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 生徒会の業務は遅くとも17時までに終了する。この日はエイダの遅刻と指導もあってその時間ぎりぎりになった。時計がちょうど17時を刻んだところで、ロバートから解散を告げられた。


 それぞれが帰寮の準備をし一斉に生徒会室を後にしようとすると、ロバートがエイダだけを呼び止めた。また少し話ししたいことがある、と言って。


 か、かしこまりました、と彼女は返事をし留まって、ショーンたちは速やかに生徒会室を立ち去った。ロバートはまた生徒会室の鍵を締めて、遮音の魔法を施した。


「先ほど、レベッカがまたあなたに接触したことは耳に入っています」彼がさっそく切り出した。「また前回のようなひどいことをされたのではないですか?」


「……いえ、そのようなことは」


 彼女は言った。脅嚇や恫喝があったとはいえ、実際に体に触れられることはなかった。それがないだけで、前回のようにという文言に、そうです、と答えることは憚られてしまった。しかし、書記への就任を退くようにと迫られたことは伝えるべきだろうか? 



 エイダが続けるべき言葉を思案していると、ロバートは不意に、正面から彼女の小さな体を包容した。彼女の頭は彼のみぞおちの辺りにきて、彼女の後頭部に彼の右手が添えられている。


 え、え! と唐突のことに困惑するエイダに、ロバートは言った。「すみません。先ほどからずっと、とても無理をされているように見えたので、つい」



 ロバートの言葉に、心にもないことを、と()は改めて思った。



「あなたにはずっとご迷惑をお掛けしています」ロバートはそのまま続ける。「表面的にでも、君のこと以外全てがどうでもいいくらいの態度を彼女に見せられればいいのですが、私もそこまで器用ではないのです。傷ついている人を見れば、心よりも体が先に動いてしまう。でもそれがレベッカを苛つかせて、またあなたへの加害に導いてしまった。ただ、あなたを可能な限り私の目に届くところに置くことができれば、彼女のあなたへの仕打ちも大分マシなものになると思います。明日にでも、とは難しいでしょうが、レベッカのことは私が必ず何とかしてみせます。ですので、しばしお待ちください。あなたの学校生活は、私が必ず守ってみせます」


「――はい」


 エイダはロバートの胸に抱かれたまま返事をした。



 エイダはロバートの前において、()()()()()()()()()()()を選択した。立場も肉体的にも屈強な男が、こちらに発言的責任を持たせずにこちらの都合のよいことを勝手に察して行動してくれる。それがもたらす底無しの安堵・快楽の味を、彼女()覚えてしまった。それが自信と合わさってしまうと、女は愚かで盲目になってしまう。私は前世でそういう場面を何度と見たし、私もその当事者だった。それはとても不幸なことだ。いや、そんな受動的な言い方は甚だ不適切だ。()()男たちはそれを意図して私たちに提供し、私たちもその事を知ってそこに飛び込んでいる。それこそ、それがもたらす結果が自身を損なわせるどうかは運次第という態度で。前世の私は、その性的傾向に何かしらのけじめつけずに逃げ出してしまった。


 だから今世では、私はエイダを通してそのことにはっきりとしたけじめをつけたい。そのことを、エイダがまったく望んでいないとしてもだ。



 それからしばらく、エイダとレベッカの睨み合いが続いた。エイダは休まず生徒会活動に参加した。レベッカは毎日ではないけれど、時間を見つけてはエイダを袋小路へ連れて生徒会の辞任を迫った。必ず取り巻きをつれていたが、その人数は最大を4人として日によって違った。レベッカは手口は相変わらず変わらない。至近距離での捲し立て・爆音・物にあたる・エトセトラ。しかし、エイダの体に触れることはしなかった。何度か手が延びそうになっても、また硬直してしまった。エイダは毎回それを不思議がったけれど、暴力を振るわれないならそれに越したことがなかった。


 レベッカがエイダを頻繁に連れ去っていく状況を周りの誰もがおかしいと思っていたはずだ。実際、ルームメイトは何度もエイダに、大丈夫なの? と声掛けをしていた。しかしエイダに目立つ外傷や疲労もなく、いつも笑顔で全然元気だよと返答していた。ルームメイトはそれ以上何も言えるわけがなかった。



 それが1か月と少し続いた。気温も大分高くなってきて、ローブを脱いでカッターシャツだけになる生徒が目立ってきていた。エイダも生徒会の立派な戦力になっていた。それがなおさら気に入らなかったのだろう。レベッカははついに、エイダの頬を強力に叩いてしまった。 


 エイダは肉体的衝撃を受けるかもしれないという備えを完全に失念していたため、ダメージはほぼ100%彼女の体を通り抜けた。踏ん張りが効かず、膝から崩れ落ちてしまった。


 エイダは頬に手を当て、泣きそうになった、まるで怒られないと高を括っていた子供が急に怒られてしまった時みたいに。頬が林檎のように腫れて、ズキズキと痛む。恐怖が沸き上がり、自信が情けない軋みをあげている。いや、それらを噛み締めている暇はない。追撃に備えないといけない。エイダは勢いよく顔を上げた。


 追撃はやってこない。そして、エイダはまた呆気にとられた。それは先月の、レベッカが平手を振り下ろさずに硬直してしまった時以上のものだった。


 私を見下ろすレベッカの顔が、シアンの絵の具をぶちまけたように青ざめていた。それこそ、教室の大切な備品を壊した悪ガキのように。取り返しのつかないことをしてしまった、という表情だ。


 取り巻きも、レベッカがなぜそこまで狼狽えるのかよくわかっていないようだった。レベッカを左右から囲うようにその場にいた2人は(今日は取り巻きが4人共来ていて、また2人が見張りで立っている)、レベッカ様、どうされたのですか? とそれぞれ声をかける。レベッカはそれになんの返答もできず、じりじりとエイダから距離をとろうとしている。


 いまのうちだ、とエイダは思った。そして頬に手を当てたまま大きく息を吸った。



 エイダは呪文を唱えた。「『ゲリゾン』」



 それはレベッカが以前に使用した治癒の魔法だった。エイダはペーパーテストだけでなく、純粋な魔法力においても無類の才能があった。私と同じように初日の基礎魔法実技の授業でいきなり浮遊魔法を成功させて、それから講師の好意により個人的に治癒魔法をマンツーマンで教えてもらっていた(実は私も、火の魔法をキース博士からマンツーマンで指導して頂いている。主人公と同じことができていること、とんがり帽子に着実に近づいていることをとても嬉しく思っている)。動物に対しては既に成功していて、後は人でどうかという段階だった。今回、そのよい機会にもなったわけだ。



 治癒魔法は無事に成功した。痛みも腫れも悉く退いて、完全に元の健康的な状態に戻っていた。エイダは警戒しながら立ち上がってレベッカの様子を見た。レベッカはまるで絶望的といえるような表情を浮かべていた。そして、そこには仄かな嫉妬の感情が読み取れた。それはロバートを介さない、エイダに対する直接的な妬念だった。


 エイダはこの時、全てを理解した。何故生徒会初参加の日に、レベッカは振り上げた平手を振るわなかったのか。それからエイダの体に触れることも止めてしまったのか。



 レベッカの治癒魔法の練度は、そこまで大したものではなかったのだ。



 レベッカの治癒魔法は、殴打以上のレベルの外傷や腫れを治せないのだ。ただ、ここで1つ補足しておくが、それでもレベッカは新入生代表パフォーマンスを任せられるほどに優秀だ。先述したように焼失を旨とする火属性に強い適正を見せる魔法使いが、癒しを旨とする治癒魔法を僅かにでも使えることは十二分に称賛に値する。現在の総体的な魔法の練度ではレベッカの方が遥かに上である。だからレベッカの嫉妬の核心はまた別の部分にあるのだ。


 先に結論を言うと、それは1年生の1学期時点で比較した場合、エイダの方が過去のレベッカよりも優れていると認めてしまったことだった。


 レベッカも当時、他大多数の1年生と同じように浮遊魔法を安定させることに注力している段階だった。しかし、それはまったく悪いことではない。成長速度は人それぞれだ。早熟傾向に晩成傾向、ある日突然覚醒的に成長するタイプと様々だ。いま人より2歩3歩進んでいるからといって未来が約束されるわけじゃない。ただエイダに関して言えば、もとのシナリオ通りならレベッカを凌駕する魔法使いへと成長することになる(さて、私はどうなるのだろうか)。


 レベッカもそのことは理解している。肝腎なのは――あくまでも魔法の練度にこだわりを持つ人間にとって――卒業時点でどれほどの魔法を使いこなせているかだ。しかし、それでも呑み込むことができないのだ。同い年だった頃の自分が負けているという事実が。理屈ではなく、感情的に。



 エイダはレベッカに向けて1歩歩みよった。レベッカは逆に1歩後ずさった。エイダは次にずんずんとレベッカに迫り、レベッカもまたどんどんと後ずさる。取り巻きの2人はその光景に唖然としその場から動けなかった。エイダがその猛進を止めないなか、ある地点でレベッカが足を止めた。そこは遮音の魔法の効果が発揮されている境界線だった。


 エイダはレベッカの鼻先といえるところまで接近した。レベッカは完全に気圧されている。これまでとまるで対極な状況。精神的だけでなく、もはや肉体的にも優位に立ったと言っていいかもしれない。そして、エイダはレベッカを見上げて言った。 


「ご覧頂いた通り、私はもう自分の傷を自分で治せます。だからもう、レベッカ様の暴力は怖くありません」


 もちろん、それは嘘だ。いくら傷を治せるとしても過去の痛みまでなかったことにはならない。治癒魔法に不都合な記憶は消す力はない。つまりこれは、エイダなりの駆け引きだ。自分が完全な優位に立つための、勝負に出たのだ。逃す手はなかった。


 エイダは続ける。「そして、レベッカ様の治癒魔法が私より劣っていることも理解できました。最初から私を完膚なきまでに痛め付けなかったことも、それ以後の振り上げても振るわれない手のひらの理由も、やっと分かりました。いろんな疑問がいまはっきりと晴れた気分です」


 もちろん、エイダは現時点での魔法の練度が過去のレベッカを上回っていることは知らない。しかし、レベッカにとってはそれすら看破されてしまったと思っているに違いない。それはレベッカにとってはロバートを掠め取られることと同じくらいに、あるいは屈辱的なことだったかもしれない。


 エイダはなおも追撃を止めない。自然と表情は臨戦態勢のヒョウのように鋭くなり、放たれる言葉はまさに猛獣の牙のように力強い。もはや、ただの泥棒猫ではない。


「その晴れた視界に捉えたものは、私のロバート様への想いは絶対に折れないという強固な意志でした。たとえレベッカ様が私の骨を折ろうとも、私はそれを自分で治してレベッカ様の前に立ちます。何度でも、この魔力尽きるまで」


 そのエイダの凄みに、レベッカは再び後ずさった。レベッカだけが、遮音の魔法の効果範囲から出てしまった。それはこれまでの後退とは違う。決定的な敗北を象徴していた。


 レベッカはこれまで見たことがないほどに、まるで某博打漫画のキャラクターのように表情をを歪めて、何も言わずに翻りすたすたとその場から逃げてしまった。取り巻きは、レベッカ様!? と声を上げて彼女の後を追った。



 エイダはレベッカの姿が見えなくなってから、その場でへたりこんでしまった。無論、彼女も無理をしていたのだ。骨を折られてもと口にしたが、そもそも骨折まで治せるかどうかは分からなかったのだ。それに、自暴自棄になったレベッカによってそれ以上の仕打ちを受ける可能性もあった。取り巻きも使った凄惨なリンチ、想像すると震えが来た。その震えは、また別も部分で彼女を戒めさせた。最近の自分がいかに調()()()()()()()()()()、自覚的にさせてくれた。

次話は明日の20時台に投稿予定です。

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