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ペトリコールと怪女達  作者: カシノ
はねこさん

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36/78

036

 陽は完全に沈んでしまった。

 室内を照らすのは紺色の微かな光だけで、眉間に力を込めなければすぐ近くにいる彼女達の表情さえ読み取れない。

 夜に片足を踏み入れた時間帯。

 薄い闇が広がる中、僕はベッドに腰掛けて、膝の上に青褐先生のお腹を載せていた。


「あの、ほんとにやるの?」

「包介が自分で言ったんでしょ」


 赤錆さんはスマートフォンのカメラを向けたまま素っ気なく答える。隣では、中腰になった烏羽さんが一緒になってスマートフォンを構えている。

 中学生がお尻を丸出しにした担任の先生を膝の上に載せ、その痴態をカメラに納めんと二人の女生徒が鼻息を荒くする異様な光景。

 先生は顔を枕で覆い隠しているが、突き出した大きなお尻はぷるぷると震え、表情よりもずっと雄弁に羞恥を語っている。


「撮影はやりすぎじゃないかな」

「は? そしたらこいつが良い思いするだけじゃん。動画で残さなきゃ罰にならない」


 お尻を叩かれるのは良いことなのだろうか。少なくとも僕はそうは思わない。

 しかしながら、やっぱり止めたと言い出せる空気ではなく、躊躇ううちに先生の下着はきつく食い込み、お尻の谷間に埋まってしまった。


「こっちは準備できてるから」

「……うん」

「それじゃ、始めるよ。よーい、スタート」


 ピコン、と可愛らしい電子音が鳴る。軽快な音とは真逆の緊張感漂う状況だが、覚悟を決めるしかない。


 先生、ごめんなさい。


 心の中で意味のない懺悔を口にして、開いた右手を振り下ろす。


 ぺちん。


「ひゃんっ」


 うわあ。やわらかい。

 表面は見た目以上にすべすべしていて、分厚いもちもちの手触りは安心感がある。余韻でぶるんと揺れる様子は視覚にも弾力性を訴えかけてきて、無意識のうちに唾液が口の中に溜まっていく。

 お尻ぺんぺん。

 丸くて柔らかそうなものに触りたがる子供心からの提案だったが、いざ実践してみると、もやもやした別の感情が湧いてくる。


 なんか、えっちだ。


「もっと強く」


 手のひらに残る優しい揺りにぼうっとしていると、赤錆さんから厳しい指示が飛ぶ。

 そうだ。今は先生に罰を与えているのだ。正体不明の高揚感にうつつを抜かしている場合ではない。

 生唾を飲み込んで、再び右手を振り下ろす。


 ぱちん。


「ひぃんっ」


 ぱちん。


「はぁん」


 ぱちん。


「あひんっ」


 僕が右手を振り下ろす度、先生は悩ましげな声を上げる。

 痛みを残さないよう加減していたつもりが、段々と制御が効かなくなってきた。

 もう充分だ。これ以上、叩く必要はない。

 頭ではそう理解しているが、体を抑えられない。ふりふりと左右に揺れ動くお尻が、枕の隙間から漏れ聞こえる吐息が、先生の反応の一つ一つが僕を誘うようで、手を振り下ろすのを止められない。


「おい」

「はいっ」


 お尻の虜になっていた僕の意識は、烏羽さんの一声で呼び戻された。日々の訓練で刷り込まれたのだろう、彼女の声は反射的に返事をさせるほど体に染み付いている。

 いつの間にか額に浮いていた汗を袖口で拭い、肺から深く息を吐き出す。頭の火照りは冷めないが、思考を回せるだけの冷静さは取り戻せた。

 しかし、烏羽さんから掛けられた次の一言は、ひと時の落ち着きを一蹴する強烈なものだった。


「当てて止めろ」

「え?」

「当て止めだ。前に教えただろ」


 当てて、止める。

 突きを放つ時、目標を相手の体より奥に定めると腰が上手く入りやすい。体重が乗る分威力も増し、相手を押し飛ばす力も強くなる。

 当てて止めるのは、その逆だ。目標を相手の体の内側に定め、拳を振り抜くのではなく、最高速の打点で留める。そうすることで、痛みを深く刻み込む。

 達人の妙技である。止めることを意識しすぎると貧弱な手打ちか、無駄に力の入った遅い突きになってしまう。実際、烏羽さんに教えてもらったその日はまるで体の使い方が分からず、試しにと腹に打ち込まれた衝撃に悶絶するだけで終わってしまった。

 それを今ここで、青褐先生のお尻に向けてやれというのか。

 上手くやれる保証はない。立って構えた状態でも感覚を掴めなかったのだ。ベッドに座り先生を膝の上に載せた、おおよそ万全とはいえない体勢では尚のことである。


「それで最後でいいから」


 けれど、現実は優しくない。

 赤錆さんは名案だとでも言いたげな薄笑いを浮かべて、烏羽さんの提案に同調した。

 彼女の言う最後とは、優しさなどではない。人も罪も等しく憎む彼女が、甘い処罰で終わらせるはずがない。


 とどめを刺せ。


 暗に示された意図を感じ、背筋を冷たい汗が伝う。

 甘くふわふわとした、けれど滾るような興奮は、息苦しさに変わった。皮膚がぞわりと粟立ち、膝の上にある先生のお腹がやけに熱く感じる。

 いや、躊躇っている場合じゃない。僕がごねたところで時間を悪戯に使うだけだ。

 真に先生を思うなら、後腐れのない一撃で二人を納得させるしかない。

 深く息を吐き出して、指先をぴんと張る。

 お尻の肉の一番厚い点に狙いをつけると、不思議と心が落ち着いた。雑念が消え、意識が丸い双丘に集中していく。


「ふっ」


 軽い呼気と共に、高く振り上げた手のひらを真っ直ぐに叩き込む。五指は吸い寄せらせるように尻肉の層に食い込み、手首のしなりを効かせた張り手とは違う重い音が響く。


「オ゛ッ゛♡」


 海獣に似た声。

 背中を反らせた先生は両足を爪先まで真っ直ぐに伸ばし、活きのいい魚のようにびくんと跳ねた。

 なんだか危うい反応だ。先生の中の決定的な何かが決壊した気がする。


「だ、大丈夫ですか」


 叩いた張本人がかける言葉ではないと思いつつも、お尻への心配が勝った。何度も叩くうちに親しみが湧いたのかもしれない。

 今まで以上にくっきりと手形が刻まれ、ぷるぷると振動するお尻には怯える小動物のような愛らしさがあり、無意識のうちに摩ってしまった。


「ア゛アッ♡ いまダメッ♡」


 慈しみからくる行動だったが裏目に出たらしい。

 先生は勢いよくお尻を突き上げ、語尾の裏返った悲鳴を上げて力尽きた。

 何が何だか分からない。

 僕にはどうすることもできず、助けを求めて赤錆さんの方を振り向く。


「こ、こいつ、マジでイキやがった……」


 赤錆さんが口元を歪めながら呟く。目尻をひくつかせた嫌悪感丸出しの表情から察するに、あまり良い意味ではないのだろう。

 気まずい雰囲気の中、赤錆さんの隣に控える烏羽さんはというと、無言のままじっとスマートフォンを構えて、小刻みに跳ねる青褐先生をカメラで捉え続けていた。




 ◇◆◇




 あれから二日経って、青褐先生は職場に復帰した。

 体調はすっかり良くなったようで、皺一つないスーツときっちり分け目のついた髪型で教壇に立った先生は、開口一番に深々と謝罪した。

 急なお休みを取ってしまい申し訳ない、とのことだったが、教職という激務に携わる先生がほんの数日体調を崩した程度で責める者はいない。暖かく迎え入れる生徒達に、青褐先生はちょっと涙ぐんでいた。

 青褐先生はいつも敬語で真面目な顔をしているので近寄り難い印象を受けるが、相談は親身になって聞いてくれるし授業も分かりやすい。たまにポカをやらかすところもギャップがあって可愛いと生徒達からは概ね評判だ。

 先生は僕への贖罪のために教師になったと話したが、後ろめたい理由を感じさせないくらい立派な先生だった。


「青褐先生、最近明るくなったよな」


 帰りのショートホームルームが終わり、生徒達を送り出す青褐先生を頬杖をつきながらぼんやり見ていると、醤君に肩を叩かれる。


「今日は呼び出しもなかったし。ちょっと寂しいとか思ってんじゃねえの?」

「……うん。ちょっとだけ」


 今思い返せば、過剰なまでの干渉も先生なりの気遣いだったのだろう。けれど僕は、苦手意識ばかりが先立ってしまい、先生の気持ちをよく知ろうとしなかった。

 もっときちんと対話する時間を設けていれば、先生が僕を撥ねたという事実を、日記を盗み見るなんて卑怯な形以外で知ることができたかもしれない。

 先生がお尻を叩かれることもなかったはずだ。

 先日の出来事を思い出しながら右手を見やる。強く握り込めば、先生のすべすべでもっちりした肌の感触が蘇り、自然と口元が弛んでしまう。


「おほん」

「わあっ」


 恍惚感に浸っていると、いつの間にか青褐先生がすぐ傍まで近付いていた。先ほどまで話していたはずの醤君は、いつの間にか教室の隅に退避していて、にたにたと嫌な笑顔でこちらを見ている。

 一言声を掛けてくれてもいいのに。嫌味な奴である。


「おっほん」


 半目で醤君を睨みつけていると、青褐先生は再び大仰な咳払いをした。

 慌てて向き直ると、拳一つも入らない至近距離に先生の顔があって、反射的に仰け反ってしまう。


「なんですかその態度は」

「いやあ、あはは」

「笑って誤魔化さない」

「……はい」


 罪の告白とお尻ぺんぺん。

 尋常でない経験を一日のうちに済ませたわけだが、青褐先生の僕に対する態度は変わっていない。意識され過ぎてもやり難いので普段通りに振る舞ってもらう方が楽ではあるのだが、何となく距離を感じてしまう。気掛かりな問題児から一般生徒に格上げされたことは本来喜ぶべきことだろうに、僕の性格は中々面倒に出来ているらしい。


「まあいいでしょう。今日は大事なお話しがあります。一緒に行きますよ」

「え?」


 困惑しているうちに腕を掴まれ、強引に席を立たされる。


「え、ちょ、どういうことですか?」


 先生は返事をせずにつかつかと歩き出す。理解の追いつかない僕は、片足跳びでついていくのがやっとだ。すれ違う生徒達の物珍しげな目に晒さられながら階段を登り、早足のまま長い廊下を直進する。


「はい、着きました」


 廊下の端に辿り着いたところでようやく先生が立ち止まる。息を整えながら顔を上げると、見知った引き戸がそこにあった。

 三階奥の資料室。オカルト倶楽部の隠れ家である。

 まずい。

 オカルト倶楽部は恐らく、正式には認可されていない活動だ。いくら学校の部活動数が少なく教室が空いているとはいえ、僕達が溜まり場にしているのは不当占拠に他ならない。先生が事態を把握した瞬間、オカルト倶楽部は即時解散の憂き目に遭ってしまう。


「あ、あの、先生。ここはですね」


 引き留めようと腕を伸ばすが、縋り付くには遅過ぎる。

 先生は勢いよく戸を開け放ち、中では濃墨先輩、赤錆さん、烏羽さんの三人が優雅に紅茶を嗜む、言い逃れできない光景が広がっていた。


「もう、なにを蹲っているんですか。皆さんがお待ちですよ」


 しかし、恐れていた叱責はなかった。

 先生は平然としていて、中の三人も先生の登場を気にした様子はない。


「ええっと、どういうことなんでしょうか」


 まるで状況を掴めない僕を見兼ねて、濃墨先輩は一枚の紙を高々と掲げる。

 同好会活動申請書、と銘打たれたその書類には、校長先生の印が押されていた。


「心配しないで包介ちゃん。オカルト倶楽部は今日付けで、同好会として正式に認められました。もう隠れる必要はないのよ」

 

 どうして急に。

 そんな僕の疑問は口にするまでもなく、青褐先生が横から補足の説明を入れる。


「私が顧問に立候補しました。同好会なので活動費は出ませんが、それでも公認の活動である方が気分は良いでしょう」

「うふふ。良いことは他にもあるのよ。今までは資料室を勝手に借りていた立場だったから遠慮していたけれど、今回の手続きで資料室は私達の部室になったの。ある程度の私物は置いても咎められないわ」


 そう言って先輩が視線を移した先には、見慣れない陶器製の電気ケトルとティーポットが置いてあった。

 早速、紅茶のための道具を持ち込んだみたいだ。これからはより一層美味しい紅茶を振る舞ってもらえると思うと、退屈な授業も乗り越えられる気がする。

 そんな、オカルトや怪談とは無縁な緩い雰囲気が漂う中、先生はぱちんと手を鳴らした。皆んなの視線を集めると、見せつけるように襟を直す。


「もっとも、私が来たからには厳しくいきます。心するように」


 オカルト倶楽部に厳しい指導を必要とする活動はない。紅茶を楽しみながら談笑するだけの集まりだ。烏羽さんとの特訓にしても、僕が個人的にお願いしているものであるし、先生が口出しする余地はない。緩い雰囲気を引き締めるため、ちょっと言ってみたかっただけだろう。

 聞き流していい発言だ。しかし、赤錆さんは違った。

 短く嗤い、馬鹿にするような流し目で先生を見やる。


「……何か言いたいことでも?」

「別に? なんか張り切っててウケるなって」

「先生に対する口の利き方ではないですね。貴女は念入りに指導することにします」

「あっそう。ま、偉そうなこと言うのは勝手だけど、あんたの人生()()一本で終了だから。そこんとこよろしく」


 赤錆さんは意地悪な笑みを浮かべてスマートフォンを取り出した。

 揺れる画面に、先生はびしりと固まる。


「それはなに?」

「教師が教え子にケツ叩かれてガチイキするエロ動画」


 事情を知らない濃墨先輩の質問に、赤錆さんは半笑いで答えた。

 直後、青褐先生は噛み殺す勢いで赤錆さんに飛び掛かる。


「今すぐ消しなさい!」

「いやでーす」


 騒々しい音を立てながら二人が資料室を走り回る。昨今では貴重になった教師と生徒の追いかけっこであるが、混ざりたいとは思わない。巻き込まれないように壁際を通って席につくと、濃墨先輩が紅茶を淹れてくれた。


「平和ねぇ」

「そうですね」


 なんとかして赤錆さんの腕を捕まえた先生は、そのまま揉み合いの泥試合に突入した。

 近頃は赤錆さんが喧嘩する頻度は随分高くなり、段々と見慣れてきた。罵声を浴びせながら掴み合う様子は暴力的だが、大事には至らないと思うと落ち着いて観察する余裕が生まれ、窓から差し込む陽光も相まって、人間の醜さを描いた宗教画のようにも見える。鼻を膨らませ歯を剥き出しにした必死の形相も、この世の無情を表現していると思えなくもない。

 教師と生徒の本気の取っ組み合い。普通に授業を受けているだけでは、喧嘩するほどの関係性は生まれない。学校という閉じられた環境で年齢の離れた者同士が全力でぶつかり合えるのは、部活動ならではの体験だろう。

 僕は目的をもってオカルト倶楽部に入ったわけではない。濃墨先輩に誘われるまま、なし崩しで入り浸るようになっただけで、晴れて同好会に昇格した今でも会員の実感は朧げだ。

 それでも、皆がわちゃわちゃと騒ぐ空間は肌に馴染むようで、居心地がいいことは分かる。

 部活選びに失敗して上下関係に苦慮している人には申し訳ないが、今はただ周囲に恵まれた自らの幸運を喜びたい。


「ぶっ壊してやる!」

「やってみろよエロババア!」


 揉みくちゃになる二人を眺めながら、僕はゆっくりとカップを傾けた。

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