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私の突然の叫声に、辺りは凪のように静まり返る。まるで時間が止まったように、私以外の生徒は体をこわばらせた。私はその中で、肩を大きく動かしながら息をする。今世で、いや、前世も合わせて1番大きな声を出したと思う。
1分弱の沈黙と硬直の後、今度はロバートが叫んだ。
「いまの声は一体誰ですか! 意見があるのなら前に出てきて堂々と言いなさい!」
文言は丁寧でも随分と不機嫌になっていることが語気から分かる。
観衆の生徒の私の側にいた複数は当然その声が私発信だと分かったため、彼の呼び掛け応じて左右に避けて私の姿を露にさせる。私は隠れることなく、むしろ彼の方へ前進して人だかりから完全に抜け出した。レベッカが私の右斜め前方にいて、踞ったままではあるけれど、顔を隠していた両手を下ろしこちらを見ている。ぐちゃぐちゃに濡れて歪んだ顔に、何かしらの光が差したように見える。それは希望というよりは、猶予の時間ができたことによる安堵なのだろう。私もレベッカから過度の期待をかけられているわけじゃないと察し安堵する。結果は求められていない。私の異議が通っても、自分が何かしらの罰を受ける未来は変わらないことを彼女は理解しているようだ。ロバートの神話に含まれる含まれないに関わらず、何かしらの罰を受けることを覚悟している。私はそこに、彼女の魂が完全に腐っていないことを読み取った。
「あなたですか? さっきの大声は?」彼は私をまっすぐ見ながら質問する。
私は通学かばんを足もとに置き、鼻から大きく息を吸ってから答える。両手が僅かに震えるのを、握りしめて必死に堪えながら。
「その通りでございます」私は答えた。
ほぉ、と彼は言った。「お名前を伺ってよろしいですか?」
彼は言葉の1音1音に怒りや不快をしっかりと乗せている。私はまた大きく息を吸って答えようとする。すると先に、彼の背中に隠れるエイダが、ホイットニーさま、と呼んだ。こちらまでクリアに聞こえないような微かな声量だったけれど、口の動きでそれが分かった。入学式以来なのに、私のことをはっきり覚えてくれていることが素直に嬉しく思った。彼はエイダの予期せぬ反応に戸惑いの表情を見せる。
「その通りでございます」と私はまず言った。「私はホイットニー・ブリンソンと申します」
「――ブリンソン」彼は澄ました顔をつくってから、私の姓を抜き出した。「聞き覚えがありません。きっと地方の下級貴族の家なのでしょう」
「その通りでございます」私は繰り返した。「男爵の家で、シボレーという小さな町を治めています」
「ご丁寧にありがとうございます」彼は皮肉混じりに言った。「ところで、私はあなたが「異議あり」と仰っているように聞こえましたが、聞き間違えではありませんか?」
「はい、間違いございません」と私は答えた。「私はこの度のレベッカ・バートン様の処遇について、異議を申し立てます!」
私の言葉に、観衆の生徒たちは今日1番のどよめきをみせる。それはある種のBGMようになって対決の雰囲気を漂わせる。すると風まで吹きはじめて、まるで自然、あるいは世界が互いに顔を隠すことは許さないと言っているみたいだ。前髪が横に流れたロバートのこめかみには、青筋がたっているのが見てとれる。ここまで全て自分の思いどおりに進んでいたのに、最後に邪魔が入った、とでも思っているのだろう。
レベッカ、と彼は呼び掛けた。「彼女のことを君は知っているかい?」
「――いえ、……存じ上げません」
レベッカは彼の方を向いて答えた。
ふむ、と彼は鼻を鳴らした。そして私の方を見た。「直接に面識のないあなたが、なぜ彼女を弁護するのですか?」
「罪と罰の所在、程度をはっきりとさせるためです」私は正直に答えた。
「抽象的ですね。もっと詳しく説明いただけませんか?」
「かしこまりました」と私は言った。そして彼のストーリーに対抗するように、私も私のストーリーを述べる。また、随分と不正直になる。「――まず最初に申し上げさせて頂きますと、私もレベッカ様が無罪だとは思っていません。そもそもの発端はエイダさんを助けるためでした。殿下と同じように、私もレベッカ様によってエイダさんがひどい暴力に晒されている事実を認識し、それを何とかしようとして動きはじめました」
「あなたとエイダさんには面識があるようですから、その動機については理解できます」彼は言った。
「本当はその現場に突撃でもして、やめろ! とでも言えればよかったのですが、私はまだ1年生で魔法が未成熟、その状態で優秀な魔法使いでもある筆頭公爵令嬢様にもの申すことがどうしても難しかったのです。ですので学校を頼ろうと思いました。学校に動いてもらうために、裏で色々とレベッカ様のことを探らせてもらおうと思いました」
「その点はとても懸命だと思いますよ」彼は俯瞰するように言った。
ありがとうございます、と私は形式的に述べた。「そしてさぁ取りかかろうとした日に、なんと殿下が昼食中のエイダさんを連れ出されてしまわれました。そして翌日にはエイダさんを生徒会に引き入れられました」
昼食時に彼がエイダを連れ出したことについて、私がどの立ち位置でそれを知ったのかについては有耶無耶にする。
「エイダさんの状況を知っていた私は、それがレベッカ様の暴力から彼女を遠ざけるためなんだと理解しました。レベッカ様のフィアンセたる殿下自ら行動されるのであれば、じきに一定の解決は見るだろうとも思いました。しかし少し時間を置いて考えると、どうもその解釈には納得ができない点が幾つもありました。そしてエイダさんが生徒会に入った後のお三方の行動にも違和感がありました。そこで最終的に、レベッカ様だけでなく殿下とエイダさんについても秘密裏に調べさせて頂きました」
ちなみに、と彼は少し考えてから言った。「レベッカの暴力からエイダさんを守るため、と解釈した際、どこが納得できなかったのでしょうか?」
「本心からエイダさんの身を案じられていたのなら、殿下自ら行動することそのものがありえません」
ほう、と彼は相づちを打った。「その根拠はなんですか?」
私は答える。「先ほど殿下自身も仰られたように、レベッカ様はエイダさんだけでなく以前から殿下の身近にいた同年代の令嬢方にも暴力を振るってきました。その数はこれまで片手では数えられないほどです。そして、そのいずれも程度の烈しいものだったと耳にしております」
「その通りです」
彼は端的に答えた。
「であるならば、殿下自らレベッカ様の排除しようとした女性に接近することが逆効果なことくらい、過去のサンプルから容易に想像できるはずです。それこそ、先ほど私にも言われたように学校にまず協力を依頼することのほうが懸命のはずです」
「――その通りかもしれません」彼は少し間を空けてから言った。「合理性だけで判断すれば確かに仰る通りです。しかし、私にも感情があり常に最善に動けるわけではありません。その点でエイダさんにご迷惑をかけた部分はもちろんあると思います」
「確かに」と私は言った。「問題に直面して常に冷静に対処することは不可能です。ただその上で、レベッカ様に2つお伺いしたいことがございます」
私はすかさずレベッカを見て質問する。彼もそれを止めない。ここで彼女の発言権を奪うと観衆の生徒たちの心証を悪くすると判断したのだろう。そのためにも、私は断罪イベントジャックという手段を選んだのだ。
「レベッカ様、あなたがエイダさんに最初の暴力を振るったことを殿下に報告されたのはいつですか?」
「……その日の夕方よ」
レベッカは濁った声で答えた。
「もう1つお尋ねします。エイダさんを含め、これまで殿下に近付いた女性を凝らしめたとを報告した際、殿下はどのような反応をされていましたか」
レベッカは1つ咳払いをしてから答える。「……口頭のさらっとした注意だけよ。エイダさんの時もね」
先ほどの回答よりも声がクリアになっている。先ほどの痰が絡んだような声が気に入らなかったのだろう。彼女のプライドが、少し息を引き返してきたようだ。
「次いで殿下にも質問させていただきます」
私はロバートに視線を戻して言った。
「どうぞ」
ロバートはまた端的に応えた。
まず、と私は前置きする。レベッカの時のように最初に質問数を示さないのは、彼の返答によって増減することが想定されるからだ。「殿下はなぜ、レベッカ様の報告を受けてすぐにエイダさんの状態を確認されにいかなかったのですか?」
「いくら生徒会長と言えど、女子寮に容易に出入りはできませんよ。放送で呼び出すにしても、それこそレベッカに感づかれてしまいます」
「殿下なら女性の学園職員に代理で確認を頼むことだってできたはずですが」
「――そうですね。それは可能だったと思います。申し訳ございません。どうも女性に頼るということがレベッカの手前選択肢から完全に外れてしまっていたようで」
相変わらず言い訳がうまいな、と私は思った。
「もう1つお伺いします」私は言った。「レベッカ様からエイダさんを凝らしめたと聞いた直後はこれまでのものと大差ない反応だったそうですが、今回に限って被害者を守る行動に出られたのはなぜですか?」
「――様々な事情が重なったとだけ申し上げさせていただきます。その部分を明らかにすると、エイダさんだけでなく過去の被害を受けた方たちに不利益がでる可能性があるのです」
私は彼の回答を受けて、想定どおり甘くはない、と思った。他者のプライバシーに関わる事情が絡んでいると言えば、こちらも迂闊に聞き取ることはできない。その代表例で言えばセカンドレイプだ。しかし当事者のエイダ自身にはその事情が何であるかは伝わっている。平民、つまりは弱者の私のために立ち上がってくれたというストーリーが、彼女の中でしっかりと作り上げられている。それは彼がまるで洗脳するように埋め込んできたものだ。くわえて、明言しないことにはもう1つの訳が考えられる。ここでもしエイダが平民でありそれを理由にして動いたと発言すれば、過去の救済しなかった被害者たちがどのように思うか。彼はきっとそこまで考えて言葉を選んでいる。容易な相手ではない。
ふん、望むところだ。こちらも、ただの女とは思わないことだ。
「殿下のお心はよく理解できました」
私はへりくだるように言った。
それは何より、とロバートは微笑んだ。最初は何だこの女とでも思ったいたのだろうけど、ここで引き下がるならむしろいい余興だ、とでも思っているのかもしれない。実際ここで謝罪をすれば不問にしてくれるかもしれない。そうすればどこかで見てるケビンが現れて、全てを変わってロバートに天誅を下してくれるだろう。もし万が一ケビンが現れないなら、いっそ情報を提供してしまってもいいかもしれない。そしてロバートの王位継承を万全にする助けをすれば、むしろ恩賞まであるかもしれない。それで将来的な中央の重要な公職への就任をお願いする。それが私の求める1人で生きられるの1番の近道かもしれない。ロバートに1度あるいは2度頭を下げるだけでそれが敵うなら、自分の信念を折り曲げる価値はあるんじゃないか。ケビンを裏切ってもいいのではないか。変節するならいましかないぞ。
なんて、妄想に近い想定を並べてみたけれど、私は心の中でそれらに唾を吐き掛ける。私が欲しいものは、たとえ協力はあれど自ら主体的に動いて手に入れる。そのためにはどれほど恐ろしくても、いまこの国で5指に入るであろう強い男を前にしても、引き下がりはしない。恐れからくる震えも、全て怒りからくるそれなんだと自身に思い込ませる。ロバートが他人を暗に操って目的を達しようとするなら、私は明に自分自身を操って目的を成し遂げてやる。その対比を、むしろ楽しんでやるのだ。
私は次の台詞を言う前に、レベッカとエイダそれぞれの様子を見る。エイダは私の名前を呼んでからずっと混乱した表情を浮かべている。口が開き気味で、目もいつにもましてまんまるに開かれている。頭の上に? が3つくらい浮かんで見えそうだ。まぁ、それも当然だろう。入学式の日に親切にしてくれた人が、今日いきなり自分をいじめた相手の弁護をしているのだから。むしろ敵意を向けられていないだけマシなのかもしれない(それも覚悟の上なのだけれど)。
レベッカの方は先ほどの私のへりくだるような台詞のせいか、また俯いて彼から告げられた処分を歯を食い縛りながら受け止める態度を見せる。僅かに差した光を拒絶する。彼女には申し訳ないけれど、いまからも荒海に浮かぶ小型船舶のようにあっちこっちと揺さぶらせていただくことになる。まぁでも、それも1つの罰ととして捉えてもらうことにしよう。
私はにっこりと笑顔を作って言った。「はい、大変よく理解できました。殿下は結局のところ、誰かのためではなく、自身の欲求や感情のためだけに動いておられるということが」
次話は明日の19時台に投稿予定です。




