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ペトリコールと怪女達  作者: カシノ
影の煩い

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63/77

063

 嘘は難しい。

 吐くのが難しいという訳じゃない。嘘で誤魔化すべきか、真実を打ち明けるべきかの判断が難しいということだ。

 あたしは我が身可愛さに、包介に嘘を吐いた。結果、濃墨にすべてを暴かれて、死にたくなるほど追い詰められた。包介に許されて、今はいい方向に進んでいるけど、もっと早くに打ち明けるべきだったと思う。

 青褐についても同じだ。あいつは結局隠しきれなくなって、生尻を晒す羽目になった。本人はスパンキングに悦んでたが、傍目からは代償を払っただけにしか見えない。

 嘘は吐くべきじゃない。けど、馬鹿正直に生きていけるほど現実は甘くない。

 たとえば、包介はモテる。そこら辺の女子より可愛い容姿に、紳士的な性格。包容力もあって、からかうと面白い。だから、私だけは良さに気づいてます、みたいな女が数人いて、あたしに牽制をかけてくることが何度かあった。

 そういう時、あたしは決まって内縁の妻を演じる。話しかけるのは自由だけどあたし達の関係は崩せないよ、っていう感じをビンビンに臭わせて早いうちから諦めさせる。実際の包介は、告白されたら誰が相手でも意識しちゃう初心な奴だけど、そこは絶対に悟らせなかった。

 濃墨が聞いたら卑怯者と蔑むだろう。けど、そうでもしないと包介の隣を守れなかった。頭が切れる訳でも素直になれる訳でもないあたしが生き残るには、嘘を駆使して立ち回るしかなかった。

 結局のところ、使い所が大切なのだと思う。嘘も方便、とことわざが示すとおり、嘘の利点は昔の人も認めていた。振り回されないよう責任を取れる範囲でなら、上手く生きていくためには必要だ。

 けど。いや、だからこそか。

 包介の母親を騙る女。あたしはそいつを許せない。


「赤錆」


 病院の受付ホールで待っていると、例の女に電話を掛けていた桑染が戻ってきた。


「どうだった?」

「だめ。全然出ない」


 成果なし。

 でも、手術を前にした包介をこれ以上混乱させたくない。真相を突き止めるには、包介の家の前を張っている烏羽達からの連絡を待って、本人を捕まえるしかないだろう。


「……でも、ほんとうなの?」

「なにが?」

「その、千影(ちかげ)さんが、包介くんの本物の母親じゃないって」


 間違いない。

 包介の母親、黒橡(くろつるばみ)陽依(ひより)の弁護を担当したのは、あたしのパパだ。パパと包介の父親は顔見知りで、直接依頼されたらしい。

 黒橡陽依が捕まったのは今から四年前。小学二年生にあたる頃だ。

 あたしが黒橡陽依の逮捕を知ったのは、包介が事故に遭ったあと。包介の父親が単身赴任で海外に飛び、一人で暮らすことになった包介を心配したパパとママの話をたまたま聞いてしまったからで、あたしの盗み聞きに気づいたパパは見た事ないくらいに怒って、絶対周りに漏らさないよう注意された。

 だから今日に至るまで、あたしは絶対に包介の母親の話も、父親の話もしなかった。その結果、こんなことになるとは思わなかったが。


「逆に聞くけど、その千影って女は実在すんのよね?」

「うん。直に会ってるし、話もした。妄想なんかじゃない」

「……だったらやっぱり、考えられる可能性は一つね」


 千影という女は母親を騙り、包介と一緒に暮らしている。普通なら突拍子もない空想だと笑い飛ばすところだけど、不可能じゃない。

 包介は事故で記憶が抜け落ちている。それも、人に関わる部分をごっそりと。そこには当然、家族も含まれていたはずなんだ。


そいつ(千影)は、包介の記憶障害を利用して母親になりすましてる」


 問題は、そいつになんのメリットがあるのか。

 最初に考えられるのは金銭目的。単身赴任中の父親から送られているであろう仕送りを、自分のものにしているという理屈。

 だけど千影という女は、日中は普通に働いて、桑染が見る限りでは贅沢もしていないという。服装は地味目で、車も中古の軽自動車らしい。

 では、身分を偽ること自体が目的なのか、と考えたが、それもおかしな話だ。女は黒橡陽依ではなく、千影と名乗っている。完璧に成り代わるつもりなら、名前だけ変え忘れるなんてミスは犯さない。

 それに、包介の父親は海外に単身赴任しているだけで、死んでなんかいない。いつ親が戻ってくるか分からない子供の一人暮らしに転がり込むなんて、そんなリスクの高い真似をするだろうか。


「あんたから見て、千影ってのは包介とどういう関係に見えた?」

「仲の良い親子、かな」

「本音で言いなさいよ。隣に引っ越して聞き耳立てるくらいだから、もっと詳しく話せるでしょ」

「うぇっ?! な、なんで知ってるの?」


 カマをかけたら簡単に引っかかった。まあ、桑染みたいな粘着質の女がわざわざ隣に引っ越したって考えれば誰でも想像はつくか。


「……ほんと言うとね、ちょっと距離が近いなって思ってた。隙あれば手を繋いでるし、抱っこしたり、いってらっしゃいのちゅうしようとしたり。あっ、あとね、ちょっと前くらいから、急に指輪を着け始めたの」

「指輪?」

「うん。今まで着けてなかったし、木製? の指輪だったから、珍しいなと思って聞いてみたの。そしたらすっごいうっとりした顔で、包介くんにプレゼントしてもらったって言うんだよ? あれ絶対──」

「もういい。わかった」


 千影という女の目的はよく分かった。


 奴は、包介を性的に狙っている。


 母親に成り代わって息子と致そうとするなんて、桑染も霞むほどの変態性だ。しかも包介は、奴にそれほど嫌悪感を抱いていない。年増のババアが中学生の純情に漬け込んで性欲を満たそうなんて、悍ましすぎて吐き気がする。


「状況は最悪ね。包介の貞操が危ない」

「それは飛躍しすぎじゃない? 千影さんも、えっちしようとまではしてないと思うけど」

「は? なに甘いこと言ってんの。あんただってチャンスあったら襲ってるでしょ」

「そ、そんなことしないもん!」

「なんにしても直接問い詰めないと。そのためにはもっと情報が必要ね」

「……うん。そこは賛成。でも、調べる方法なんてあるの?」


 考えはある。桑染をストーカー呼ばわりした手前、提案するのは気が引けるが。


「包介が前に住んでいた家。そこになら手掛かりが残ってるかもしれない」




 ◇◆◇




 あたしの家から徒歩十数分。高級住宅地に建つ、塀の高い一軒家。


「あった」


 随分前の記憶だから道順に自信はなかったけど無事に辿り着けた。表札も黒橡のままだし、ここで間違いない。


「表札がそのままっておかしくないかな。随分前に引っ越してるのに」

「普通はね。でも、この場合は」


 おかしくない。むしろ、奴の罪を示す証拠の一つになる。


「前の家は引き払うのが普通。それか、誰かに貸し出すとかね。それをしなかったってことは、家主の父親は包介の引っ越しを知らないってこと」

「千影さんが包介くんを連れて勝手に引っ越した?」

「そういうこと。後ろ暗い理由があるのは確定したわね」


 やましいことがなければ秘密になんてしない。奴への疑惑は深まるばかりだ。

 でも、疑惑は疑惑だ。包介の父親にお願いされて自分の家で預かっていたとでも言われれば、その場で問い詰める材料はなくなる。言い逃れのでまかせはいくらでも思いつく。

 青褐の日記のような致命的な証拠が残ってればいいんだけど。

 とにかく侵入する方法を考えないと、と家に視線を戻す。


「は!?」


 桑染がすでに敷地に侵入していた。

 こいつ、警備会社がついてる可能性とか、周りに見られたらどうしようとか気にしないのか。

 当たり前みたいな顔で玄関扉をガチャガチャ動かす桑染を怒鳴りつけそうになるが、今は喧嘩している場合じゃない。溜め息にすべての感情を込めて吐き出して、気持ちをギリギリで抑えつける。


「開かない」

「当たり前でしょ。別の方法を考えないと。……まさか、ピッキングするとか言い出さないわよね」

「道具があればできるかもだけど。それよりは二階の方が狙い目かな」

「二階?」


 桑染の指さした方を見上げる。

 たしかにベランダはあるが、手摺壁が高めに作られていて中の様子は分からない。


「油断してかけ忘れる人多いし、もしかしたら開いてるかも」

「開いてたとしてなんだっていうのよ。壁も高いし、脚立持ってきたくらいじゃどうにもならないわよ」

「あのくらいなら跳べるよ」


 桑染は平然と言ってのけ、塀の上に指をかけた。

 まさか、飛び移る気だろうか。

 絶対無理だ。二メートル近い塀を登るだけでもひと苦労なのに、そこからベランダまで跳ぶなんて、どう考えても怪我をする。


「危ないからやめなさい!」

「え? 大丈夫だよ」


 あたしの注意を無視して、桑染はひと息で塀の上に飛び乗った。それから、細い足場でダンスでもするみたいに軽やかなターンを決めてベランダに向き直ると、両足を揃えて腕を振る。


「えいっ」


 百九十センチの巨体が宙を飛んだ。

 重力を感じさせない綺麗なフォーム。長い手足が悠々と空を掻く。桑染は吸い付くように手摺壁を掴み、勢いそのままに乗り越えてベランダに着地した。


「……うそでしょ」


 イカれた奴だとは思っていたけど、フィジカルもやばいなんて。運動神経抜群のクソデカストーカーって、字面だけでも怖すぎる。


「あっ、開いてたよ。やったぁ。玄関開けてくるからちょっと待ってて」


 そんなあたしの内心は梅雨知らず、桑染は堂々と空き巣成功の報告をして呑気に手を振ってくる。大型犬みたいな朗らかな笑顔を見ていると、突っ込む気力も失せてきた。


「……はあ。気をつけてね」

「はーい」


 桑染の姿が引っ込んだ。ほどなくして家の中からドタドタと騒がしい足音が聞こえ、ガチャンと玄関扉が開かれる。


「おまたせ」

「おつかれさま。で、中の様子は?」

「埃積もってた。人が住んでる感じはないかな。でも、電気は通ってた」


 契約を解除して勝手な転居を知られるのを嫌ったのか。包介の金に小うるさい様子と贅沢を嫌う生活状況からして、無人の家なんて不良債権を放置するはずがない。ここの維持費と自分たちの生活費を分けているのは確実で、それでも支払いが続いているということは、包介の父親は未だこの異常事態に気が付いていないということか。


「……なんにしても、見てみないことには進まないか」


 深呼吸してから、開かれた玄関扉の先を見据える。

 真っ直ぐに伸びる薄暗い廊下は、真実へと続く道にも、人を飲み込む化け物の食道にも見えた。




 ◆◇◆




 家の中は気味が悪いほど整然としていた。

 桑染の言うとおり埃を被ってはいるが、家具や家電製品のデザインに統一性があり、どの角度から見ても出っ張らないようきっちり配置されている。


「わたしの家に似てる」

「あんたの部屋もこんなに生活感ないわけ? あんま想像つかないけど」

「ううん。そうじゃなくて、わたしが子供のときの話。わたしの母親もこんな風に、他人に見せて自慢するための部屋作りにこだわってた」


 誰かに良く見られることだけを意識したハリボテの家。

 本当に包介はここで生活していたのだろうか。昔の包介の、誰にでもよく思われようとする機械的な振る舞いを思い出して、背筋がぞわりと震える。


「ここを探しても何も出てこないと思う。包介くんの部屋さがそう」

「……そうね。子供部屋は二階みたい」


 階段はリビングに備え付けられている。二階の部屋数は三つ、横並び。吹き抜け構造のせいで下から丸見えだ。実際に暮らすならプライバシーが気になるところだけど、見栄えはいい。このあたりも人に見せることを意識したのだろうか。

 デザイン面を重視した手すりのない階段を上る。

 三つの部屋の扉に表札はない。とりあえずは階段から一番近い、向かって左側の部屋に入ってみることにする。


「ここは──」

「多分、千影さんの部屋だね」


 リビングに比べて物が多い。ベッドや化粧台といった家具の他に、布団や衣類といった持ち出しやすい物までそのままだ。


「家具も服も持っていかなかったのね。まだ全然使えるのに」

「昔の物って記憶を戻すきっかけになったりするでしょ? 千影さんはそういうのを嫌ったのかも」


 周到な奴。

 目についた棚の引き出しを開けてみるが女物の下着が入っているだけで、千影の正体には繋がらない。ひと通り探ってみたが結局、女が生活していたということ以外に分かることはなかった。


「次の部屋いこ」

「うん」


 廊下に出て、隣の部屋の戸を開ける。今度は千影の部屋よりも更に物が多かった。

 散らかっているわけではないが、本棚の数が多いからそう見えるのか。部屋全体が暗い木目調で統一されているので、大人っぽい印象を受けるのと同時に上から見下ろされているような圧迫感を覚える。


「お父さんの部屋かな」

「違う。これ見て」


 入ってすぐにクローゼットに直行した桑染が男物のパンツを広げている。

 灰色の無地のボクサーパンツだ。子供が履くには大人しいデザインだけど、サイズが明らかに小さい。包介のもので間違いないだろう。


「男の人のパンツってこんな感じなんだ。わたし達とそんなに違わないんだね」

「そりゃそうよ。男も女も足は二本なんだから」

「そうかもしれないけど……男の人のパンツを見る機会なんてなかったから。赤錆は見たことあるの?」

「あんただってこの前の旅行で見たでしょ。包介のバックの中、確認しなかったの?」


 あとは中学に上がったときに、うちで制服に着替えさせたときくらいか。

 思い返せば、包介を脱がせる機会はそんなにない。烏羽との稽古というちょうどいい口実もあるし、今後は包介自身の露出を増やす方法も考えておこう。


「……わたしばっかり言われてるけど、赤錆も相当だよね」

「は?」

「それより何か残ってないか探してみよう。千影さんの部屋よりも物が多いから、きっと手掛かりが見つかるはず」


 釈然としないが、言い争っている場合ではないのは確かだ。気を取り直して本棚に向き直る。

 ラインナップは、参考書、辞典、図鑑、小説。児童文学や漫画の類は見当たらない。

 小説の内容はどうだろうか。てきとうな一つを手に取り、パラパラと捲ってみる。多分ミステリーだ。その隣と隣も抜き出してみるが、サスペンス、純文学のような小難しい内容ばかりで、ジャンルにまとまりがない。作者も全部別みたいだし、包介は何を思ってこの本を選んだんだろうか。


「これ全部、賞とったやつだ」


 隣に立っていた桑染が、ボソリと呟く。


「直木賞とか芥川賞とか。有名な小説ばっかり」

「へえ。じゃあ、ハズレのないやつだけ選んでたってことなのかな」

「そうかもしれないけど……でも、小学校低学年が読んで面白い内容じゃないよ。それに、これだけ読んでたら自分の好みにも気がつくはずなのに、受賞した小説だけ選び続けるのはおかしい。話題作りのために無理やり読まされてるみたい」


 そう言われると、この個性のない本棚がうそ寒く思えてくる。下の方に詰め込まれた平仮名表紙の辞典と図鑑が辛うじて小学生らしさを演じているが、一度気づいてしまうと上っ面を取り繕ったようにしか見えない。


「……本棚からは何も読み取れないわね。机の中は? 日記でも残ってればいいんだけど」

「上の段は筆記用具だけだった。下の段には何かありそうだけど、鍵がかかってる」


 四桁のダイヤル式。学習机にしては珍しい。とりあえず、包介の誕生日に数字に合わせてみる。


「開かないわね」

「そ、それじゃあ、0731でやってみて」

「は? なにその数字」

「いいからやってみて」


 こいつ、自分の誕生日で試そうとしてるな。

 無駄と分かりつつも合わせてみる。案の定、鍵は開かなかった。

 あからさまに肩を落とす桑染を鼻で笑う。


「まだまだ浅いわね」

「……赤錆も試してみなよ」

「ふん。試す必要もない。こういうとき包介は大抵、全部0を使うはず──ほら開いた」


 包介への理解度で、あたしが負けるはずない。悔しそうに歯噛みする桑染を無視して、机の中を検める。


「うわ」


 ノートがぎっしり詰まっていた。

 薄青の背表紙のシンプルな大学ノートだ。でも、引き出しいっぱいにすし詰めにされていると、ちょっと気持ち悪い。

 細い背表紙にタイトルが書いているわけでもない。使う側も区別ができないのではと思ったが、よく見ると小さく仕切りが飛び出している。

 手前から順番に、生活、会話、社交会。

 なんの意味があるかは分からないが、とりあえず会話のグループから一冊取り出して開いてみる。


「……なによ、これ」


 常に微笑んでおくこと。

 敬語で対応すること。

 目を合わせ、逸らさないこと。

 両足を揃え、両手は右を前にして臍から拳一つ分下の位置で組んでおくこと。

 趣味は読書とし、感想を求められた際は概要を十秒以内で述べること。

 回答を求められたときのみ発言すること。

 意見を求められた場合、相手を否定しないこと。

 家庭環境への質問は、首を左に三十度傾けながら微笑み、回答を避けること。

 七文字につき一秒で発音すること。(英語の場合、この限りでない)

 歯を見せて笑わないこと。

 親の年収が四百万以下もしくはひとり親(死別の場合を除く)である場合、発声はせず、相槌で対応すること。


 次も、その次のページも、箇条書きの項目が延々と続いている。

 昔の包介の、行動の規範。

 そのすべてが、このノートに記されていた。

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