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そのように食い縛り泣くレベッカに、誰も歩み寄ってくる気配はない。ロバートはもちろんのこと、観衆の生徒たちの誰もその1歩を踏み出さない。彼女はいま、世界の誰よりも孤独と言える状況だった。これだけの騒ぎになれば学園の教職員も事態を把握しているはずなのに、誰も様子見や解散を促しに来たりはしない。彼女は遂に学園からも見捨てられたのか。せめてディオンヌ先生だけは、いまここで起きていることについて何も知らないであって欲しい。
レベッカのもとに誰も近寄らない。されど居合わせた生徒たちの全員が彼女をじっと見つめている。その様子はまさに、何かしらのカルト的な儀式を彷彿とさせる。その異様の中で、とりわけ目を引く存在が2人。その中心ですました顔で立っているロバート、そしてその背中に隠れているようにいるエイダ。
そう、エイダだ。エイダのいま浮かべている表情に、私は戦慄を覚える。
エイダは、ほくそ笑んでいるのだ。にたーっと両の口角が引き伸ばされて、目尻もしぼんでいる。私はその表情を素直に怖いと思った。それはこれまでのもとと比べても甚だ異質で、明確に攻撃的な意思を宿していた。得体の知れないなんて表現を挟む必要もないほどに直接的だった。普段との落差のせいか、普段から強面の人のそれよりも、あるいは心にくるものがあった。
そうか、このシーンのエイダはこんな表情をしていたのか。
勿論、自分を痛め付けてきた大きな存在が更なる大きな存在によって成敗される、それを間近に観るというのはとても爽快な気分になることは否定しない。むしろそのようなストーリーは表現として広く親しまれている。ただ彼女の場合、それだけではない。レベッカの個別的暴力に限らないないのだ。
エイダの故郷の町の領主も、またひどく搾取的な人物だった。
そいつは小太りの中年の男で、常に厭らしい目付きを領民に向ける典型的な物語の小悪党だった(これ以上の容姿の描写は個人的にいれたくない)。作物の不作で税の少ない年は過小に申告してるんじゃないだろうな? と疑った態度を見せて、かといって豊作の年は本当はもっと出せるだろうと詰め寄るように要求する。女性にはセクハラ、男性にはパワハラ、モラハラは両性共に。反社会的勢力とも関係があるような態度や発言をして、周囲を常に威圧していた。領主としては最低最悪だった。私と家と同じ男爵位で、同じく町を1つ治めている点も個人的に不愉快だ。
エイダは生まれた時から、そういう不健全なコミュニティに属していた。彼女はそのうえ、その領主の息子からもひどく言い寄られていた(容姿も領主の父親とよく似ていた)。結婚はできないけれど、遊びの関係としてどうだ? という具合に。そのどら息子は3歳年上で、学園の入学時期は入れ違えということになる。言い寄りはじめたのは彼が学園に入学する直前からで、つまりは休みで帰省してきた時に毎度近づいてきていたことになる。その言い寄り、あるいはストーキングが短期集中的であったこと、そして領主自身も一般人との関係は積極的に応援できない面もあってか、彼女は拙いながらも断り続けることができた。ただ彼女のなかで、特権階級――のとりわけ男――とはこういう下衆な類いの人種ばかりであるという認識は強く刻み込まれることになった。そのような認識ながらもこの特権階級だらけの学園に入学したのは、先述の通りひとえに町の人たちのためなのだ(あるいはそのどら息子からできるだけ離れたかった意図もあるかもしれない)。
だからこそ、入学式でのロバートの優しい所作は、彼女にとって衝撃的だった。そのうえ翌日のレベッカのリスペクトに富んだファーストコンタクトも素直に嬉しかった。しかし、彼女のそれが偽りであることは早々にバレてしまった。そして彼は尚も偽り続けている。その差分がいまの彼女の表情となって表れているのだ。
いや、『オールウェイズ・ラブ・ユー』全体の流れを思い返してみると、いま彼女の浮かべる表情は本来のそれよりも険しいものかもしれない。ゲーム上で一定以上の関わりが描写された貴族はロバートとレベッカだけだった。ただ、いまこの世界では、私やジャーメイとも一定以上の関わりを持つことができた。とりわけ同学部のジャーメイからは、入学式以後も数度友好的に声をかけられた。もしかするとその根底に領主のどら息子と同じような下心があるのかもしれないけれど、求められていないと分かるや何も言わずに身を引く理性を彼は持っている(彼もまた、ロバートと同じように誠実を持っている希少な男なのだろう)。その彼と私のことは無意識のうちにいまも留めていて、それがその表情にプラスされているのかもしれない。いや、それもまた傲慢な認識なのかもしれない。ただ女の顔がこれほどまでに歪むということに複数の理由付けをしたいだけなのかもしれない。ただどちらにせよ、その彼女の表情とその背景について批判できる人間はこの場にはいないのだ。観衆の生徒たちも、ロバートも、そしてレベッカも。
この私を除いて。
私は大きく深呼吸をして、再び覚悟を決める。
ロバートはボタボタ泣き続けるレベッカにやっと声をかける。ただそれでも、彼女に向かって1歩でも歩み寄るようなことはしない。
「当然だけど、君は国外追放処分にあたってこの学園からは退学ということになる。明日、君の父親から学園に自主退学手続きをしてもらうことになった。だから、君も明日は授業に出席せず起床後は速やかに退寮の準備をして欲しい。明日の昼前には学園を出発して、自分の土地・家に戻ることになるだろう。そして後日、君の追放、いや、移住先について検討し決定次第連絡する。できるだけはやく伝えられるように心がけるよ」
彼女は自分の今後について話す、彼の事務的な通達について、泣くのを我慢して耳を傾けた。しかし、そこに血の通った感触がなにもないことが改めて分かると、また堰を切るように泣き出してしまう。
彼は1つ咳払いをして続ける。「その連絡も、私からではなく別の政府高官からいくことになる。婚約解消自体は学園上の手続きは関係なくいまこの場で正式になったわけだから、この後の君の処遇の実務的部分は別のものに引き継ぐことになる。もちろん、間接的な提案やサポートはすることになるけど、恐らくこれで君と顔を合わせることは最後になる」
彼女はまた我慢して、彼の言葉に耳を傾けようとする。しかし抑えきらない感情が、しゃっくりのようになって彼女の体をビクビク震わせる。そう、まるでレベッカの暴力にはじめて晒されたエイダの時のように。
彼は言った。「――最後に、何か言いたいことはあるかい?」
彼女は何かを言いたいように口を開けて息を吐く。しかし本来そこに乗るはずだった言葉は、シャボン玉のように弾けて伝わらない。ロバート、エイダ、観衆の生徒たち、そして私は、その様子をじっと見つめている。
ここから、本来のエイダ×ロバートルートの終了までの流れを、先に開示させて頂こうと思う。
レベッカがどうにか言葉を紡ぎ出すのに1,2分を要した。しかし顔は両手で隠したままで、それもたった8文字の短い言葉だった。
「なにも、ありません」
ロバートはその言葉を聞き遂げると、にっこり、とまではいかない微妙な笑みを浮かべた。恐らくは、加減をしないと笑みが溢れすぎてしまうためだ。
「そうか」と彼は応える。「私もこれで、君と話すことは何もない。これで失礼させてもらう」
彼女は彼の言葉を受け取った素振りは見せるも、彼女にこれ以上の言葉を紡ぐ余力はもはや残っていなかった。
「君も明日の朝にバタバタするのは嫌だろう。いますぐにでも寮に戻って整頓をはじめた方がいい」
彼は最後にささやかな気遣いをしてみせる。
彼女はやはり、何も応えない。
彼は振り返って、背中に隠れるエイダを見た。「……いきましょう、エイダさん」
彼女は不意をつかれて、え、あぁ、とすっとんきょうな声を漏らす。この時の表情はゲーム上で描写されて、あの異様なほくそ笑みではなかった。ロバートの言葉によってそれは解かれたのかもしれない。はたしてその邪悪とまでいえるような笑みを、彼は目撃したのだろうか?
「わ、分かりました」
彼女は落ち着いてから応えた。
彼は頷いてから、体全てを翻す。「エイダさんから先に歩きだしてください」
は、はい、と答えて彼女も翻り、来た方向へと戻るように歩きだした。また人だかりが割れていく。今度はエイダの歩みによって。彼は少し待ってから、彼女の後ろを付いていく。彼は翻ってから、レベッカに対して一瞥することはなかった。それはまるで、レベッカにエイダへ謝罪する隙を毛髪の先も与えないようにしているみたいに見えた。客観的に見たら、それは実に正しい行動に思える。謝罪なんてのは結局、加害者にしか利はないのだ。
2人の視線から、レベッカは完全に外れた。故に2人が人だかりを割って立ち去った後、彼女がどのようにしていたのかは分からない。ただきっと、しばらくはその場に踞って泣き続けたのだと思う。そんな彼女に声をかける人は誰もいない。観衆の生徒たちも少しずつ離れていき、彼女はまるでホームレスのように透明な存在になる。入学式の彼女と比べると、とことん墜ちるところまで堕ちたといえる様相だ。そして、遂にはそのことにも彼女は耐えられなくなって、とぼとぼと明日出ていくことになる自分の寮部屋に戻る。目の前に浮かぶほどに、容易に想像できる情景だ。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




