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よろしくお願いします。
ミール様と会う約束を取り付けた日、私は朝から鍛錬場で頭を空っぽにし続けた。部屋でじっとしていると、「今日はムリ」とか「また今度でも……」とか、ヘタレな自分がこんにちはするのだ。ダメダメ。なにも考えず、何度も練習した言葉を告げるだけ。それだけのことだ。
その後、湯浴みから始めてじっくりと身支度をして自分を磨き終わると、私は鏡の中の自分に笑いかけた。
……めっちゃ引きつってるやないかい!
あああぁ、駄目かも。言えないかも。
いやいや、ここで引き伸ばしたら一生告白できない。
でも無理無理、やっぱムリぃ!
……なに言ってんの、ナーデレイ・イクジナシ・コンジョーナシ・ジルバ!!
私は自分を叱咤した。目を閉じ、深呼吸をしてからもう一度鏡の中の自分を見た。
なんかめっちゃ壮絶な顔してるぅ!あー、口から心臓が出る。
我が家まで迎えにきてくれたミール様の個用車に乗せてもらうと、後ろに花束が置いてあり、車中がいい匂いだった。
え?私に?
……いや、そんなわけないか。もしも万が一そうなら、出かける前に渡さないと一日中持ち歩くことになる。玄関ホールで渡してこなかった時点で、私にくれるつもりはなさそうだ。
意味がわからないけど、花束には触れずにデートを楽しむことにした。今日の告白がうまくいかなかったら、もう会うのは気まずいし、彼が隣国に行ってしまえばひょっとして、二度と会えない可能性だってある。帰りまでは告白のことは一旦忘れて、心残りがないようにしよう。車に置き去りの花束は頭の隅に追いやり、二人で買い物(主に弟のための)などをして回った。
帰り際、家の近くまで送ってくれたミール様に、「風邪気味の弟がミール様に気付くとはしゃぐから」と、少し離れたところに個用車を止めてもらい、二人でゆっくりと歩き出した。
門扉の中に入ったところで、私はミール様に向き直った。
なにも考えないで、暗記した言葉を、言おう。
私は深呼吸をして話し出した。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです。それで、ミール様にお伝えしたいことがあるのですが……」
フツーの男なら、ここまでで何かを察するだろう。が、ミール様は文字通り、キョトンとしていた。私はもう一度、深呼吸した。ふ、震えてるよ、私。
「ミルザール・ハリージャ様。私、ミンミを通して知り合ってからずっと、あなたを尊敬してました。そのうち、尊敬が憧れになって、好意になりました。私、あなたが好きです。あなたのことが頭から離れないんです。ですから、もしよろしかったら、どうか、私と……」
「ちょっと、ちょっと待ってくれ、いやそんな、まさか」
私の言葉の途中からわたわたしだしたミール様は、そういうと、私の言葉を遮ったのだ。
「ちょっと、そこで待っていてもらえないか」
そう言うと、私の返答も聞かずに背を向けて走り出した。
……ええ?
一体今、何が起きた?
告白を途中で遮られた形の私は「ポカン」だ。
どういうこと?
少し待っていたが、ミール様は戻ってこない。これは、断られたということか。
そうだろうな……。
私はたまらなくなって、踵を返して玄関を目指した。もうちょっと頑張れ、部屋に帰ったら泣いてもいいから。
そこへ、駆け足の足音が近付いてきた。
「どこへ行くんだ、ナーデレイ嬢」
ミール様だった。
「どこって……、どうやら私はフラれたようなので、部屋に戻ろうかと」
「どうしてそうなる、待っていてくれと言ったろう」
ミール様は息を弾ませながらそう言った。
「これを受け取ってもらえるだろうか」
そう言いながら、ミール様はなにかを差し出した。それは美しい精巧な装飾が施された腕輪だった。
「特に機能が付けてあるというわけではないし、以前、女性にアクセサリーを送る際には慎重にと言われたから、なかなか渡せなくて」
彼は私の手を取り腕輪を乗せると、そのまま私の手を握り続けた。
「俺から申し込ませてくれ。ナーデレイ・ジルバ嬢。俺と、……俺と結婚してもらえないだろうか」
「えええっ!!」
け、けっこん!?
「なぜそんなに驚く、俺に好意があると言ってくれたではないか」
「そ、そうですけど、いきなり結婚ですか?」
「……嫌か?」
「そうではなく!」
このポンコツ男は。
「人間関係は、段階を踏んで行うものでしょう?男女の間なら、まずは愛の告白をしあって恋人関係になり、仲を深めてから結婚を約束するものでしょう?いきなり申し込まれては戸惑うばかりです」
「そういうものか」
そして最大のポンコツなポカをやらかしているのに気付きもせずにいる。
「それにですね。結婚の申し込みをしていただいたのは大変嬉しく思いますが、それは一体、どういう意図でしょう?」
「ど、どういう、というと?」
はあ。もしかして私、早まったかしら。本当にこのポンコツでいいのかしら。私はつい、早口でまくしたてた。
「私と結婚したいのはなぜか、ということです。ミール様が婚約するなり結婚するなりした方が隣国に渡りやすいというのは承知していますが、だから隣国語ができる私が都合がいいとか、私があなたに好意を持っているなら丁度いいとかそういう意味なのでしょうか。私、勇気を奮って一世一代の愛の告白をしましたのよ。それに対するミール様のお返事をまだ頂いていないのです」
「へ、返事?」
「丁度いいからとか都合がいいからとかいう理由でしたら、私、せっかくのお申し込みですけれども結婚をお断りしなければなりませんから」
ミール様は目をウロウロと泳がせている。
ここまで言ってもまだわかんないのかい。
「つまり、ミール様が私のことをどう思っているのか、ということです。愛を返していただけないなら、好きな人でも、いえ、好きな人だからこそ、苦しくなってしまうでしょう。ですから、どう思っているのかを、きちんと言葉にして頂きたいのです」
私は真っ直ぐにミール様を見た。平気そうな顔ができているだろうか。自分の指先の震えを自覚して私はこっそりと深呼吸を繰り返した。
「わ、わかった。だが、とてもじゃないが君の顔を見ながら言えない。後ろを向いてもいいだろうか」
……はあ!?はあああーっ!?
……はあ。
「……それはあんまりです。では抱きしめてくださいませんか」
「え」
私はミール様に両腕を差し出した。ミール様は戸惑っていたが、おずおずと近付きそっと抱きしめてくれた。次第に抱擁が強くなる。ミール様は思ったよりもずっと力強かった。
そうして、ミール様は愛の言葉を耳元で囁いてくれた。
ずいぶんと早いミール様の心臓の音を聞きながら、私は幸せだった。
「では、ナーデレイ・ジルバ嬢。まずは恋人になってもらえるだろうか」
抱擁を解くとミール様は私に腕輪をつけながら言った。
「はい。喜んで」
「良かった、先ほどは断られたのかと思った」
……え?それだけ?私たち、たった今、恋人同士になったのですが。
ミール様にはハードル高いか。私にもだけど。
ちょっとしたイチャイチャ(ミンミの定義による)を期待していた私は、がっかりと安堵を同時にした。
「ところでずっと気になっていたのですが、車の花束は一体、どうなさったのです?」
ミール様は眉を寄せた。
「ミンミが出がけに、おそらく今日は花束が必要になると思われるから、四の五の言わずに持って行けと言って渡された。今日はずっと、花束の出番はなさそうだがどういうことだと思いながら過ごしていたんだ」
……このポンコツ男は!!ミンミが用意してたんかい!しかも活用できてないし!
「……あのですね。世間一般的には、女性に申し込みに行く時は、花束などを持参するものなのです。これを持って申し込んでこいとのミンミの配慮ではないでしょうか」
ミール様は口を開けて驚いたが苦笑した。
「そうか、ミンミには筒抜けか。つくづく俺はこういったことに疎いな」
疎いとかいうレベルじゃないです。私がミンミに相談したことは瞬時に察するくせに。でも。
「そんなミール様が私は好きですよ。けれど、疎いままでは貴族社会ではやっていけませんので、少しずつ覚えていけばいいと思います」
ミール様は頷くと片手で顔を覆った。
「……なるほど、君の気持ちを知ってもなお、好きという言葉は、勇気や安心をくれるものなのだな。俺もできるだけ、君への気持ちを口にしていこうと思う」
ふふ。野暮天だけど実直な方。勇気を出して良かった。私はもう一度、ミール様に抱きついた。
「ミール様はいつから、私のことをそんな風に思ってくださっていたのですか?」
今、気持ちを口にすると言ったばかりだ。この機会を逃さず畳みかけていってやる。
「その、顔を見られたら言えないから、あっちを向いてくれないか」
もう、なんだそりゃ。
「仕方のない方ですね。では、目を閉じておきます」
そう言って私は目を閉じた。ミール様は一呼吸置いてから早口で話し出した。
「君といると楽しくて、君の言葉で気付かされることも多かった。それなのに最近、意味もなく不安になったりイライラしたり、妙に寂しかったりした。君がいないときにそうなると気付いたんだ。それで……、腕輪を作った。この気持ちが実るとは思えなかったので、君にこれを渡して隣国へ行こうと思っていたのだが……。嬉しく思っている」
奇跡が起きました。
私は目を閉じたまま笑顔になった。
「私も嬉しいです、ミール様。愛しています」
私は目を開かなかった。
通じるかな?無理かな?
ちゃんと通じて、ミール様はそっとキスしてくれました。
長かった!やっとかい!
次回、最終話です。それではまた明日。