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 私たちは陽光がその色を陰らせはじめるまで遊んだ。その頃になると、ゲーリーは体力が尽きていまにも倒れそうなくらいにうとうとしはじめた。その状態で私の足もとにすり寄って、いまにも寝てしまいそうになった。私はジュディ、ディアナ、シンディの順番で目配せをする。3人とも同様に優しい表情で頷いてくれた。私は一旦ジュディにゲーリーを預けて、折り畳みチェア近くに置いてあったタオルを人数分取った。ついさっきまでまた遊泳をしていたからだ。みんなのもとに戻ると、シンディ、ディアナ、ジュディの順番に渡して、同時にジュディからゲーリーを回収した。自身の体を拭うのも大概に、私は寝ぼけ眼を擦るゲーリーの体と髪を拭いてやる。ゲーリーは私の所作に対し、うーんや、と唸っている。いつもの礼儀正しさは鳴りを潜めている。


 私はそのゲーリーの様子に、入学式後に寂しさに泣いた彼のことを思い出す。私はどちらかと言えば、普段の礼儀正しい彼よりも、年相応にぐずったり泣いたり、感情を発露する彼の方が好きだ。彼の礼儀正しさは両親の育てのよさの賜物で、それはとても素晴らしいことなのだけれど、私は個人的に子供は子供らしくいて欲しいと思っている。大人になんて、そんなに早くならなくていい。いや、こんな物言いじゃ、まるで彼のことを思って言っているみたいじゃないか。本当のところ、それは完全に私の都合なのだ。


 私はまだ、弟の性欲と向き合う覚悟ができていない。たとえそれが誰に向けられるものであっても。しかし、それも近いうちにやってくるだろう。私はその予感のようなものを今日ひしひしと感じた。



「ほら、おんぶしてあげる」


 そう言って、私はゲーリーを背にしてしゃがみこんだ。うん、とゲーリーは応えて、私の肩と背中に完全に体重を預けた。


 私は慎重に立ち上がって、ゲーリーにとって負担の少ない姿勢を幾つか探る。そうしている間に、ゲーリー健やかな寝息をたてはじめた。私はまた3人目配せをして、ジュディは笑顔で口の前に人差し指をたてる。


 私たちはさっそく、足早に別邸に戻る。その最中、ジュディが私の隣について潜めた声で言った。


「ホイットニーっていいお母さんになれそうよね」


「……そうかしらね」


 私も潜めた声で返した。


 私は自分で自分を不思議に思った。以前の私ならゲーリーを抱えている状態でも、明確に不機嫌な態度を取ったかもしれない。少なくとも、はじめて王都に出掛けたあの日時点なら確実にそうだった。でもいまの私は、ジュディの言葉を結構すんなり受け入れられた。それも、ケビンとの交流とその想いの影響かもしれない。ただそれでも、自分に子供がいるという想像を、まだ私はうまく心中に結べない。まぁ、無理にする必要もない。全ての事柄は勝手にやってきて、勝手に去っていくのだ。やって来た時の私に、全てを任せよう。


 私たちは別邸に戻ると、さっそく入浴した。ゲーリーはシンディの祖父の使用人の男性(初老)に任せた。別邸の浴場・湯船は学園寮ほどの広さはないけれど、4人同時に入浴する分には差し支えなかった。しかし、全員が足を伸ばすには些か狭かった。でも、全員で身を屈めて寄り添うようにするのも悪くない体験だった。もちろん、ディアナの頬を堪能することは忘れない。


 入浴を終えて、室内着に着替えて別邸のリビングに出る。ちょうど私は、『アナンシエーション』で購入したゆったりとした透けのないミントグリーンのワンピース身に付けている。リビングでは向かい合ったソファーで私とディアナとシンディの父親が談笑している。シンディの祖父と祖母と母は外出しているようだ。私は自身の父にゲーリーのことを聞いた。ゲーリーは私たちよりもだいぶはやく上がってきて、奥の客間のベッドを用意してもらいぐっすりと眠っているようだ。夕食前に起こしてきてやってくれ、ホイットニーだと寝起きの機嫌がいいんだ、と父は付け加えた。


 そうさせていただきます、と私は答えた。そして私たちは私たちで夕食までの時間を潰すことになった。私たちは先ほどの使用人によって、ゲーリーが寝ているのとはまた別の客間に案内される。今日、私たちが寝泊まりさせてもらう部屋だ。広めの空間にベッドが4つ。大きなタンスとテーブルに椅子が4つ。カーテンの閉められた大きな窓。壁には絵画、脇には観葉植物。オーソドックスでゆとりのあるもてなし部屋である。私たちが持ってきた荷物(トランク)も運び込まれている。使用人から利用上の簡単な説明を受けると、シンディがさっそくボードゲームを持ち寄ってきた。どうやら、前世の人生ゲームによく似たもののようだ。ただ違うのは、分身のピンが乗り込むのは車ではなく馬車であること、フリーターからではなく、成人した貴族が様々な役職や肩書きを獲得しながら、誰が最も王の左腕と呼ぶのにふさわしい人間味なるか競うということ。王になり変わるみたいなストーリーじゃないのは個人的に興味深い。


 ルーレットの回転音と、私たちの喜び・悲しみ・悔やみ・嘲りの声が幾重にも轟いて、結果としてジュディが1番になってゲームは終了した。こういった運の要素が強いゲームを、ジュディは昔から大得意にしていた。ジュディは腰に両手を添えて、背をそらしながら、がっはっは、と笑っていた。何度も見てきた光景である。


 そうこうして、使用人が説明の最後の告げていた夕食の予定時刻のおよそ40分前になったので、父との約束通りゲーリーを迎えにいくことにした。


 

 ゲーリーが眠っている客間は私たちの2つ隣だった。扉の下の隙間からどのような光も漏れていないので、恐らくはまだ眠っているだろう。私はノックをせずに、そっと扉を開く。案の定、ゲーリーはまだすやすや寝入っている。掛け布団を深く被って、右肩を下に寝返りを打っている。その様子が、ベッド脇のサイドテーブルのランプの仄かな明かりに照らされている。


 私は廊下から私の背中越しにゲーリーの客間を覗き見る3人にサインを送る。口の前に人差し指をたて、ゲーリーの眠るベッドを指差し、両手を幽霊のようにして忍び足で進むことを表現する。3人は一様に笑顔になる。そしてディアナはうんと1回頷いて、ジュディとシンディはグーサインを私に対して示した。私も自身のらしくないアクションについ吹き出しそうになる。先ほどの楽しいゲームの余韻が、私の中にも残っているのだ。


 私たちは作戦通りに忍び足でゲーリーの枕元へ向かう。天井にある昭明は点けない。予告なしに急に部屋全体が明るくなると、恐らくゲーリーは驚いてしまうからだ。最悪大声で泣いてしまうかもしれない。他人の住居でそんなことはできるだけ避けたい。


 私たちはゲーリーを起こすことなく、私を先頭にしてベッド脇に横に並ぶ。ゲーリーは、すー、と大人しい寝息をたてている。私は横の3人に目配せをする。3人から頷きの反応が返ってきて、満を持してゲーリーの左肩を揺する。


「ゲーリー、晩ご飯よ。起きなさい」


 息を混ぜて、語気を可能な限り弱める。これも、いいお母さんになれそうな用件だったりするのだろうか。


 ゲーリーは、うーん、と小さく唸ってから、パチパチと2度大きく瞬きしてから半分くらい目を開く。ボーッと私の顔を見ながら、ゲーリーは言った。


「ねぇね」


 それはゲーリーの3歳頃までの私の呼び名だった。


「「きゃああああああああああーーー!」」


 ジュディとシンディはその可愛らしさに、たまらず奇声を上げた。


 ゲーリーは2人の奇声に驚いて、横になったまま肩をすくめて目をばっちりと開く。そしてポカンと口を開けて、え、え、と困惑を音にする。泣かなかっただけ偉い。その辺りも成長を見せているのかもしれない。


「ちょ、ちょっとぉ。せっかく優しく起こそうって話だったじゃないの」


 私はジュディとシンディに言った。しかし2人は私の文句を意に返さず、また大きな声で言い合った。一方のディアナは口を両手で覆っている。恐らくはディアナもいわゆる()()やられて、口角がだらしなくなっているのを隠しているのだろう。目尻が緩んでいるところからその絵面を補完できる。


「ねぇね! ねぇねやって!」


「ゲーリーくんのねぇね久しぶりに聞けたあよお、もう聞けないのかと思ったよぉ」


「ああ、私もこんな弟ほしかったわぁ」



 え、あぁあぁぁぁあ! とゲーリーは上体を起こしながら叫んだ。2人の会話を聞いて、自分がねぇねと言ってしまっていたことをいまはじめて自覚したのだろう。


 実を言うと、ゲーリーはいまでも油断をするとねぇねと言ってしまう。夏休みの帰省はまだ初頭だけれど、私と離れた寂しさもあってかこれまで2度ねぇねと呼び掛けられた。その時は彼からの簡単な失礼しましたで終わっていた。別にねぇねのままでいいよ、と言ってあげるのは簡単だったけれど、まだ幼い彼なりに将来家を背負うことに対する決意があるのだ。無下にはしたくない。私が個人的に、その事をさして重要なこととは思っていなくても。


 しかし、今回は何かしらのコメントをしてあげる必要があるだろう。身内ならまだしも、外部の人間に不用意に自身の幼さを露見してしまった。そのうえその幼さを愛でられるような反応をされてしまった。彼にとってはとてもショックだろう(だったら砂浜で私に体を拭かれていた時の、うーんや、みたいな反応もその対象になるべきだと思うのだけれど、それは彼の中での確固たる線引きがあるのだろう)。



 ゲーリーは真っ赤になった顔を隠すように私たちに背を向ける。そのままベッドの反対側から抜け出した。そこで背中を向けたまましばらく立ち尽くす。言うべき言葉を彼なりに探っているのだろう。


「何も言わずに待ってなさいよ」


 私は潜めた声でジュディとシンディに言った。2人はにんまりとした表情で頷いた。


 10秒くらいして、ゲーリーはやっとこちらに振り向いた。


 真っ赤だった顔は幾分和らいでいるけれど、視線はまだまっすぐこちらに向けることができていない。臍の前で重ねた両手を、居心地が悪そうにもじもじとさせている。


 ゲーリーは、ふっ、としゃっくりのような浅い呼吸をする。どうやら必要な言葉を探り当て発そうとしたけれど、心がまだ追い付いてなくて失敗したように見受けられる。


 その一連を、ジュディとシンディはにんまりとした顔で見守っている。ディアナもいつもにまして一段と目を見開いていて、ゲーリーの一挙手一投足に釘付けの様子だ。普段、どちらかと言えばゲーリーの扱いに近い彼女も、そんなことは忘れて彼の可愛らしさに注目している。ゲーリーがいない時にでもそこのところをイジってやろうか、というのは意地悪が過ぎるかもしれない。


 あ、あの、ええと、とゲーリーは遂に口にする。しかし、具体的な内容はいまだ続かない。喉の奥から引っ張り出すのに苦労しているようだ。私たちは急かしたり、逆にこちらが主体となって言葉を引き出そうなんてせずに、じっくりと待ってやる。それが彼の求めている成長や決意と、恐らくは一致していると思うから。


 ゲーリーは1度大きく深呼吸して、やっと内容のある言葉を発した。


「お、お姉さまたちは、晩ご、夕食の時間になったから迎えに来てくれたのだと、思います。シンディ様の、ええと、お世話係? の男の人から、時間になったら誰か呼びにくると聞いてました。あ、ありがとうございます。さ、先ほどは、恥ずかしいところを見せてしまって、も、申し訳ございません」


 ゲーリーなりに精一杯言葉を絞り出している感じが、姉としても尊ばずにはいられない。


「もう~、恥ずかしいところを、なんて全然ないのにね」


 ジュディが遂に我慢できず口を開く。まぁ、これはしょうがない。実際ジュディの反応が至極正解だろう。私は、ふう、1つ息を吐いてから、本格的にゲーリーのフォローに移行する。


「ゲーリー、私もジュディに言った通り、お恥ずかしいこと、なんて微塵も思ってないわ。シンディとディアナもそうでしょ?」


 そうや、とシンディが答え、うん、ディアナも頷いた。


 私はベッドの端に沿ってゲーリーのもとへ移動する。彼は私が向かってくる方に正対して待つ。私は彼の前に着くと、膝をついて視線を合わせる。こうするのは入学式以来だ。だから、背が伸びていることが具に分かる。私はその事実を嬉しく思う反面、剣呑も感じている。彼の表面的な意識は、体の成長よりも1歩も2歩も先に自身の心があること、それを継続させることに熱意を注いでいる。それは掛け値なしに素晴らしいことだ。絶対にからかってはいけない。幼少期のそういうからかいが、後の人生に多大な悪影響を及ぼす様私は何度も見てきたし、自身も体験してきた。だから私が個人的にどう思おうと、その気持ちを最大限尊重しないといけない。それとは別個で、私が剣呑を感じる点、それはこれまで何度も言ってきたように性欲のことである。性欲はまるで音速をこえるロケットのように全てを置き去りにする。そして、ゲーリーが意識的に成長させようとする部分を台無しにしかねない。私はそれが怖いのだ。


 これが前世のように身分もなく、男尊女卑がまだましな世界なら、腕力で勝るうちに()()()()()のも手だ。前世で姉なる人種がよくやっていたように。しかし、そんな手は取れない。将来は家督を継ぐ重要な男子にそんなことしようものなら、私は最悪軟禁されるだろう。少なくとも私の両親はそんな対処をしないだろうけれど。ただそれ以上に、私の心がそれを拒絶している。その根底にある気色悪さと加害性は、()()()()()()()()()()()()()()()()と、まったく同じだからだ。私は彼らとは違う。そのことを、私はここで見せつけないといけない。大切な友達に、そして広く世界に対して。


「ゲーリー」私はまず彼の名前を優しく呼んであげた。そして選り抜いた言葉を少し舌の上で転ばせてから続ける。「私はゲーリーのことをとても誇りに思っているわ。まだ歳も二桁にのらないうちから自身の将来の姿を見据えて、そこにどうやったらは迎えるか。常に考えて行動して言葉を選んでる。それはとても素晴らしいことだと思う。だからね、たまぁーに油断した言葉遣いや行動になったって、ゲーリーがこれまで積み重ねてきたものが壊れることなんてないわ。私はあなたをとても信用しているの。強くて優しくて、お父様のように町を安穏と治めてくれると信じてる。私はあなたに失望することなんてない。誰かを虐めたりしない限り。普段はとても礼儀正しいのに、時折年相応なところを見せてくれるゲーリーが私は大好きなの。だからそんな、見放されるかもみたいな顔をしないで欲しいな」


 私は私なりに、できるだけゲーリーの理解しやすい言葉を選んだつもりだけど、少し難しかったかもしれない。いけない、普段から平易な言葉で自身の気持ちを伝える努力を放棄しがちだから、こういう時に悔いが残ってしまう。


 しかし、当のゲーリーは私の言葉を受けて、頬の紅潮がスーッとひいていた。そして、どちらかといえばそっけない感じで言った。


「うん、分かった」


 私は頭を捻る。ゲーリーの反応は、私の言葉を理解できたからこそなのか。そうでなくとも、少なくとも私の感情が伝わったからなのか。それとも私の投げ掛けた情報量によって思考停止状態になってしまったからなのか。まぁ、どちらにせよ鎮静には成功した。後は経過観察だ、私はひとまず区切りとした。



 少しして、男性の使用人が部屋にやって来た。ゲーリーの大声に様子を見に来たのだ。私は、大丈夫です、ご心配をおかけしました、と言った。男性の使用人は、さようでございますか、と微笑んだ。そして、夕食の準備が整っていることを知らせてくれた。すると、ゲーリーがはっとした表情を浮かべてから、分かりました、と言っていの一番に使用人が覗く扉の方に向かった。私たちはその後について部屋を後にした。


 廊下に出て少しして、ジュディが言った。


「私、ホイットニーが誰かに大好きって言っているところはじめて見たわ」


 その通りかもしれない、と私は思った。実際、少なくとも前世の記憶が戻ってから、私は大好きを口にした記憶はない。それはとても寂しいことだったなと、いまにして考える。私も今回のことを、何かしらの切っ掛けにしないといけないのかもしれない。

次話は明日の20時台に投稿予定です。

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