表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/111

13


 ケビンの呼び掛けはとりわけ難しい内容ではないはずなのだけれど、観衆の生徒たちはあまりの急転直下の大逆転劇に脳みそと体がついていかないのか、その場でざわざわと留まってしまっている。少しすると、やっと学園の教職員が数人でやってきて、いまやっと騒ぎを認知したような態度で解散を促した。その様子を見る限り、ケビンがあらかじめ学園側に今日のことを通達したりはしていなさそうだ(そしてロバートも)。きっと私がそれを望まないと彼は思ったのだろう。まぁ実際、私は学園のトラブル対応をまったく信用していない。だから分かっていた、騒ぎを聞きつけてすぐに私のロバートへの追及を妨害されるなんてないことが。だから、こちらから何も要請しなかった。そして、結果として必要なかった。こういう時の教育機関の対応の遅れ・杜撰さは世界が変わっても変わらないのだ。1つのトラブルが苛烈を極めている際は近寄ってこないくせに、終息しはじめてあるいは第三者に関与されてはじめて、何で我々に言ってくれなかったんだ? みたいな無責任面でやってくるのだ。ロバートとさして変わらない、心から軽蔑する。そもそもだ、1点の曇りのない誠実な学園運営をしているのなら、会計不正のスクープがされる遥か前から、少なくともレベッカとエイダの衝突は学園主導で全て解決してるはずなのだから。それをするのに不足のない能力を有していることを私は知っている。どれだけレベッカの暴力が隠蔽的に行われていたとしても、疑念すら抱けないなんてあり得ないのだ。言ってみれば前科まであるのに。だから余計に腹がたつ。


 私はまたどす黒い感情を募らせながら、せめてディオンヌ先生だけは今回のことは何も知らないで欲しい、と改めて思った。



 教職員の誘導もあって、観衆の生徒たちは混乱はあれどだんだんと散りはじめた。すると教職員の1人がケビンのもとへやってきて、一定の敬意を示してから、これはいったいどういうことですか? と質問した。ケビンは端的にことの顛末を説明しはじめる。ケビンも内心、何をいまさら、くらい思っているかもしれない。


 人だかりが解消されはじめて、場に変わらず残っているのは私とケビンと、エイダとレベッカだけになった。エイダとレベッカは共に座り込んで、全てを失ったような表情で地面を見つめて呆然としている。とりわけレベッカは、国外追放を告げられた時以上にその深さを増している。状況はかなり好転したと言えるのに。でもそれは仕方ない。彼女はいまどのような物語にも含まれていない孤独の状況だ。あるいはロバートが言ったように、あのまま国外追放となった方がよかったと思っているのかもしれない。ヒーローとしてのロバートの像を、いつまでもその心に留め置きたかったと思っているかもしれない。私もいまさらになって、多少の罪悪感が沸いてくる。


 そういう風にへたり込む2人に近づくものは誰もいない。ケビンは教職員の1人からの質問を受け続けて、残りの教職員はこの国の第一王子が学園を訪れていることに足を止めてしまいそうになる別の通行中の生徒へそのまま通りすぎるように促している。私だけだ。いま動くことができるのは。



 私は少し考えて、レベッカのもとに向かうことにした。



 レベッカの前に立つと、彼女は私を見上げた。苦々しい表情を浮かべて、私に不服な態度を示している。


「何よ」とレベッカは言った。「庇ってくれてありがとうございます、とでも言って欲しくて来たのかしら? ――確かにケビン()を引き入れた手腕は見事だった、素直に感心したわ。でもね、はっきり言って余計なお世話よ。特に男爵の娘に助けられたってところが私は気にくわない。正直に言って屈辱を感じたわ。プライドはズタボロよ。だったら大人しく国外追放になった方がよかったのよ。……それに、きっとこの国でもう誰も私を愛してくれないのだろうから。ロバートが言ったように、国外でやり直したした方がよっぽどよかったのよ」


 やはりそうだよな、と私は思った。レベッカは実に正直に気持ちを話してくれた(いや以前からレベッカは、事実は偽っても自身の気持ちには正直だった)。彼女は恐らく、いまこの国で1番孤独なのだ。恐らくは気付いていたはずのロバートからの疎まれ・蔑みを客観的に明らかにされて、きわめつけに父親、家族からも追放処分の了承というかたちで梯子を外された。『貴族は滅多に飢えない、でも1度飢えたら誰も助けてくれない』。前世で聞いたことのある言葉だ。彼女がまさにそれだった。ただ彼女の場合は自業自得・因果応報の面が強いのだけれど、同性のそれが目の前にあるのなら、私はそれを見送りたくない。それは責任とはまた違う感情だ。端から見るとそれはまるでマッチポンプに映るのだろうけれど、そう思われてでもという切っ掛けは、私が意義を唱えた時の彼女に僅かばかりの光を見ることができたからだ。彼女も、本当はこの国で生きていきたいのだ。誰かと愛し愛されながら。身分と立場とちょっとした運の悪さが、それを阻害していただけなのだ。



 私は応える。「私はレベッカ様から感謝を頂こうとは思っていません。この度の切っ掛けはあくまでもエイダさんのためであり、それが次第に自分のためにと変化していきました。レベッカ様の利益のために動いた意識はまったくありませんでした。ですから、感謝を要求なんてとんでもありません」


「――じゃあ、エイダさんに謝れとでも言うのかしら?」


「いえ、それは私から求めるものではありません。当のエイダさんからそれを要求された時にお考えください」


「じゃあ、なんなのよ? もしかして最後に私の惨めな姿を存分に見納めようとでも?」


 私は少し間を空けてから言った。



「――私はレベッカ様と、友達になりたいと思ったのです」 



 レベッカは私の意外な言葉に、数秒ほどぽかんとした表情を浮かべた。そして次第に眉間にしわが寄っていって、大きく口を開いた。


「はぁ!? あんたなに言ってるの?」


 彼女の言うことはもっともだった。私もついさっきまで、自身がこんな提案をするなんて夢にも思っていなかった。言葉にしたいまでも、私はいったい何を口走ったのだろう、という気持ちが心の片隅にある。それも含めていま、できるだけ正直に――しかしある程度の事実的脚色を施して――質問に答えようと思う。


 私はその場に腰を下ろし両膝をついて、レベッカと視線を合わせた。


「私も正直に申し上げて、今日までレベッカ様のことをよく思っていませんでした。田舎で生まれ育った私にとって、学園に入学するまではレベッカ様のことはちょっとした悪評が聞こえてくる程度だったのですが、入学してエイダさん絡みで身辺をお調べさせていただいた時にいよいよ軽蔑の対象になりました。先ほどロバート()が仰ったように、生まれつきのものなんだろうなとも私も感じました。まぁ結局のところ、そのロバート様はそれ以上だった訳ですが。しかし、いまこうやって大勢の前に立って自分の意を示して思いました。程度の差はあれど人とは本来的には性悪なんだと。それでも多くの人たちが大きな力の抑圧がなければ善を示すことができるのは、ひとえに対等の関係を構築できる人が身近にいるからだと私は思います。そういう関係をレベッカ様と、そしてロバート様は構築できなかったんだろうと。それを邪魔した最たるものはきっと、身分や立場なのだろうとも思いました。公爵家のなかでも筆頭として格別の地位にいた男の娘と、長男が全ての面において優先されがちな王家の次男、対等の関係の構築に至っては、あるいは平民よりも貧しい状態にいたのかもしれません。自身の物語に他者を無理矢理に従わせるか、もっと大きな物語に含まれるか、それ以外に関係の作り方を知らなかったのです。そのことの想像力が、ついさっきまでの私には不足していました。それもまた貧しいことだったのです。……ただ、ロバート様の場合はあまりにもとりかえしのつかないことを幾つもしてしまいました。でも、レベッカ様はまだそうではないと思います。まだこの国で対等に誰かを愛して愛されることができるはずです。私はそのお手伝いがしたいのです。それを通して、私自身の心をもっと豊かなものにしたいのです。もちろん、そこに同情や憐れみも含まれているのかもしれませんが、第一にそれなのです。()()()をこのまま見捨てたくないのです。――これからもこの国で生きていくために、私と友達になりませんか?」


「……何よそれ、意味分かんないわよ」


 レベッカは典型的ツンデレなテンションでそう言った。頬が僅かに紅潮して、眉間の寄せ方が歪になっている。私はそれを見て、おやおや、と思った。こんな時に言うのもおかしいかもしれないけれど、私は性別を問わずツンデレのキャラクターが好きだ。行為を素直に表すのが苦手だけれど、それでも何とかそれをかたちにしようという過程は堪らなく愛でたくなる。悪い言い方をすればただの暴君女と思っていた彼女にもこんな素敵な素養が埋まっていたのだ。現在のそれにはまだ肝腎の好意は伴っていないだろうけど、いつかそれが伴った状態で誰かに向けられることを楽しみにしたいと思った。むしろ義務感にさえ感じた。そしてその義務感は後ろ向きなものではなく、前向きで自立心に溢れるものだった。



「確かに、私のこれまでの人生に、友達なんて1人もいなかったかもしれない」


 レベッカがぽつりと言った。あの取り巻きたちのことを友達と認識していないことに、私は再び安堵した。


 私はいつの間にか彼女に向けて垂れていた背中を、ピンと伸ばし直した。彼女のパーソナルスペースを不躾に侵さないためだ。友達になろうとしているからこそ、大事なことだ。


「友達になるかならないか、いますぐ決めてとは申しません。きっとこれから、1()()()()()()()()を学園からたくさん頂けるのでしょうから、一緒に検討頂ければ嬉しいです」


「――あなたって人は、()()()一言余計なのね」とレベッカは応えた。


 私はその言葉に素直に嬉しくなった。私がレベッカと対面して言葉を交わしたのは今日がはじめてで、本来的にはそのような反応が返ってくるわけがない。それはつまり、私がロバート向けて放った言葉の数々を、彼女もきちんと聞いていたということなのだ。私の言葉が彼女の心にも届いていたことを認めることができたのが、今日の1番の収穫かもしれない。


 私は、ふふふ、と声に出して笑った。レベッカはそれに、口をへの字にして応えた。



 私は十分に笑うと、今度はエイダの方を見た。エイダはどうやら私とレベッカのやりとりをじっと見ていたようだ。そして寂しく不服そうな表情を浮かべている。その彼女の反応も、またもっともだった。


 エイダはロバートが私に残忍な攻撃を加えようとしたなかで、ケビンを除いて唯一私を助けてくれようとしたのだ。そんな彼女ではなく、その彼女をいじめていた相手に手を差しのべにいくなんて、彼女からしたら裏切られたような気持ちにすらなっているかもしれない。当然、私は彼女のことを裏切ったつもりはない。先に述べた対等を知ったレベッカを見てみたいという気持ちに加え、いまにして考えれば前世の私の一部分にレベッカを重ねて、そこに優しい手を差しのべたいという気持ちもあるのだろう。前世ではもらえなかったそれを、今世で自ら補完しようとしている。そのどちらも、エイダに絶対に理解して欲しいとは思わない。ただ1つ、分かって欲しいことがある。それはいまのエイダに、私が手を差しのべる必要がないということだ。何度も言うように、私が当初思っていたよりも彼女は強かった。そして、何よりも彼女は既に得ているのだ。その対等の――


「エイダ!」


 その呼び掛けは私とエイダの直線上の、彼女の後ろの方からした。彼女は座ったまま振り返り、私は立ち上がって目をやった。その声の主は、エイダのルームメイトだった。そばかすのよく似合う、シルバーアッシュのストレートのボブヘアをした女の子。


 ルームメイトの彼女は、近くにいた教職員と少し会話をしてからこちらに駆け足でやってきた。どうやらエイダの関係者であることを告げて、特別に通してもらったようだ。「エイダ!? 大丈夫なの?」


 エイダはルームメイトの呼び掛けにスッと立ち上がる。そしてルームメイトが自分の目の前に立ち止まってから応える。「だ、大丈夫よ、()()


 大丈夫という言葉とは裏腹に、エイダの声はまだそれなりに震えている。


 ルームメイト、もといユキはそのエイダの様子を見て、ぎゅーっ、と彼女を抱き締める。


「ちょっと、ユキ。急に、その、苦しいよ」


 エイダはたまらず言った。聞いての通り、ユキはいまのエイダが学園内で唯一フランクに話せる相手だ。


 ユキはエイダの言葉とは反対に、いっそう強く抱き締める。「ごめんね、エイダ。いままであなたのことを放ったらかしにしすぎたわ。さっき通りすがったクラスメイトから、さっきまでここで起きていたことを全て聞いてきたの。それでね、私これまでとてもひどいことをしてしまってたなって。どう見ても大丈夫じゃないのに、大丈夫という言葉を機械的に繰り返すあなたが怖くなって突き放してしまっていた。ずっと近くにいたけど、心が決定的に離れてしまっていた。これじゃルームメイトも、友達も失格だわ。だから今後、たとえあなたが大丈夫だと言っても、私の目から見ても大丈夫じゃなかったらいまのように強く抱き締めるわ。苦しくなるくらいに。だから、エイダも私にもっと正直になってね。隠し続けていたら、いつかエイダのことプチっと潰しちゃうからね」


 ユキの言葉は重ねるほどに震えを増していた。


「……うん、ごめんね、ユキ。もうあなたに隠し事はしないわ。だから、もう離して。本当に苦しくなってきたの」


 エイダは詰まり気味の声でそう言った。確かに、エイダとユキは同性同士でもそれなりに体格差があるから、大きい方のユキが強く抱き締めたらそれは実際的に苦しいだろう。


 ユキは固い包容を解いてから、涙ぐみながらも真剣な表情を見せた。「本当にもうやめてね、約束だからね。もちろん私も隠し事はしないから」


 うん、とエイダは頷いてから言った。「ありがとう」 


 私は2人のやりとりを微笑ましく思うと同時に虚しさを覚えてしまった。もう隠し事をしないという約束は、私もジュディとシンディとディアナと、入学式の翌日に交わした。しかし実際、私はその約束をまったく守れていない。もう隠し事はしないという返答をしても、頭のなかでは、それでも前世のことは絶対に話せない、と思っていたし、その後も今日のためにいろんなことを隠しながら行動してきた。なかにはバレてしまった隠し事もとい嘘偽りもあって、また3人をがっかりさせてしまった。きっとこれからも私は、同じことを繰り返すのだろう。


 いや、それはエイダとユキも同じことかもしれない。今後もし必要に迫られたら、隠し事や嘘に頼らざるを得ないことはきっと出てくる。今度はそれが、ユキからエイダに対して行われることも十分にあるのだ。それは今現在ではどうにもできないことだ。だから今現在着目すべきことは、今現在の2人が――恐らくは――本気でもう隠し事しない、偽らない、誠実であろう、と心に誓っていることなのだ。それが私との決定的違いだ。結局のところ私は、他人には誠実を求めながら、私は自身が誠実であることを端から諦めている節がある。


 そんな私が、レベッカに友達になることを求める資格が果たしてあったのだろうか? そもそも私に本当に、友達と呼べる存在がいるのだろうか? ジュディとシンディとディアナとの関係は一体なんなのだろうか? そして今後しばらく続くであろうケビンとの関わりややりとりで、私はどのような顔をすればいいのだろうか?



 いや、今そんなことをうだうだ考えてもしようがない。後で1人になった時にでも存分に考えよう(そしてきっと、答えなんて見つからないのだろうけど)。今私のすべきことは、寄り添わなかったエイダに対してせめてもの祝福を送ることだ。



「エイダさん!」


 私は大きな声で呼び掛けた。


 ふぇっ、て言う声を上げてエイダは振り返る。不意のことで困惑した表情を浮かべる彼女に、私は続けて言った。


「素敵な友達ね!」


「――はい!」エイダは入学式前の別れ際にくれたのと、同じ笑顔を浮かべる。そして少し考えてから言った。「私も! ホイットニー様と友達になりたいです!」


 私は先ほど思い巡らせていたことを一旦心の奥に押し込めて、映し鏡のように笑顔を作ってから言った。


「ええ、もちろん!」



 少しして事情の聞き取りを終えたケビンが、2人の教職員を連れてやってきた。


「すみません、ほったらかしにしてしまいまして」ケビンは私の顔を見て言ってからレベッカ、ついでエイダとユキを見た。そして最後にまた私を見た。「()()()()()()()()?」


「――()()()()()()」と私は答えた。


 私の返答に、エイダたちは目を丸くした。

次話は明日の21時台に投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ