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ペトリコールと怪女達  作者: カシノ
影の煩い

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071

 あれから少しあった。

 まず、僕の足について。

 あの時は完全に頭に血が昇っていたので分からなかったが、ダメージはしっかり蓄積していたらしく、翌日になって痛みを思い出した。病院に行って検査してもらったところ、案の定炎症を起こしていたようで、入院は免れたもののこっぴどく怒られてしまった。装具の装着期間も延ばされてしまい、つい先日ようやく外された時は、あまりの開放感にその場で小躍りしかけた。

 次に、僕の親権について。

 これについては思いの外あっさりと決着がついた。子供に叩きのめされたのが余程効いたのだろう。父は言われるがまま養育権を手放し、僕は母さんと養子縁組を結ぶことになった。

 養子縁組を結ぶことで何ができるのか、必要な手続きに関してもまったくの無知であったが、幸運にも僕等の身近には法律の専門家がいる。赤錆さんのお父さんで弁護士の英さんに相談したところ、様々なことを無償で教えてくれた。

 英さんは赤錆さんを助けてくれた恩返しと笑ったが、それだけではないだろう。彼がぽつりと溢した言葉と態度から察するに、父と英さんは旧知の仲だったようだ。二人が対面したとき、人の良い英さんは失望やら気がつけなかった自責の念やらで複雑な表情をしていて、父の方はほとんど目を合わせなかった。結局、二人の関係は聞けず仕舞いではあるが、知らない方が考えなくて済む。今後、僕達と父の人生が交わることはないので敢えて深入りする必要はないと割り切ることにした。

 最後に、お金について。

 母さんは今のマンションに引っ越して以降、父から振り込まれたお金に手をつけていなかった。それではいったい何で生計を立てていたかというと、週五の事務の仕事と、若い頃に積み立てていた貯蓄を切り崩していたそうだ。しかし、子供を抱えていればどうしたってお金はかかる。貯蓄もいつかは底を尽き、これまでどおりの生活は難しいかもしれない。

 父は、これまでに振り込んだ養育費の返還は求めないと宣言した。

 心情的には受け入れ難い提案だ。生活が苦しいとはいえ、プライドはある。気に入らない相手から施しを受けるのは、はっきり言って気分が悪い。

 母さんも当然断ったが、これに関しては父が譲らなかった。

 手切れ金のつもりか。通報を恐れたのか。それとも、けじめのつもりだったのか。

 あの男の中にある譲れない部分が何だったのかは永遠に分からないが、結果的に僕等の生活には余裕が生まれた。母さんを榛摺さん家の旅館に招待できる日も、そう遠くないだろう。

 そんな訳で、話し合いと手続きの日々は終わりを迎え、やっとひと息吐けた頃に、すっかり忘れていたあの行事がやってきた。


 文化祭。それも、今日は一般開放の日。


 外は生憎の小雨模様であるにも関わらず、普段は大人しい廊下も騒がしさに満たされていて、すれ違うのも窮屈な人混みに溢れている。秋口に差し掛かったというのに真夏のような熱気だ。


「お客さん入りまーす」


 憂鬱な雨にも負けない明るい雰囲気の学校で、僕は何をしているのかと言うと、一年三組特製のお化け屋敷の中でお化け役に徹していた。

 学校中を歩き回って文化祭を楽しみたい気持ちはもちろんある。しかし、今回ばかりは贖罪の心が勝った。

 みんなが準備で忙しくする最中、僕は骨を折った挙句、身内のごたごたでほとんど手伝えなかった。文化祭前日にようやく片付いたものの、当然みたいに仲間に加われるほど面の皮は厚くない。働けなかった分の埋め合わせはするべきだろう。

 そういう心持ちから申し出た丸一日のお化け係であるが、僕が復帰することで別の問題が生じた。

 我が一年三組の出し物は、コスプレ撮影会付きのお化け屋敷である。順路に沿って進むだけの簡単なお化け屋敷に、仮装に力を入れたお化け役を配置、お客さんは出口で気に入ったお化け役を指定して記念撮影ができるという変わった出し物だ。

 目玉は内装よりもお化け役にあり、経費もお化け役の仮装に多く割かれている。しかし、服飾とは値が張るようで、中学校の文化祭の予算ではやり繰りは厳しい。

 そんな中、お化け役の一人が、怪我で参加できるか分からない状態に陥った。その一人の服飾費は当然、別の誰かにあてがわれるべきであるし、そいつが急に参加することになったとして、衣装を用意できないのもまた当然のことだった。


「思ったより暗いね」

「ねー」


 来た。声からして、女性の二人組。

 急拵えの衣装に下手くそな演技と、著しく低品質な仕上がりになってしまったが、それでもできるだけのことをしなければ。

 足音が近づくのに合わせ、曲がり角から半身を出す。


「ひゃあっ」


 気合いを入れて飛び出したが、予想以上に大きい悲鳴を浴びせられる。女性客二人は暗い教室内でも分かるくらいに顔を青くし、抜けかけた腰で我先にと走り去っていった。


「……やっぱり傷つくな」


 お化け屋敷としては正しい反応だ。でも、一人の男として、異性に怖がられるのはやはり傷つく。文化祭はきっぱり諦めて、家で大人しくしていればよかった。


「おう、どうした。落ち込んでんな」


 項垂れていると、お化け役の先頭を任せられている烏羽さんが様子を見に来てくれた。当初よりも露出を抑えた狼男の装いはほとんど男装に近いが、彼女の凛々しい顔立ちと合わさると野生味溢れる美男子のようで、かなり様になっている。


「烏羽さんはいいよね。格好良くってさ」

「まあ、お前のはちょっと、あれだよな。みすぼらしいっていうか」


 僕に与えられた衣装は、トイレットペーパーと使い古しの竹刀だけだった。

 トイレットペーパーを包帯に見立てて全身をぐるぐる巻きにして、背中に竹刀を袈裟懸ければ、それで終わりだ。衣装作成の時間がなかったとはいえ、あんまりな出来栄えである。

 暗がりで視界が妨げられないことを利用し、せめてもの工夫として右目の傷痕を晒してみたのだが、それも悪さをしている。

 やけくそみたいなトイレットペーパー尽くしの中に、やたらと生々しい傷に縁取られた死人の目が覗く、ちぐはぐなミイラ。

 衣装担当が言うにはミイラでなくトンなんとかという妖怪らしいが、お客さんには関係がなかった。


「右目出すのは失敗だったかもな。今からでも隠すか?」

「いいよもう。お客さんも少ないし」

「ん。まあ、あんまり落ち込むなよ」


 烏羽さんはトイレットペーパーの巻かれていてない頭を撫でて、入り口側に去っていく。来客の間隔は長い。また一人で暇な時間を過ごさなければならなそうだ。

 残暑長引くこの季節、風通しの悪い教室内に雨の湿気も悪さして、佇んでいるだけでもじっとり汗が染み出してくる。トイレットペーパーは素肌に直で巻いているので、段々とふやけてきた。あまり動けば、今以上に見窄らしい格好になりそうだ。


「お、お客さん入りまーす!」


 誰かが完成させてくれた墓石を爪先で弄っていると、受付から声がかかる。緊張で上擦って聞こえたのは気のせいだろうか。


「うおっ」


 烏羽さんの驚いた声。お化け役が驚かされるとは、一体どんなお客さんなのか。受付に続いてとなると、興味よりも緊張が先行する。足音がどんどん近づいてきて、背中に滲んだ汗がトイレットペーパーに亀裂を入れる。

 いや、弱気になるな。僕は与えられた役目をこなすだけだ。

 気持ちを落ち着け身構えて、耳に意識を集中する。

 足音の数が多い。少なくとも二人以上はいる。暗い室内でも乱れない音から察するに、相当な胆力の持ち主のようだ。だが、どんな相手であれ、僕の右目を見れば動揺するはず。

 小さく呼吸を整えて、足音が曲がり角に差し掛かった瞬間に飛び出す。完璧なタイミングだ。しかし、曲がり角の向こうの人は、ミイラ男と化した僕を前に、微動だにしなかった。


「ふん。安っぽいわね」


 浴衣姿の赤錆さんがいた。後ろには榛摺さんと桑染さん、仕事中であるはずの烏羽さんもついてきている。

 美人だが、それ以上に独特な威圧感を持つ四人が揃ってしまった。いち中学校の出し物に揃ってよい顔ぶれではない。お化けに仮装していることも忘れ、自然と背筋が正される。


「せっかく来てあげたんだけど。ありがとうは?」

「あ、雨降りの中来ていただいてありがとうございます」

「乳首浮いてる」

「あひぃっ」


 赤錆さんが無造作に両胸の中心を突いてきた。突くだけに収まらず、指先をぐにぐに押し付けてくる。


「やめてぇ」

「いや」


 赤錆さんの人差し指が動くたび、こそばゆいような、痺れるような感覚が走り、身を捩らずにはいられない。不細工に踊り回る僕を、赤錆さんは瞬きもせずに観察している。研究者が実験動物の反応を記録するみたいな無慈悲な目つきだ。

 突然始まった責苦はしばらく続き、見兼ねた烏羽さんが拳骨を落とすことでようやく止まった。


「はあ、はあ、み、みんなで来てくれたんですね」


 ぎゃあぎゃあと罵り合う二人を横目に、桑染さんと榛摺さんに話しかける。彼女等はしばらく僕を凝視して固まっていたが、目の前で軽く手を振ると、はっと意識を取り戻す。


「う、うん。えっと、なんの話してたんだっけ」

「え? いや、来てくれてありがとうとだけ」

「あっ、そうか。そうだったね。えへへ」

「ところで濃墨先輩は? 一緒じゃないんですか?」

「声掛けに教室寄ったけど、用事で出掛けてるみたい」


 濃墨先輩はどこでも頼りにされているらしい。情けない姿を先輩に見られなかったことを喜んでいいのかどうか悩んでいると、桑染さんがもぞもぞし始めた。肩を窄ませ、居心地が悪そうに自分の後ろを頻りに確認している。


「後ろに何かあるんですか?」

「えっと、何かっていうか」


 煮え切らない態度だ。隣の榛摺さんはおろか喧嘩していた赤錆さんと烏羽さんも口を止め、じっとりとした視線を向ける。

 だが、その視線は桑染さんではなく、後ろの何かに向けられているようだ。数瞬の沈黙が流れた後、桑染さんの背中から人影が現れる。


「……ほう君」


 人影の正体は母さんだった。

 顔の傷は目立たなくなったが、湿布はまだ取れていない。白シャツに薄手の上着を羽織っただけの地味な服装に薄暗い内装が合わさって、なんだか幸が薄そうに見える。雰囲気を変えようと愛想笑いを投げかけるが、母さんの視線は床に釘付けられたままだ。


「じゃ、あたし達は外で待ってるから。終わったら呼んで」


 赤錆さんは素っ気なく宣言すると、みんなを連れてお化け屋敷の外に出ていった。

 墓地に親子二人が取り残された構図であるが、恐怖よりも気まずさが勝る。


「来てくれたんだ。雨大丈夫だった?」

「……うん」


 母さんの声は鈴虫みたいに控えめで、そこから言葉は続かない。

 怒涛の事務手続きを終えて面倒は確かに片付いた。しかし、僕と母さんの関係は、未だにぎくしゃくしていた。

 当然のことだとは思う。養子縁組を結び、正式に親子になったとはいえ、母さんが嘘を吐いていた事実は消えない。僕の中ではもう済んだ話だし、気にしないでとはっきり伝えてはいるけれど、母さん自身はまだ決着をつけられていないようだ。


「その恰好は……?」

「こういう妖怪がいるらしいよ。名前は忘れたけど。やっぱり変かな」

「変っていうか、その」


 口篭る母さんの顔を覗き込むように小首を傾げると、ようやくちらと僕の方を向く。


「……昔のこと、思い出しちゃって」


 多分、車に撥ねられて入院していた時のことだろう。

 青褐先生の日記には、包帯でぐるぐる巻きになっていたと書かれていた。今と違って右目は完全に覆われていたらしいが、大した違いではない。

 少ない言葉数で察する僕を見て、母さんは不思議そうに顔色を伺う。


「覚えてるの?」

「いや。青褐先生から聞いただけ」


 正確には読んだというべきだが、日記の存在を吹聴するのも可哀想だ。てきとうに笑って濁すと、不意に母さんの表情に影が差す。


「……じゃあ、私が青褐に掴み掛かったのも知ってる?」

「なんとなくは」


 養子縁組を結ぶための手続きに取り組んでいる最中、青褐先生が骨折のお詫びに訪ねてきたことがあった。母さんも僕もそれどころではなかったので謝罪を受け入れすぐに帰ってもらったが、その間の青褐先生の様子は尋常ではなかった。

 顔面は蒼白で、滝のような汗を流し、縮こまった体は小刻みに震えていた。本心から怯えていないと、ああはならない。


「やっぱり、イヤだよね。こんな暴力的な母親。それに、体も売ってたし」


 母さんは右手で、左の薬指を握る。僕が贈ったその日から肌身離さずつけていてくれている指輪が、手のひらに隠れて見えなくなる。


「──すぅ」


 握る右手に力を込めて、音がするほど強く息を吸い込む。固く瞑った目蓋を開き、決意を固めた瞳で僕に向き直る。


「私じゃなくてもいいんだよ」


 声が震えている。口元はぎこちない。それでも母さんは、今にも逃げ出したそうな瞳を無理やりに見開いて、僕を見つめ続ける。


「私は全然ほう君にふさわしくない。ほう君を助けるんだ、なんて勝手に思い上がって、立派な母親になれたつもりでいた。心も体も、全部が汚れきってる私に、そんな資格あるわけないのに」


 自分で自分を傷つけている。母さん自身も分かっている。言葉を紡ぐたびに涙が滲むが、はりぼての笑みを貼り付けて必死に耐えている。


「ほう君は優しいから、私を可哀想に思って親子になってくれたんでしょ? 大丈夫。あれから私も調べたの。里親とか、もっとまともでいい親に出会える制度はたくさんあるって。だから本当に、私のことなんて気にしないで。ほう君にはもっといい母親が──」


 正面から母さんを抱きしめる。

 緊張に強張っていた体が、腕の中でふわりと緩んだ。抱きしめる力を強くすると、首元が母さんの胸に包まれる。


「えっ、えっと」


 こうして触れ合うのは久しぶりだ。以前は母さんのスキンシップを、押し付けがましいだとか暑苦しいだとかですかしていたが、いざなくなると寂しさを覚えた。恥ずかしくて自分から求められない分、母さんに甘えていたのだと気がつく。


「ほ、ほう君? 私、汚いから、離れて」

「いやだ」


 母親に抱きついて駄々を捏ねる。誰が見ても丸っきり子供だ。赤錆さんや烏羽さんに見られたら、一生からかわれるだろう。

 けれど、そんな僕にも、大人になったと胸を張れることはある。


「貴女は僕の母親だ」


 納得して決めること。自分で考えて答えを出すこと。

 以前は、頑固で面倒くさいだけの直すべき気質だと思っていた。

 今は違う。自分で決めることの大切さを学んだ。尊さを学んだ。何もかも父の言いなりになっていた過去を捨て、自分らしい生き方を手に入れた。

 なにより、僕の一番尊敬する大人が認めてくれた。


「僕が貴女を選んだんだ」


 母さんの腕が僕の背中に回る。ぎゅっと抱き寄せられるのに合わせて、僕の腕にも力が込もる。お互いがお互いの気持ちのままに、力強く抱き合う。


「私も──ママも、ほう君が息子でよかった」


 ぽつ、と肩に雫が落ちる。命の温かさが広がり、肌に沁み込んでいく。

 九月の教室。暗幕で日光を遮っていても、夏を感じる暑さである。二人分の体温にじっとり汗をかきながら、それでも僕等はしばらくの間、互いを静かに抱きしめ続けた。




 ◇◆◇




 久しぶりの抱擁。

 人肌は心が安らぐし、触れ合いたい欲求は人並みに持ち合わせている方だ。しかし、それが五分も続くと、ちょっと話が変わってくる。


「あの、母さん? みんな待ってるし、そろそろ」

「だめ」


 遮るように強く抱きしめられ、唇が母さんの鎖骨にぶつかる。顔を背けようにも頭を抱え込まれてしまい、身動きが取れない。


「もうちょっと。もうちょっとだけ」


 そう言われても。

 ここは絶賛営業中のお化け屋敷の中である。二人の時間はみんなの好意で実現しているのであって、いつまでも占領していいわけではない。


「ほう君、んちゅ、ほうくぅん、ちゅっ、ちゅっ」


 しかし、母さんの熱は高まる一方だ。甘えた声を出しながら、とうとう額に口付けを始めた。飼い主に溺愛され、すべてを諦めた猫の動画を見たことがあるが、今の僕は同じ顔をしているだろう。雨の湿気と体温で、巻きつけたトイレットペーパーがとうとう溶け始めた。


「あんたら何してんの?」


 流石に時間がかかり過ぎだと心配してくれたらしい。様子を見に来てくれた赤錆さん達が呆れ顔で立ち並んでいる。母親に愛でられる姿を晒すのは助かったと言えるか微妙な線だが、とにかくこの場は収まりそうだ。僕を夢中で撫で回す母さんの背中を軽く叩き、後ろを見るよう促す。


「……へっ」


 母さんはちらと赤錆さん達を一瞥すると、不適な笑みを浮かべ、再びくっついてきた。挑発ともとれる行動に反応した烏羽さんがのしのしと近づいて、母さんを引き剥がしにかかる。


「こ、のっ、離れろ、よっ」

「い、や、だぁっ」

「いだだだだ」


 前にもこういうことあったな。

 痛みに呻きながら嫌な既視感を覚えるが、前回と違って人数が多い。母さんの執念も数には敵わず、烏羽さんを筆頭としたパワータイプ集団に強引にひっぺがされる。


「いやぁっ、ほうくぅん! ……えっ?」


 今生の別れみたいな必死さだが、数メートルも離れていない。何事も大袈裟な母さんに苦笑しつつ、日常が戻ってきた実感にほっとする。心なしか肌の上を通る風も涼やかで、体中を締め付けていた鎖が解けたような不思議な解放感がある。


「……ん?」


 解放感。気持ち的な感覚のはずだが、本当に体が軽い。いくら悩みが解消したとはいえ、肌の感覚にまで影響を及ぼすものだろうか。

 なにか変だ。

 確かめるために、自分の体を見下ろす。


 そして、思い出した。

 雨の日の僕は、碌な目に遭わないということを。


「きゃああああ!!」


 トイレットペーパーが剥がれている。

 股下まで、ざっくりと。


 お化け屋敷は一瞬にして混乱の坩堝と化した。一度火が点いてしまえば、僕に止める手立てはない。何もかもを曝け出したまま、ぼんやりとみんなの顔を見回す。

 目を覆う者、叫ぶ者、涎を垂らし赤くなる者。

 同じ光景を目撃したのに、みんなの反応は様々だ。しかし、誰が正解というわけはなく、誰もが正解なのだろう。意思の数だけ正解はある。無数の答えの中から後悔しない選択をするには、自分で納得して決めることが大切なのだと思う。


「なっ、なに遠い目してるの!」

「はやく前隠せバカ!!」

「いいじゃないちょっとくらい。へえ、普段は結構ちっちゃいのね」

「なんかかわいい」

「あぁ!? うちのほう君はこんなもんじゃないし! 朝とかすっごいんだから! ほう君! こいつらに見せつけてやって!!」


 納得して決めるには、自分の意思を自覚しておく必要がある。だからこそ、今一度はっきりさせておこう。


 雨の日なんて大っ嫌いだ。


 綺麗な女の子達の血走った目に囲まれながら、自身の不幸と空を呪った。

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