072
残り四部とエピローグで終了予定です。
自分が特別じゃないと気づいたのは、同い年に男子に負けたときだった。
熊みたいにデカくてゴリラみたいにマッチョなお父の近くにいたから、勘違いしてしまったんだろう。試合中に思い切り腹を蹴り込まれ嗚咽で息を詰まらせながら、アタシは轢かれて死んだお母さんと同じ、質量には勝てないただの女であることを思い知った。
それからアタシは道場を全部辞めて、必要以上に周りを警戒するようになった。側から見ればイキった不良そのものなダサい振舞いだったろうが、やめられなかった。
怖かった。この恐ろしさから逃げられるなら、ずっと孤独でも良いと思ってた。
だけどお次に、力とは別の新しい恐怖がやってきた。メンタルの悩みなんてまるで無縁だったアタシに、オカルトを勉強する余裕なんてあるはずもなく、すっかり怯え切った末、絶対に勝てる奴を利用することにした。アイツがどれだけ辛い目に遭ってきたかも知らず、手前勝手な理由で巻き込んでしまった。
それからはめちゃくちゃだ。孤独でいようと決めたことも忘れ、アイツのやさしさに甘えた。アイツのおかげで出来た心地のいい関係に、ズブズブと浸かり続けた。
アタシはもう、力の弱い女でも、ダサい不良でもない。
烏羽薫子は、他人頼りのクソアマに成り下がった。
◇◆◇
「つまんねぇ」
教室の片隅で頬杖をつき、窓の外を眺めながら一人呟く。
アタシの声は周りのざわめきに混ざり溶け、誰の耳にも拾われることはない。後ろ髪を乱暴に掻き上げて右隣の席を見やる。
ホースケの席。けど、アイツの姿はない。
ホースケは風邪をひいた。十月に入って気温は急に下がったが、暑がりを自称するホースケはしばらく夏服のままだった。青褐センセーが気を遣って注意しても変に意固地になって半袖シャツを着続けて、その結果の風邪っぴきなのだから、完全に自業自得である。
だから別に可哀想だとは思わない。最近はちょっとナマイキになってきたから良い薬だとも思う。
でも、実際にいなくなられると。
「……つまんねぇ」
話す相手がいない。からかう相手がいない。
つい数ヶ月前の状態に戻っただけなのに、アタシは学校での過ごし方を思い出せないでいた。授業もてんで頭に入らず、ほとんど一日中、窓から空を見上げている。周りの声がうるさくなって初めて、帰りのショートホームルームが終わったことを知った。
ホースケはいつ治るんだろうか。ケースのない裸のスマホを取り出してメッセージアプリを開く。
案の定、ホースケからの連絡はない。出不精のアイツは連絡もサボりがちで、わざわざアタシに報告してこないと分かってはいるが、授業の合間に休憩が入るたび、つい確認してしまう。
「チッ」
つまんねぇ。師匠を退屈させるなんて弟子失格だ。
心配が苛立ちに変わってきたタイミングで、ふと右側に気配を感じる。頬杖をついたまま視線だけ寄越すと、見るからに気弱そうな小柄な女子がビクビク震えながら立っていた。
「椋実、だっけ? なんか用か」
「う、うん。烏羽さんに用事あるって人がいて」
「ア?」
「ヒッ」
アタシに用事?
自慢じゃないが、校内のアタシは完全に腫れ物扱いだ。授業をサボったりはしないし、制服だって校則を守ってるけど、目つきと口の悪さで教師からも敬遠されている。話しかけてくる物好きは赤錆と濃墨センパイ、ホースケぐらいしかいない。
それに、呼び出しに人を使うのも気に食わない。見るからに断れなさそうな椋実に頼むあたり、性格も悪そうだ。
「いいぜ。案内しな」
どうせ暇してたんだ。気に食わないという理由だけでボコすほど横暴ではないが、喧嘩を売るつもりなら問答無用で買ってやる。
床を蹴って椅子を引き、ポケットに手を突っ込んで立ち上がる。グッと背中を逸らして伸ばすと、肩甲骨がバキバキ鳴った。
「あ、ありがとう。じゃ、ついてきて」
教室を出て、チョコチョコ歩く椋実の背中を無言で追う。
椋実とは同じクラスだが、接点はほとんどない。女バスとホースケを賭けてやり合ったときくらいだ。周りからはアタシが椋実をカツアゲしているように見えているかもしれない。
ホースケといるときも、同じように見えてるんだろうか。
桑染サンほどじゃないが、アタシはデカい。
胸と尻は大きい方だが、それ以上に骨が太い。後ろ姿だけなら男と間違えられることもある。お父に似て髪質は硬く、物を見るときは眉間に皺が寄るクセがある。女らしい柔らかさとは無縁だ。見た目だけならホースケの方がずっとかわいいと思う。
前を行く椋実をジッと見下ろす。日の当たる廊下だと、小動物みたいな小柄さが一層と強く映る。地味で重たい黒髪も、男の目にはお淑やかに映るだろう。
アタシとは正反対。でも、ホースケの隣が似合うのはきっと。
「……チッ」
勝手に漏れた舌打ちに、椋実は過敏に反応した。ビクッとその場で立ち止まり、恐る恐るアタシを振り返る。
「なんでもない。それよりどこにいんだ? アタシを呼んだ奴ってのは」
「あっ、こ、ここだよ。一年二組」
案内されたのは何でことのない、階が違うだけの同級生の教室だった。
教師の目が届く場所だ。集団リンチされる心配はとりあえずないらしい。
「フゥン。で、アタシを呼んだのは誰なんだよ」
「は、入ればわかるよ」
二組に知り合いなんていたっけか。疑問に思いながら教室の引き戸を開くと、中に屯していた十名近い人数の目が一斉に向けられた。
放課後にしては人が多い。大体男子で女子が二人、坊主頭の割合が目立つ。連中は全員でアタシを待っていたらしく、アタシが教室に入るなり会話を止めた。
ただ、一人だけ表情が違うヤツがいる。
一番手前側にいる日に焼けた坊主。ゴボウを連想させる見た目のソイツは、ニタニタ苛つく笑みを浮かべてアタシから目を離さない。
呼び出したのはコイツか。
首の骨を鳴らし詰め寄るスピードで近づくと、坊主がニタニタ顔のまま立ち上がる。アタシと同じような身長だが、厚みが足りない。ぶちのめせる範疇だ。
「呼び出したのはオマエか」
目の前で仁王立ちして正面から睨む。だが、坊主は怯まないばかりか、アタシの全身を舐めるように見回し、口角を更に吊り上げる。
「話すの初めてだよな。オレのこと知ってる?」
「知らねえ」
「えー? 文化祭でおまえらんとこ行ったんだけど、覚えてない?」
「覚えてねえ」
アタシが淡々と返すと、取り巻きから笑い声が上がる。目の前の坊主は不愉快そうに顔を歪めるが、不愉快なのはアタシの方だ。無言で睨んで続きを急かすと坊主は初めてたじろぐが、アタシの胸元に視線をやると、再び鼻の下の伸びたニタニタ顔に戻る。
「文化祭で見たときさ、なんつーか、メッチャイイって思ったわけ」
「知らねえよ。早く用件を言え」
「オレと付き合わねえ?」
「……ア゛?」
何言ってんだコイツ?




