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ペトリコールと怪女達  作者: カシノ
校舎裏の薫子さん

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19/78

019

「ごめんって」


 栗皮の謝罪はもう何度目にもなる。

 授業の間の十分休みが来る度、通しで聞かされ続けたのでいい加減飽きてきた。放課後になったことだし、そろそろ許してやろうと思う。

 出来るだけ不機嫌な表情を作って横目で見ると、栗皮がようやくといった風に息を吐いた。


「長いよ」

「なにその態度。ほんとに反省してんの?」

「はいはい。反省してまーす」


 舐め腐った態度だが、今は突っ込む気にはならない。

 それ以上に、大事なことがある。


「で、聞き込みの成果は?」

「……残念だけど、若菜が言ってたのは本当のことみたい。智も包介くんが烏羽さんに連れて行かれるところ、何回か見たって言うし」

「ああ、そう」


 包介の体に残された幾つもの青痣は、やっぱり烏羽がつけたものなのだろう。強く拒絶できず曖昧に笑う包介を、面白半分で殴りつける光景が容易に想像できる。

 間違いなくいじめだ。

 あたしがかけるちょっかいとは質が違う。筋の通らない暴力は罪にしかならない。


「でも、ちょっと不思議なんだ。なんでも包介くん、結構烏羽さんに冗談を言ったりお互い笑いあったりで、外から見る分に仲は良さそうなんだって」

「それは別に不思議じゃない」

「なんで?」


 包介はそういう奴だ。

 頑固で意見を滅多に曲げないくせに痛みには変に寛容で、急に叩いても愚痴を溢すだけで全然怒らない。烏羽は謝られれば許してしまう包介の優しさに漬け込んでいるんだ。

 賢しいというか、運がいいというか。

 長年の付き合いを経てあたしだけが見つけたラインを踏み荒らされているみたいで、非常に気分が悪い。

 黙り込むあたしを栗皮は怪訝な目で見つめていたが、返答はないと諦めてパチンと両手を合わせた。


「まあいいや。丁と包介くんにしか分からない世界があるんでしょう。で、今後の方針なんだけど」

「現場を抑えてとっちめる。それしかないわね」


 現行犯逮捕が一番確実だ。言い逃れできないし、そのための時間も与えない。


「速攻よ。まどろっこしいこと抜きで包介を助ける」

「うん、それがいいと思う。じゃあ早速、現場で張り込もうか」

「なんだ、もう場所も分かってるんだ。いい仕事っぷりじゃない」

「まあ正確には、これから分かるんだけどね」


 栗皮が教室の入り口を振り返る。

 視線の先には、浅黒い肌をした背の高い男子がいた。顔は結構かっこいいが、バッチリ決めた髪型や小慣れた袖の捲り具合が鼻につく。

 そいつはあたし達に気がつくと、大した距離でもないのにブンブン手を振りながら近づいてきた。


「おっす。よろしく」

「カレシの智。せっかくだから協力してもらおうと思ってさ。男手があった方が便利でしょ?」

「他にも理由はあるけどな」

「他?」

「……包介が烏羽に絡まれるようになってから、青褐先生の機嫌がめちゃくちゃ悪いんだよ」


 包介のクラスの担任か。

 授業中や廊下ですれ違う度にあたしを射殺すような目で睨んでくるヤツだ。

 鬱陶しい女。包介にえらく執心しているみたいだが、いじめの件に関してまるで役に立たないだろう。

 教師の立場では温い口頭注意が限界で、何一つ解決はしない。むしろ、告げ口に腹を立て、いじめがより巧妙で陰湿なものに変わる危険性がある。

 包介を救えるのは、自由に動けるあたし達しかいない。


「それじゃ、遠慮なくお願いするわ」

「おし。じゃあ早速行くか」

「例の場所ね。それって結局どこなの」

「本棟と新築棟の間に、陰になったところあるだろ? そこで包介と烏羽を見かけたって奴が何人かいるんだ」


 新築棟は便宜上そう呼ばれているだけで、実際は増築されてから十数年は経っている。本棟とは一階の渡り廊下で繋がっていて、利用者は専ら三年生と部活動に属する生徒だ。あたしや包介には縁のない場所で、通り掛かることすら稀だから見落としていた。

 だけど、場所自体は知っている。本棟と新築棟、すぐ側の体育館に囲まれた正方形の空きスペースだ。

 人目につきにくい場所というのはどんな時でも需要があるものだが、ベンチの一つもなく、体育館からグラウンドに出て狭い隙間を通らなければならないというアクセスの悪さから、継続して赴く人の話は聞かない。

 だからこそ、いじめに向いている。如何にも不良が好みそうな隠れ場所だ。


「包介が連れてかれたのはついさっきだ。いつもと同じならもう向かってると思う」

「丁、どうする? もう少し情報集める?」


 何を呑気な。やることは決まってると言ったでしょ。


「速攻よ。今日中に包介を助ける」




 ◇◆◇




 現場は予想以上に人通りが少なかった。

 授業が終わればすぐ直帰する生徒ばかりの学校なので異常事態という訳じゃないが、それにしたって少ない。

 もともとの見立てどおり、時間を選べば誰の目にも触れずに、いじめを実行できる場所だ。胸糞悪い。


「包介はまだ来てないみたいだな」


 このぽっかり空いたスペースに入るには、本棟と体育館の細い間を通るしかない。

 余すことなく監視できるよう、体育館の壁際にある用途不明の塀の裏に身を隠す。三人分の大きさはなく、醤の体ははみ出ているが、通り道から外れたところにあるので、意識して見ようとしない限り、目につくことはないはずだ。

 静かにしている分には。


「探偵みたいでドキドキするね」

「な」


 栗皮と醤がイチャつき始めた。

 危機感の欠片もなく物事の重要性を理解していない能天気さにイラッとするが、そもそも二人がいなければあたしはここに辿り着けなかった。

 文句は静かに飲み込んで、前方を真っ直ぐに見つめる。


「あ」


 背の低い学ランと、大股開きで歩くガラの悪いウルフカットの女。

 来た。包介と烏羽だ。

 二人は何か話しているようで、烏羽が馬鹿みたいにでかい笑い声を上げた。対照的に包介は微笑む程度に留め、少し距離を置いている。

 友達同士の距離間じゃない。あたしといる時の包介はもっと体を寄せて、心を許す素振りを見せる。

 やっぱり烏羽は、文句の言えない包介を一方的に痛めつけて、醜い欲を発散しているんだ。

 午後に見た腹の青痣を思い出し、マグマみたいにドロドロした怒りが腹から頭までを沸騰させる。噛み締めた奥歯が軋んで嫌な音を立てた。


「まだだよ」


 栗皮の言葉に分かってる、とすぐには返せなかった。

 それだけ血が上っていたのだと気づき、心を沈めるために息を吐く。

 今飛び出しても決定打にはならない。

 耐えて機を待つ。

 まったくもって性に合わない考えだが、包介のためだと思えば少しは我慢できる。


「ヤンキーの先輩と、なぜか気に入られた真面目くんって感じだな」

「あー、それっぽいかも」


 傍目から見ればその程度の認識なのだろうが、あたしには分かる。

 来る者拒まず、去る者追わずが人付き合いの基本となっている包介が、困った雰囲気を出していること自体問題だ。

 烏羽は間違いなく、包介に害を為している。後ろの二人組に一言言いたい気持ちを抑えながら、ジッと動向を監視する。

 烏羽に肩を抱かれた包介は強引に引っ張られ、体育館の角に消えていった。

 とうとう決着の時だ。ハンドサインで指示を出し、足音を立てないよう中腰の姿勢で塀の外に身を晒す。

 事態の重大さをイマイチ分かっていない栗皮達はあろうことか立ったままあたしの後ろをついてきて思わず怒鳴りたくなったけど、声でバレては元も子もないので堪える。


「丁、逆に目立ってない?」


 うるさい。しゃべるな。

 ザラついた壁に張り付き、顔半分だけで覗く。


「……何してんだ?」


 醤がポツリと呟いた言葉は、あたしが思ったそのままの感想だ。

 包介と烏羽がストレッチしてる。

 中央あたりで向かい合い、アキレス腱を伸ばしている。入念に伸ばすと今度は大きく肩と足首を回し、終いには座り込んで股関節まで解し始めた。

 たっぷり時間をかけて全身の筋肉を伸ばした包介はゆっくりと立ち上がり、仕上げに何度か屈伸する。同じように立ち上がった烏羽は腰を緩く回して一つ息を吐くと、包介と相対した。


「昨日の復習からな」

「はい」

「敬語じゃなくていいっつったろ」

「あ、ごめん。癖なのかな」


 二人の会話は辛うじて拾えたが、内容は謎だ。

 そもそも、包介にストレッチなんて似合わない。あいつは勉強はできてもスポーツはできないひ弱なもやしっ子だ。あたしが連れ出してやらなきゃ一日中家で本を読んでいるようなやつが、どうして準備運動を必要とするのか。


「じゃ、いくぞー」

「うん」


 烏羽が間の抜けた声で呼び掛ける。

 謎だらけの状況と予想を裏切るほのぼのした光景に拍子抜けしていると、


「あいたっ」


 一足飛びに距離を詰めた烏羽が、躊躇なく包介を殴った。

 殴った。包介を。

 あたしはもう止まらなかった。

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