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 目を瞑ってすぐ、バチン、と鞭のような音がした。間髪を入れず、つぅああ! というロバートの悲鳴が聞こえた。私は1拍分置いてから目を開き、状況を確認する。


 ロバートは膝から崩れて、右手を押さえて踞っていた。杖は彼の右斜め後ろに転がっていた。


 私は自分の後方がとりわけざわついていることに気付いて振り返った。人だかりの奥の方で、頭1つ飛び出た長身の男性が高い位置で杖を構えていた。恐らくは彼がロバートの攻撃を未然に防いでくれたのだ。その彼は、私にとって()()()()()黒のフードを深めに被っている。


 フードの彼が進み出る意志を示す。すると、観衆の生徒たちは大きく道を開けた。そのうちの何人かは、フードの彼の正体に気付いたようにざわざわとしはじめた。


 フードの彼は私の隣に立って、また親しみ深い声で囁いた。「ここまで1人でよく頑張ったね」


 私はその声音に安堵して腰から力が抜けそうになる。しかし逆に私は、そこからさらに踏ん張ってしっかりと立ち直した。


「誰だぁ」ロバートは手の痛みに耐えながら絞り出すように言った。顔は伏せたままで、フードの彼を視界には収めていない。「お前のテロリスト仲間か……?」


 フードの彼が言った。「私だよ、()()()()


「その声は……まさか?」


 ロバートは顔を勢いよく上げた。痛みにひどく顔を歪めながら。 


 フードの彼が、ゆっくりとそのフードを脱ぐ。すると、私を除くその場にいた全員が逆立ちしそうなほどに驚いた。


 フードの彼の正体、わざわざ言う必要があるのだろうか。まぁ、文章という伝達手段を用いている以上、明示しないわけにはいかないだろう。


 そう、フードの彼はケビンだ。先ほど私があったフランク・ファマードという仮面ではなく、この国の第1王子として、ケビン・ファーガソンとしての本来の顔を世界に示している。生気に満ちて引き締まった、国を誠実に導く気持ちのいい表情だ。


「な、何で()()()がここに」ロバートが言った。まだ座り込んで、右手は抑えたままだ。「まさか今回のことは、兄さんがその女を操ってやらせたのか?」


「その激痛が、いまロバートがホイットニーさんにぶつけようとした痛みだ」ケビンはロバートのなぜに答える前に言った。「――ホイットニーさんの言う通り、私はあくまでも協力者だ。全ては彼女が1から調べ上げて、己れの善と照らして行動した。そして自力で私のもとに到達し、自身の想いを身分の差に怯まずに私は示した。私はそれに誠実に応えた。それだけだよ」


「……つまり、兄さんがあの録音を用意したわけか」


 ロバートの声や表情から、先の狂気が削がれはじめている。


「その通りだ」ケビンは答えた。


 ロバートは少し考えてから首を横に振った。「いや、それでも納得のいかないことがある」 


「具体的に、どこが納得できないんだ?」ケビンは率直に聞いた。


 ロバートは答える。「……いくら身内の手引きがあったとしても、自分の部屋が盗聴されていることに気付かないわけがない。いくら兄さんの優秀な手際があったとしてもね」


「……それはつまり、録音の内容は事実と認めるということだな」


 ロバートは、はっ、とした顔をして顔を伏せた。


 それを見届けてから、確かにそうだ、とケビンは話しはじめた。「常に盗聴機をロバートの自室に設置していたり、ロバートに深く関わる人物全員に盗聴機を忍ばせたりすれば確実にバレていただろう。でも私は、いや、私たちは、最初からクリスさんに的を絞って日に短時間のみの盗聴にかけることにした。ロバートの部屋へ出入りする前に彼女の服に忍ばせて、後で速やかに回収した。それを毎日繰り返した。そして、2日前にようやく決定的な音声を手に入れることができた。それまでは王宮内でもかなり警戒を続けていたようだけれど、最後に詰めが甘かったようだな」


「――もう1つ聞きたい」ロバートは言った。「何でクリスだと断定することができたんだ?」


 ケビンはロバートの問いには答えず、私の方を見た。それは恐らく、私が答えるかそれとも君が答えるか、どちらが適切なんだ、と私に伺っている視線だ。私はその心遣いを素直に嬉しく思った。このままつらつらと気分よく、まさに自分だけの手柄のように相手に理を説き続けるたくなるところをぐっと堪えて、主はあくまでも私であることを理解している。本当のぎりぎりまで手助けせず私の、いうなれば自主独立を尊重してくれたことも含め、けして多くはない対面でのやりとりの中で、私と彼は確かで公平な関係性を構築することができているのだ。それらも合わせて、私たちの勝利なのだ。


 いや、まだ油断をしてはいけないだろう。ロバートがいま私たちに追い詰められているのは、まさにその油断が最大の要因なのだから。



「今回の件で注目すべき人物の特徴をケビン殿下にお伝えしたのは私です」私は胸を張って答える。


 するとロバートは、ケビンから私に視線を移した。そしてロバートの時とは違い睨むような顔をした。しかしあくまでも、ような、であり、あまりのショックで睨みきることができていなかった。


「なんだ、それは?」


 ロバートの問い掛けはいっそう弱々しくなっていた。


「私はロバート殿下の身辺をお調べさせていただいた際に、密かな趣味として紅茶を嗜んでいることを知りました。そのことが事実かどうかをケビン殿下にも確認させてもらった際に、くわえてこうお聞きしました。近頃衣服から紅茶の香りを強くさせているメイドの方はおられませんか? と」


 私は1つ咳払いをして続ける。


「ロバート殿下がレベッカ様によい感情をお持ちでない中、学園への入学で互いにプライベートでの関わりが少なくなれば何かしら王宮内で関係を持っている女性がいると踏んでいましたので、その炙り出しのためでした。もし紅茶で怪しい女性が見つからなくても幾つか候補は用意していたのですが、いきなりそれらしい方をピックアップできたのは幸運でした」


 幾つかの候補は用意していた、はもちろん事実ではない。端から紅茶以外の要素は頭になかった。それは前世のゲームとしてプレイ知識に加えて、ジャーメイの言葉、そしてロバート自身に()()()()()()()()()()()との予想があったからだ。そして、これからロバートに対する説明に幾つかの脚色を施していることは、事前にケビンとしっかり話し合っている。


 私はさらに続ける。「男女が接近しようとする際に、自身の趣味や嗜好を開示・共有することはある意味では常套手段と言えます。それ本来はとても微笑ましいもので、恋そのものと同じくらいに祝福されるべき営為だとも思っています。しかし私は、それについてどうしても納得にできないことがあります。ほとんどの場合、開示する役割は男性でそれに染まる役割が女性になってしまっているところです。もちろん、それは男が悪いや女が悪いといった問題ではなく、お互いの努力不足のせいだと理解しております。同じだけのものを交換し合うのはとてもしんどいことで、どちらかに傾いてしまえばとても楽です。ただそれがこれまでの慣習・通念・社会構造によって、男性から女性にと固定されがちになっていることが私を不快にさせるのです」


 私はまた1つ咳払いをした。「しかし、今回に限ってはそれが大いなる手がかりとなりました。私はロバート殿下も例に漏れず、関係をもつ女性に自身の趣味・嗜好を開示していると考えました。紅茶を淹れてご馳走するといった具合に。そのことを君だけの特別なんだと示すように。相手の女性も1国の王子、……それも見目麗しい男性にそうされたらほとんどの場合嬉しくなるでしょう。快くそれを受け入れて、ゆくゆくは自分でも紅茶の淹れ方を勉強するようになり、それをロバート殿下に報告する。ロバート殿下もそれを聞いて嬉しくなる。その女性が確実に自分に支配されていっていることを切に実感できるから。ただ残念ながら、当事者がどれだけ密に徹しても、勘の鋭い人にはそれが分かってしまうんですよ。そう、まさに匂いのように。馴れてしまうと、客観的に自分達の放つ雰囲気のようなものが判別できなくなるのです。――それこそが、私たちの突破口になったのです」


 私はその細説をロバートだけでなく、エイダにも届けるつもりで言った。そのエイダは地面に腰を下ろしたまま(尻餅をついた時とは微妙に体勢を変えて)、これまでの諸々のショックで呆然とした、どこか透明な顔をしている。そんな彼女がいま私の話を耳に入れてどう感じただろうか? いや、あまりのショックで内容が脳みそまで届いていないかもしれないけれど、それを非難したり咎めるのはお門違いも甚だしい。ただ、ちゃんと届いていることを仮定して想像することは私の勝手として見逃してほしい。


 彼女はロバートに紅茶をご馳走してもらったことを、少なくとも現在は自分だけの特別だと思っていたはずだから、それが同時的に他者にも振り撒くような手段であること知って深く傷付いているかもしれない。彼女の透明・呆然、あるいは消沈の構成要素の大半は、もしかしたらそのことが占めているのかもしれない。ともすると、何かしら恨めしい気持ちが沸いていて然るべきだ。それがロバートに向いているのか、それとも私に向いているのかだ。入学式の日はどうだとしても構わないと豪語していたけれど、実際に目の前にすると、恨まれているかもしれないという予想はどうしても喉元を掴まれるような感覚に陥らせる。そして、紅茶の香りで疑惑の個人を特定するという手法を私が思い付いたのは自分のせいだと万が一にも気付いていたら、それはかなりの確率で程度を増して私に向けていることになる。先ほどは私のために立ちあがって声をあげてくれたとしても。



「クリスさんは今日の午前中に、既にこちらで保護している」ケビンが言った。ロバートはケビンに視線を移した。「そしてクリスさんの口からも事情は聴取している。ロバートからこの関係を誘ってきたことも全て。そしてこうなってしまった以上、彼女には退職してもらうことにはなるけれど、再就職の斡旋はきちんとこちらでさせてもらうよ」 


 ロバートは返事をせず、がっくりと首を落とした。


 彼は少し間を空けてから溜め息をついた。「――結局最後まで、ロバートの口からクリスさんを心配する言葉は出てこなかったな」


 ロバートは、また勢いよく顔を上げた。はっとした表情を浮かべて。まだ()()()()()()()()()ことを思い知るように。

次話は明日の20時台に投稿予定です。

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