幼馴染とおもちゃの指輪
夢を見た。
向日葵畑で走り回るボクと幼馴染の君。
夏祭りの日、夜空に打ち上げられる綺麗な花火をそっちのけで綿あめを頬張る君の横顔。
竹箒で一生懸命に玄関前の落ち葉をかき集めるあの子。
まだ君の方が背が高かったころのこと、雪が降る夜にあの子はそっと僕の頭に積もる雪を払い落としてくれた。
ボクはそんな彼女の行為に抵抗することなく、身を任せた。
「ねぇ、ゆーくん。私たち、春から中学生だね。ちょっぴり大人になった気分」
「大人か……そうかもな。でも本当の大人たちはボクらのことを子ども扱いするけど」
「ねーっ。ひどいよね、私たちはちょっとずつ大きくなっているのに、周りの大人たちはみんな子ども扱いしてくるんだよ」
頬を突けば破裂してしまうのではないかと思えるほどの膨れ顔を披露する彼女。
ボクたちは子供時代特有の、ささやかな大人に対する反抗心を見せる。
君の気持ちがボクにも伝播したのか、彼女と一緒になって『さっさと大人になってやるんだ』と豪語した。
そんなに上手くいくわけがないのに――。
若気の至りだ。
「ねえ、ゆーくん。昔した約束覚えてる?」
「あーちゃんと約束したことっていっぱいあるから、どれのことかわからないよ」
「一番大事な約束」
「――うん、覚えているよ。はずかしいから口には出さないけど」
幼いころに交わした約束。
夏祭りの屋台で購入したおもちゃの指輪を彼女の左手の薬指に嵌め、ボクが大人になったら結婚して欲しいと申し込んだ。
彼女――楠有栖は満面の笑みを浮かべて『約束だよ! ぜったいだからね!』と返事をしてくれた。
時は移り変わり、ボクたちは中学生となった。
新しい環境に戸惑いながらも、順調にその環境に慣れていった。慣れというものは素晴らしいもので、一度適応してしまえば苦も無く環境に溶け込むことが出来るし、新しいこともすぐに吸収してしまう。
いつの日からだろうか、ボクは自分のことを俺と呼ぶようになっていた。心境の変化でもあったのだろうか。
小テストの答案を返却する前に記入漏れがないか確認する。
うん、解答は問題ない。自分の名前、藤原優紀という文字も問題なく記入してある。
程なくして解答用紙は後ろの席から順に回収されていき、本日最後の授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
「ゆーくん、一緒に帰ろ?」
「いいぞ。……ってかほぼ毎日やってるな、このやり取り」
「だって、ゆーくんにも友達付き合いとかあるじゃない? だから無理な時は無理って言っていいんだよ?」
「その時が来たらそうする」
そんな日が来るわけがない、俺はそう思っていた。
しかし思春期真っ盛りの俺の心が日に日にそれを許さなくなっていく。
有栖のくっきりとした双眸、赤みを帯びた頬、風に靡く綺麗な髪を見るたびに女性として徐々に魅力が増してきていることに気づいてしまった。
彼女と俺の性格に関しては相性がいいことを嫌というほど理解している。伊達に長い間有栖の幼馴染をやってきたわけではない。
そう認識したが最後、俺は本物の恋を知った。それは幼かった頃に抱いた彼女に対する感情と全く別物だった。
次の日から有栖の顔をまともに見ることが出来なくなった。
しかしそんな事情を知らない彼女はいつもの調子で俺に話しかける。
「もう。ゆーくん、話すときは私の目を見て」
「いや……そうしたいんだけど、色々と事情があってできないんだよ」
有栖の顔を見れない、それどころか次第に会話すらまともに続かなくなった。
そして俺らの関係は悪化し、別々に登下校するようになった。毎日のように一緒に登下校していたあの日々が嘘のようだ。
有栖にはきっと嫌われたに違いない。
「おっす、優紀」
「陸か、おはよう」
彼は高橋陸といい、中学に入ってから仲良くなった友人だ。
時々人懐っこい笑顔を浮かべる彼は男女関係なく人気がある。
「ところでよ、あれなんだよ」
「あれって言われてもわからん」
「すっとぼけるしよぉ……。あれってあれだ、楠との件だよ。何? お前ら、喧嘩でもしたのか? 最近全く話すらしないじゃん」
「あー……。まぁ、なんだ。色々あるんだよ。喧嘩した訳ではない」
「それならいいんだけどよ」
その時偶然有栖と目が合った。
いや、偶然ではないだろう。自然と彼女の後姿を目で追ってしまっている自分がいる。
仲が悪くなるくらいなら、恋なんて――
「ゆーくん、今日は一緒に帰ろ?」
「いいぞ。……はっ?」
「言質、取ったからね」
じゃあね、そう言い残して有栖は自分の席へ戻る。
しまった、条件反射で昔のように即了承してしまった。慣れというものは怖い。
下校時間が刻々と迫る中、俺は気が気ではなかった。有栖の先ほどの発言の真意が読み取れない。下校後、これを機に縁を切ると言われても仕方のないことなのかもしれない。そう思われるだけの酷いことを俺はした、そう思う。
久しぶりに有栖と一緒に下校しているわけだが、そこには会話はなかった。
心がざわつく。
よく一緒に登下校していた頃と同じように彼女と歩幅を合わせる。少し前まで有栖の方が背が高かったのに、今や俺は彼女の身長を追い越してしまった。
『早く大人になりたい』だなんて一緒になって言い合っていたあの頃に戻りたい。いざ大人に一歩近づいてみればこのざまだ。肉体と精神の成長が俺と彼女の仲を引き裂こうとしている。
ボクと君だったころに戻りたい。
あの頃に思いを馳せている間に有栖の自宅の前に到着してしまった。
彼女は真剣な眼差しをこちらに向けてくる。その仕草が俺に何かを訴えかけていることは何とか理解できるが、何を求めているかまではわからない。
すると有栖は左手をこちらに差し出し、視線を逸らした。
その行為が意味することはただ一つ、幼い日に交わした一番大事な約束の確認。
俺はやさしく彼女の手に左手を添え、右手で有栖の薬指に触れた。
有栖は深呼吸しながら髪の毛先を右手で弄る。
それは安堵した時に見せる癖であることを俺は知っている。
「実はね、お父さん、仕事中に倒れちゃったんだ。過労とストレスが原因だってお医者さんが言ってた。だから、だから――」
彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「――療養するから遠くに引っ越すことになったの。なんでだろうね? 両思いなのに、上手くいかないね。……でもお父さんのことが心配だから、離れたくない」
「それでいいんだよ。俺らはまだまだ子供なんだし、それでいいんだって。ただ、もし――もしだぞ? 俺らが大人になってもお互いの気持ちが変わらなければその時は――」
「その時は?」
その時は――
*..*..*
ピピピピピピッ!
目覚まし時計がけたたましく鳴り響く。
俺は欠伸をしながら身支度を整え、荷物を持って外へ出る。
戸締り良し、それじゃ早速行きますか。
特急列車に乗り込み、目的地へと向かう。
彼女は大学進学を機に上京したという。その彼女との待ち合わせの場所へと向かう。
列車から降りると、幸運にも空は晴れ渡っていた。
俺は地図アプリを起動し、目的の店を目指す。意外にもそこは駅からそこまで遠くなかった。
所謂純喫茶と呼ばれる店に入ると――
「ゆーくん、こっちだよ」
「おお、あーちゃん、久しぶり」
そこには有栖がいた。会うのは何年ぶりだろうか。
成長した幼馴染は外見こそ美しくなってはいるものの、性格は昔のままだ。
おそらくだが有栖も似たようなことを考えているんだろうな。
「会うのは久しぶりだし、積もる話もあると思うんだけど……その前に渡したいものがあるから手を出してもらってもいい?」
「ああ、いいぞ」
一体何を手渡されるというのか。お土産か?
しかしその予想は外れ、手渡されたものはおもちゃの指輪だった。
彼女は右手だけ引っ込め、左手をこちらに差し出している。
俺はそのおもちゃの指輪を右手で持ち、彼女の左手の薬指へ――
「……ふふっ」
「まあ、そりゃそうだよな。お互い成長したし」
結論から述べるとその指輪は彼女の薬指に嵌らなかった。
子供用だから仕方ないと言えば仕方ない。
「そのうち本物を用意するよ」
「えーっ? 本当? いつごろ?」
「そのうちな。……あまり急かさないでくれよ?」
「分かってるって。こんなに長い間離れていたのに切れなかった縁だよ? 期待してる」
その期待に応えないとな。
有栖のためにも、俺のためにも、――あの頃のボクと君のためにも。