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第7章、最終章です。章題は「Whitney Houston」の楽曲より。


 その人だかりに接近すると、隙間からある人物が見えた。赤髪の見目麗しい令嬢、レベッカ・バートンその人だ。


 いや、いまの彼女を見目麗しいと形容していいのか、私は躊躇いを覚えてしまう。流れるような深紅の髪はボサボサに乱れて、色褪せて見える。目の下に深いクマがあって肌の血色も悪い。燃えるように快活だった瞳も風前の灯のようにくすんでいる。ピンと伸びていた背中も猫背気味になり、制服もしわが目立つ。筆頭公爵の令嬢の面影は完全に失せている。いや、もう彼女の家はその筆頭の位置から転げ落ちているのだけれど。


 彼女は現在、9月ホール前に設置されたベンチに座っている。俯いていて、誰とも目線を合わせないようにしているようだ。そんな彼女を、一部の生徒が立ち止まって様子を伺っている。彼女は登校を再開して以来、授業以外は極力人前に姿を現さなかった。それが最近になると、学年が違えば同じ校舎ながらまったく目に触れないほど徹底されるようになっていた。かくいう私は2週間くらい彼女の姿を見ていなかった。だからこそ、みすぼらしいと言えるほどの状態になったいまの彼女の状態をみて、胸が締め付けられるほどに憐れな気持ちになった。きっと私と同じようなことを想って、道行く生徒の一部は足を止めている。これまでならどのようなかたちであれ彼女に挨拶をしてきた彼らが、ただ何も言わずに彼女を注視している。そして、いまのこんな自分を隠したいであろう彼女が人前に姿を現していることに、皆これから何が起ころうとしているのかと考え巡らせているに違いない。いや、きっと皆分かってはいるのだ。彼女が誰を待っていて、その誰かが何を彼女に告げようとしているのか。


 

 少しして、私の反対側からどよめきが起った。そしてその奥の方から人だかりが割れはじめる。彼女の待つ誰かがこちらに接近しているのだ。その割れたそばから、おはようございます、と挨拶も聞こえてくる。レベッカがそれまで受け取れていた分まで、その対象が吸いとっているようにも感じてしまう。やがて割れ目はこちらまで到達し、その正体が姿を表した。いや、ここまで勿体ぶる必要もなかっただろう。そう、その誰かとは、彼女の婚約者でありこの国の第二王子の、ロバート・ファーガソンその人だ。そして彼の後ろに隠れるように、エイダ・タルボットも付いてきている。



「ロ、ロバート」


 レベッカが彼の到着に気付いて立ち上がる。しかしその立ち上がり方は乱雑と言えるほどで、上品さの欠片もなかった。スカートが捲り上がりそうになり、両手の置き所が不明瞭だ。猫背のままで髪の毛も直さない。私は彼女のその立ち振舞いに、またいっそう憐れな気持ちになった。こんな状態でも、彼に呼び出されたら人前に出てきてしまうそのある種の健気さに対して。 



「レベッカ」


 ロバートが彼女の名前を呼んだ。しかしそこに、婚約者の名前を呼ぶ時に含まれるはずの温かな情は微塵もなかった。いまにして思えば、ロバートとレベッカが相対している場面を目撃するのは――ゲームでの主人公視点・現在のモブ視点を問わず――これがはじめてのことだ。だから、いまこのロバートの声の冷たさが特別なものなのかは正直分からない。もしこれが通常の温度感であり、それを彼女が「クール」と表現していたのなら、彼女の歪みがより致命的になるのは仕方のないことに思えてしまう。いや、それでも彼女のこれまでの暴力を正当化できるわけではないのだけれど。


「君を呼んだ理由は、もちろん分かるよね」彼は続けて言った。


 それは……、とだけ言って、レベッカは言葉を切ってしまう。でも、それはその理由が分からないからではない。もちろん理由は分かっているけれど、自分の口からは言いたくないという抵抗からくる遮断だった。


 彼は彼女のその意思を汲み取るように言う。でもきっと、それは自身の学園での好印象を守るために過ぎないのだ。


「まったく分からないわけではないようでよかったよ。……単刀直入に言わせてもらう。いまこの場をもって、君との婚約を解消させてもらう。理由は、いまさら述べる必要もないだろう」


 レベッカは口もとを歪ませる。その奥で歯を食い縛っていることがよく分かる。悔しくして仕方ないのだろう。父親の不正が明るみになった時から、そのことを告げられる日が来るのはいつも覚悟していたと思う。しかし実際にその日がやって来ると、さっぱりと受け入れることはやはり艱難だった。衆人環視の中でなら尚更だ。しかし、ここで悔しいという感情が先行することは、彼女の中で彼に対する愛の純度が著しく低下していることも意味しているように思える。彼女の彼に対する気持ちがまだ以前と変わらないくらいに燃え盛っているのなら、悔しさや恥よりもまず捨てられたくないという気持ちが言動や行動に表れるはずだ。それがないのはもしかすると、エイダに敗北を喫したあの日から、彼女の中で彼に対する気持ちは致命的に損なわれてしまったのかもしれない。そのエイダがいま、ロバートの背中に体の半分を重ねた状態で、彼女の様子を伺っている。


 レベッカは食い縛りを解いて、ようやっと返答を口にする。 


「私とあなたの縁がこれまでというのは、ずっと覚悟しておりました」レベッカは震えながらも丁寧な口調で言った。それはきっと、彼女なりの結果の受容の表れなのだろう。ただそれでも未練があることが、あなた、という呼称から読み取れる。「それでも、納得のできないことがございます」


「なんだい?」


 彼は素っ気ない調子で言った。


「なぜその一言を告げるために、あの日からこれほどの期間が開いたのか。そして、いまなぜエイダさんがあなたの後ろに隠れるように付いてきているのか。その部分をご説明頂けないですか?」


 レベッカに名指しされたエイダもまた、なんとも言えない顔をしていた。ロバートからレベッカにはしっかりとけじめをつけてもらうと聞かされてはいるけれど、その肝心の内容については何も聞かされていない。これだけの人だかりの中で、彼がレベッカに何をするつもりなのか? エイダは純粋な疑問を抱いている。そういう人だかりの1人1人も、大なり小なり同じことを思っているはずだ。けじめ以前に、このパフォーマンス染みた生徒会長の行動に。


「……レベッカ、順を追って説明しよう」彼は言った。「まず、君との婚約が解消となるのは君の父親のせいだ。軍の会計不正は国家の名誉の毀損だ。それは本来許されるものじゃない。それでも君の家がこれまで国家に対してもたらしてきた利益は計り知れないものがあった。だからその罪に対しては異例の軽い処罰で済み、そのことに対して強く反駁するものはほとんどいなかった。ただそれでも、私と君が婚約関係を継続することはできない。そのことに関しては君はまったく悪くない。でも、家とはそういうものだ。そのことは君も十分理解しているだろう」


 はい、とレベッカは絞り出すように答えた。その言葉に父や家に対する恨みのようなものはほとんど感じなかった。そもそも家があったから、私は彼の婚約者としてこれまでいられたことも、彼女は理解しているのだ。


「しかし、それとはまた別に君にはけじめをつけてもらわないといけないことがある」彼は冷淡に言った。「いや、償いと言った方が正しいだろう」


 それって、とレベッカは応えた。そう、納得できないと言いながら、エイダがここにいる理由に関しても彼女は予め理解していたのだ。


「そうだ」と彼は言った。「私の後ろにいる彼女、エイダ・タルボットに対してこれまで振りかざしてきた暴力について、君は個人的な償いをしなければならない」


「……懲戒処分、ということでしょうか?」レベッカは言った。


 ロバートは応える前に、ふん、と鼻を鳴らした。「弁解はしない、か。まぁ、当然だろうね。君は彼女にひどい暴力を振るったことをまるで誇らしいことのように、私に面と向かって言ったのだから」


 彼女は答えない。黙することでそのことを暗に肯定する。周りの生徒たちも、私を含め、2人のやりとりを注視し続ける。


「しかし、懲戒か」と彼はポツリと言った。「いや、もはや君のそれは、停学や退学だけでは済まないものなんだ。それこそが、君に婚約解消を告げるのに時間を要した理由だ」


 えっ、と彼女は声を漏らした。顔からさらに血の気が引いていき、下顎が急激に重量を増したように口が開く。周りの生徒たちの恐らくほとんどはその彼女の表情に目がいっている。しかしそのなかで私は見ていた。その時の彼が、まさに舞い上がってしまいそうな口角を堪える何とも言い難い顔をしているのを。


「命を差し出せ、とは言わないよ」彼は彼女の考えていることを予想するように言った。「罪の大きさを問わず、命そのもので責任をとらせるやり方は個人的に嫌いなんだ。そして、そんなことはエイダさん自身も望んでいないだろう」


「――それでは、懲戒以上の私の償いとは何ですか?」


 彼は1つ咳払いをする。まるで僅かに残った情を振り払うような感じに。もちろん、ロバートにそのような気持ちは端から持ち合わせていない。


「レベッカ・バートン、我が王家の名において、君を国外追放に処す」



「国外、追放……」レベッカは確認するように言葉を抜き出す。「――そんな、どちらにせよあまりに馬鹿げています。そんなことをお父上が……!」


 彼女は言葉にしてから気が付く。いまのバートン家、もとい父親に、過大な要求をはねのける力はないこと。そして……。


「そうだよ」彼は言った。「君の国外追放処分は君の父親とも話し合って決めたことでもあるんだ」


 彼女は彼の告げる残酷な事実に、下唇を噛んだ。集まった、観衆の生徒たちも、国外追放という言葉が出た時点から大きくどよめいている。エイダも彼の言葉のあまりの重さに驚きを隠せない。目は大きく開かれて、ちょこんと開いた口からは、え? え? 、と言葉が漏れる。ある種冷静になりゆきを見守っているのは私だけだろう。


 彼は続けて言った。「もちろん、国外追放処分の全てがエイダさんへの償いというわけではない。そこには様々な実情が含まれているんだよ。君にはそのことを知る権利がある。いや、義務と言った方がいいかもいれない」


 レベッカは彼の言葉に応えない。いや、応えられないのだろう。彼の示す実情がいかに重く、むしろそれこそが処分の核であり、そしてそのことに心当たりが幾つもあることが、彼女の喉を圧迫して発声を阻害しているのだ。そして、彼は自分の口にした言葉を必ず実行に移す行動力と政治的冷酷さを持ち合わせていることを、彼女ももちろん承知していた。

次話は明日の20時台に投稿予定です。

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