10
「おまえは昔からそうだったな」ケビンが続けて言った。「この際だから言ってしまうけれど、過去にレベッカさんが暴力を振るってきた同年代のお嬢様方の大半は、ロバートの方から粉を掛けに行ってたものな。そのくせレベッカさんに詰められるとのらりくらりと、少なくとも私にそんな気はないよ、という風に躱して後は知らんぷりだった。……結局のところ、おまえの「好き」や「愛している」は昔から空っぽだったんだ。ただ自分の都合や欲を押し付けるために使われるきれいだけど空虚な言葉だった。そこに付随する責任を何1つ果たしてこなかった」
私は男であるケビンの口から、言葉の責任に触れられて嬉しくなった。それは私が前世の頃に1番に求めていたことだった。もちろん、それは自分の人生あるいは命の始末を男につけてほしいと傲慢なことを欲していたわけではない。ただ口にした言葉の意味を誠実に実行してほしかった。もしそれが難しくなったらその時点でそのことを素直に教えて欲しかっただけだった。それを求めるだけで、他責だプリンセス思考だなんだと言われないといけないことだったのだろうか。
「ただ、ロバートのそういう気質を目の当たりにしてきて、具体的にどうにかしようとしてこなかった私も悪かった。それは自分とマリーが政略で引き合わされながらも運命的な相思相愛となることができながら、ロバートとレベッカさんはそうではなかったことに対する引け目がそうさせた訳だけれど、そんなものはただのやらない理由付けに過ぎなかった。ロバート、そしてレベッカさん、この場を借りて謝罪したい。本当に申し訳なかった」
ケビンは深々と頭を下げた。この場にいる全員が、彼の突然の行動に程度の差はあれど驚いている。ぽかんと口を開けるもの、えぇ等と声を出すもの、思わず口もとを手で覆ってしまうもの。当のロバートは眉尻を振るわせながら目を見開いている。かくいう私も例外ではなかった。私がいついつのタイミングであなたにも面前に出て欲しいと要請しなかったのもあるけれど、事前の話し合いで彼が2人に対して何かしらの謝罪をしたいなんて少しも聞いていなかった。私に黙って実行しようとあらかじめ考えていたのか、それとも感情面で突発的にしたくなってしまったのか。その点は後で確認したい。ただもし、彼が面前で2人に謝罪したいからこのタイミングで私も出ていきたいとしっかり口にしてくれていたなら、私は少なくとも悪い顔はしなかったと思う。
ケビンは5秒ほど頭を下げたら、すっと体勢を戻して言った。「しかし、この私の謝罪でロバートのけじめが減免されることはない」
けじめ、ロバートがレベッカを断罪しようとした際にも使用された言葉だ。つくづく言葉とは自分に返ってくるものだな、と私は思った。いやもしかしたら、ロバートがそのようにレベッカを詰めていた時点から人だかりに紛れて聞いていたのかもしれない。だからいわゆる意趣返しとして意識的に抜き出されたのかもしれない。まぁ無意識にせよ意識的にせよ、ケビンも私の示したストーリーにしっかりと含まれていることを再確認する。
「クリスさんを保護するにあたって、この度の顛末は全て私の口から父上に伝えさせてもらった。父上は大層お怒りだった。ロバートは言わずもがな、その昔からの振る舞いを知っていながら報告や改善に動かなかった私へも、そして何1つ気付けなかった自分自身にも。ただともかく、私たちの反省の前にロバートへの処罰が先だと仰られている」
「処罰……」
ロバートは言葉を抜き出す。
そうだ、とケビンは応えた。「この国に婚姻前の不貞行為を罰する法律はない。ただし、重大な汚職事件を知りながらそれを父上に報告せずに報道機関に流したこと。これは、自己利益のために国家運営を不当に混乱せしめた罪に該当する。この部分において、ロバートは償わなければならない」
「つまり、私は投獄されるということか?」ロバートが言った。
「……そうだ」とケビンは答えた。「既に私たちの周りに複数の憲兵を潜ませている。先ほどのホイットニーさんの時のように抵抗しても無駄だ」
ロバートはさーっと周囲を見渡した。正直私の感覚では、その憲兵が潜んでいる雰囲気は読み取れない。しかし、ロバートにはそれが文字を読むくらいに分かりきったことのようで、彼は遂に完全に観念した表情を浮かべた。
「兄さん」彼は正面に俯き、誰も視界に入れないまま言った。「私を投獄するという決断が下されたということは、兄さんに王位継承の意欲が戻ったということなんだよね?」
ロバートの口調に、いわゆる弟らしさが垣間見えている。
「そういうことになるな」
ケビンは端的に答えた。
「……何で」ロバートは言った。「何でいまになって、そんな心変わりを?」
ケビンは厳しくなっていた顔を解して、微笑みながら私の方を見る。「全てはホイットニーさんのおかげです」
彼の台詞は完全に私に向けられているようだった。そして、彼から最後のバトンを渡されたんだ、と私は解釈した。もはや完全に雌雄は決した。これが覆ることは、それこそロバートが言ったようなテロリスト・反社会勢力・外国勢力の介入がない限りはないだろう。そしてその介入なんて現時点で身構えてもしようのないことだ。だからいま私が考えないといけないことは、いかに自分の爪痕をこの場に、歴史に刻み付けるかということだ。
恐らく、いや、ほぼ確実に、このままロバートが近くに控えている憲兵に連れていかれるのを見送ると、歴史あるいは人々の意識には、王子同士の権力闘争としか残らないだろう。そこにいたはずの女性は透明化される。それは歴史と対面する度にいつも感じていたことだ。歴史的事件というものは、教科書に載るほどに解明が進んでいることでも必ず空白の部分が存在する。その部分は結局のところ想像で補完するしかないのだけれど、同じ女性として、そこに無名の女性がいたという匂いもしくは気配を私はどうしても感じてしまう(無論、すべての空白がそうだとは思わない)。そして、新たな史料の発見や研究において実際にそこに女性がいたことが分かった事例も少ないながらある。しかしそうやって掘り起こすことができたとしても、あまりにも長い年月のせいで彼女らの名前が返ってくることはない。記さなければ残らないし、そもそも端から名前が与えられていなかったことも多々ある。悔しいけれど。
そんな不平等な構造のなかで、それでも名前を残してきた女性というのは、男の何倍も努力をして、男の何倍も自己主張をしてきたものだけだ(それを当時の男たちは、悉く生意気だ、魔女だ等と揶揄してきた)。名前がないのなら、自分で自分を名付けたりもした。そういった女性だけが、母や祖母や叔母といったケアの役割だけの存在から解放される。私もそこに向かわなければならないのだ。
ここで私は、『ひつじさん、フォードを救う』のことを思い出した。そして刹那的に、いや、というよりは走馬燈的にそのストーリーが自動的にさらい直され、新たな解釈を得るに至った。
ひつじさんこそが、まさに構造の奴隷となってしまっている女性たちのメタファーなのではないのかと。安寧のために自らの本質を隠匿し、時に何かを変えなければならない守らなければならないと行動をしたとしても、そのことは結局誰の意識にも残らない。そこにたまたま一緒に動いた男がいても、ただの白昼夢だったのだろうか? とその喪失を受け入れられてしまう。それでも勝手に我々の影を別の何かに重ねて執着される。ただ男が前に進むための踏み台、装置に過ぎない。その役割をただただ受け入れることこそが女の役割なのだ。中途半端に透明化されること、言ってみれば生きながらの死を抵抗せずに迎え入れること。そしてその女の役割は、輪廻転生の如く再生産され続ける。
私は、そんなふざけた構造に従うつもりはない。私は透明な存在ではなく、私という確固としたかたちを持った人間であること。それを譲るなんてことはまっぴらごめんだ。ただ前世ではその構造からの逃走、つまりは完全なる透明になることで回避しようとしていた。それが実際に効果があったのかはいまとなっても分からない。でも今世では、絶対に私のかたちは譲らない。私こそが、この踏みしめる世界の主人公なのだ。ただのモブ、新入生Aではなく、ホイットニー・ブリンソン、という名を持つ存在。私が起こした行動は全て私がやったことだとこの世界に刻み付ける。誰を動かし、誰をたたきのめしたのかも等しく主張する。もちろん手段や方便としての嘘には時折頼ることにはなるだろう。でも根本ではけして偽らない。その部分では最後まで正直でありたい。
私は、けして羊にはならない。
「そうです」と私は言った。「私がケビン殿下こそが次期国王に相応しいと説得させていただきました。マリー様がいるいない関わらず、と」
私は大きく息を吸ってから続ける。「ただし、それは能力でケビン殿下の方が優れているから、ということではございません。正直に申し上げさせて頂いて、個別の政治家としてはロバート殿下の方が優れていると思います。この度のバートン家に対する一連の計略は見事でした。私が別件で殿下の身の回りを調査することがなければ、恐らく誰にも悟られなかったでしょう。そして2日前に証言録音をゲットできるまで、直接的といえる証拠は一切掴めませんでした。それも、言ってみれば反則と言って差し支えのないやり方でした。手を組んでいた貴族たちとの直接のやりとりの形跡も残さずにここまでのことをやってのけたのは、客観的にもとても優秀だと思います。――それと比べたら、たとえ身近な大切な人が亡くなってしまったとはいえ、公務に影響が出るほどに腑抜けてしまっていたケビン殿下は政治家としては劣るのかもしれません」
「手厳しいですね」
ケビンは苦笑する。観衆の生徒たちも、それはあまりにも無礼じゃないのかという反応がちらほらと出る。しかし、彼とこの内容をやりとりするのは、言ってみれば2回目である。私と彼が身分や立場を超えて、腹を割って話し合っていることを私と彼以外に知らない。
しかし、と私は前置きする。「偽りはバレる時はバレるんです。それは場合によっては取り返しのつかないことになります。今回のように。でも、誠実は不滅です。そして何かしらの失敗や挫折を経験しても、近くにいる人が支えたいと名乗り出てくれるのです。ケビン殿下にはそれがあるのです」
次話は明日の20時台に投稿予定です。




