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その通り、いや、大通りはイメージを述べるなら、街路樹を除いた表参道といった様相だ。2~4階建のシンプルな石造りの外観に統一された店舗がずっと行儀よく向かい合って並んでいる。1階の正面が全面ガラス張りなっている店舗が多く(2階より上は居住スペースになっている建物も多い)、店内の奥までよく見渡すことができる。お店の外観で差をつけにくい――この通りだけでなく王都全ての建築物が決められた統一感に従うことを求められている――ため、ガラス越しの内装で歩行者の興味を引こうという工夫が随所に見られる。好感を持ちやすい配色やとにかく多くの商品が外からも目につくようにするための配置、服を着せているマネキンのポーズ、割引パーセンテージ表示、エトセトラ。どの世界線でも、生き残るための必死な営業努力には涙ぐましくなる。
私が表参道と形容したのは、その華やかならも労働・競争の汗を匂わせる店舗・建築物の雰囲気だけではない。その通り、つまりは通路自体が歩道と場車道でしっかりと区画されている部分だ。今日の私たちみたいに、服を1着か2着買うだけなら手で持ち運んでもさほど苦じゃないけれど、移動手段の充実度や人間の生活・居住範囲で前世に劣る今世は1度に大量購入することの方がセオリーだ。よって馬車の利用が集中して乗り降りや駐停車もひっきりなしだ。だからこそしっかりと区分けし縁石も設置して事故にならないための配慮がなされている。私たちもいつかはそういう風に、竜巻のように慌ただしく、欲望に任せた買い物をしたい。そういう女子生徒も学園にはきっと多いだろう。ちなみに私はあまりそれが魅力的だとは思わない。さてジュディたちはどうだろうか?
「よぉおし、1件目到着!」
ジュディが快活に宣言して、私たちは足を止めた。左手に、カジュアルなレディースファッションが並ぶ親しみやすい店舗があった。
店名は『ベイビー・アイリッシュ』。どちらかといえば高級志向の婦人向けの店舗が多い中で、明確に10代の女子をメインターゲットに据えていることが分かるお店だった。店内を覗くと、私たちと同じ制服で見て回っている女の子が何人もいる。私服の客もいるけれど、どうやら学園生であることが雰囲気で分かる。ご覧の通り、ここは学園生の御用達となっているのだ。といっても、ここに訪れるのはあくまでも位のそこまで高くない貴族と平民の娘たちである。いくら個人的にデザインを好もうとも、家の格によってそもそも立ち入れない雰囲気というものが先にあってしまうのだ。このお店に最初に訪れることを事前に話し合って決めた際、ジュディはもちろんのこと、ディアナもシンディも悪い顔はしなかった。そしていま目の前に立っても忌避感なんてない。どうやら私たちは、家格や立場にそこまでの大きな開きがないようだ。まぁ少し考えてみれば、身分なんてものは基本的にピラミッド型で低い方が数的マジョリティを形成しているのだ。適当に集まれば同列の人々で集まる可能性の方が高いのだ。私はその当たり前を引いたに過ぎない。少なくとも、根本的な価値観に致命的な乖離がある、なんてことはなさそうでひと安心である。いや、もう既にそのあたりはこの1か月半で徹底的に擦り合わせを行ってきたのだ。たとえシンディとディアナ、どちらかの家が伯爵や侯爵の地位にあったとしても(公爵クラスになれば流石に姓で分かってしまう)、それはもはや関係のない事柄なのだ。
入学して1ヶ月半、私たちは随分と仲良くなった。ある程度の交遊関係ができるまで、お互いの家格を明かしてはいけない。その学園のきまりも、十分に私たちは満たしたと思う。しかしいざそうなっても、興味本位だけでそれを聞くのは憚られてしまう。適切な切っ掛けがないと。しかしそれもまた、こちらからわざわざ求めてはいけないものだ。自然の巡り合わせを待たなくてはいけない。そこを逸脱して壊れた友情関係を、私は何度も目撃してきた。
「どうしたんや、ホイットニー。ボーッとして」
シンディの声がした。ハッとして周りを見ると、私だけが1歩下がった位置にいた。いや、3人が1歩進んだのだ。さっそく入店しようとしたけれど、私がその場を動かないから立ち止まったのだ。
「ねぇ、もしかして今朝からずっと調子悪かったりするの?」
ディアナが心底心配な表情を浮かべる。
「いやぁ、大丈夫よ。体はどこも悪くないわ」私は3人に向けて手のひら見せて横に振りながら、否定のジェスチャーをする。「――強いていうなら寝不足かもしれない」
適当な返事をしてから、入学式当日にもジュディと似たやりとりをしたことを思い出した。入学式会場に移動する前に教室の前に整列中に深く考え事をしてしまった。ジュディが心配して、私たちの様子にディオンヌ先生もこちらにやってきた。その心配りについ頬を染めてしまった私はいまと同じように体調不良を疑われて、先生は私の額に手を当てようとした。私はその突然の行動に大声をあげてしまって、さらに恥ずかしい思いをした。その様子はディアナやシンディも認知していて、それが私たちを取り持つ1種の仲立ちとして機能した。
あの時はホームシックという理由をつけて事態を収拾した。しかし、今回その手は使いづらい。結びつけられる材料も取っ掛かりも思いつかない。寝不足、それ以外に言い訳を思いつけなかった。考え事と正直に言うと、エイダのことと結びつけられる可能性が高い。せっかくのお出掛け、その上どこか頃合いを見て3人を出し抜き単独行動をしようと画策している折、想定以上の心配は掛けたくない。……はぁ、何を私は勝手なことばかり言っているのだろう、と改めて思う。ある個人を破滅させるために過去と現在と未来、前世と今世を同時的に見続けるという決断をして、善人を装うではなく心からそう思われたいと言葉や行動を選ぶのは虫のいい話だ。すべてを諦めない、なんて物語の主人公らしいことをいっても、あまりに図々しすぎる。心が独り置いてけぼり食らってしまっている。外的に満たされた孤独とは、あるいは完全な孤独よりも辛く寂しいものなのだ。私は劇薬で肌を焼かれるほどにそれを実感している。正直音をあげたいなんて、最近思うことが多い。
でも、全てを放り出してしまうにしても、少なくともいまじゃない。今日はロバートと相対するにあたり必要な協力者とコンタクトするために数日前から気持ちをつくってきた。それが取っ払われて空気のように身軽になった私を見て、3人の不安・心配はより致命的なものになるかもしれない。
戦いを続ける続けない、どちらにせよ幕引きの仕方と時期は大切だ。私はそれを肝に銘じないといけない。
「そうなの?」とディアナが言った。「昨日はおやすみを言ってから、すぐ眠ってたような気がしたけれど。むしろ私が緊張でいつもより寝付きが遅かったくらいだし」
うーん、と私は喉をならした。「……実は嫌な夢を見て、3時過ぎくらいに1度起きてしまったのよ。それで少し心を落ち着かせてからもう1度寝たら、その夢の続きを見てしまってまた目が醒めてしまって、それを日が昇るまで繰り返してしまったのね。それで逆に疲れちゃったのね。あぁでも、馬車の中では大丈夫だったわ。むしろ夢を見なかったし。きっと馬車の揺れがいい感じに作用してくれたんでしょうね」
「そうだったの」とディアナは応えた。「まったく気が付かなかったわ」
ねぇ、とジュディが言った。「嫌な夢って、どんな内容だったの?」
「そうねぇ」
私はため息混じりに言った。
実際のところ今朝までぐっすりと眠れていたし、夢を見ていた感触はあるけれど内容なんてからっきし忘れてしまった。ディアナより先に起床したことが幸いだった。私が馬車でも眠っていた、あるいは眠りがちなのは、ただ縦揺れに弱いからである。
私は思い起こす。前世今世ひっくるめて、最も印象に残っている悪夢について。「鮮明には覚えていないんだけど、真っ黒でどろどろとした、そう、タールのようなものに足をとられながら暗い森の中をずっと何かから逃げていたわ。肝腎の何から逃げているのかは、夢の中では最後まで分からなかったわ」
「うんわー、想像しただけで背中痒なんな」
シンディが腕を組みながら言った。私も言葉にして、口の中に苦味が広がってしまった。私はそれを飲み込んで口を開く。
「まぁでも、馬車の仮眠で悪夢の連鎖は立ちきれたと思うし、もう心配はいらないわよ。ほらぁ、私が言うのなんだけど、はやくお店に入りましょ」
私は多少無理矢理な感じで、話を切り上げる。そして4人並んで目的のお店に入店した。
このお店、『ベイビー・アイリッシュ』は雰囲気は、率直に言ってUNIQLOと似ている。ただレディースのみを扱っていて、大量陳列はしていない。私たちはワイワイと全体を見て回りながら気になるものは実際に手に取ってみた。
3人が概ね肯定的な表情をするなかで、私だけがどうしても溜め息をこぼしそうになってしまう。
私は鼻から大きく息を吸う。少し遅れて唾を飲み込む。そうやって何とか溜め息を抑制する。
私はいま、腰くらいの高さの台の前に立っている。台にはこれからはじまる夏の季節に備えて半袖のTシャツが数種類陳列されている。著名な画家とコラボして、その画家の作品が胸の辺りにプリントされている。
私はその中の1つを適当に取り上げ広げて見る。白地に、プリントされた絵画の内容は無人の街の通りを前後にすれ違う男性2人というものである。何度か目にしたことがあるもので、題名は確か『モーニング・グローリー』。
私は再び溜め息が出そうになって、先ほどと同じようにして抑制する。その際自然と顔が右を向いて、視界の隅に鏡張りの柱が入った。私は鏡に映った自身を見る。鏡の私は不機嫌なブルドッグのような目をしていた。私は1度無理矢理笑ってみることにした。大袈裟に目を細めて、口角をピエロみたいにあげる。しかし2秒ともたず、よりいっそう暗い顔になってしまった。私は手にしているTシャツに視線を戻す。
ちゃんと言っておくけれど、自分の好みに合うデザインがないだけでここまでの顔をしているわけじゃない。こういうシンプルなデザインはむしろ好きな方だ。王都で歩き回るのにふさわしい格好という今回の買い物のコンセプトからは外れてしまうけれど、部屋着や街道沿いにちょっと出掛けるくらいならちょうどいい。リーズナブルでついでとして購入する余裕もあるだろう。だから、私はそう言った部分で落胆しているわけじゃないのだ。
有り体に言うと、私は女性のプライベートファッションの在り方自体に、複合した暗い感情を抱いてしまうのだ。
私は手にしたTシャツを摘まんでみる。優しく慎重に、商品として価値を損なうことがないように。
やっぱり薄い、私は率直に思った。
勿論、これから暑い夏がやってきて、通気性や身軽さにおいては夏着の重要な要素となってくることだろう。しかしそれを差し引いたとして、薄すぎる。着用したら、確実に肌や下着が透けてしまうくらいに。
前世からそうだった、女性の服は概ね肌に密着しがちで、生地が薄く、スカートのポケットも実用性の面では壊滅的なくらいに小さい。私はいつもそれを不満に思っていた。
当然だけれど、私はそういったデザインが等しく悪だといっているわけじゃない。私だって、そういうデザイン・もとい作りの服を着たいと思う時がある。美しくあろうとすることには、どうしてもその身体として在り方に依存する。それは仕方のないことだ。そこに無理に逆らうことは、結局のところ精神的にも肉体的にも満たされない。中性的な顔立ちをした長身の女性が何の気なしに男性の服を着たとしても、よほ強度の高い筋力トレーニングで肉体改造をしない限り、ただただダサいだけだ。うまく着こなすためには、女性として男装をすること、この認識は外せない。
心の強さ・美しさを示すのに性差はない。これは絶対だと思っている。それはもはや信仰の域だと指摘されても、だからどうした、と言い返す心の準備はできている。しかし、外面的な美しさを表現することにおいて、女性らしさや男性らしさから逃れることはふつうの人間には不可能だとも思っている。そして、私もふつうの人間だ。
その女性らしい美しさに、きめの整った肌と凹凸のあるボディラインは必須事項ともいえる。それを表現するのに、ぴっちりとした薄い生地がベストマッチなんだとも理解できる。ポケットにスペースを割いたら、ボディラインの強調に支障をきたしてしまうことも分かる。おしゃれは引き算だと勉強もしてきた。
ただしかしながら、ちょっとその辺りに出掛けるくらいの服にまでそれらを適用する道理を、私は心の内に見い出すことができないのだ。
あるいは、女性服の作成やデザインも男に牛耳られているなら、それは単純明快な話だ。理由は我々を性的に消費するためだ、と直結できる。しかし実際のところ、女性服の作成やデザインに関わっているのは、数だけでいえば女性の方がはるかに多いのだ。前世ならびに今世においても。
何がそういう風にさせるのか、数少ない関係者男性の意見のみが罷り通っているのか、それとも女性関係の商品に経費は割けないと大元が財布の口を絞めているのか、それとも我々女性自身が自らにルッキズムの呪縛をかけているのか。
いや、おそらくは最後者なのだろうという予測が自分の中にある。女性は常に自身の感情に関わらず美しくないといけない、それは男尊女卑あるいは家父長制が厳命としてきた部分だ。しかし同時的に、私たち自身がそれを自己暗示として持っているのだ。そういった社会的制度および価値観が文章化されるはるか以前、文明の起こりの前から、我々の中にかけがえのない臓器のようにあるものなのだ。その観念的感触が、私をここまで暗くさせているのだ。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




