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『やぁ、君からの連絡をずっと待っていたよ』
ケビンの声は実に嬉しそうだった。本当に待ち望んでいたことがよく分かった。私も素直に嬉しくなった。そして、時間制限があることを思い出し、余韻もほどほどにさっそく話を切り出した。
「実は、昨日までの1週間、旅行に出ていたの。学園の友達のお祖父様が持つ別邸に3日間滞在して、移動に往復4日を掛けた、まぁそれなりの日数のものだったのよ。だからね、いろいろあったわけよ。あ、安心して、概ねいいことばかりだったから。とても楽しかったのよ。嬉しくなることもあった。大切なことを思い出したりもした。そのことをあなたとも共有したいと思ったの。それで今朝も早起きして、話したいことをメモにまとめてきたの。頭の中で選り抜きながら話したせいでペンダントの時間制限を使いきるみたいなことはしたくないから。今日だけじゃなく、また何度かこの夏休みにお話ししたい。ただそれでも、今日は少し時間がかかりそうなの? どう? 時間は大丈夫かしら?」
『うん、全然大丈夫だよ。今日は、午前中は何もないんだ。半休みたいなものかな。運が良かったね』ケビンは言った。『私も嬉しくてたまらないよ。私は君とこういう話がしたくてペンダントを渡したんだからね』
私はメモに書いた通りのこと端的に説明した。海水浴・動物園・重要文化財の見学、就寝前のゲームレクリエーション、ゲーリーの成長、はじめて王都へ遊びに行った時に得た感動と成果。彼は適当な相槌をうちながら真摯に聞き役に徹してくれた。そして私が概ね話し終えると、彼がまず口にしたのはゲーリーのことだった。
『よかった。君が有意義な時間を過ごせたことがまず嬉しいよ』ケビンは言った。『その次に、私は君の弟、ゲーリーくんのことが羨ましく感じたよ』
「なんでまた?」
私は素直に質問した。
彼は答える。『私の幼少の頃は、ゲーリーくんのように構ってもらえた記憶がない』
私は返事に窮してしまった。彼はその不意にできた会話の隙を埋めるようにすかさず続けてくれる。
『まぁ、王家に生まれるとはそういうことなんだね。王である父はずっと忙しかったし、伝統として実の母ではなく乳母に生まれてからの面倒を見てもらっていたから、母ともそこまで親密ではなかった。そもそもいまの母と私の血は繋がっていないから、やはりロバートとはそれなりの線引きをされているのを物心ついたときからずっと感じていた。その理由、つまりは私の実の母は私が産まれてすぐ亡くなっていて、いまの母は血の繋がりがない父の後妻であることを知ったのは6歳の頃だった。平民や一般貴族の家だったら、そういうことはもっと大きくなってから知るんだろうけど、とりわけ王家はその一挙手一投足がそのまま歴史になるから、知らないわけにはいかなかった。それがなおさら、私の心を孤独にさせた。ロバートとは、正直に言うとほんの小さい頃から気が合わなかったから余計にね。もちろん、私の周りに乳母をはじめとして気にかけてくれる大人はたくさんいた。そこには本物となんらかわりない愛もあったと思う。しかし私は、そこに業務としての関係というノイズがいつも介在して、それが常に幾分の不快を生んでいたんだ。そしてそのノイズの一切ない、はじめての対等な関係がマリーだった』
私は彼の傷に静かに耳を立てた。幸せや有意義だけではなく、痛みや傷も共有すること、それこそが誠実なんだと、私は改めて理解した。
『あるいは』ケビンは続ける。『君のような素敵なお姉さんがいたら、また違っていたかもしれない』
「……私は本当によい姉をできているのかしら」私は言った。『ロバート、様を追い詰めた時や、あなたにアポ無しで直談判に行ったことだって、言ってしまえば私は勝手にゲーリーの人生を危険に晒していたんだから。もちろん、そういうことをするんだから私は私なりに十全の準備をして不安要素は排除してきた。それでも甘い部分もあって、あなたがいないと最後は危なかった。いま思い返すととても恐ろしくなる。とりわけゲーリーと密に接していたこの1週間を経て特に」
『いや、君は十二分すぎるほどに立派なお姉さんだよ』彼は優しく言ってくれた。『君の話を聞く限り、ゲーリーくんはしっかりとした正義感を持っているようだ。そんな彼が、自分のことを気に掛けたせいでお姉さんが巨悪を見逃さざるを得なくなった、なんて知ったら、とても怒ると思うよ。もちろん、いまの彼の年齢でそういう情動になるかと言われると分からないけど、将来的には必ずそうなる。分かるんだ。同じ男だからね。――改めて君はとても素晴らしいことをしたんだ。私の心を深く暗い場所から押し上げてくれて、ゲーリーくん人生に負い目を抱かせなかった。本当に素晴らしいよ』
「そ、そうかしら」
私は照れを隠しきれなかった。ゲーリーのことを言えないな、私は内省した。
『うーん……実はゲーリーくんについてはもう1つ、君の話を聞くなかで気になったことがあるんだ』彼はまた唐突に言った。
「気になること?」私はケビンの言葉を抜き出した。「どの部分?」
『うん』と彼はまず相槌を入れた。『君の友達と会話や対面した時の反応というのかな』
「あー、そのことね」私はまったく想定していない部分じゃないことにほっとした。「まぁでも、子どもってあれくらいの歳になれば、特に男の子は、家族外の歳上の異性に対して気後れし出すものじゃないの」
「うん、その点は私も覚えがあるからよく分かるんだ」
彼の覚えについて詳しく聞きたいと思ったけれど、夏休みが明けてもっとゆったり会話できる機会まで胸に秘めておこうと思った。
彼は続ける。「私が言いたいのは、君の友達の中の、とりわけジュディという子と対した時についてなんだ」
「ジュディと?」
「そう」ケビンは言った。「ゲーリーくんは旅行の間、概ねジュディさんとシンディさんから度々からかわれていたようだけど、ジュディさんだけにからかわれた時やジュディさんだけと対面した時の反応にちょっとした差異を感じたんだよね」
「うん、そうね」私は答えた。「でもジュディは言ってみれば、赤ちゃんだった時からの付き合いがある訳で、ただそれだけのことじゃないのかな?」
ケビンは言った『――いや、僕はもっと違ったものを、ゲーリーくんから感じるんだ』
「何よ、それって?」
なぜだろう、心なしか語気がきつくなってしまう。別にケビンが勿体ぶることを怒っているわけでもないのに。あるいはそれは、安楽椅子探偵のごとく私の主観的な証言だけを持ち寄って、ゲーリーの私が触れられなかった深い部分を読解できたこと。その最大の要因として「同じ男である」こと、その越えられない同一性に対する嫉妬なのかもしれない。でも、改めてそれは怒りによってではなく、きっと寂しさをその主要構成要素としているのだ。
『うん』とケビンは相槌を打つ。『――いや、やっぱり言わないでおこう』
「――なんでよ?」私は言った。そして正直な気持ちを口にする。「私が機嫌悪そうにしたから?」
『うんうん、まったく違うよ』ケビンは答えた。『まだそのことを明確に言語化するのに適した時期じゃないと思い直しただけだよ』
「時期じゃない?」私は言った。
『そうだよ』ケビンは応えた。『君が彼自身に、まだ子どもっぽさを悪とする時期じゃない、と言ったように。いまそれを言ってしまうこと、それも第三者がそれを指摘するのは、100%彼のためにならない』
「……」
私はほっとして言葉がでなかった。ケビンの指摘しようとしていた部分が、何かしらの緊急性を要するものじゃないことに安堵した。
『でも心配はしなくていい』ケビンは言った。『これもゲーリーくんの健やかな成長にかかる部分だ。君はいまのまま彼に寄り添ってあげればいい。それだけで、君は最高のお姉さんだよ』
「――分かったわ」
私はケビンを信用する。彼の私への評価を信頼する。それを裏切るような出過ぎた行為はしたくない。ゲーリーを傷付け、ケビンからも呆れられ、そして自分が発した言葉の責任をとらないこと。それこそ、いまの私が1番に避けないといけない失敗だ。無茶あるいは無謀へは、前向きな気持ちにない時に踏み出してはいけない。私はそれを再認識する。
「今日はありがとう。また連絡させてもらうわね」
『うん。いつでも待っている、とは仕事上言えないけれど、心はいつでも君からの連絡を待っているよ』
プツッ
ゲーリーの話題をひとまず落着させると、私たちは少し他愛のない会話をした。そして開始30分を目処にして、互いに別れの言葉を交わした。ペンダントの効力は残り約1時間。今日のような会話を、夏休み中に後2度することができる。私はちゃんと2度彼に連絡ができるように、充実した夏休みを過ごすこと、それを握りしめるように心の中に誓った。
あぁあ、と私は大きなあくびをした。この通話のために、昨晩から今朝にかけて意識的な早寝早起きをしたけれど、長距離移動の疲れを完全に取るには些か睡眠時間が足りなかったようだ。
私はこのまま、昼食時になるまで昼寝することにした。改めてもたれ掛かる木の幹に体を馴染ませる。先ほどの通話のためではなく、ぐっすりと眠るために。いいポジションにはまると、私はそっと目を瞑る。通話の合間に日陰がいい位置に来て、私を完全に覆っている。風もそれなりに吹いているし、その風に叩かれる木の葉のメロディーが実に心地よい。気温もまだ上がりきっていない。このまま深く寝入っても、寝苦しさを感じることもないだろう。
私は『ふしぎの国のアリス』と自身を重ね合わせる。素敵ながらも恐ろしいワンダーランドに自分が移動していくイメージを浮かべる。しかしよくよく思い返すと、いま私がいるこの『オールウェイズ・ラブ・ユー』の世界こそが、まさしくそのワンダーランドだった。
ワンダーランドのさらにワンダーランドとは、いったいどんなところなのだろう? そういった思考実験に進み入ると、私の心はさながら炉心融解の如くどろどろとなって地面の中に染み込んでいった。その先にあるはずの、ワンダーランド・イン・ワンダーランドを求めて。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




