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「私は改めて思いました」私は力強く言った。「入学式の翌日から今日までの学園生活が、非常に歪なものであったと。だってそうではないですか。最初レベッカ様がエイダさんを連れていった時だって、その場に大勢の人がいたのにも関わらずその全員が2人を見送った。これまでレベッカ様がロバート殿下に接触した女性に対しどのようなアクションをとってきたのか、よく知っている人も確実にいたはずなのに。そして軍の会計不正が発覚するまで、レベッカ様とエイダさんは頻繁に接触していました。その2人の様子は私も遠巻きから見たことがありますが、はっきりと言ってうすら寒さを感じました。何かが狂っていると思いました。とりわけはエイダさんの方です。まるで何かに取り憑かれたように増長しているように映りました。……入学式の日に一緒に親切な先輩から道を聞いた時とはまるで雰囲気が違っていました。それらしいことは先日、久しぶりにお会いしたその先輩からもお聞きしました。その先輩はエイダさんと同じ学部の方なのです」


 私はここで言葉を区切り、エイダの方を見た。エイダは私と一瞬目が合うと、ばつが悪そうに目を伏せた。


 私はわざと鼻につく物言いをした。さて、彼女は私の言ったことをどのように感じたのだろうか? たとえ僅かでも何かしらの内省をしているのだろうか? それともわざわざ鬱陶しいとでも思われただろうか? ただどちらにせよ、明日以降の彼女がどのように進むのかは彼女が決めることだ。しかしその切っ掛けとして、ロバートを失ったことよりも私に指摘されたことの方が上位に来て欲しい、というちょっとした意地のためである。



「いまここにいる皆々様も、胸に手を当てて考えてください」


 私も自身の胸に手を当てる。当然だけれど、私の言う通りに胸に手を当ててくれる人なんていない。勿論、私は実際にその動作をすることを求めている訳ではない。


 私は続ける。「これまで2人が接触した場面を見てきて、程度の差はあれ気持ちの悪さや居心地に悪さ、これが健全なわけがないといった感想を持ったはずです。でもそれを誰も止めようとしなかった。恐らく学園にも相談しなかった。その学園も当然認知はしていたはずなのに介入しなかった。何故か? それはバートン家と王家の結び付きに誰もが屈していたからです。名目では学園内では全ての生徒が対等と言っておきながら、実際には上下は学園外と同じように存在しているのです。でもそれはある程度仕方ないことだとも思います。小さな個が大きなものに立ち向かうことは並大抵のことではありません。私だって今回ことを起こすにあたって、入念な準備と適切な協力者をたてることに苦労しました。では何が悪いのか? そんな状態を作り出している構造の要でありながら、正面からそれを改善しようと動かなかったロバート殿下にこそ責任があるのです。自分よりも弱い立場の人間の意思や想像力を耗弱させて、時にはそれを利用するロバート殿下こそが悪なのです」


 私は1つ大きく息を吸った。ロバートを悪と言いきったことで、観衆の生徒たちはひどい動揺を見せている。これまで挑発的な物言いはしてきたけれど、これまでと明らかに程度と性格が異なる。いくら投獄されるのが確定としたと言っても、相手は王族である。どのような状態でも、表面上は一定のリスペクトが求められるべきだ。そのことは分かっている。しかし、歴史に刻み付けるにはこれくらいのことは思いきらなければならない。たとえそれが多少ネガティブな評をつけられたとしても、名前を残すことこそが第一なのだ。評価なんてのは後の時代よっていくらでも変容する。そんなまだ影も形もない数百年後の誰かにどう思われるかではなく、いまの私と、そしてその私を信じてくれる今を生きている人たちのために、私は行動しなければならない。


「ロバート殿下」私は胸に当てた手を下ろして言った。「いかがですか? 私にここまで言われて」


「……不愉快だよ」とロバートは応えた。


「そうでしょうとも」私はニヤリと笑った。「自分でもきわめて侮辱的で不敬な物言いをしてきたと思います。しかし殿下、ここまであからさまな態度で接してきた私に対して、かわりに怒りを露にしてくれる人はついに現れませんでしたね」


 ロバートは口許を歪めて不快感を露にする。


「当然ですね」私は言った。「殿下の近くにいる人たちにとって殿下は、何かあれば助けてくれる()()()()()()人、でしかなかった訳ですから」 


 私は続ける。「ロバート殿下、ご自身でも虚しく感じられませんか? ――いままでの殿下は、多くの人々にとって頼りにされる、カリスマ、いえ、ヒーローでした。しかし、それは結局のところ自身を実際よりも誇大に強く見せるための嘘で塗りかためていたがためです。自分にとって都合の悪い部分は何かと理由をつけて触れようとせず、都合のいい部分は積極的に関わって自身の器を周囲に誤認させる。さらに質の悪いことに、その誤認させた有耶無耶の部分はある種の物語性を帯びて周囲を気持ちよく思わせてしまう。その結果、偽りが黴の如く蔓延る。殿下の織り成す物語に含まれるための嘘つき合戦が恒常になる。殿下の提供する100のストーリーのメインキャストとなるためには、自身も100を差し出さなければならない。しかし、100を差し出すのは容易ではない。そのためには他者から足りない分を搾取しなければならない。本当は自身の想い人の方から別の女性に近づいていたことを理解しながらも、その女性が全て悪いと存分に叩きのめす。悲劇のヒロインとして王子様を繋ぎ止めるために、既に解決に向かっていた事柄を自ら押し広げて誰かを加害者に仕立て続ける。そうやって100を必死にかき集めても、結局のところ殿下は100に見せかけて1も差し出していない。まさに嘘という気体で膨れ上がる泡です。そしてその泡が割れないように、物語に直接には含まれない外野の人間も必死になる。割れた時の衝撃も怖いし、実のところ外からそれを眺めているのも結構楽しいものだから。でも私みたいな物好きがちょこんと触れただけで、それは呆気なく割れてしまう。そして積み上げてきたはずのほとんどものが淡い現影だと無理矢理に自覚させられて、いつの間にか自身の体に幾重もの切り傷があることを知るのです。そのことを誰かのせいにして、あるいは自分のせいにもできずに惑ってしまう。……そうですね。もしかしたら私が割ろうとしなかったら、みんな幸せな夢を見られたのかもしれません。私が全てを台無しにしたのです。それもまたひどいことなのかもしれません。しかしその泡がもっと純粋な悪意持つ人間によって割られていたら、たくさんの人たちが実際的に致命的に損なわれたかもしれません。それがもし政治の根幹部分であったならば、文字通り国が滅ぶのです。ロバート殿下のしていたことはそういうことなのです」


 私はまた1つ大きく息を吸った。


「だからこそ、国民の上に立つのはケビン殿下こそが相応しいのです。たとえ何かを成し遂げるのに最短距離を歩まず時には不格好であっても、誰からも自覚的に搾取せず、偽りのない自分らしい数字を重ねられるケビン殿下にこそ、王の資質があるのです。その姿勢に魅せられて皆が自分なりの数字を手にしてケビン殿下を支えようとする。そこにどのような悪も入り込む余地はないのです。どのような女性が隣にいるかも関係ない。それこそが国民を導き守れる政治なのです。――ですからロバート殿下、()()()にこの国の上に立つ資格はありません。いまのあなたに相応しいのは、地下の冷たい檻の中以外にないのです」


 私は王都の馬車の中で憔悴のロバートと対峙した時のように、自身の思いの丈を全て吐き出した。その時と同じくらいの大きな息切れをするけれど、項垂れて外界をシャットアウトするほどではない。それはその時と違い、隣にケビンが立っているからだ。孤独に戦っていた時とは違うのだ。


 ロバートは不愉快な表情を浮かべたままケビンを見る。そして、鼻から上は変化させず器用に右口角だけを吊り上げた。


「兄さん」ロバートが言った。「私がバートンの会計不正を政治利用していると知ったのはいつなんだ?」


 ケビンは少し間を空けてから答える。「その件が報道される前日だ。その日、王都の街のとあるお店に忍んで訪れていたところにホイットニーさんがやって来たんだ。そして明日に軍の会計不正がスクープされることを知らされた。その報道にどうもロバートが絡んでいて、それがきわめて個人的な事情による政治利用らしいということも添えて。くわえて間接的ではあるけれど、納得のいく証拠も提示された。それがどんなものか知りたいなら、後で見せてやってもいい」


 間接的な証拠と聞いて、私はロバートの隠し子とその母親たちのことについて思い浮かべた。いや思い浮かべるも何も、その写真はいま私の通学かばんにいれてあるのだ。ちょっとしたお守りのつもりで。どのような状況でもこれには頼らないと決めていた。実際そのように終えられそうでよかった。きっとこれも活用した方がもっと楽にロバートを追い詰めることはできたのだろうけれど、彼女たちとその子供たちのいまの生活を壊したくなかった。願わくば、自分と同じようにロバートの子供を1人で育てる女性が何人もいることは、私とケビンとロバートの心の内だけで永遠に隠し続けたい。その部分はきっと、ケビンがうまくやってくれる。


 ロバートは実際、その母と子供たちのことをどう思っているのだろうか?



 唐突にロバートが、はは、はっはは、と不気味に笑った。視線はケビンに向けて微動だにせずに。「兄さん、あの録音を聞いたなら分かるだろ? 私がこんなことをしたのは、何よりもレベッカを妃にして王になるのが嫌だったからだ。つまりは兄さんが、マリー()()が亡くなった後もメソメソせずにしっかりしてくれていたなら、私はこんなことしなくてよかったんだ。そうさ、発端は兄さんなんだよ」


「こ、この期に及んでまだそんなことを言うのですか!?」


 私は思わず声を荒げた。あまりにも見苦しい、醜い、という感想で頭の中がいっぱいになった。ロバートはこれから自分が鎖に繋がれることを、もはや覆しがたいことだと理解している。だからせめて、ケビンの心に余計に傷跡を残そうとしているのだ。自分に向かってくる事象を差別することなくまず受け止める。ケビンのその特性を狙って攻撃している。卑劣な悪あがきだ。国外追放を告げられたレベッカのそれがむしろ潔かったから、いっそう不快感が込み上げてくる。


 私は一発、その顔に拳を見舞ってやりたくなった。そして実際にロバートに向けて一歩を踏み出した。すると、ケビンが私の前に右手を据えて制止させた。


「ケビン……殿下」


 私は彼の顔を見た。彼も私を見て、小さく首を横に振った。いまのこの状況とは裏腹に穏やかで、悟りに近い表情を浮かべている。


 ケビンはロバートを見ていった。「確かにそうだ。何事にも閾値というものがある。そして私がしっかりとしていればそこに到達しなかったことは否定できない。むしろお前がそう言う風に言うなら、それが真なのだろう。この1年、本当に周りに迷惑ばかりかけてきた。申し訳なかった」


 ケビンはまた深々と頭を下げた。ロバートは自身の思い描いた反応じゃなかったことが面白くない顔をしている。


 しかしだ、とケビンは頭をあげてから言った。「最終的に決断し実行したのはロバートだ。結局のところ、人というのはやったかやらなかったか、かたちにしたかしなかったでしか判断できないんだ。そして法治を旨とする国ではかたちにしたことが合法か否か、客観的にはそれでしか判断されない。それはロバートもよく分かっていることのはずだ」


 ロバートはケビンを睨むだけで返事を返さない。


「でも、道義的責任に関してはその限りじゃない」ケビンが続ける。「やらなかったこと、かたちにしなかったこと、それは結局のところ私の内心から出ていかないことだけれど、だからこそ私はその責任を背負い続けなければならない。政治だけじゃなく、自身の触れる全ての事柄にそれを重ねて戒め続ける。もうやらなかったことで誰かを傷つけたり追い詰めたりすることはしない。それはロバートが刑期を終えて戻ってきてからも、変わらず続けると約束する」


 ケビンのその約束はロバートだけではなく、私やこの国に住まう全ての人々に対する宣誓のように聞こえた。そしてきっと、天国のマリーに向けたメッセージでもあるのだ。



「時間だな」とケビンは言った。そして大きく息を吸い込んだ。「憲兵隊!! ロバートをこのまま王宮まで連行しろ!!」


 ケビンの掛け声に1拍を置いて、四方から人だかりを掻き分けて屈強な男が6人登場した。カーキ色の軍帽軍服を身に纏って、6人ともケビンやロバートよりも長身だ。周囲を威圧するような厳しい表情を堅固にしている。それぞれ顔の造形は軍帽を深めに被っているせいでよく分からない。まさしく軍隊然としている。


 ロバートを拘束するにあたって衛兵ではなく憲兵を用いたのは、あるいは軍の不祥事を利用した彼への意趣返しなのかもしれない。


 憲兵のうち2人がロバートの両脇について立ち上がらせて、残りの4人で囲んだ。その4人の1人がロバートに「テトワ」を掛けて口を塞ごうとする。しかし、「テ」と発したところでケビンが止めた。


「そこまでする必要はない」


 ケビンは端的に命令した。


 ロバートはケビンをじろっと見た。そのまま3秒くらい見つめて、目を伏せた。


「連れていけ」


 ケビンは改めて憲兵に要請した。


 憲兵たちは承知して、ロバートを街道沿いの方に向かせる。そして1人の憲兵が正面に向かって、道を開けてください! と叫んだ。その先にいた生徒たちは多少わたわたとしながらも速やかに道を開けた。その向こうの街道沿いに、戦車と見紛うように頑強な馬車が止まっているのが見えた。それに繋がれた6頭の馬も、6頭ともが私のこれまで見てきたなかでも最大のサイズを誇っている。


 憲兵たちはその開かれた道をロバートを連れて進んでいく。我々はそれを固唾を呑んで見送り、彼らが馬車に乗りこんで出発するのを待ってから、ケビンがこの場にいる全員に向けて呼び掛けた。


「私の命で、レベッカ・バートンの国外追放処分は取り消しとします。ただし彼女からのエイダ・タルボットへの暴行各種についての処分は、学園の規則に則り学園が言い渡すものとします。いまこの場にいる無関係の生徒は、速やかに解散してください」

次話は明日の20時台に投稿予定です。

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