざわめきに統一感が生まれ始める。


「ルールは単純! 武器の使用以外は何でもあり(バーリトゥード)! 頭突きも、サッカーボールキックだってオーケーだ!」


 野太い歓声が上がる。彼等は外野から好き放題言っているが、加減を間違えれば悲惨な結果を招きかけない危険なルールだ。当事者達の気持ちを知ろうともせず無責任に盛り上がる声に、段々腹が立ってきた。


「時間制限なし! インターバルなし! どちらかがくたばるまでのスーパーリアルファイト! 男の覚悟のぶつかり合いが、いま始まる!!」


 両手を掲げて周囲を煽る弁柄君を一瞥してリングの端に向かうと、醤君が人垣を搔き分け走り寄ってきた。


「お前、マジでやるのかよ」


 野猿みたいな騒々しさの中でも理性を保っている彼は、不安そうに周りを見回す。

 僕は決闘を持ちかけた時点で諦めていたが、どうやら醤君はどうにか中止できないかとあちこち走り回ってくれたらしい。結果的には避けられなかったものの、彼の心遣いは素直にありがたい。これが終わったら、お礼にお昼でもご馳走しようと思う。


「あいつ細えし、なんかやってたって話しもなかったけど、後先考えずに殴ってくるぞ。お前が烏羽と修行してるのは知ってるけど、もしもがあったら──」

「やるよ」


 前腕を掴みながら拳を開閉し、腕の調子を確認する。違和感はない。病み上がりではあるが、いつも通りにやれるはずだ。

 面倒見のいい醤君はそれでも心配そうな顔をしていたが、僕が頷いてみせると呆れたように笑った。


「負けんなよ」

「うん」


 ぽん、と肩を叩き、醤君は人の輪に帰っていった。リングの中央に向き直ると、対角線で弁柄君が爛々とした目で僕を睨んでいる。


「さあ、さあさあさあ! 始まるぞ、野郎ども! 用意はいいか!」


 決闘開始の合図を待つ最中、後ろから控えめに手を引かれる。

 烏羽さんだ。

 そこにいつもの顰めっ面はない。眉は八の字に垂れ下がり、唇は緊張に尖っている。不安と申し訳なさで今にも泣き出してしまいそうな表情だ。


「3!」


 カウントダウンに合わせて、烏羽さんの手に力が込もる。肉を打つ凶器にも、頼れる温もりにもなる手のひらは、今はただ小刻みに震えている。


「2!」


 決闘が始まる。

 名残惜しさを感じつつも烏羽さんの手をそっと外し、両手で包んで彼女の胸元に返す。烏羽さんは殊更に眉を寄せ、ぎゅっと唇を引き締める。


「1!」


 今度は君を助ける。

 あの夜、並んだ布団に寝転びながら交わした約束を思い出す。烏羽さんのピンチに颯爽と駆けつける自分を妄想したこともあったが、現実はこんなものかと苦笑する。


「レディィ……!」

「ホースケ! やっぱりやめよう! アタシなんかのために戦わなくていい!」


 烏羽さんの顔が悲痛に歪んだ。僕だって話し合いで収められるのなら、それに越したことはない。けれど、対面で歯を剥くあの男が彼女にこの表情をさせたというのなら、戦う意味はある。


「ファイト!!」

「大丈夫。ちょっと待ってて」


 すぐに終わらせる。




 ◇◆◇




 すぐに終わらせる。

 と、内心啖呵を切ったわけだが、今日の目標を鑑みると実現は難しい。


「おぉりゃああ!!」


 ゲームみたいな掛け声と共に、弁柄君が右足を振り上げる。足は大股で蹴り足は後ろ、上体は勢いをつけるために斜めに倒れ、視線ははっきり僕の頭を向いている。

 軌道が丸わかりの格好だけの上段蹴りだ。足の振りは早いが、予備動作が大きすぎてむしろ遅く映る。高さを出そうとしたせいか軸足の踵が浮いているので、体重も載っていない。

 だが、左目だけの距離感は、未だ弁柄君の間合いを掴めていない。彼の力を肌で感じるためにも、外腕で正面から受け止める。


 ぱちん。


 簡単に弾けた。ビンタみたいに軽い音だ。烏羽さんの腰の入った回し蹴りとは雲泥の差である。予想外に防がれた弁柄君は体勢を崩し、転びそうになっている。

 顔面に二発はぶち込める。それだけの隙を待っていてやると、何とか体勢を整えた弁柄君はボクサーらしき構えをとり、見様見真似のステップを踏み始めた。


「シッ!」


 息を吐いてから拳が飛んでくる。プロなら逆にタイミングを惑わされそうな行動だが、素人に毛が生えた程度の僕には効果がない。手打ちのワンツーを腕を狙って叩き落とし、とどめとばかりに振り被った三発目の左に合わせて懐に踏み込む。

 胸骨に手のひらを当て、蹴り出す力で腰から押す。

 突き飛ばしとも言えないささやかな抵抗であるが、弁柄君の体は面白いくらいに吹っ飛んだ。豪快な尻餅をつき、状況を理解できない目つきで僕を見上げる。

 この戦いにルールはない。無防備な頭を踏み潰せば、そこで終わりだ。それでも僕が彼を見下ろすだけに留めたのは、今日の目標が理由だった。


 お互いに怪我をしない。


 決闘に臨むにあたり、あまりにも平和ぼけした目標だとは思う。しかし、父親の一件で暴力に頼った結果、母さんと桑染さんを悲しませてしまった。あの時の選択を後悔はしていないが、使いどころは選ばなければならない。

 それ故の慈愛であり、自愛の誓い。

 相当な実力差がなければ実行は難しく、出来たらいいなぐらいの心持ちでいたけれど、弁柄君は相当弱い。

 どうやら上手くいきそうだ。彼の心が折れるまで、優しく転がし続けてやるとしよう。


「立て」


 短く声を掛けると、周囲からわっと歓声が上がった。弁柄君はようやく自分が突き飛ばされたことを理解し、目に沸々と怒りを宿す。


「死ねっ!」


 土を掴んで投げてきた。目眩しのつもりだろう。だが、この辺りの雑草は長い。土は草の重さに負けて、腹にぱらぱらとぶつかるだけだ。

 それでも弁柄君は、しめたと頬を歪ませて大振りの右を打つ。格好だけのパンチよりは迫力があるものの、避けるのは容易い。少し上体を逸らせば弁柄君の拳は目の前を素通りし、勢い余った彼の体は半回転した。一瞬僕を見失い、慌てて振り向く様を見て、観客から嘲笑の声が漏れる。


「くっそ!」


 怒りと羞恥で赤くなった弁柄君が、中段を狙って回し蹴りを放つ。

 何度か受けて彼との距離感は掴めてきた。そろそろ僕からも仕掛ける頃合いだ。

 ぐっと足腰に力を入れて弁柄君の蹴り足を脇腹で受け止め、彼が足を戻すよりも早く、腕で脹脛を挟み込む。

 右足を封じた。

 弁柄君はけんけん立ちでバランスを保とうとするが、腕で固めたまま数歩進むだけで簡単に転びそうになる。


「ダセェぞ弁柄ぁ!」


 心無い野次が彼の心に火を点けた。関節を痛めそうな強引さで僕の腕を振り解き、歯を剥き出しにして右の直突きを放つ。分かりやすい顔面狙いだが、怒りが雑念を消した結果か一直線に飛んでくる。当たれば鼻血は出るかもしれない。

 好都合だ。迷いのない攻撃であるほど、カウンターを打ち易い。


「いっでぇっ!!」


 彼の拳目掛けて自分の拳をぶつけると、ぱきん、と骨が高く鳴り、弁柄君が大きく仰け反った。

 その隙に肉薄し、服を掴みながら足をかけ、一緒になって地面に倒れ込む。背中を打ちつけ嗚咽を漏らす彼の体を這い上り、マウントポジションをとる。


「げほっ、ぐ、くそ、がぁっ」

「降参する?」

「うる、せぇっ」


 諦めないなら仕方ない。

 両手を交差して襟首を絞り、頸動脈を締める。弁柄君の瞳孔が引き攣り、半開きの口の端から涎が垂れる。尻の下で必死のもがきを感じるが、背中全体が地面につくよう抑えているので大した力はない。ぺちぺちと振り回される腕を我慢しながら、冷静に時間を数える。


 一秒。二秒。三秒。四秒。


「──がっはあっ!!」


 弁柄君の目が上を向いたことを確認して、絞りを緩める。俄かに意識を取り戻した彼は盛大に咳き込み、涙目で空気を求める。


「ゲッ」


 呼吸は許さない。息を吸う前に再び締める。

 涙のせいで目の動きを見るのは難しくなったが、顔色の変化は分かりやすい。赤紫色の度合を見ながら、締めると緩めるを繰り返す。


 ぎゅ。ぱっ。ぎゅ。ぱっ。ぎゅ。ぱっ。


 無心で続けているうち、段々と色の戻りが悪くなってきた。鬱陶しかった抵抗もいつの間にか止まっているし、ここいらでもう一度、確認をとってみるとするか。


「ヒッ、ヒッ」


 襟首から手を離したが、弁柄君の瞳は上向きに固定されている。口の端から垂れていた涎は泡に変わり、酸欠を起こした鯉みたいな様相だ。

 何度も意識の登り降りを体験したせいで壊れてしまったらしい。気づけば観客の声もなく、殺人事件に出会してしまったような殺伐とした空気が流れている。

 自分から野次馬しにきたというのに大袈裟な奴等だ。それに、気を失うほど締めてはいない。弁柄君の頬を軽く叩き、薄れた意識でも分かるように顔を近づける。


「演技してないで早く起きろ」

「ヒッ、ヒグッ」

「降参するか?」

「ず、ずる」

「なに? 聞こえない」

「こっ、こうさんずるっ」

「烏羽さんに二度と迷惑かけないって誓う?」

「オ゛、オレは迷惑なんて」

「まだ足らないか?」

「ち、ちかう! ちかうから!」


 言質はとった。本音を言えばもう少し懲らしめたいところだが、これ以上は弱い者虐めになってしまう。

 弁柄君の襟首から手を離して棒立ちの松葉鼠君を見やる。彼は暫く呆然としていたが、強い視線で見つめ続けると、ようやく自分の役割を思い出した。


「弁柄の降参(サレンダー)を確認! よって勝者、黒橡(くろつるばみ)包介(ほうすけ)ぇ!!」

銀煤竹(ぎんすすたけ)なんだけど……」


 空気が震える大喝采が巻き起こり、輪となっていた観客が一斉に押し寄せる。

 苗字の訂正は誰の耳にも届かなかった。




 ◆◇◆




「すっげぇ! おまえ強かったんだな!」

「やったなおい!」

「カッケー……」

「地味にマッチョじゃね?」

「ホントだ! 腹筋ポコポコしてる!」

「前腕に雄味を感じるわね。ポイント高いわよ」

「二の腕触りたい」

「誰か弁柄の心配もしてやれよ……」

「いいよあいつは。ほっとけほっとけ」


 押し寄せてた人波はあっという間に僕を飲み込んだ。身動ぎする隙間さえ与えてくれず、好き勝手なことを言いながら体中を弄ってくる。四方から伸びる手は弁柄君の攻撃より厄介だ。

 股間に伸びてくる手だけは膝を合わせて防ぎつつ、周りの熱が冷めるのを待っていると、人垣の隙間からおろおろしている烏羽さんを見つける。


「烏羽さんっ」


 苗字の訂正は誰も聞いていないのに、彼女を呼ぶ声は伝わった。人の壁がさっと二つに割れて、烏羽さんまでの道が整えられる。

 未練がましく残った二の腕を掴む手を取り払い、彼女に向かって歩みを進める。両脇を観客で固められた道を歩くのは、プロの格闘家になったみたいでちょっぴり誇らしい。

 彼女の前で立ち止まり、安心させようと微笑みかける。


「へへ。修行のおかげだね」


 少しおどけて勝利を報告してみたが、烏羽さんの表情は浮かない。決闘が始まる直前の言葉どおり、どうも彼女はこの騒動の原因が自分にあると感じているらしい。

 烏羽さんは一方的な告白に巻き込まれた被害者で、思い悩む必要はまったくない。どうにかしてその誤解を解きたいと考えていると──


 土を蹴る音。


 咄嗟に烏羽さんの体を押し退ける。それと同時に背中に衝撃を受け、前のめりに倒れ込む。

 後ろから蹴られた。

 痛みは大したことない。手のひらの皮が破れていないことを確認してから、ゆっくりと背後を振り返る。


「オレは、負けてねえ」


 弁柄君だ。赤を通り越して紫に変色した顔で、怒りにぷるぷる震えている。僕に負けたのが余程悔しかったらしい。

 往生際の悪さに呆れてか、弁柄君寄りだった野球部員達も彼を宥めようと近寄る。


「どう見てもお前の負けだよ。勝てねぇからって不意打ちはダサすぎんぞ」

「うるせぇ! こんなチビにオレが負けるわけねえんだ!」

「あのなぁ。烏羽にしたって、黒橡に勝てる要素なかったろ」

「そうそう。どう見たって脈なかったし」

「うるせえっつってんだよ!!」


 弁柄君は差し伸べられた手を振り払い、血走った目で僕を睨みつけてくる。ちょっと手加減し過ぎたみたいだ。

 次はもう少し強くやろうと膝の土をほろいながら立ち上がり、弁柄君に向き直ろうとしたとき、


「ひ」


 後ろ髪がざわりと持ち上がった。

 弁柄君とは比較にならないほどの濃密な怒気が、すぐ後ろから放たれている。


「片親の片目野郎が……!」


 彼は気づいていないのか。

 今すぐ逃げろと言おうとするが、心臓に銃口を突きつけられたみたいな緊張感に、体が完全に硬直している。


「オレが、こんな隠キャ野郎に……!」


 気配が僕の横をぬっと通り過ぎる。

 怒りが尾を引いたのは錯覚だろうか。蜃気楼でもないのに、広い背中が揺らいで見える。


 烏羽(からすば)薫子(かおるこ)さん。

 見た目がちょっぴり怖いだけの、真面目で優しい同級生。最近は周りも理解をし始めて、少しずつだけど話しかけられる機会が増えてきた。

 そんな彼女が、握り固めた拳を振りかぶる。

 僕なんかよりもずっと修練を重ねたその拳は骨の軋む唸りを上げて、密度と硬度を増していく。


「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 弁柄君の雄叫びに合わせ、烏羽さんが静かに踏み込む。滑らかでありながら、土を噛むような力強い踏み込みは、一瞬にして弁柄君を射程に収める。


 ぼ。


 大気を穿つ音がして、弁柄君の首が弾け飛んだ。車に撥ねられたみたいに体が回転し、顔面から地面に突き刺さる。

 烏羽さんは芝生の命を踏み殺す足取りで前進し、弁柄君の襟首を捻り上げる。弁柄君の意識は一撃で消し飛び、頭が重たそうに垂れているが、烏羽さんに迷いはない。鉄球の如く握り固めた拳を再び高く振り上げる。


「ホースケを傷つける奴は、アタシが殺す」


 物見遊山の観客達は、烏羽薫子という人間の苛烈さを思い知った。

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