2
目のピントがぼやけているようで、周囲をうまく知覚できない。どこだここは?
「あぁ、やっと起きたぁ」私の左隣からジュディの声がした。とても近い、私のすぐ耳もとからだった。「もうすぐ着くよ」
私は状況が瞬時に理解できなかった。着くよ? 私はいまどこかへ移動している最中なのか? あれ、記憶がひどく曖昧だ。私はさっきまで何をしていたんだっけ?
私は再度目を瞑って、目頭を押さえながら顔を横に振った。制止すると、目をさらに搾るように強く瞑ってからようやっと目を開く。ぼやけていたピントが、だんだんと合致していく。
そこは大きなキャビンの中だった。私と同じ学園生が向かいに5人(女子3人男子2人)、黒いソファーに座っている。全員制服を着ている。上はワイシャツだけの身軽な格好。どうやら、大型の馬車の中にいるみたいだ。
「ええぇ、何で?」
私はついすっとんきょうな声を出してしまった。目の前の光景が思考とまるで結び付いてくれなかった。
「らしくなく寝ぼけとるやないか」
右隣から、今度はシンディの声がした。私はぎこちのない動作でそちらに振り向いた。
「ふふん」シンディは私の顔を見て笑った。いつもより濃いめの、気合いの入った化粧をしている。ファンデーション・アイシャドウ・アイライン・つけまつ毛・リップ・エトセトラ、どれをとっても完璧で、輝くように鮮やかである。「しまりのない顔してるなぁ。まぁ、たまに見る分には面白いわ」
シンディの向こうにはディアナが座っていて、口もとを手で押さえながらおかしそうに笑っている。
「ねぇ、私たちはいまどこに向かってるんだっけ?」
「もう! 何をいってるのホイットニー」
ジュディが控えめな声量だけど強めの語気で言った。私はやっとジュディの方に振り向く。
ジュディがいつもよりきれいに見えた。主張的ではないけれど、しっかりと化粧をしているのだ。ささやかなアイラインに、薄いブラウンアイシャドウを自然に馴染ませている。とりわけはファンデーションだ。鼻につかない程度にトーンをあげて、透明度も向上させている。それら全て、恐らくはシンディのしわざだ。プロのメイクアップアーティスト顔負けである。3人とも、いや、私含め4人共が制服を身に付けている。
「ちょっと、何でそんなに私の顔をじろじろ見てるの」
ジュディがたまらず言った。私は少し間を置いてから応える。
「ごめん、まだ寝ぼけてるみたい」私は1つ息を吐いてから改めて質問する。「まだ思い出せないのだけど、私たちはいまどこにいこうとしてるんだっけ」
「王都だよぉ」ジュディは溜め息混じりに言った。「もう何日も前から楽しみにしてたじゃない。はじめての王都巡り」
「……ああ、そうだったわ」
そう言って、私は息を漏らしながら笑った。
そうだったそうだった、今日は4人ではじめて王都をまわる約束をした日だった。この馬車だって、私が先日予約した学園と王都の専用往復便だった。全部きれいに思い出すことができた。
「もう、しっかりしてよね。今日は綿密に周回ルートを組んでるんだから」
ジュディが頬を膨らませる。しかしすぐにガム風船が萎むように膨らみを解いてくすくすと笑った。
「――そうね。ごめんなさい」
そう言って私ははにかんだ。
少しして、馬車は王都入り口の停留所に止まった。円形の大きな広場に馬車が4台、線で区画された場所に縦に並ぶ。私たちはその場に待機していた女性係員の指示に従ってゆっくりと降車した。
石畳で舗装された開けた場所を、爽やかな風が通り抜けていく。広場の周りは赤色で統一された屋根を被る3階以上の石造りの建物が囲う。雰囲気はテーマパークのエントランスのようだ。気温も20度ちょっとと過ごしやすく、絶好の小旅行日和だ。
私は手荷物のホワイトのハンドルバッグを右手に持ったまま、大きな背伸びをした。少しの唸り声を漏らして、伸びを解くと充実した溜め息をついた。
私の後ろから、シンディが近付いて言った。「どや、頭んなか大分スッキリしたか?」
振り返ると、シンディがにししと歯を見せて笑っている。
「ええ」と私は応えた。「まさにいまこの広場を通り抜ける風のように爽やかよ」
「ほうかほうか」
シンディは2度小さく頷いた。
「ではではみなさま、近こう寄ってください」
私とシンディの前方少し離れたところにいるジュディが言った。臍の辺りで王都の大まかな地図を広げて持っている。ジュディの隣にディアナもいて、さっきまで共に地図を確認していた様子だ。
私とシンディはジュディの求め通りに彼女の前に立った。4人で半円をつくる形になって、地図を覗き込む。並びは左からシンディ、ディアナ、ジュディ、私。私他3人も、私のハンドルバッグのようにおさまりのいいかばん類を携えている。
えーっとぉ、とジュディがわざとらしく言った。「到着予定時刻より気持ち早めに王都に到着し余裕がありますので、改めて今日のお出掛けの趣旨を共有したいと思います。先ほどのホイットニーの件もありますので」
またらしくない事務的な物言いに私とシンディとディアナはくすくすと笑う。
「――ええ、そうね」
1拍を置いて私は言った。
えーっとぉ、とジュディはまた前置きした。「今日の私たちの目的は、この王都を自信を持って歩けるような服を買うことです。全員が王都に足を踏み入れるのがはじめてということなので、その新鮮な気持ちを大事にしていい服を見つけましょう」
そう、私たちは今日、王都に私服を買いに来たのだ。この国の最先端が集合している、王都のショップをひたすらにまわるのだ。
ジュディは続ける。「半日しかないですが、全員が納得のいくものを買えるようにあらかじめ幾つかのお店をピックアップし、ぶらりとリストにないお店に数軒入っても大丈夫なようにゆとりのある計画を立ててきました。そのゆとりのために最初の方は少し慌ただしいかもしれませんが、是非是非お付き合いください」
彼女の説明に補足する。現在の時刻は14時20分、そして学園に帰るためにこの同じ場所に戻ってこないといけないのが18時半。今日で学園に入学して1ヶ月半が経過した。その18時半がいまおおよその日の入りの時間になっている。いまから4時間ちょっと、日が沈むまでの間に女の子4人が自身の満足のいく洋服を入手する。それはとても大変なことなのだ。そして恐らく個人的に、1番大変なのが私だ。
今日制服で王都を訪れたのも、無難なコーディネートとして抜き出した結果だった。私たちが乗車した馬車の乗客全員が制服だったのはただ偶然だ。一緒に移動してきた他3台から降車した学園生の中には私服もそれなりにいた。きっと私たちの馬車には1年生しかいなかったのだ。何故なら、まだ王都を歩くのに慣れていない間は制服でいくことを学園から勧められてもいるからだ。何かあれば親切な人たちが手を差し伸べてくれやすいからと(その要素は私たちも幾分考慮している)。1学期の中頃のこの時期は、制服で訪れる学園生の方が優勢だ。それが夏、秋、冬と進むにつれてどんどんと私服に置き換わってくる。それもまた、精神的成長の平明な客体化といえるほほえましい現象だ。そして春になればまた制服が多くなる。対してこちらは世代交代の象徴化とでもいうべきだろうか。
「――ああ、もう。慣れない言い方をするものじゃないね」ジュディがたまらずに言った。地図を折り畳んで左手だけに持ち、空いた右手で右耳の後ろを掻いた(ジュディは左肩に水色のショルダーバッグを掛けている)。「もうさっそく行こうか」
「別に誰も仰々しい説明をしてくれなんて言ってないのに」私は言った。
「いやぁ」とジュディが苦笑いした。「なんか気合いが入るかな~って」
私は薄い溜め息をついて応える。「まぁ、ちょっとだけシャキッとしたかな」
ディアナとシンディは、ふふ、とささやかな笑みをこぼした。
「あ、そうだ。私からも言っておきたいことが1つあるの」
私は突然思い出したように言った。
ジュディが応える。「んー? なになに?」
私は答える。「さっきもあなたが言ったように、今日私たちははじめて王都に遊びに来たわけじゃない。だから決めておきたいのよ。もし雑踏ではぐれてしまった際にどうするべきか」
「ざっとう?」
ジュディが首をかしげながら言った。
「……人ごみってことよ」
私は分かりやすく言い換えた。
ジュディはいまのところ精力的に授業を受けて知識を蓄えているけれど、授業で直接触れられていない語句はまだ抜けていることが多い。こういう部分は本来的に読書等でカバーするのだろうけど、彼女はその絶対値がまだまだ不足している。教本や幼児期に読み聞かせてもらった絵本を除けば、彼女の読書数は入学数日で私が貸した歴史小説、ジェラール・ブリュネの『吠えよ剣』の1冊のみだ。しかもまだ読んでいる途中である。まぁ、上下刊合計700頁の大長編だから、はじめての読書にしては大変な部類であることは間違いない。辞書を片手にゆっくりと読んでいることも聞いている(雑踏という語句が物語内で登場したかどうかは流石に覚えていない)。私は話題に出る度に何度も、「自分のペースで大丈夫だからね、心が本に向いている時だけで構わない、そうじゃないとただしんどいだけだから」と言い含めてきた。読書の習慣づけはどれほど慎重でも構わない。何故ならそこに他者との競争なんてないからだ。強いていうなら、あるのは自身の根気との勝負である。たとえどれだけ躓いても、大きく中断することがあっても、読了まで辿り着くくということ。肝心なのはそれだけだ。
私は最初から言い直す。「人ごみではぐれた場合どうするか、いまちゃんと決めておくべきよ。安易に探してしまって、1人はぐれていたのが2人、挙げ句に全員がバラバラになってしまったら目も当てられないわよ」
「そらそうやな」シンディが言った。「私も楽しみが先行してすっかり失念してたわ」
んー、とジュディが口先を尖らせてから言った。「じゃあ具体的な対策って何をすればいいの?」
私は答える。「あらかじめもしもの集合場所を決めておくのが鉄板かな?」
「うんじゃ、どこにする?」
ジュディが言葉を重ねる。
「この場所に戻ってくる、でいいんじゃないかな?」ディアナが提案する。
「うん、それが1番でしょうね」私は言った。「いなくなったと分かってすぐここに向かえば、お互い途中合流できる可能性も高いしね」
「よぉし、決まったね」ジュディが言った。「これでもう心残りはないかな?」
「ええ」
と私は答えた。しかし、実のところ心には大きなしこりを残している。
これから私は、機を見て3人を出し抜き単独行動することを画策している。ロバートの下衆の本性を暴くために必要な協力者と会うために。
つまり、私の心にあるしこりとは罪悪感のことなのだ。そしてこれからずっと、私が付き合っていかないといけない感情だ。
私たちはさっそく広場を抜けて、王都の中心部にある最大の繁華街へ移動した。王都は道路網はもちろんのこと、街を貫く2つの大きな川を根幹にし人工の水路を蜘蛛の巣のようにに張り巡らしている。その上を魔力をエンジンにして動く小さな舟、謂わば水上タクシーも運用されている。私たちはそれに乗ってすいすいと、渋滞に悩まされることなく速やかに移動することができた(そのうえ学園生は無料だ)。舟の上から流れていく街の景観をワイワイと眺めるだけで随分と楽しかった。
目的の繁華街へ降り立つと、私たちはさっそく空を見上げる。繁華街は小高い丘の麓に寄り添うように形成されている。その丘の天辺に王城がある。某ネズミがマスコットのテーマパークの城と似た形状。王城は王都全体と同じように壁に囲まれていて、ここからではてっぺんの尖った部分しか見えない。王城の壁周りの傾斜は住民の憩いの公園として整備されて、休日の今日は老若男女で犇めいている。
「ふわあぁ」ジュディが城のてっぺんを見上げたまま声を漏らした。太陽は直上から大分下っていて、あまり眩しさも感じなくなっている。「すごーぉい」
「そうねー」
私もジュディの隣に立って、王城を見上げる。そして睨み付ける。シンディとディアナが私よりも後ろにいることをいいことに。
休日の今日この時間、ロバートは間違いなく王城のどこかしらにいる。そしてきっと、一目を忍んで猥雑な行いに及んでいるのだ。私はぎぎっと歯軋りする。目をより細めて、刃のように研ぎ澄ませる。
「どうしたの、ホイットニー」ジュディが私の顔を覗き込む。「怖い顔をして」
「……いや、ちょっと眩しくてね」私は表情を直してから言った。「ほら、いつまでもお城を眺めてると服をみる時間なくなっちゃうわよ」
「うーん」とジュディは唸る。「――それもそうねぇ」
「また余裕があったら、公園にでも登りましょう」
「うん、そうする」ジュディは口を結んで頷いた。「じゃあ行こう!」
私とジュディはさっと翻る。少し先に立っていたシンディとディアナと合流して、ガラス張りの店舗が建ち並ぶ驕奢な通りに別け行っていく。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




