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ペトリコールと怪女達  作者: カシノ
旅館バイト

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056

 二日目の朝。

 僕の仕事は離れの清掃業務が主である。

 掃いたり拭いたり、布団を干したり。日常的に行なっている作業なので、手順に違いはあれど戸惑うことはない。作業場は離れに限定されているし、今ここに宿泊しているのは僕達しかいないので、時間制限は厳しくなく、来客対応とも無縁だ。自分で泊まるところを自分で掃除しているだけと言えば、仕事という実感は湧かないけれど、中学生に任されられる範囲を考えればこの辺りが落とし所なのだろう。

 二泊三日、実働日数に直せばたった一日の就業で宿泊費用を賄えるはずはないが、そこはおつのさんの好意にめいいっぱい甘えさせてもらうことにした。


「ふう」


 玄関をあらかた掃き終わり、次は庭の掃除に移ろうと背中を伸ばしたところで、僕達の泊まる部屋の戸が目に入る。


 昨日はあそこで、みんなと一緒に寝たんだよな。


 戸を見るだけで昨夜の様子を思い出してしまい、ぼうっと頭が熱くなる。

 赤錆さんが宣言したとおり、不健全な接触はなかった。烏羽さんが謎のプロレス技を掛けようとしたときも、気が昂った桑染さんが抱きついてこようとしたときも、赤錆さんと濃墨先輩が二人を完璧に抑えて適切な距離を保ち続けた。部屋風呂なんて危険極まりない造りでも、女性陣はきっちり脱衣場で着替えを済ませたし、布団も僕だけ少し離して敷いてもらった。一夜で結論付けるのはまだ早いが、学生らしい合宿を送れていると思う。

 けれども。

 畳に横たえた素足だとか、湯上がりで熱った首筋だとか、通り際に香るシャンプーの匂いだとか、暗闇の中で聞こえる衣擦れの音だとか。

 男女同部屋というだけで、刺激は満ちに満ちている。触れはせずともその他の感覚がばきばきに研ぎ澄まされ、普段と違う彼女達に気がつくたび、僕の心は大きく跳ねる。


「駄目だ」


 こんな浮ついた気持ちでは駄目だ。

 仕事が手につかないし、何より今夜を乗り切る自信がなくなる。箒を握る手に力を入れて、邪念ごと吹き散らすように土埃を掃く。


「朝から頑張ってるわね。感心感心」


 不純な動機で箒を振るっていると、赤錆さんに声をかけられた。

 壁に寄りかかる彼女は、起きたばかりのはずだが寝癖はなく、パジャマ代わりのTシャツにも皺一つない。


「今日はどうするの? 一日中掃除?」

「うん。折角教えてもらったから、一日くらいは一人でやらないと」

「ふーん。真面目ちゃんね。みんなで沢まで行こうと思ってたのに」

「沢?」

「そ。近くの山のちょっと登ったとこに大きめの沢があるんだって」

「危なくないかな。溺れたりとか、熊が出るかもしれないし」

「危ないと思ったら入らないから安心して。動物が出るほど奥にいくつもりもないし。仮に出会しても、熊みたいな保護者がいるから大丈夫でしょ」


 赤錆さんが顎をしゃくった先を振り返ると、いつの間にか桑染さんが立っていた。

 彼女の方は正しく寝起きという印象で、綺麗な金髪はあちこちが跳ね上がり、寝汗由来の湿った熱気を纏っている。


「……おはよう」

「おはようございます。よく眠れました?」

「……うん」


 まだ完全には覚醒していないらしい。目蓋は半開きで、体はゆらゆらと落ち着きがない。

 あと、近い。

 もともと距離感の近い桑染さんだが、今朝はいつにも増して近い。先ほどから鼻先が彼女の豊満な胸を掠めている。布団に篭っていたのだろう、女の子の匂いがむんむんと漂ってきて、押し込めたはずの邪念が静かに頭を持ち上げる。


「包介くんは一緒に行けないの?」

「え? あっ、はい。仕事があるので」

「ぶう。つまんない。それじゃあわたしも残ろうかなぁ」

「あんたは保護者でしょ。ちゃんとついてきなさい」


 玄関でまごついていると、烏羽さんと濃墨先輩も起きてきた。

 烏羽さんは桑染さんに負けず劣らずの寝起きぶりだが、濃墨先輩はすでに身嗜みを整えている。流石の品格だ。


「おはようさん。朝から元気だな」

「包介ちゃんの邪魔をしては駄目よ」


 そう言いつつも、二人はぎゅっと距離を詰めてきた。すれすれのところで触れてはいないが、四方を女の子達に囲まれ逃げ場がない。

 箒を抱き締めて固まる僕を他所に、彼女達は談笑を始める。


「二人とも聞いてよ。包介くん、一緒に遊び行けないんだって。わたし、楽しみにしてたのに」

「あー……仕事だし、しょうがねえよな」

「でもさ、せっかくの旅行でしょ。おつのさんに頼んだら時間空けてもらえるんじゃない?」

「そうね。相談だけでもしてみましょうか」


 僕のことなのに僕抜きで話が進んでいる。

 割り込もうにも四人は代わる代わる発言するので、意見する隙が見つからない。


「あら。みんなで集まってどうしたの?」


 測ったようなタイミングでおつのさんがやって来た。説明のために前に出ようとするが桑染さんに腕を絡められ、驚いているうちに濃墨先輩に立ち位置を奪われる。

 昨日会ったばかりとは思えない連携だ。頭の良い二人だから、目的が合えば協働も容易いといったところか。

 何にしても僕が入り込む余地はなくなったので、濃墨先輩とおつのさんの話が終わるのを待つ。


「──ということでして、午前中は包介ちゃんを貸して頂きたいのですけれど」

「事情は分かったわ。包介クン、みんなと一緒に遊んできなさい」

「え? でも」

「一日八時間以上の勤務は労基法で禁止されているの。昨日みたいに夜に配膳のお手伝いもして欲しかったし、お仕事はお昼からにします。それまではみんなで遊んでらっしゃい」




 ◇◆◇




 赤錆さんの事前調べのとおり、数分登ったところで山間の沢に辿り着いた。

 低い位置にある割に大きい沢で、水位も僕の脹脛くらいまである。流れる水は清廉としていて、勢いは緩やかだが正しく渓流といった外観だ。

 宿泊施設近くのレジャースポットとして人気のありそうな場所である。しかし、僕等の他に生き物の気配はなく、手入れされた様子もない。登山口に看板もなかったので、以前から管理はしていなかったのだろう。


「泳げはしないな」


 腰に手を当てた烏羽さんが平坦な声で呟く。表情には出していないが、ちょっぴり不満そうだ。


「監視員がいないとこで泳げるわけないでしょ。水に浸かれるだけありがたく思いなさい」

「へいへい」


 赤錆さんの説教に気のない返事をしながら、烏羽さんはリュックサックを下ろす。

 そして彼女は、自らの上着のチャックに指をかけ、勢いよく引き下した。


「うわぁ!」

「あ? なんだよ」


 同い年の女の子が突然服を脱ぎ始めたら、誰だって驚く。

 慌てて顔を背けたが、一瞬過ぎった肌色が網膜に焼き付いて離れない。沢のせせらぎや緑の癒しを度外視した衝撃が、心臓をばくばくと脈動させている。


「へへ。なあに照れてんだよ」


 肩を組まれた。

 きっと無意識なのだろうが、やわっこい塊が腕に当たっている。豊満でありながら形はしっかり固定されていて、つるつるした固さが張り付いてくる。


「ん?」


 つるつるとした固い感触。素肌ではありえない。

 恐る恐る目蓋を開く。


「下に水着きてきたんだ」


 烏羽さんは水着を着ていた。

 無地の紺色で露出の激しくない、学校指定の水着である。うちの中学にプール授業はないから、小学生の頃に購入したものだろう。


「ふふ。裸だと思ったの?」


 赤錆さんが僕の顔を覗き込みながら笑い掛けてくる。取り繕うには派手に反応しすぎたので、素直に認めるしかない。


「烏羽さんならやりかねないかなって」

「……たしかに、ありえるわね」

「ア、アタシをなんだと思ってんだ!」


 ぶんぶん腕を振る烏羽さんから逃げていると、沢のほとりに佇む濃墨先輩が見えた。

 長めのスカートに薄手のシャツと、前にショッピングモールで会った時より親しみやすい服装だ。先輩は僕の視線に気がつくと、恥ずかしそうにリボン付きの麦わら帽子を被り直し、それから静かにスカートを下ろし始めた。

 水着だ。いかがわしいものじゃない。

 烏羽さんで失態を犯したばかりだろう。ここで目を逸らせば、邪な想いを認めたことになってしまう。そういう使命感から、濃墨先輩の動向をじっと凝視する。

 長いスカートがすりすりと下ろされ、露わになる白い太もも。白塗りの日本人形のように清らかな肌は、夏の陽射しの下であっても輝いて見える。

 肌と同じく、水着も染みひとつない白色だ。上下が一体になっていて、形は烏羽さんの着る学校指定の水着に近いが、彼女のものより鼠蹊部の角度が急で、足の付け根まではっきり見える。

 大人の水着だ。

 シャツを脱ぎ去ると、側面の穴空きや、ざっくりと晒された背中が明らかになり、すらりとした肢体が強調される。年上に見られることを気にする先輩には言い難いが、妙齢の奥ゆかしさと大胆さを兼ね備えた水着は、先輩によく似合っていた。

 脱いだ服を綺麗に畳んでトートバッグにしまった先輩は、麦わら帽子で顔を隠したまま、つかつかと近寄ってくる。


「……そんなに見られると恥ずかしいわ」


 流石に見過ぎた。

 顔を赤くしながらも眼差しは冷たく、僕は愛想笑いで誤魔化すことしかできない。猪を前にした慎重さで後ずさるが、背後に控えていた赤錆さんと烏羽さんに両肩を掴まれて押し戻される。


「ふん。鼻の下伸ばしちゃって」

「の、のびてないです」

「伸びてたぞ」

「ええ……」

「いやらしい。包介って背の高い女好きよね。あたしみたいなちんちくりん、興味ないんでしょ」

「そんなことないよ。赤錆さん、滅茶苦茶かわいいもの。いつだって興味津々さ」


 言って、軟派な発言だったと後悔するが、一度吐いた言葉を飲み込めはしない。烏羽さんの白けた目も、濃墨先輩の深い溜め息も、気づいていないふりでやり過ごす。


「ふざけるな」

「はい」


 やり過ごせなかった。赤錆さんからの直球の罵倒を真摯に受け止める。


「そういうのはもっと、ちゃんと言って」

「うん」

「ちゃんと言ってくれたら、あたしも嬉しいんだから。ほら、やり直し」

「え? もう一回言うの?」

「そうよ。早くして」

「わ、分かったよ。ええっと、その、僕は」

「ぼくは?」

「……赤錆さんのこと、すごく可愛いと思う。だから水着も見てみたいです」

「ふーん、そうなんだ。あたしの水着みたいんだ。ふーん」


 言わされた感がすごい。けれど、嘘は言っていない。

 上手に転がされて悔しく思う一方、いつもどおりのやり取りが、どことなく心地良い。


「そんなに見たいなら仕方ないわね。あたしも脱いじゃお」


 言うが早いか、赤錆さんはトレーナーを躊躇なく捲り上げた。

 健康的なお腹と、胸に布を巻いただけみたいな深紅の水着が現れる。紺、白の次だからだろうか、情熱的な色遣いは怪しい魅力を漂わせ、子供らしいはずの平坦な胸元から目が離せない。


「はしたないわ」

「いいでしょ、夏なんだから。濃墨ももっと派手なのにすればよかったのに。包介もおなか見えてる方が好きだよね?」

「え?」

「え、じゃないよ。そうだ。せっかくだから、誰の水着が一番か選んでよ」


 惚けているうちに、話が変な方向に進んでいた。赤錆さんは烏羽さんと濃墨先輩の手を握り、強引に横並びになる。


「ね。どの子が好み?」


 並んだ三人の水着の女の子から、一番好みの子を選ぶ。

 なんだそれは。石油王の遊びじゃないんだぞ。

 しかし、赤錆さんはすっかりその気のようで、にこにこ笑いながら僕の答えを待っている。乗り気でないはずの烏羽さんと濃墨先輩も控えめにこちらの様子を窺うだけで、赤錆さんの手を振り解こうとはしない。

 本当に答えなければならないのか。そもそも、僕に選ぶ権利はあるのか。何をどうしようが修羅場になる未来が想像できる。

 けれど、体は正直で。

 意思を込めて首を背けたつもりが、眼球だけがちらちらと彼女達の方を向いてしまう。

 外見の魅力を存分に押し出した濃墨先輩。

 無邪気さと妖艶さを調和させた赤錆さん。

 だが、こうして並ばれると、烏羽さんの水着姿が一際目を惹く。

 小学校時代の水着を無理に着ているからか至る所がぱつぱつで、鍛えた肉体に食い込んでいる。露出が少ない分、却って肉感の主張が激しく、飾り気のない水着とがっしりした体格の対比が、胸の奥にあるよくない感情を掻き立てる。


「やっぱりフェチっぽいのが好きなんだ」


 僕の邪な内心は赤錆さんにあっさりと見透かされた。フェチの意味は知らないが、きっとすけべな意味だろう。開けた山間にいるはずなのに、どんどん肩身が狭くなる。


「まあいいわ。悔しいけど、最初から優勝は決まってるし」


 誰のことだろう。勝ち気な赤錆さんが勝負の前から負けを認める相手なんていただろうか。

 いや、いた。

 赤錆さんや濃墨先輩どころか、烏羽さんでさえも見劣りしてしまう、規格外の体の持ち主が。


「ほら、桑染。もったいぶってないで、サッサと脱ぎなさいよ」


 桑染メアリさん、二十二歳。

 百八十センチは確実に超えているであろう長身に、がちがちの筋肉にほんのり脂肪の載った喧嘩が一番強い体型。胸もお尻もスイカみたいに大きくて、海外由来の金髪がびっくりするほどよく映える。

 そんな彼女の、水着が見れる。

 女性をそういう目で見てはいけないと常日頃から自制しているつもりだが、昂る情欲を抑えられない。三連続で可愛い女の子の水着を鑑賞して弁が馬鹿になってしまったのか、そもそも僕がすけべなだけかはもう判断できないが、左目の毛細血管が限界まで開いているのは分かる。


「わ、わたしはいい。保護者だから」

「何言ってんの。一番やる気だったじゃん」

「でも、水着なんて初めて買ったし、それに、ネット通販だからサイズもよく分かんなくて」

「地味でもダサくても気にしないわよ。ひと笑いしておしまいにするから」

「そうッスよ。みんな水着だから恥ずかしくないッス」

「ええ。包介ちゃんも桑染さんの水着、見たいでしょう?」

「あっはい」

「ほら、包介もこう言ってるんだから。自信もって、ね?」


 期待の眼差しを一身に受け、ついに桑染さんは観念した。首まで真っ赤に染めながら、そろりとファスナーを下ろし、夏にしては厚めの上着を両側に開く。


「え゛」


 紐。

 サンドロ・ボッティチェッリのヴィーナスを彷彿とさせる真っ白な女体の上を、限界まで引き延ばされた紐が張っている。局所的に金ぴかの三角形が張り付いているが、まるで役目を果たしていない。肌色と薄桃色の境目がはっきりと露出し、股にはぽつぽつと髪よりも濃い金色の残滓が──


「攻めすぎだバカ!!」


 赤錆さんが絶叫する。

 同時に、烏羽さんの腕が僕の首に巻きついた。完璧な裸締に一瞬で視界が白む。


「ほ、包介くんに乱暴しないで!」


 ど迫力の体を揺らしながら駆け寄ってくる桑染さんを微かに映したのを最後に、僕の意識は暗闇に落ちていった。




 ◆◇◆




 僕の気絶は大事には至らず、数秒で意識は戻った。

 けれど、気絶したのは確かで、復活したばかりの体で水遊びというのも不安が残る。また、咄嗟の判断とはいえ、強く締めすぎたことを烏羽さんはひどく反省していて、慰める役が必要だった。

 そんな経緯で、僕と烏羽さんは沢のほとりに並んで座り、水を掛け合う三人をぼんやりと眺めている。


「……ごめんな」


 烏羽さんは悪くない。

 自分で言うのも何だが、先ほどの僕はかなりおかしかった。短時間のうちにえっちな成分を過剰摂取したせいだろう。欲望を抑えられず、ぎらぎらの性を丸出しにして彼女達に接してしまった。烏羽さんに締め落としてもらえなかったら、取り返しのつかない誤ちを犯していたかもしれない。


「僕も舞い上がってたからさ。烏羽さんのおかげで頭が冷えた。ありがとうね」

「でも、アタシのせいで遊べなくなったし」

「そもそも僕、水着持ってきてないから。みんなみたいには遊べなかったと思うよ」


 水遊びできる場所があるなんて、僕は全然聞いていなかった。

 みんなも教えてくれればいいのに。旅館のお手伝いを心配して敢えて声をかけなかったのかもしれないが、仲間外れにされたような気がして寂しさを覚えてしまう。


「あー……あたしもさ、赤錆から聞いたとき、すぐホースケに教えに行こうと思ったんだよ。でも、ほか三人が内緒にしとけって」

「うん? なんで?」

「服着たままじゃ遊べないだろ? それでも一緒に遊びたいーって駄々捏ねたら、きっとホースケ、裸になるからさ、みんなで鑑賞しましょうって──」

「烏羽ちゃん」


 いつの間にか濃墨先輩が隣に立っていた。

 笑顔、に分類される表情なのだろうが、薄く開いた目蓋の奥に潜む眼光は異様に冷たい。普段は図太い烏羽さんも濃墨先輩の圧力には敵わないようで、口を噤んで俯いてしまう。


「濃墨先輩。さっきの烏羽さんの話なんですけど」

「それよりも包介ちゃん。お仕事の方はどう? 順調に進んでいるかしら」

「はい。おつのさんからも親切にしていただいてます。それで、さっきの続きなんですけど」

「私、恥ずかしいのだけれど、自分で働いた経験がないの。包介ちゃんのお仕事の話、聞きたいわ」


 濃墨先輩は会話する気がないらしい。気掛かりは多分にあるが、問い詰めたところではぐらかされ続けるだけだろうし、一旦、後回しにすることを決める。


「空いてる部屋とか廊下の簡単な掃除ですよ。おつのさんはしばらく使ってないと言ってましたけど、埃もそんなになかったので、定期的に手入れしてるんじゃないですかね」

「あら。清掃業は体力仕事だと思っていたのだけれど、包介ちゃんの話振りからして本当に軽い仕事みたいね」

「情けない話ですけど、中学生にも任せられる範囲に限定してくれたんだと思います。あ、でも、ひとつだけ、よく分からない仕事がありましたね」

「掃除以外の仕事?」

「はい。あの旅館、二階に少人数用の部屋が幾つかあるんですけど、一番奥の部屋の前にご飯を運ぶよう頼まれたんです」

「……確かに不思議ね」


 最初の日、おつのさんは僕等の他に宿泊客はいない、と言った。

 いくら簡単な業務とはいえ、これから仕事を手伝う僕にお客さんの存在を隠す必要はない。であるならば、僕は一体、何に食事を運んだのだろうか。

 脳内で状況を整理していると、不意に左の手首を触られた。

 烏羽さんだ。いつもは伸びた背筋を丸め、不安げに僕を見つめている。


「ゆ、幽霊なのか?」

「いや、それはないかな」

「なんで言い切れるんだよ」

「僕も気になって、今朝、二階に上がってみた。部屋の前のお盆は片付けられていたよ」


 生者と同じ食事をとる幽霊はいないだろう。それに、お盆ごと消えたということは、食器とお盆を併せて提げる知性が備わっているとも考えられる。

 烏羽さんが心配するように、本当に幽霊への供養の品で、夜中のうちにおつのさんがこっそり回収した可能性もあるが、そんな大事な行為を昨日来たばかりの学生に任せるとは思えない。後ろ暗い様子もなかったし、有名人がお忍びで宿泊しているとか、その程度の話だと思う。


「夏休み、旅館、学生アルバイト、それに、開かずの間への配膳……」


 僕の中では結論がついたが、濃墨先輩は違うみたいだ。口元を抑え、真剣な面持ちで考え込んでいる。


「濃墨先輩?」

「……え? ああ、ごめんなさい。どうしても気になってしまって」

「奥の部屋にいる誰かの正体ですか?」

「それもあるのだけれど、今の状況があまりにも似通っているから」


 濃墨先輩は深く息を吐き、目蓋を開いて僕等を見据える。


「二人は、リゾートバイトという怪談は知っているかしら」

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