061
秋になった。
昨今は温暖化の影響か、春と秋がなくなると騒がれているが、僕みたいな楽観主義者にしてみれば季節の月が一つずれただけのように思える。
その自説に基けば9月は夏の範疇で、秋と呼ぶには暑すぎる季節ではあるが、それでも世間は秋色に姿を変えていく。
読書。食欲。紅葉狩り。
中でも、学生にとって一番の行事といえば、やはりこれだろう。
「それでは、文化祭の出し物を決めます。委員長、後はお任せします」
「は、はい」
がちがちの委員長が前に出る。
小学生と中学生の違いを象徴する行事だ。緊張してしまうのも無理はない。委員長は僕達を見回し、ひとつ咳払いすると、自分を鼓舞するように背筋を伸ばす。
「それじゃあ、文化祭の出し物を決めたいと思います。案がある人は手を挙げてください」
みんな思い描くものはあるはずだ。しかし、最初の一人になるのは、思春期の僕等には難しい。
互いの顔色を窺う時間が続く。
「では、先生から一つ提案が」
まさかの人から手が挙がった。
青褐先生はクラス中の視線を集めて、自信満々に立ち上がる。
「執事喫茶はどうでしょう。いつもと違う恰好で、お世話になっている先生、友達を招いて、心を込めておもてなしをする。素敵なことではないですか。給仕は女性の役割という前時代的な発想からの脱却も図られます。ああもちろん、女子がやっても問題ありませんよ。まあ、男子には必ずやってもらいますが。メニューはシンプルにパンケーキセットなどいかがでしょう。それなら包介さ──いえ、みなさんも作れますね。調理とホールは交代制にして、お気に入りの人を指名する形で」
「あの、先生」
「はい。なんでしょう」
「飲食は許可が下りていないって言ってませんでした?」
委員長の指摘に、先生が止まった。
「……たとえばの話です。これくらいまとまりがない案でも構いませんので、皆さんどんどん発言していきましょう」
まとまりがないと言うわりには、熱が込もっていた気がする。
とはいえ、おかげで教室の雰囲気が和らいだ。生徒側からもちらほとらと手が挙がり、黒板に意見が書き連ねられていく。
お化け屋敷。縁日。自主作成映画。変わり種でコスプレ撮影会なんてものもある。風営法的に許されるのだろうか。
「大体挙がったみたいだし、そろそろ投票してもらおうかな。紙配るから黒板の案から一つ選んで出してください」
配られた紙切れの前で考えていると、隣の席の烏羽さんに脇腹を突かれる。
「なあ。ホースケはどれがいいと思う?」
「お化け屋敷にしようと思ってた。定番だし」
「えー? 壁とか道作るのって大変そうじゃね?」
「学校の出し物だし、衝立に暗幕掛けるくらいでいいんじゃないかな。お化け役の人の恰好に時間かければ、コスプレ撮影会? の代替にもなると思うし」
「それはいいですね」
「うわっ」
いつの間にか青褐先生が目の前に迫っていた。投票の静かな時間に話していたから目立ってしまったみたいだ。
首を竦めて叱責を待つが、先生は突然、真顔で拍手をし始める。
「素晴らしい。ひとつの案にこだわらず、他の案を尊重する姿勢。特に、日の目の当たらなそうなコスプレ撮影会を見捨てないところが素晴らしい。コスプレを兼ねたお化け屋敷、良いではありませんか。先生も賛成です」
「あの、クラスの投票ですから。みんなの意見を誘導するようなことを大声で話すのは」
「生徒の良いところを褒めるのが教師です。何が悪いんですか」
「……はい」
「楽しみですね。包介さんはヴァンパイアとかどうでしょう。きっとお似合いですよ」
言いたいだけ言って満足した青褐先生は、軽い足取りで教壇に戻っていく。労わるように肩を撫でる烏羽さんの手つきが、ただありがたかった。
◇◆◇
結局、出し物はお化け屋敷兼コスプレ撮影会に決定した。
お化け屋敷自体は薄暗い迷路程度に留め、お化け役の仮装に力を入れる。お客さんが気に入ったお化けがいれば、出口で一緒に写真を撮れるサービスを提供する、というものだ。
回転率が著しく低いので商業的にあり得ないし、そもそもお化け役の人気ありきで成り立つ出し物なので、上手くいかない予感がするが、所詮は中学一年生の出し物だ。結果がどうであれ形さえ出来上がれば、良い思い出に昇華できる。
そういう訳で、僕達は今まさにお化け屋敷の作成に勤しんでいた。
「なあ包介。これ似合ってる?」
ダンボールを墓石色に塗っていると、上から声をかけられる。
顔を向けると、燕尾服に身を包む日焼けしたドラキュラ、もとい醤君が立っていた。
「かっこいいよ。でも、ドラキュラが日焼けしてるって設定的にどうなんだろう」
「な。俺もそう言ったんだけど、俺様系ヴァンパイアがどうとか言われて全然聞いてもらえなかった」
話し合いの結果、室内の装飾は男子が担当し、お化けの配役と服飾は女子の役目になった。
お化け屋敷の方針としては、日本の墓地ということで摺り合わせたはずだが、早速齟齬が生じているようだ。しかし、女子に意見する勇気を持つ者はおらず、男子は彼女らの意思に従うしかない。お化け屋敷の要素はほとんど残らないだろう。
「それでお前は? もう何の恰好するか決まった?」
「まだ。青褐先生が配役決めに混ざったせいで、全然決まらないみたい」
「……まあ、がんばれよ。それより、一組の出し物聞いたか?」
「縁日やるんだっけ。ヨーヨー釣りとか射的とか。あと、みんな浴衣着て接客するんだって」
「あ、あれ、マジなのかよ」
「本当じゃない? 赤錆さんから直接聞いたし」
他愛のない世間話のつもりだったが、何に衝撃を受けたのか、醤君の顔はみるみるうちに青くなる。
「嘘だろ……俺、まだ美咲の浴衣見たことないんだぞ」
「今日、試しに着てみるらしいよ」
「お、俺、ちょっと行ってくる!」
醤君は勢いよく教室を飛び出した。元気に走り去る背中にドラキュラの面影はないが、誰も気にしていないだろう。
「さてと」
ひと息ついて、やりかけの墓石作りを再開する。ダンボールに色を塗って組み立てるだけの地味な作業ではあるが、無心でできるので性に合っている。これが完成すれば僕の担当分は終わりなので、また委員長に仕事を貰いに行こう。
「おい! 包介!」
黙々と作業を進めていると、急に肩を揺さぶられた。
今度は誰だ。
仕方なしに振り返ると、玄君と松葉鼠君が鼻息を荒くしている。
「墓なんか作ってる場合じゃねえって!」
「烏羽がめっちゃエロいカッコしてる!」
「えっ」
反射的に立ち上がり、烏羽さんの姿を探す。
外の様子が騒がしい。急いで教室から出ると、モーセの海割りの如く、廊下の左右に並ぶ人垣の中央を悠々と歩く烏羽さんが見えた。向こうも僕に気がついたようで、大きく手を振りながら近づいてくる。
「おう。内装はどんな感じだ?」
犬の耳が付いている。それだけでも充分に刺激的だが、服装は更に上をいく。
さらしの上に毛皮のベストを羽織っただけの上半身。締め付けられた大きな胸は縦一文字の深い谷間を作り、その下では六つに盛り上がった腹筋が惜しげもなく曝されている。
「狼男だってよ。しっぽが邪魔くさくってさ」
烏羽さんは後ろを向き、無防備に腰を揺らす。短いズボンの腰回りに差し込んだモップみたいな尻尾が振れるが、そんなことよりも、ぱつぱつのお尻から目が離せない。
「ホースケ?」
「……え? なに?」
「いや、さっきからずっと見てるからさ。やっぱこのカッコ変か?」
「変っていうか、その……」
「あ゛? はっきり言えよ」
烏羽さんは周りの男子の視線に気がついていないのだろうか。女子中学生の恰好にしては派手すぎやしないか。
いや、建前はやめよう。
僕は、烏羽さんが男子から邪な目で見られるのが気に食わないのだ。
「おっ、どうした」
気がついたら、烏羽さんの手を引いていた。後ろから謎の歓声が上がるが、反応したら負けだ。窓際の柱の陰まで連れて行き、覆い被さるように壁に手をつく。
「なんだよ」
「……その恰好、辞めた方がいいと思う」
「似合ってないって言いたいのか」
「違う。その、露出が多いから」
独占欲が丸出しだ。自分でも顔が熱くなっていくのが分かる。
遠回しに伝えてはみたものの、烏羽さんにはばれてしまった。訝しげな表情から一転、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。
「へへ。ホースケはアタシが他の奴らに見られるのが嫌なのか」
「……お腹出してたら風邪引くってことだよ」
「そういうことにしといてやるよ」
お姉さんぶって頭を撫でられた。全部見透かされて恥ずかしいことこの上ないが、本番ではもっと丈の長い服を着てくれるはずだ。
言いたいことは言ったので、早いところ退散しようと踵を返す。
「あ。待てよ」
後ろから抱きつかれた。さらしで締めてなお柔らかい感触に、理性が持っていかれそうになる。
「着替え、家庭科室に置いてあるんだ。そこまで連れてってくれよ」
「ひ、一人で行けばいいだろ」
「んー? アタシが他の男に見られてもいいのかー?」
ぐいと引き寄せられ、更に密着する。首筋が幸せなふかふかに包まれて膝の力が抜けた。
まともに歩けない男が一人。それなりの重量はあるが、烏羽さんは僕を抱きしめたまま、ずんずん前に進んでいく。小さい子供を連れて行くみたいな構図に生徒達は笑いながら通り過ぎていくが、反論したくとも逞しい柔らかさのせいで全然思考が纏まらない。
「階段だぞ。気をつけろよ」
そうこうしているうちに、一階に繋がる階段に到達した。
二人羽織の体勢で階段を降りるのは危ないが、烏羽さんは僕を放す気はないみたいだ。下手に抵抗するよりは、彼女に身を任せた方が安全だろう。
すけべ心を誤魔化す言い訳を思い浮かべながら烏羽さんに体重を預け、一段ずつ階段を降りている最中の出来事である。
「待ちなさい!」
舞台役者のような張りのある声。
振り返って階上を見上げると、逆光に照らされたシルエットが仁王立ちしている。
「狼女よ! その少年を放しなさい!」
青色のサーコート。上腕を覆う長いグローブに、茶革のブーツ。腰に提げた長剣は玩具に見えない重厚感を放っている。
中世の騎士となった青褐先生が、そこにいた。
「……なんだあれ」
烏羽さんが冷めた口調で呟くが、自分の世界に入り込んだ先生には聞こえない。先生は勢いよく剣を抜き放ち、切先を烏羽さんに突きつける。
「もう一度言うぞ雌犬! 今すぐ包介さんを解放しろ!」
「チッ。うるせぇ騎士サマだな。そんなに欲しけりゃ、力づくでやってみな」
「貴様ぁ……!」
なんか始まったぞ。
役に成り切っている青褐先生と、単純に苛ついている烏羽さんで温度差はあるが、奇跡的に会話が噛み合っている。コスプレした女性二人が争う様子に、野次馬の数も十では収まらないほど膨れてきた。
早めになんとかしなければ。しかし、烏羽さんが先生を挑発するように抱き締める力を強くするものだから、僕の情緒もそれどころではない。
「かかってこいよ。ケツデカ女」
「チェリャアァァァ!!」
先生が薩摩藩士の如き雄叫びを上げた。剣を上段に構え、一足跳びに階段を駆け降りる。
「ア!?」
まずい。踏み外した。
先生の上体が立て直せないほど大きく傾く。
「先生!」
咄嗟に烏羽さんを振り払い、体が前に出る。重力に従って胸に飛び込んできた先生を抱き留めるが、支えきれない。一緒になって階段に倒れ込む。
体中の筋肉に力を込めて、覚悟を決める。
ごん。
ごん。
ごん。
連続する背中への衝撃。脳味噌が揺れる。
意識が飛びそうだが、先生の体は決して放さない。
ごつん。
一際大きな衝撃が骨を震わせ、ようやく止まった。
全身が痺れるほど痛いが、息はできる。死にはしない。
「──さん! 包介さん!」
段々と聴覚がはっきりしてきた。ぶれていた視界も調子を取り戻し、青褐先生の顔に焦点が合う。
「包介さん! しっかりしてください!」
泣いている。先生の涙を見るのは何度目になるか。
とりあえず体を起こそうとしたが、指の先が痙攣するだけで背中は持ち上がらない。回復するまで、もうしばらくじっとしているしかないだろう。
青褐先生の泣き顔を見上げていると、烏羽さんが傍に屈んだ。
「ホースケ。ちょっと触るぞ」
彼女は神妙な面持ちで、肩から順に僕の体を触診していく。
肩。腕。脇腹。腰。太腿。脹脛。足首。
「いぎっ!?」
烏羽さんの手が足の甲に触れた瞬間、釘を刺されたみたいな鋭い痛みが走った。耐えられずに漏れた悲鳴を聞いて、青褐先生の涙が一層酷くなる。
「は、はやく保健室に」
「駄目だ。動かすな」
「なんで!」
烏羽さんは先生を冷静に諭すと、もう一度、僕の足にそっと触れる。
痛い。体中の打ち身とは別種の痛みだ。
烏羽さんは足と僕の顔を見比べて、眉間に皺を寄せながら深く息を吐く。
「折れてる。病院に連れて行こう」




