073
意味がわからねえ。
家に帰り、夕飯を食べたあとも、アタシは未だに状況を理解できずにいた。
アタシに告白してきた坊主頭は、弁柄というらしい。ヤツの言うことを信じるならば、文化祭でコスプレしたアタシに興味を持ち、周囲に聞いて回るうちに好意を抱いたとのことだが、一度も話したことのない相手を好きになるなんてあり得るのか。
それに相手は、よりにもよってこのアタシだ。
目つきは悪くて体はデカい、おまけに愛想はないときた。女らしさの欠片もないアタシに惹かれる男なんているはずがない。
やっぱり、罰ゲームかなんかだろう。そう自分を納得させたところで、机に置いたスマホが震える。
ホースケからの連絡か。反射的にスマホを手に取り、画面に映る名前を見てげんなりする。
椋実若菜。
アタシをあの訳の分からない場まで案内したコイツは、弁柄の幼馴染だった。弁柄に橋渡しを頼まれているようで、聞いてもいないのにアイツの情報を流してくる。
軟式野球部の補欠。学力は下から数えた方が早いが、運動はそれなり。クラスの目立つグループにいて、友達は多い方。
心底どうでもいい情報だ。けど、最後に添えられた一文が、アタシを現実に引き戻す。
本気の告白だから、烏羽さんもちゃんと答えてあげて。
「……ちゃんとってなんだよ」
アタシは確かに断った。告白されただけで付き合うほど恋愛に興味はないし、オカルト倶楽部の連中のおかげで学校生活は満足してる。余計なものを送ってくるなと忠告すれば、煩わしさに悩む必要もなくなる。
にもかかわらず、アタシが椋実を拒絶できない理由。
「チッ」
続けて送られてきたメッセージを見て舌打ちが漏れる。
申し訳程度に、しかし恐らくは椋実の真の目的。
それは、アタシに自分とホースケの間を取り持たせることだった。
どうも椋実の中では、アタシに弁柄をあてがうことで恩を売っているつもりらしい。その対価として、自分とホースケが付き合うのを手伝えというのだ。
あらためて言葉にすると、なんともバカバカしい要求である。少し前のアタシなら、知ったことかと一蹴していただろう。
「……ハア」
しかし、告白を断った後、椋実に囁かれた一言が、ずっと頭にこびりついている。
わたしの気持ち、烏羽さんは分かるよね。
最初は意味が分からなかった。椋実若菜は、小柄で地味で、アタシとは何もかも正反対な女だ。共通点なんて一つもない、はずだった。
ホースケとの関係性を除いて。
わたし、このままじゃ包介くんと一生他人留まりで終わっちゃう。
椋実のボヤキは、自分に向けられたものだ。だが、それはアタシにとっても深く突き刺さる言葉だった。
先日の、ホースケの母親の正体を巡る一連の騒動について反芻する。
正体を探るにあたり、アタシ達はホースケのいる病室の外で、各々の情報を共有することになったが、みんなの過去話は、アタシとホースケの関係が如何に希薄であるかを自覚させるには充分過ぎた。
赤錆の嫉妬。
青褐センセイの事故。
榛摺サンの傷。
桑染サンの約束。
どうしてみんながホースケに執着するのか合点がいくのと同時に、ひどく寂しい気分になった。
アタシとホースケの繋がりは、金縛りが怖いと一方的に結んだものに過ぎない。赤錆や桑染サン、青褐センセイのように重い背景があるわけでも、榛摺サンのように同じ痛みを共有するわけでもないアタシは、ホースケが苦しんでいることも忘れ、羨ましいと思ってしまった。
あの場でアタシの気持ちを理解できるのは、濃墨センパイだけだろう。受験勉強を理由にメッキリ姿を見せなくなったが、深い繋がりをまざまざと見せつけられて身を引いたように思えてならない。
「……へッ」
身を引く。
まるで濃墨センパイが、ホースケに恋をしてると断定するみたいな言い草だ。恋愛どころか、自身がホースケに抱く感情も説明できないアタシが、一体何様のつもりなんだ。
その点、椋実は立派だ。アイツはアタシ以上にホースケとの関係は薄いが、圧倒的に不利な状況にも挑む度胸がある。大人しい見た目のくせに図太いところはホースケにそっくりで、少なくともアタシなんかよりはホースケの隣に相応しい。
……椋実は、そういうところまで見透かしていたんだろうか。
ホースケはそのうち、他の誰かと結ばれる。そのときアタシはただの邪魔者でしかなく、ホースケから距離を置いたアタシは、誰彼構わず威嚇する臆病者に戻ってしまう。ホースケのいないアタシは腫れ物扱いされ、次はもう話しかけられない。
だからきっと弁柄の告白は、アタシが恋愛を経験する最後のチャンス。
椋実は暗にそう言いたいのだろう。そのうち離れることになるのだから、傷が浅いうちに身を引けと言いたいのだろう。
自分でも薄々気づいていた。そんなだから告白を断った後に椋実の説得を受け入れ、後出しで保留なんて情けない真似をしている。義理を通すつもりなら、弁柄の告白には早々に答えを返し、椋実に労いの言葉でもかけてやるべきだ。
「クソ」
だというのに、胸のうちに燻るモヤモヤはなんだろう。
このまま引き延ばしたところで何も解決しないのに、どうしても踏ん切りがつかない。頭と体が、説明できないところで食い違っている。
気分が悪い。これ以上悩んでも、イラつくだけだ。すっかり冷めた食後のお茶を一気に飲み干し、さっさと寝てしまおうと立ち上がる。
「ただいま」
直後、玄関の扉が開いた。
立ち上がりかけた瞬間だから体が一瞬硬直するが、なんてことはなく、お父が帰ってきただけだった。
「おかえり。最近早いな。仕事片付いたの?」
「んー……まっ、色々あってな」
お父は背広をハンガーにかけて、重そうに肩を回す。相変わらず肩凝りは酷そうだが声には張りがあるので、仕事は順調なようだ。
「ご飯用意するからちょっと待ってて」
「あれ、ご飯食べてくるって連絡見てないか?」
「あー……きてたかも」
椋実からのメッセージに辟易して、スマホの通知を見逃していたらしい。食事の代わりに二人分の茶を淹れ直す。丁度のタイミングで手洗いうがいを済ませたお父は居間に戻ってきて、食卓の定位置に座った。
「ありがとう。それで、最近学校はどうだ?」
「なんだよ急に」
「いいだろ。薫子の話聞きたいんだよ」
「……別に、普通だよ」
「普通ってことはないだろ。包介君とはどうなんだ? ん?」
「な、なんでアイツの話がでてくんだ!」
「一緒に泊まった仲だぞ。そりゃあ気になるだろ」
何が楽しいのか、お父は厳つい顔をキラキラさせてアタシの話を急かしてくる。
冷静に考えれば、やましいことは何もない。熱いお茶の水面を舐めて、火照った気持ちを落ち着ける。
「いつも通りだよ。稽古つけたり、勉強教えてもらったり、たまにみんなで出掛けたりするだけ」
「ほーん。そうかそうか。二人で出掛けたりはしないのか?」
「一回あったけど、他のヤツらに見つかって結局みんなで行動した」
そういえばあのとき入った喫茶店で、アタシがホースケに無理やり恋バナをふったせいで、ずいぶん悩ませてしまった気がする。
アイツはいいだけ悩んだ挙句、自分に恋愛は早いなんて情けない答えを出したけど、今は全然バカにできない。むしろ正面から向き合った分、恋愛の世界から自分を外していたアタシよりずっと真剣だと思う。
アタシもこのモヤモヤについて、誰かに相談してみた方がいいんだろうか。
ホースケはアタシを鏡にして、曲がりなりにも答えを出した。アタシの中で渦巻くこれが恋愛の悩みかどうかは未だにはっきりしないが、このまま一人で悩んでも絶対に答えはでない。ちょうどよく目の前に既婚者がいることだし、多少の恥は飲み込んで、素直に相談すべきだ。
「「あのさ」」
声が被った。発声どころかアクセントまで揃ったもんだから、二人してニヤリと笑い合う。
「ごめんごめん。薫子からどうぞ」
「いいって。お父から先に話せよ」
「そうかあ? それなら、先に話させてもらおうかな」
お父は一口お茶を啜ると、微かに目元を引き締めた。お父が真面目な話をしたがるときの癖だ。叱られるわけでもないが、自然と姿勢が正される。
「父さん、お付き合いしようと考えてる人がいる」
お付き合い? お父が?
あんまりにも予想外な言葉に、空いた口が塞がらない。お父も似合わないと自覚しているようで、照れ隠しに大げさな咳払いをする。
「職場の同僚でな。最初は仕事の関わりだけだったんだが、いろいろ話すうちに向こうの方が俺に興味を持ってくれたみたいで、その、まあ、そういう話になった」
「……へえ」
まだ気持ちが動転していて、空気が漏れたみたいな返事しかできなかった。
突然のことすぎて不安や違和感を覚える段階にも達していないが、お父はアタシの反応の鈍さを否定と捉えたらしい。照れた表情をすっかり拭って、真面目な顔に戻る。
「母さんを忘れたことはない。裏切ったみたいな気持ちもある。薫子が少しでも嫌な気持ちになったなら、きっぱり断るつもりだ」
それならアタシに相談する前に断ればいい。そうしなかったのは、お父の中ですでに答えが出ているからだ。
罪悪感を覚え、それでもなお一緒になりたいという気持ちが。
「らしくねえよ」
お父の目を見て、あえて突き放すような口調で言う。
「お父は付き合いたいって思ってんだろ。それなら、アタシを言い訳にしちゃダメだ」
アタシに恋愛はわからない。でも、好きという気持ちを誰かのせいにして隠すのは、誰に対しても失礼なことだと思う。
アタシの一言にお父は一瞬目を丸くするが、頭をガシガシと乱暴に掻いてから、ニッと牙を剥くみたいな笑みを浮かべた。
「ありがとう。今度紹介する」
「うん。……コブ付きってのは伝えてるんだよな?」
「コブってお前、どこでそんな言葉を……オホン、薫子のことはもちろん伝えてるぞ。写真付きでな」
「写真だぁ? そんなもんいつ撮ったんだよ」
「いつも撮ってるぞ。こう、寝顔をパシャリと」
「キメェ」
「キメェとはなんだぁ!」
「デカい図体で騒ぐなよ」
「昔は仕事に行くたび、行かないでぇって泣いてくれたのに。いつから反抗期になったんだ」
「うるせぇ。もう寝る」
「え~。もっとお父さんとお話ししてくれよぉ」
追い縋るお父の手を叩き落とし、オウオウとわざとらしく嘆く声を背中に受けながら洗面所に向かう。歯ブラシを咥えて居間に戻ると、お父は未だにしょぼくれた演技をしていたから、背中を強めに叩いてやった。多少暴力的ではあるが、アタシら親子のコミュニケーションはこれでいい。
そうして久々に同じ部屋で眠り、アタシが目覚めた頃には、お父は書き置きを残してすでに出勤していた。
結局アタシの問題は、相談できずに終わった。




