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私が思うに、この場面がエイダの引き返すことのできる最終地点だったのだと思う。私のそれが思考の回廊であるのならば、彼女の場合それは構造の回廊である。
エイダはそれ以後、レベッカから呼び出されることはなかった。レベッカは意図的にエイダを避けて行動するようになった。周りはきっと、生徒会長を間に挟んで何かしらの解決を見たと解したと思う。当のエイダもプレッシャーから解放された爽やかな、つまりは何かしらの危うさを感じさせない概ね肯定的な表情が多くなっていた。それは生徒会活動でも同様だった。そうなると必然的に、ロバートがエイダに気にかける頻度が激減した。もちろん、それは端からみれば当然の帰結だった。エイダが自分でも言ったように、あくまでもロバートの婚約者はレベッカで変わりないのだ。だったら問題が取り除かれたら一般的な距離感に戻るのが自然だ。しかし、それはいまのエイダにとって砲弾ほどの大穴が体の真ん中に穿たれたくらいの喪失感をもたらした。
そして、そのことをロバートは意図して行っていた。
エイダがその喪失感を埋めるためにとった行動は、またレベッカに接触するというものだった。エイダはレベッカの最近の動向を探って、先回りしてレベッカの前に久方ぶりに現れた。昼休みで賑わう街道の、学園の敷地を隔てるちょうど横断部分にて。レベッカはそのエイダの行動に驚いた。そして後退して逃げ出したくなった。しかし、それをするにはあまりにも人の目がありすぎた。エイダはそのレベッカの様子を敏感に察知して、さっそく次の手に打って出た。
「今日は久しぶりに誘っていただいてありがとうございます。また楽しくお話し致しましょう」
エイダの表情は、まるで4号館の前ではじめてエイダと接触したレベッカの人工的な笑みにとてもよく似ていた。
レベッカはその得体の知れないエイダの台詞と表情に明らかに怯えていた。しかし、レベッカ自身の立場が逃走を許してくれなかった。レベッカは、え、ええ、そうね、と言葉を無理に絞り出した。そしてエイダと共に例の袋小路に向けて歩きだした。共にいた取り巻きの3人も、わけが分からないという顔をしながら付いていった。居合わせた人たちは、余計にその状況が理解し難かったと思う。
その聴衆の後方のあまり目立たないところで、私もその状況を見ていた。これまでの語りの答え合わせをするように。
レベッカを例の袋小路に連れ出すことに成功したエイダのしたことは、まじめに生徒会活動に参加していることの報告だった。とりあえず、最近の活動内容ややりがいを通して、自分はあくまでもロバート様の職務的サポーターであり、レベッカ様の婚約者の地位を脅かすつもりはないことを改めて強調した。自分がロバートから承認を引き出すためには、レベッカの影を常にほどよく匂わせるのが1番だと彼女は学習した。当のレベッカはエイダの口からロバートの名前が出てくるのが不愉快で仕方ないような様子だったがそれを堪えて、そうなのね、といった返答をエイダにしていた。レベッカの心は、エイダに対しすっかり屈服していた。
こうやってまた、エイダとレベッカは定期的に対面するようになった。そして対面した日は、エイダはロバートの前であからさまに問題のありげな態度をとった。ロバートは当然そのエイダを気にかけて、またレベッカですか? と声をかける。エイダは、ええと、そのぅ、と曖昧な返答をする。するとロバートは、またレベッカが悪さをはじめたと解してエイダに優しい言葉を掛けて抱擁する。エイダはその温かさを噛み締めるように浸ろうとする。もちろん、そんなことになっているとはレベッカには言わない。自分から事実は絶対に語らない。正直と、最初期の純粋なエイダの姿は、そこにはもうないみたいだ。彼女はもう、自分の浮き足立ちを自覚できないだろう。
もちろん、ロバートは全ての事実を子細に把握している。
その過程、つまりはエイダに主導権が移ってからの2人の接触は、私だけでなくジュディたちも何度か目撃していた。まぁ、私と行動することが多いのだから当然ではある。そのうえ、エイダはレベッカと違い人があまりにも多い場所でもレベッカの姿が目に入れば構わず接近していた。ジュディたちもエイダの不気味な変化を感じずにはいられなかった。あの食堂で孤独を嘆くうさぎのように塞ぎ混んでいた彼女の姿をそこに重ねることはできなかった。自然とエイダの話題は、私たちの間で敬遠されるようになった(それは個人的には好都合だった)。
その諸々の状態は夏休みに入る少し前まで続く。
さて、夏休みの少し前のことまで語ったけれど、現実の日にちはいま梅雨入りの目前である(この世界の四季が前世の日本準拠であるのは有り難いことだ)。気温はさらに上がって、皆ローブを脱ぎカッターシャツは半袖に変わっている。時刻は11時50分だ。
今日は休日で、授業は休みだ。といっても、学園内は変わらず賑わっている。クラブ活動は限られた敷地をクラブごとに分け合いながら行われ、勉強熱心なものは自習室や図書室に赴き、とりとめのない時間を味わいたいものは食堂や街道沿いでゆったりと過ごしている。
私とディアナは空調の魔法が効いた涼しい自室で本を読んでいる。2人ともハードカバーで、ディアナは言わずもなが、私はディアナから勧められたオータム・ジェラルドの初期の長篇作品を広げている。ジュディとシンディはクラブ内の学年別複数チームでの練習試合のため1日拘束されている。
「ご飯を食べにいきましょうか」
ディアナはハードカバーを閉じて言った。
「ええ、そうしましょう」
私もハードカバーを閉じて答える。
私とディアナは寮の食堂で手早く食事を取り(休日は学年で使用時間を別ける措置はない)、速やかに部屋に戻ってきた。それはイツメンの2人が欠けている分会話のボリュームが縮小しているのもあるが、何よりも私が午後から王都へ出掛けると予告していたからである。王都のお店でしか売っていない品物を買うためという名目で。休日に限り、学園から王都を行来する馬車が何便か出ている。これまで2度、4人でその馬車に乗り王都へ遊びに行ったこともある。そのあたりの話やジュディに貸した小説の話などは、また別の機会を設けて語らせていただければと思う。
歯磨きをしてから私服に着替えて、薄めのメイクも施し終えると、私はハードカバーを広げるディアナの肩を叩いた。「じゃあ行ってくるわね」
うん、とディアナはこちらを見て頷いた。ディアナは私が王都へ行く話をすると、端からお留守番しておくわねという態度だった。まぁ、今日は最初から1人で動けるようにするために過去の2回かなり彼女を連れ回したのだ。混雑がわりかし苦手な彼女にはそれなりに堪えたみたいだ。まぁ、計画通り、というやつだ。
「お土産、楽しみにしておいてね」私は重ねて言った。
「うん、気をつけてね」とディアナは返事をした。「――とても似合ってるわよ、その服。かっこいいわ」
ふふ、ありがと、と私は応えた。
今日の私は、クロップ丈の白いシャツに黒の太めのスラックスを履いている。靴は蛇柄のフラットシューズを履き、ゆったりとした白のバケットハットを被っている。最初に王都に行った際に購入したコーデだ。前世ほど非スカートのファッションが少ないなか何とか見つけた代物だ。これから有り難く長く着ていきたい。
私は財布などを入れたホワイトのハンドルバッグを持って、部屋を出た。
王都へ行く馬車が待っているのは西側敷地の1号館下、私が入学式で使用したロータリーである。そこに到着すると、10人は収容できる大型の馬車が4台停まっている。馬車にはそれぞれ4頭の馬が繋がれている(私が入学式に利用したものは2頭だった)。最大40名のため当然予約制になっている。私は1ヶ月前からこの日この時間の馬車を1人分予約していた。私はそのことを1週間前に伝えた。もちろん、先ほど問い合わせたら奇跡的に空いていたので気まぐれに予約した、と方便を使って。ジュディは、また全員で行ける時に行こうよ、と返したが、魅力的な街だったから1度1人気ままに見て回りたかったのよ、と言ったらそれ以上の反論はなかった。これまで2度行って、十二分の警備で治安も比較的安定していることを私たちは身を持って理解していたからだ。
私は馬車の近くにいる係の女性に名前を照会して、自身に振り分けられた車両と席を確認した。さっそく乗り込むと定員一杯で少し窮屈だった。乗客は女子9男子1という状況で、その男子生徒は随分と肩身が狭そうだ(同数なら男女別ける配慮がされるので、きっと今日は男子の予約者が多かったのだろう)。私は運良く女性に挟まれる席だったので、到着するまでうとうととしていた。
そして1時間と少しが経って、私は無事王都に到着した。
王都の名前はゼーネラル。15m以上の壁に囲われた広大な城郭都市で、人口は30万人以上になる大都市だ。その中心の小高い岡の上に王城がある。某ネズミがメインマスコットのテーマパークの城をさらに横に引き伸ばしたような外観をしていて、城の敷地はさらに壁で囲われている。城を含め町並みは石造りの赤い屋根で統一されていて、長い歴史を感じさせるも清掃が行き届いて実に気持ちがいい。ほとんどが3階以上の背の高い建物ばかりだ。街中を2つの大きな川がほぼ平行に通っていて、人工の水路も整備し水運が発達している。壁内で大規模な農作や牧畜も行われ、観光の目玉となる広場や大教会もあり、到底1日で全てを見て回ることは不可能である。
もちろん、今日の私の目的は観光ではない。
私が乗ってきた馬車は王都の正門をくぐってすぐの広場で待機している。時刻は現在14時半を少し回ったところで、同じ馬車に私は18時半までに戻ってこないといけない。悠長をしている時間はない。私はさっそく行動を開始した。
私は近くの水路まで行って、そこに浮かぶ人を輸送するための小さな舟に乗った。タクシーのようなもので、行きたい場所を告げるとその付近まで運んでくれる。ちなみに学園生は無料である。舟は後方に魔法力で動くジェットエンジンのようなものが搭載されていて、小さな波をたてながらそれなりの速度でスムーズに進んだ。同じような舟と何度もすれ違った。
私の今日の目的地は2つだ。私はまず王都で1番大きな書店に寄った。6階建ての細長い建物で、その全てが書籍販売エリアであり、階数ごとで売るジャンルを別けている。休日の今日はとりわけ賑わっている。そこで期間限定で売り出されている栞を買った。ディアナへのお土産だ。オータム・ジェラルドの長編『パープル・レイン』をイメージしたデザインのもので、彼女がきっと喜んでくれるはずだ。お土産を先に買ったのは、2つ目の目的を終えてからこちらに来る余裕があるかどうか分からなかったからだ。
書店を出るとまた付近の水路に寄って、さっきとはまた別の舟に乗って移動した。そしてとある雑貨屋に到着する。それは王都の外れにある小さな店舗だ。看板が出ているだけの目立たない外観(店名はサリンジャーだ。店主の名前だろうか?)。その雑貨屋のある通り自体も休日なのに人気があまりなく、外から覗くと客は1人だけしかいない。黒いフードを被った背の高い男。
そう、私は雑貨屋自体ではなく、その男に用事があるのだ。だから通りが無人でその男以外に客がいない状況は私にとって好都合だった。
私は速やかに雑貨屋へ入店した。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




