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私はその巻貝の殻を、自身の顔の高さまで持ち上げる。誰からも見えやすく、そして聞き取りやすいようにするために。巻貝の殻は骨のように白くて細く、私の手のひらにすっぽりとおさまるサイズだ。
「……なんですか、それは?」
ロバートはその巻き貝の殻を数秒見定めてから、私を睨み直した。
私は答える。「この貝殻にはある録音が封入されています。それこそ、私が先ほど申し上げた、別のアプローチで殿下の行った事実を証明する証拠なるものでございます」
「ほぉ、音声ですか」彼は言った。
「はい、私はいまその内容をここで再生しようと思います」と私は応えた。「最後にお伺いさせていただきます。ここでそれを再生させていただいて、本当によろしいですか? 衝撃的な内容ですので、もしここで全てをお認めになって頂けるのであれば、大勢の前でのそれは取り下げさせていただきます」
「――ふふふ、いいでしょう。それが本当に証拠足るものなのかここにいる全員で確かめましょう。私がいまちらと見るだけでも、この私が優等だと認識している生徒が何人もいます。捏造だったらすぐ分かりますからね。そして、その捏造自体が罪になることも承知してください」
彼は自信満々に答えた。きっとこの度の企てで、協力者と会話で何かしらをやりとりをしたことはなかったのだろう。捏造かいちゃもんレベルだと思っているから強気でいられるのだ。彼が甚だ見当違いをしていることに、私も思わず笑みがこぼれそうになる。ここまで思い描いた通りにことが進むとは思っていなかった。きっと小説家やシナリオライターが展開につまることなく作品を書き上げられた時も、こんな具合に清々しい気分になるんだろうな、と私は思った。
「もちろん、承知しています」私は応えた。「――それでは、耳の穴かっぽじってよぉくお聞きください」
さぁ、いまから伏線回収の時間だ。私は顔の高さに維持したまま、貝殻を横に振った。するとテープの巻き戻しのような音がして、彼の声で話しはじめた。
『――やっとだよ、クリス。いよいよ明後日に、あのクソ女と永遠にさよならできるんだ』
ロバートの問い掛けに、女の声が応える。
『そうでございますね、ロバート殿下』
私はここで再度横に振って再生を一時停止する。
「…………は? ――はあああああああああああああああ!?」
彼は目玉が飛び出るのではないかという勢いで驚愕した。そして観衆の生徒たちも今日1番のどよめきを見せる。そしてエイダとレベッカも、ロバート並ではないにせよ驚きを隠せない。やがてエイダのそれは失望に変わり、レベッカのそれは諦観に変わる。
私は再度貝殻を振って続きを再生する。
「や、やめ、ろ」
彼が情けない声で懇願したが、私はそれに聞く耳を持たない。
女、もといクリスが続ける。『半年間、よく頑張られましたね。これで、殿下の憔悴した顔を見なくてよくなるのですね。それはそれで寂しい気も致しますがね』
衣擦れと、もう1つ何かを擦る音がする。きっとクリスが彼を包容しながら頭を撫でているのだ。
『ああ』と彼は応える。声がくぐもっているので、きっとクリスの胸あたりに顔を埋めているのだろう。『この半年間、あの女ひいてはバートンを貶めるための準備に大分苦労したよ。怪しまれない範囲で証拠を残さないように協力してくれた貴族と交渉・準備をしてきた。一時期はストレスで禿げしまうかとも思ったよ。でも、それも明後日までだ。……ごめんよ、クリス。その多忙もあってか、君にはずっと甘えっぱなしだった。でもこれからはもっと頼られる、本来の王子然とした自分を君に見せられると思うから』
『それは楽しみですね』クリスが言った。『でも、私の前ではいつまでも甘えたがりな1人の男性としていてくれてもいいんですよ』
『クリス……』
私はここで再生を停止した。この後に粘膜接触を思わせる音が入っているためである。さすがにこの場でそれは流せない。いやそれ以前に、これまでの2人のやりとりもかなり鳥肌ものだから、いまさらな気するけれど。
ロバートの顔は、今度は恥辱の赤に染まっていた。瞳は右往左往するように忙しなく微動し、口がポカンと開いて下顎が痙攣するようにこれまた微動している。まさに情けないの一言である。何かを言おうとしているのが呼吸の感覚で分かるのだけど、紡いだ言葉が口からでた瞬間に破裂してしまったみたいに伝わらない。因果応報だ。先ほどレベッカに押し付けたことが、まさにいま彼自身返ってきているのだ。
彼が何も喋れない状況では埒があかないと判断した私は、この録音の詳細を説明することにした。
「これは2日前に、王宮の殿下の自室で録音されたものです。クリスとは、いま殿下に専属で奉公しているメイドの方ですね。探知の魔法で解析すれば私の証言に間違いがないことが分かります。よければこのままお渡し致しますよ。こちらも複製を作っていますし、殿下もこれがどこまで録音されているのか確認した方がよろしいのではないでしょうか?」
彼はその先のことを思い出したかのようでいっそう顔を赤くして、顔を伏せた。それは暗に、録音の事実を認めているように映る。それは観衆の生徒たちも同様のようだ。彼に対して失望や落胆の声が聞こえてくる。
「さぁ、どうされますか?」
私は当然追い打ちをかける。
彼は顔を伏したまま答えない。しかし少しして、彼の全身がまるで心臓そのものになったように大きく震えて、遅れてまた大きく笑いだした。これまでで1番大きな笑い声だった。一頻り笑うと顔を上げて言った。『バッドマン』のジョーカーのような笑顔を浮かべて。
「おかしい、あり得ないんだよぉ、その録音はぁ!」
彼はこれまで、私の揺さぶりに対して一向に崩さなかった丁寧な物腰を完全に解いた。威圧に傲慢に差別心、これまでは仄かな匂いのようだったそれが、いまでは直接的で肌を焦がす熱のように伝わってくる。
「それはどう言うことですか?」私は言った。
「最初に言っておくが、この音声はまったくの事実無根だ。不意打ちのようにクリスさんの名前が飛び出して、あのような恥ずかしい内容をでっち上げられて、頭が一時的に混乱してしまっただけだ。それから少し時間を置いて冷静になって、改めてその馬鹿馬鹿しさに大笑いしてしまったんだよ」
私は彼の言い分を冷ややかに聞いていた。そして観衆の生徒たちも、流石にそれは苦しい言い訳じゃないのか? という反応がちらほら聞こえる。丁寧だった口調も荒々しく変質してしまったのだから、尚更だ。
「殿下の言い分は分かりました」私は言った。「そのうえで、この録音のどの部分があり得ないと仰っているのでしょうか?」
ふふ、と彼は笑みをこぼした。「だってそうじゃないか、なぜおまえ程度の人間が王宮の王家の私的空間を盗聴できるんだ? 私たちは普段からそういったものに対策をしているんだ。バレずに遂行するなんて不可能なんだよ」
「それもこれも、全てはこの録音を解析すれば分かることです。いまからそれを得意とする第三者生徒に協力してもらって確」
笑止千万! と彼は私の言葉をぶつぎるように遮った。「そもそも最初からおかしかったんだ! だってそうだろ? 何で入学してまだ数ヶ月の小娘が、これほどの行動を起こせるんだ? 私の前に臆することなく飛び出して、これほどの仕込み・ディベート・捏造をやってのける。誰かに使わされてやっているとしか考えられない。それはいったい誰だ? 言ってみろ!」
彼の言葉に、確かに殿下の言う通りかもしれないと流される生徒たちの声が幾つか確認できる。少しまずいかもしれない、いまケビンのことを素直に告白しようか? いや、それはまだしたくない。もちろん、どこかしらで最後の決め手として、ケビンの協力と彼が王位継承に対する意欲を取り戻したことを私から開示しないといけないだろう。そうしたら、彼もどこからか現れてそれが真実だと口添えしてくれるだろう。むしろ彼がロバートと対峙する前に私に会いに来てくれたのは、激励というよりはそちらの必要性をちゃんと理解していたためだろう。私は直接そのことを要請はしなかったけれど。
そう、要請をしなかったからこそ、私はギリギリまで彼に頼ることはしたくない。私にこそ主体があることを、彼だけでなく全世界に示さないといけないのだ。
「確かに協力者はいます」私は端的に答えた。「しかし、あくまでも協力者です。全ては私が主導して行い、自分の信じる善を貫くために、大それていることは承知の上で今日行動を起こしました。そこに一点の偽りもありません。全ては私の決意です」
私は1つ大きく息を吸って、すかさずに言った。「それに、殿下の言葉からは女性のことを心底見くびっていることが感じ取れて仕方ありません。先ほどの機嫌の話と同じです。本来、大方の女性たちは私と同じように行動し自分の意志を示すことができるのです。それが様々な要因で阻害されているのです。そしてその主因に、男性の驕りがあるのです。その驕りが殿下にもあって、それがいま殿下の首を絞めておられるのです」
「お前こそ! 私と、そして王家を舐めるなよ!」彼はたまらずに叫んだ。「我ら王家はこの国で何百年も続いてきた。その長さゆえに、これまで何度も王家あるいは王宮に入り込んで悪事を働こうとしたものが現れた。我らはその悉く退けて、その度に守りを厳重にしてきた。何度も言ってやる。お前ごときがこんなものを録音できるなんてあり得ないんだよ」
そこまで捲し立てると、彼は何か思い付いた顔をして、下を向きながら、グフフ、という感じに笑いはじめた。私はまた、彼に対する嫌悪感でいっぱいになる。
彼は顔を上げて、気色の悪い笑みをたたえながら言った。「そうか、お前は外国と繋がっているんだな」
「な、何を仰るのですか?」
私は彼の想定を超えた論理的飛躍についたじろいでしまう。
「その反応は図星か?」
彼はすかさず言った。しまった、先手をとられた。
「お前は外国と共謀し革命や民主化といった口上を用いてこの国の仁政を破壊し、無辜の民たちを惑わし混乱に陥れることを至上と感じる異常者たちの一員なんだな。そういった情報はたくさん入ってきているし、実際そういった勢力と思われる犯罪者、いや、テロリストたちを何人も検挙しているんだ。ははは、そういうことか」
「そのような事実はありません」私はきっぱりと言った。「何度も言いますように、これは全て私が主体としてやったことですし、協力者も外国人ではありません。むしろ、この国のことを愛している素晴らしい人です。私と同じく正義を、誠実を信じる人です。それに、もし私がそのテロリストの一員なら、こんなのところに出てきて殿下を変に追い詰めるようなことなど致しません。もっとうまく隠れてやります」
「テロリストの言葉に聞く耳など持つか!」
彼は叫んだ。ヤバい、会話の主導権を完全に向こうに渡してしまった。
「本当に哀れな奴らだよお前たちは」彼は言った。「外国でいま続々と誕生している民主国家の光の部分だけに魅せられて、飢えた犬のように近づいてその闇の部分に利用される。一定の洗脳も施されて、もうまともな脳みそに戻ることは敵わない。外国の勢力はそれほどまでに狡猾なんだ。その録音だってそうだ! お前はきっとそれをテロリスト仲間もしくは外国から直接に渡されて、まさに自爆テロの如く私の前に飛び出してきたんだ。こういった捏造や改竄を使って革命を成した国があることも私は知っている。位置や時間情報の編集という超高等技術が使われたということもな。こうして私を陥れて、政治が混乱したところにテロリストたちが蜂起して、この国を内戦状態にでもする腹積もりだな」
私は返す言葉をすぐに思い付けなかった。そして彼が言ったテロリストもとい革命家たちが保有する高等技術について、彼がこの場で捻り出した創作なのか、あるいは実際に存在するのか、いまの私は知らない。ただどちらにせよ、別のルート・シナリオであった革命というファクターが、まさかいま私に刺すようにやってくるとはまるで予想だにしていなかった。
「王家・王室に対する侮辱、不敬罪。そんなのまだ生ぬるい。お前のやったことは国家転覆罪、外患誘致罪だ。法定刑は死罪のみだ。弁護人をつけることも許されない。それほどの重罪なんだよ。その現行犯として、この場で身柄を拘束させてもらう」
「そんな、あまりにも無茶苦茶ですよ」私はたまらずに言った。
「ほぉ、あくまで抵抗するか。仕方がない、多少痛め付けてでも連行させてもらう。この場で殺しまではしないから、安心しな」
しまった、追い詰めすぎたか? といまさらながら思った。そしてちらと周りを見ると、流石にロバートの精神状態がおかしいという風に認識はしているようだけど、だからといって彼の前に出てきて私への有形力の行使を止めようとはしてくれない。ただしかし、ここで出ていけないことを私は責められない。縁もない他人のために自分の生命を差し出すことを安易に当然と思いたくない。それが「男は女の盾になるべき」に類するなら尚更だ。
ロバートは自身の腰あたりから杖を取り出した。上級生の夏服には杖専用のホルダーがあって、そこに杖を収納している。もちろん、1年生の私にはそれがないし、杖も貸出し用すらも携帯していない。
彼はその杖を使って、非武装の私に攻撃の魔法を浴びせかけるつもりだ。
「ロバート殿下! お止めください!」
それを叫んだのはエイダだった。ロバート越しに彼女の様子を見ると、先ほどまでと一変し腰からしっかりと踏ん張って立っていた。強い表情をして、睨むように彼の背中を見ていた。私はその情景を見て、切迫した状況ながら内省の気持ちでいっぱいになった。私もエイダのことを、女というものを見くびっていたのかもしれない。
「黙れぇええ! 引っ込んでいろ!」
彼はエイダの方に振り返って叫んだ。
エイダは、ひぅ、と言いながら尻餅をついてしまう。
私がそれに気取られたうちに、彼は杖の先端を私に向けた。
「ふん、これ以上の抵抗をしないなら、そこまで痛くはしない。この場で動けなくなる程度だ」
どうやら、私は女だけでなく男の自棄についても見くびっていたようだ。恐らくは彼の魔法発動のタイミングに合わせたら、1回ないし2回は避けられるかもしれない。しかし、それでは観衆の生徒の何人かに直撃してしまう。そして、そうなると判断して途中で魔法を止めるなんて頭はいまの彼にはないだろう。さぁ、どうする? どうすればいい?
考えを纏める前に、彼は隙も与えず杖を振り上げた。私は考えるのをやめて、歯を食い縛り目を瞑った。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




