桑染メアリと秘密の約束
おまけ
011 と 012 の間の話です
「えへへへへ」
スマホの画面に映る、包介くん、の文字。
やった。ついに包介くんと友達に戻れた。
彼の名前を眺めていると、じわじわと実感が湧いてきて、嬉しくてどうしようもなくなる。弛む口元も、何故かばたつく両足も、わたしの意思では止められない。胸の中いっぱいに広がった幸せが重力をなくさせている。
「えへ。メール送っちゃお」
すぐにでもこの気持ちを共有したい。包介くんへの溢れる想いを流れる手つきで文章にしたためる。わたしがどれほど包介くんに救われたか、今日の出来事やこれからしたいことをまとめたメールが数分のうちに書き上がったが、送信前の推敲中にはたと指が止まる。
「……ちょっと固いかな」
仕事の習慣を引きずってしまったのか一文が長い。絵文字を使って軽い雰囲気作りは心掛けたものの、文字の羅列が冷静な印象を与えてしまい、わたしの熱量が半分も伝わらない。
文章だけでは駄目だ。なにかこう、インパクトを与える方法はないだろうか。ブラウザを開いて、気になる男の子にアプローチする方法を検索してみる。
食事に誘う、共通の趣味、簡単な頼み事から話を広げる、などなど。
なんだかありきたりで慎重なものばっかりだ。探り合いの段階はとうに過ぎている。わたしと包介くんの関係には、もっと踏み込んだアプローチが相応しい。
情熱に突き動かされて、スマホを触る指が速さを増していく。検索ワードはより過激に、ディープなところまで潜っていく。
「こ、これだ」
恋愛相談がR18に切り替わったタイミングで、とうとう見つけてしまった。
エロ自撮り。
視覚に強く訴えつつ、女の性をこれでもかとアピールできる冴えたやり方。
自慢じゃないが、わたしの体はめちゃくちゃえっちだ。お尻もお胸も大きいし、おねショタ同人誌に出てくるお姉さんにも負けないプロポーションをしている。身長のせいで服が限られ、普段はぶかっとしたパーカーに甘んじているが、ダイナマイトなボディを炸裂させれば初心な包介くんはイチコロだ。
「……よーし。包介くん悩殺着エロ大作戦、スタートだっ」
方針は決まった。次は、自撮りのコンセプトを決める番。
一番分かりやすいのは裸の写真だ。でも、包介くんは紳士な男の子、突拍子もなくえっちな写真が送られてきたら、目を背けてしまうに違いない。しっかり理由づけをしたうえで、恥ずかしがりながらも保存してしまうような、ぎりぎりのラインを狙わないと。
「小さいサイズ買っちゃったってことにして、外で着られるか聞いてみる感じが無難かな」
相談の体裁を取れば、包介くんも確認せざるをえないだろう。小さめという言い分があれば、際どい写真も許される。あくまでも衣服の形は守る必要があるので破壊力は幾分落ちるが、ポーズを工夫すれば充補えるはず。
しかし、そんな都合のいい衣装があるだろうか。普段着からして、男性用のXLを愛用しているわたしだ。婦人服売り場の商品は首をくぐらせるだけで引き千切れそうになる。凝った衣装になればサイズは尚更限られてきて、無理に着ようとすれば小さめどころかぼろ布になりそうだ。
やっぱり紐とか絆創膏とか、直球で勝負するしかないのかな。そんな風に諦めかけたところで、クローゼットに眠らせていたあれの存在を思い出す。ベッドから跳ね起きてクローゼットに小走りし、タンスの一番下の引き出しを探ると、綺麗に畳まれたままのそれが姿を現した。
メイド風のロリータワンピース。
普段着は男性用を着用しているが、包介くんに可愛く見られたいという気持ちは持ち続けている。そんなわたしの思いに応えるみたいに出会えた、プラスサイズを取り扱うローリタ服専門店。これは、そのお店で初めてネット購入したときのものである。
両手でそっと取り出して、鏡の前で体に合わせる。
「やっぱり小さい」
丈は丁度だが胸周りが足りない。生地が引っ張られて、お腹を出すか谷間を出すしかなくなる。
店が悪いわけじゃない。初めての購入で、わたしがサイズを見誤ってしまったせいだ。自分の責任なのにサイズ交換を申し出る勇気はなく、結局タンスの奥に封印してしまっていた。
それが役に立つ日が来るとは。
一度深呼吸をしてから部屋着を脱ぎ捨て、メイド服に袖を通す。みちみちと縫い目が悲鳴を上げるたびに速度を緩めながら、ゆっくりと、慎重に。
「う、うぷっ」
喉が詰まる。息が苦しい。あちこち締め付けられて身動きが取り辛い。
でも着れた。大人に子供服を着せたみたいな、怪しいお店の雰囲気がぷんぷん漂っているが、一応は服の体裁を保てた。サイズが小さい分、メリハリもしっかり強調できているし、爆発力は充分だろう。
「あとは撮影だけ」
問題は構図だ。正面から撮影するだけでは丈の足りなさが丸わかりなので、ちょっと間抜けに映ってしまう。わたしの体に集中してもらうための角度を研究しないと。
まずは下から。スマホをスカートの下に回して、鼠蹊部と下のおっぱいが写るように角度を調整し、シャッターを押す。
「……だめだ。えっちすぎる」
下着もばっちり撮れてはいるが、隠し撮りの雰囲気が強い。えっちなビデオのワンシーンみたいな露骨な画角だ。包介くんにはもう少し、ソフトなところから始めてもらわないと。
ありきたりだが、上から撮るか。腕を上に目一杯伸ばすと、スマホが天井にぶつかった。仕方ないので床に座り、小顔に見えるよう頬に手を添えてシャッターを押す。
「おっ」
思ってたよりいいぞ。
えっちなポイントはぎゅうぎゅうに詰めたおっぱいとクレバスみたいに深い谷間だけだけど、わたしのポテンシャルのおかげで結構魅力的だ。顔が映っているのでインモラルな気配もなく、健全な自撮りに紛れる隠しきれないえっちさが見事に表現されている。
我ながら良い出来。もう何枚か同じ構図で撮影し、明るさ調整が一番上手くいったものを勝負の一枚に選出する。
あとはメールの本文だが、これに関しては迷う必要はない。サイズの確認という建前で送る方針は決まっているし、わたしと包介くんは毎日メールを送り合う仲である。普段どおりの気安い文体にぽちぽちと書き直し、渾身の一枚を添付すれば完成だ。
「よし」
あとは送るだけ。
自然と正座になりながら、画面を睨んで息を吐く。気持ちを落ち着け、送信ボタンに親指を乗せる。
「……えいっ!」
押した。しゅぽっと軽い効果音がメールの発信を告げる。大仕事を成した充実感と、引き返せない不安が一緒になって押し寄せて、もぞもぞした衝動が胸の内で暴れている。
包介くんはいつ見てくれるだろう。今は帰り道のはずだが、最近の彼は倶楽部活動があるとかで下校時間はまちまちだ。まだ携帯に慣れてないのか、一時間経っても返信がないこともある。いっそのこと電話をかけて、今すぐ見てもらうようお願いしようか。
ぷるるるる。
「え!!」
うそ。うそうそうそ。
こんなすぐに反応があるなんて。どうしよう。今すぐ会いたいなんて言われたら。わたし、絶対拒めない。中学生の男の子と、いっちゃいけないところまでいっちゃう。妄想はいくらでもしてるけど、いざ本番に直面すると、覚悟も準備も足りてない。
今日の下着はどうだったか。ムダ毛の処理はしていたか。お化粧直しの時間はあるか。
あらゆる情報が一気に雪崩れ込み、脳はパンク寸前だ。それでも体は何をすべきかを理解していて、本能のままに通話ボタンを押す。
「も、もしもし!」
「よう。腐れストーカー女」
「ひいっ」
電話の相手は千影さんだった。
どうして包介くんの番号から。映画のヤクザみたいなドスの効いた声に、体温が一気に冷める。
「ほう君はよく携帯を忘れるからな。悪い虫がついていないか、私が定期的にチェックしている。そしたら突然、お前からメールがきた。どんなものかと開いたら驚愕したよ」
全部見られた。微かな希望も絶たれ、続く怒声に備えて首筋が硬くなる。
「そう怯えるな。写真、中々よく撮れてるじゃないか」
「えっ? は、はい。ありがとうございます」
「男に好かれる体だな。胸も尻もでかいが、太ってるってほどじゃない。グラビアアイドルみたいで良いと思うぞ」
「そ、そうですかね。えへへ」
「笑ってんじゃねえ!!」
「ひいっ」
思わずスマホを落としそうになって、慌てて持ち直す。大きい音を立てたら、千影さんの機嫌はもっと悪くなる。これ以上気を損ねたら、接触禁止令を出されかねない。
「で? お前はこれを送ってどうしようと思ったんだ」
「……えっと、包介くん、喜んでくれるかなって」
「もっと具体的に言え」
「ぐ、具体的、ですか」
「そうだ。お前はほう君に、自分のエロ自撮りをどう使って欲しかったのか。はっきり言葉にしろ」
言えるわけない。包介くんが真っ赤になって、見てはいけないと画面を遠ざけながらも、やっぱり欲望には抗えなくて、本能的に手を自らの恥部に伸ばしてしまう光景をはっきり想像しているが、それを当事者の母親に伝える度胸はない。
「今更カマトトぶるな。お前のどピンクな脳内はとっくにお見通しなんだよ」
「恥ずかしがりながらもオカズにしてほしいと思ってました」
怖すぎて本音をぶちまけてしまった。電話越しに千影さんが絶句しているのが分かる。しばしの沈黙のあと、深呼吸じみた溜め息を吐かれ、千影さんは徹夜明けのような疲れ切った声で続ける。
「……お前の気持ちはよく分かった。そこまでいうなら、考えてやらないでもない」
「えっ?」
「今からうちに来い。ほう君への気持ちが本物か、私が試してやる」
◇◆◇
こちこちと時計の音が静かに響くリビングで、想い人の母親とダイニングテーブル越しに見合っている。丈の足りないメイド服を着て。
一体どういう状況なんだ。ここに座ると、つい先日の、包介くんへのアプローチを間違えてぼろくそに詰められた記憶が蘇ってしまう。緊張しすぎて胃の中がむかむかしてきた。
「桑染メアリ。お前は、小学生だった頃のほう君を知っているんだよな」
「は、はい。包介くんが小学二年生の八月に、図書館で出会いました」
「それならお前は、ほう君の変化に気づいているな」
たしかに包介くんは変わった。物腰が柔らかく、びっくりするくらい可愛い男の子なのはそのままだけど、昔の包介くんは服や髪型、口調までばっちり決めていて、はっきり他人と線を引いていた。でも、今の包介くんは、髪はふわふわ、学生服の裾はちょっと余っていて、表情もよく変わる。
それが悪いなんてことは当然ない。人は変わっていくものだし、子供の頃なんて尚更だ。彼がどういう振る舞いをしたとしても、わたしが大好きな男の子であることに変わりない。
ただ、気にはなる。
徹底した高貴な御子息スタイルから、どうやって庶民的な愛され男子に変貌したのか。触れちゃいけない部分かもしれないけど、好きな男の子のことはなんでも知りたい。
そういう気持ちが姿勢に表れていたらしい。気付かない間に前のめりになっていて、千影さんの冷えた瞳がすぐ近くにあった。慌てて飛び退いたら机の足に小指をぶつけてしまい、鼻の奥がつんとする。
「もう一つ確認しておく。お前はほう君のどういうところに惚れたんだ?」
「えっ。そ、それはちょっと、恥ずかしいっていうか」
「……質問を変える。お前はほう君の顔が好きか?」
もちろん大好きだ。
まん丸なほっぺた。僅かに焦茶がかったふわふわの髪。ぷっくり桜色の唇は吸いつきたくなる形をしていて、ちょんとした小さなお鼻が甘い顔立ちを更に幼くしている。ゆるりと垂れ気味だった眦は涼しげに細める表情が多くなり、以前よりあどけなさはなくなったけど、知的な印象は増した。可愛さの中にある大人びた部分が時たまちらりと垣間見え、ギャップにどきっとしてしまう。
わたしが包介くんに惹かれたのは底なしの優しさに包まれたからで、見た目が全部ではない。でも、大好きな理由の一つであることは間違いない。
千影さんに向かってぶんぶん頷き、気持ちを強くアピールする。千影さんは鬱陶しそうに息を吐くと、机の上にスマホを差し出してきた。
「お前も知ってのとおり、ほう君は可愛い。普通の子供なら、自分の可愛さに気づいた時点で調子に乗ってる。でも、ほう君はそうならなかった。その理由がここにある」
促されるままに画面を覗く。
「……えっ?」
スマホに映っていたのは、就寝中に隠し撮りしたであろう包介くんの、長い前髪の下。擦れて削れ、赤褐色の皮膚で歪に修復された凄惨な傷痕が、右目の周りに広がっている。
それ自体に問題はない。傷があろうと包介くんへの想いは変わらない。むしろ、照れ屋な彼が髪型を変えた理由に納得がいった。
問題は、傷の形状にある。
上目蓋の捲れて切れた痕跡。病気で爛れたのであれば、そうはならない。外から強い力が加わって、傷を負わされたのだ。
「座れ」
千影さんに指摘され、またしても体が勝手に動いていたことに気がつく。でも、今度は落ち着けそうにない。爪先から脳天まで血液が煮えたぎり、筋肉がぎしぎしと唸り声を上げている。
「誰がやったんですか」
「知ってどうする」
「殺します」
母親にさえ直接口にしなかった言葉が、当たり前に吐き出される。後悔はない。理性的に顧みても何も間違ったことは言っていない。
包介くんを傷つける奴は皆殺しにしてやる。
「……口先だけじゃなさそうだ。だが、殺すのは許さない。ほう君が悲しむからな」
千影さんも包介くんを愛する女の一人だ。わたしと同じで、包介くんを傷つけたそいつを殺してやりたくて堪らないはず。
それでも千影さんは、抱えた思いを長い呼吸に込めて吐き出し、鋭い眼光でわたしを見上げる。
「代わりに、お前に任せたいことがある」
「はい」
「ほう君を、護ってほしい」
「……えっ?」
殺人以外での復讐を頼まれると思ったのに。千影さんの言葉は予想とまったく違っていて、驚きで怒りの熱が引いてしまう。
「千影さんは、わたしが包介くんに近づくのを嫌がると」
「嫌に決まってるだろ」
認めてくれたわけじゃないのか。
がっくり肩を落とすわたしを一瞥し、千影さんは眉間を摘みながら話を続ける。
「……別に、お前に限った話じゃない。ほう君の周りには悪い虫が多すぎる。でも私じゃあ、ほう君を護り続けられない」
含みのある言い方だ。千影さんが包介くんの傍を離れるイメージは一切湧かないが、悪い予感があるのだろうか。
千影さんは眉間から指を放し、真っ直ぐにわたしを見つめる。包介くんより茶色がかった瞳には、強い覚悟が宿っている。
「だから頼む。私が動けない時は、お前がほう君を護ってくれ」
千影さんは机に手をついて、深々と頭を下げる。ストーカーと散々蔑んだわたしに。
千影さんは怖い人だ。包介くんの敵と認めた相手には容赦しない。そんな彼女が頭を下げるのは、並々ならぬ思いが込められているはずだ。
「謹んでお受けいたします」
断る理由がない。千影さんに頼まれなくても、未来永劫、わたしは包介くんの傍にいると決めている。母親公認ならば、大手を振って包介くんにくっつけるというものだ。
それに、今のうちから千影さんと関係を築いておけば、結婚したあともやりやすい。嫁姑関係は大事な問題だ。包介くんは性格的にどちらかの味方をするということはできないし、わたしとお義母さんの仲がよければ彼も安心だろう。顔を上げた千影さんと見合って、にっこり微笑む。
「こうみえて、力には自信がありますので!」
肩を張って胸を叩く。
瞬間、布が破ける音がした。胸元と背中の亀裂は勢いよく伝播し、無理やり押し込んでいたおっぱいが、だぷんと解放される。
「ほう君の前で同じことをしてみろ。殺してやるからな」
「……はい」
お義母さんに認めてもらうのは、もう少し先になりそうだ。




