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「レベッカ様が一方的に因縁をつけている、昔みたいに。ざっくりというとこんな具合です。レベッカ様と同じ学部のホイットニーさんの方では、また違ったのでしょうか?」
彼が私の所属学部を覚えていたことに素直に驚いた。
「いえ、概ね同じです」私は答えた。「しかし、エイダさんが生徒会書記に任命された前後の生徒会長の行動の不自然さに違和感を持った生徒たちのなかで様々な憶測が飛んでカオスな状況になっていました」
「ええ、その部分は私にも遅れて届きました」彼は応えた。「もちろんそれはエイダさんの耳にも入っていたはずです。しかしながら、彼女はその状況下にむしろより元気になっていくように見えました。正直に言って不気味でした。それから2度話す機会があったのですが、どうも彼女の受け応えは表面的で、私のことをまるで見ていないように思えました。視線は私の瞳をしっかり捉えているのに。そう、まるで相手にされていない感じです。私への興味がさっぱりと無くなっているようでした。彼女はきっと何をしていても、常に特定の何かに心を奪われているようでした。私は勝手ながら、それを不快に感じてしまいました。ついには彼女を見かけても話しかけることはなくなりました。彼女もそれを望んでいないわけですし。そうこうしていると、レベッカ様のお家の事件が発生した」
彼がそこで話を区切ったので、私からまた質問することにした。
「エイダさんは何に心奪われていると、ジャーメイさんの目には見えましたか?」
彼は少し考えてから言った。「生徒会長、ロバート様のことでしょうね。それ以外の要素が見当たりません。そのことは先ほど、ホイットニーさんもヒントを与えるように仰ってくれましたしね」
男からしてもそういう風に感じるのだなと、私は思った。
「つまりですね」彼は続ける。「私はロバート様と比較されて劣っているとエイダさんに判断されたことを不愉快に思ったわけです。もちろん、王子様と1貴族の 3男坊では立場がまるで違います。肝腎な部分は別にある。無礼は百も承知で言わせていただくと、私はオスとしても負けていると彼女に思われたことに敗北感を覚えたんです。屈辱、と言ってもいいかもしれない。――すみません、こんなこと、ホイットニーさんに言っても仕方のないことなのに」
もしかしたら、ジャーメイはエイダのことが少し気になっていたのかもしれない。それを思うと気の毒な気持ちになった。そして、異性のこういう気持ちに寄り添える言葉を、私はこれまで持とうなんてしてこなかった。ある時を境に唾棄してしかるべきものとすら解釈していたのに、いまの私にはそう思うことがどうしてもできなかった。
この場でその言葉をでっち上げるのは諦めて、私は質問を重ねることにした。
「お辛いところ申し訳ないのですが、エイダさんについて他に気になった点などございませんでしたか?」
「……そう言えば」彼はまた少し考えてから言った。
「エイダさんと会う度に、紅茶の香りが強く感じられるようになったのが印象に残っています。入学式の日にはまるでありませんでしたが、その後はまるで香水のように鼻をつくようになりました。まぁいい香りでしたので、それ自体は悪印象ではなかったです」
確かに、生徒会書記就任前日以外にも、エイダは度々ロバートから紅茶をご馳走してもらっていた。そして自分でも紅茶を淹れる勉強をしはじめた。しまいには毎朝紅茶を飲むことがルーチンとして確立された。そのことが匂いとして顕れた結果なのだろう。そして、ロバートが紅茶を好んでいることを知っている生徒はごく僅かだ。
「……何か参考になりましたか?」彼は言った。
「――うーん、どうでしょうね」
私は少し間を空けてから応えた。しかしその言葉とは裏腹に、私はその情報からある妙案を得た。私の推測が正しければ、ケビンの直接的証拠固めに紅茶の香りはとても役に立ってくれるはずだ。むしろ、それ以外にはない最高のヒントだと直感した。まるでシナリオゲームのお助け機能みたいだ。
なんという僥倖だろう、と私は思った。まさか入学式の日の何気ない縁が、いまこうやって私を後押しするように巡ってくるなんて。高揚が震えや口角の緩みとなって顕れてしまいそうだ。しかし、どうでしょう、と返答した手前、それはぐっと堪えなければならない。駄目だ、まだ笑うな、と、どこかの大量殺人鬼のように自分に言い聞かせる。
私はこのことをすぐにケビンと共有したくなった。昨日の対面時に緊急用の連絡手段を彼から託されているので、それを使用すれば容易いことだ。しかし私は、次の約束までそのことを温めることにした。いまは我慢だ。連日のテンションの乱高下のせいで判断力が低下しているだけかもしれない。その状態で突っ走っても録なことにはならない。そのことは様々な創作や、実生活でも学んできたことだ。先日のケビンとのやりとりだって、思い返せばとても危うかったのだから。
どちらにせよ、と私は言った。「今度私はエイダさんに会いに行こうと思っています。いま彼女が陥っている状態は正しくないと思っています。周りにも、そして彼女自身にも。私なんかが何かを変えられるかどうか正直分かりませんが、自分なりに動いて見ようと思っています」
「……そうですか」ジャーメイはどこか煮え切らない微笑みを浮かべた。「なにもしないよりはいいことなのかもしれません。ただ危ないことだけはどうかしないでください。万一のことがあると、私も悲しみます」
「お気遣いありがとうございます」
「このことは入学式の日に言いましたね」彼は丁寧に前置きした。「私の後輩を、よろしくお願いいたします」
「はい」
私は誠実に返答した。
私はジャーメイから『コング』を3巻まで手渡されると、ディアナのもとに戻った。ディアナは先ほどと変わらない姿勢で、相変わらずのトランス的集中力を発揮している。私は近くの壁にかかった時計を見た。時刻は4時40分だった。といっても、ディアナから離れた時間を確認していたわけではないけれど、クラスを出た時間から逆算すればそれから30分前後は経過しているはずだ。このディアナの姿を見ていると、いつも時間という概念に疑念的になってしまう。しかし、それは悪い経験ではないと思う。人がいかに実際的にも精神的にも時間に縛られているのか。そもそも我々が自身で定義したのだから従うのは当然だとしても、精神は四次元のように自由であっていいじゃないか。跳躍や停止も自由自在でいいはずなのだ。そう、まさに物語のように。それこそが心の豊かさと言えるものなのだ。ディアナとの共同生活は、それを定期的に思い出させてくれる。そこに押し付けがましさや、みくびりなんてのは皆無だ。私はルームメイトに1番恵まれたと、この数ヵ月ずっと思っている。
ディアナ、と言って私は彼女の肩を叩いた。
「あら、ごめんなさい」彼女はまず謝った。そして本を閉じて立ち上がった。「ずっと待ちぼうけにしていたかしら」
うんうん、と私は首を振った。「少し館内を巡っていま戻ってきたところよ」
「そう言えば、手に本を持ってるわね。――へぇ、あなた漫画も読むのね、意外だわ」
私は漫画というコンテンツ自体を見下すような目を彼女が持たなかったことにほっとした。
「実はこれまで読んだことなかったのだけど、気分を変えるのに読んでみようかなって」
「そう」と彼女は言うと、私の顔をじっと見た。そして壁の時計を見て、また私の方を向いた。「この短い時間で、何かとてもいいことがあったような顔をしているわ」
ふふ、と私は思わず笑みを漏らした。「ちょっとね」
勿論、そのいいことの内容をディアナは聞いてきたので、私は、入学式の日に道案内をしてくれた上級生と少し話してきた、と正直に言った。その上級生、つまりジャーメイのことは涙ながらの帰寮の際にエイダのことと一緒に説明していたので、彼女は、ああ、その人ね、と反応してくれた。ただし、その時点でエイダの学部と名前を伏せていたように、ジャーメイについてもその2つにくわえ性別も伏せていた。それはこの度も開示はしなかった。昨日私がつくってしまった微妙な空気感を再生産することにだってなりかねない。せっかく元に戻り始めているのに。ディアナも上級生の詳しい情報は聞いてこなかった。
「いま手にしている漫画も、その上級生から薦められたのかしら?」ディアナは言った。
「ええ、そうよ」
私は応えた。もしかしたら漫画という部分からその上級生が男であるという推測がたってしまうかもしれないけれど、そこを変に誤魔化そうとすることの方が悪手だと思った。昨日の教訓だ。トラブルの本質はそこにあるのだ。
「いいことよ」ディアナは言った。「いま自分が享受している表現のみを上等とし、その他は見下す。それはとても貧しいことだから。これまでその機会がなかったから確認できなかったけど、あなたもそうじゃないと知ることができてよかったわ」
「私もそのことは十分に理解しているわよ」私は応える。「ただ苦手意識はあったわ。表紙や他の人から内容を聞く限り私には合うものがないと思っていたから。でもそのことを説明した上でこの作品ならと推されたら、まぁ読んでみようかななんて」
「何でも、大体最初はそうよ」彼女は言った。「食わず嫌いを克服することも成長の1つじゃないかしら」
「……ふふ、そうね」
そこまで話すと、時刻は17時手前になっていた。私たちはいい頃合いだとカウンターに向かって、貸し出しの手続きをして図書館を出た。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




