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 そこから、主人公とひつじさんの巡る小冒険がはじまった。ひつじさんはその計画のエックスデーが2週間後であることを伝えた。主人公はそこから計算して、その5日前から休暇をもらうので共にフォードへ向かおうと約束した。ひつじさんは了解し、6日前の夜に主人公の自宅にお邪魔する旨を言い残して姿を消した。


 ひつじさんは瞬きをする間に、忽然と消失した。主人公は数分ほど呆然とするも、どうやってこの部屋この施設から抜け出てもらうか考える手間が省けてよかったとも思った。しかし時間が経つにつれて、さっきまでのやりとりはたちの悪いの白昼夢なんじゃないかと思うようにもなった。実際その方がよかった。自身の故郷が自国の新型兵器の爆発によって焦土と化し、致命的に汚染されて、それが2度目の世界大戦の引き金になるなんて、真っ赤な嘘であって欲しい。



 主人公は翌日にさっそく、ひつじさんの語ったエックスデーの前後10日間の休暇所得を直属の上司に申請した。申請は速やかに受理された。有給休暇が溜まっているからそれを使ってゆっくりしてきなさいという話にもなった。なんなら日数を追加するようにも提案されたが、主人公はそれを断った。そして、目の前の上司がエックスデーについて知っているのか考え巡らせた。しかし、それはしようのないことだった。主人公はせめて、上司が私をある種の人体実験に利用しようと画策しているわけではないことを願った。


 エックスデーの6日前の日没まで、いつもと変わらない時間が流れた。ひつじさんもあれから音沙汰がない。主人公もその頃には、あれは全てはたちの悪い白昼夢だという所見に傾いていた。いいさ、この10日間は――移動も含めて――故郷でゆっくりと羽を伸ばせばいいのさ。きっとあのひつじさんは、自身が肉体だけでなく精神的にも疲弊していることのメタフフォリカルな警告だったのだろう。



 しかし自宅の扉を開けると、玄関にひつじさんが立っていた。



 主人公は先ほどまで、ひつじさんの存在も含め全てがたちの悪い白昼夢だと思っていたと正直に話した。


 ひつじさんは応える。「私もそうだったらどれほどよかったのだろうと思います。しかし、全ては現実です。このままではあなたの故郷は地図から完全に消滅してしまいます」


「あるいは、私はまだ白昼夢の中なのかもしれない。故郷に戻っても魔法兵器のまの字もそこにはなく、ひつじさんもいつの間にか消えているかもしれない」


「それならそれでいいじゃないですか」ひつじさんはあっさりと言った。「その時は本当に休暇を楽しめばいいんです。故郷の無事を自分の目で確かめること、それに勝るものはないでしょう」


「それもそうだ」


 主人公もあっさりと応えた。



 明くる早朝から、主人公とひつじさんは家を出た。往来において、ひつじさんには四つん這いでハーネスを装着してもらった。まるで飼い犬のような格好だ。主人公は四つん這いのひつじさんを見て強烈な違和感を覚えたが、よくよく考えればこれが正常な羊の姿だと思い直した。駅に向かうまでにすれ違った人たちは、ハーネスを付けた羊の物珍しさに近寄って犬のように撫でたり声をかけたりした。ひつじさんはそれに、べえええ、と鳴いて応えていた。


 無事に駅に到着すると、予約した()()列車まで時間があったので、主人公は付近の人目のつかない場所に移動してひつじさんに質問した。


「さっきの、べえええ、ってなんて言ってたんですか?」


 ひつじさんは四つん這いのまま答えた。「ただ、べえええ、と言っただけですよ。意味はありません」


「そうなんですね」主人公は素っ気なく言った。また何かしらの人類的批判を受けそうな気がしたからだ。「ひつじさん、ひつじさんは突然私の前に現れたり消えたりできるんですから、別に私の移動を共にしなくてもよかったのではないですか?」


「いえ、これは必要なことなのです。あなたの故郷の消失と戦争を阻止するために。一口では説明できませんが」


「なるほど、ではこれ以上は聞きません」


 余計な質問が無意味であることを、主人公は学習していた。


 予約した列車が来て、主人公とひつじさんは乗車した。個室も設置されている寝台列車で、主人公はちょうど中間のグレード――航空会社で言うビジネスクラス相当――の客室を押さえていた。乗務員によってそこへ案内されて、一通りの説明――とりわけ()()()同伴の場合の注意点――を受けて乗務員が個室の扉を閉めると、ひつじさんはさっそく二足歩行に戻って長椅子に子供のように腰を下ろした。


 主人公はその様子に、やれやれ、まるで奇妙な世界を頻繁に行ったり来たりしているみたいだ、と思った。

  

 主人公の故郷のフォードは、広大なコモドア魔導王国の東南端に位置する。そして主人公が現在暮らし仕事をしている街、マーキュリーは、北西端からやや手前と2つの街はほぼ対極にある(ちなみにマーキュリーは王都近辺にある王家直轄領であり、モータウン学園とも近く私とジュディが入学式前日に宿泊した街でもある。もちろんその駅と寝台列車も利用した)。寝台列車で2日間、そこから別の列車を乗り継ぎホテルでの宿泊も込みで移動に合計4日かかる。到着はエックスデーの前日の夜だ。それまで、主人公はひつじさんと2()()()()だ。それだけの時間があれば、ひつじさんを介した奇妙な世界との反復横飛びにもすっかり馴れてしまった。食事は食堂に行くのではなく乗務員に部屋に運んでもらうことにしてもらった。ひつじさんは食事を持ってきた乗務員が部屋の前に来たのを察すると、こんこんと乗務員が扉を叩く前に一瞬で四つん這いになり、食事の提供を終えて乗務員が部屋を出ていくとまた二足歩行に戻った。食後の食器を回収する時も然りである。主人公が排泄や入浴で部屋を留守にする際、ひつじさんは四つん這いの状態で待機し、主人公が戻ってくると二足歩行に戻った。寝台列車を後にする頃には、主人公の常識が危うく「羊は普段2足歩行」に塗り替えられてしまいそうになっていた。


 そのある種のルーティンは乗り換えた列車やホテルの宿泊時にも継続された。そしてその間、様々な異種族間の話題を共有した。人類と羊、それぞれの理解できない行動原理の擦り合わせのようなものが行われた。最も興味深かったのが、「羊はなぜ自分の死を潔く受け入れるのか」という部分だった。主計という業務は軍の調理も統括する部署であり、主人公自身は直接の経験はないものの、家畜の屠殺を幾度と目の当たりにしたことがある。それにはもちろん羊も含まれていた。その現場において、羊はきわめて異質だ。他の家畜は自分がいまから殺されると気付くと必死の抵抗をするのに対して、羊は逆らわずむしろ自らその死を迎え入れようとする態度をとるのだ。主人公はそれが不思議で仕方なかった。屠殺の担当者はそれぞれ何かしらの解釈を述べるのだが、どれも主人公が納得できる内容ではなかった。


 ひつじさんは答える。「私たちは忙しのない輪廻転生を繰り返しているのです」


「輪廻転生?」主人公は言葉を抜き出した。


 はい、とひつじさんは答えた。「私たちは前世の記憶を保持したままこの世界で輪廻転生を繰り返します。そしてその回数が多ければ多いほど、豊かな生を送ってきたものと尊敬されるのです。そしてその回数は、相手を見ると具に分かるものなのです。頭の上に回数が表れるくらい分かりやすく。つまり先日お話しした羊の王とは、その回数で現在頂点にいる羊が継承するものなのです」


 なるほど、と主人公は応えた。


「だから、私たちが人類の家畜として生きていることはある種の利害の一致なのです。安定した環境と数を確保してもらい、特定の時期が来たら殺してもらう。それは私たちの充実の価値観と一致しています。だから、安心して私たちを食べて頂いて構わないのです」


 はぁ、と主人公は応えた。主人公はひつじさんとの移動中、羊どころか肉類をまったく口にしていなかった。


「しかし新型兵器はその私たちの安寧とした営みをも壊します」ひつじさんは続ける。「致命的に損なわせます。新型兵器の毒によって犯された魂は、もう2度と転生できなくなるのです。その事実はその兵器が無人の土地で試験された際にたまたま近くにいてしまった2匹の羊によってもたらされました。2匹はその実験の数日後に体内が毒によってボロボロになって死に、その魂はこの世界から完全に消滅してしまいました。そんな兵器が戦争で使われたら、必ず同じ兵器を使った報復合戦になります。それは羊にとって何とかして避けなければならないことなのです。もちろん、あなたたちにとっても」


「――その通りですね」主人公は応えた。



 主人公とひつじさんは予定通りに、エックスデー前日の夜にフォードに到着した。主人公がフォードに帰ってくるのは実に10年ぶりだった。フォードの駅から見下ろせる風景に、まったく変わっていないな、と主人公は感想を抱いた。


 フォードはマーキュリーと同じく直轄領(大戦以前はとある伯爵の領地だった)で東に隣国との国境があり、南に海を望む街だ。先の大戦の前は地域で最大の漁港として賑わっていたのだが、戦時は軍関係の船舶が停泊していたこともあって執拗に攻撃の的にされた。国境を越えてたくさんの魔法兵器が降り注ぎ、一時は敵国の占領状態にまでなってしまった。占領される前にほとんどの一般市民は避難し、解放後もほとんどの市民は様々な理由で戻ってこられなかった。天然の良港と称えられながらも港の建設技術の向上でその価値は低下し、いまやもとの10分の1の賑わいもない。人口も5000人に満たない。10年、いや戦後からずっとそうだ。


 なるほど、贄としては確かにちょうどいいのかもしれない、と主人公は思った。



 主人公とひつじさんは駅に近い宿に一泊し、翌日、エックスデーの夕方から行動を開始した。ひつじさん曰く、軍の管理する倉庫の地下にその魔法兵器が隠されているらしい。主人公はさっそく倉庫を管理している軍の関係者に接触した。休暇をもらって帰省していて、たまたま近くを通りかかったとそれらしいことを言って。管理担当者は実に善良な人物で、主人公の中身のない会話にも誠実に受け応えしてくれた。主人公はとても気の毒に思った。彼はきっと、自身が管理する倉庫の地下に大戦の口火となる超兵器があることを知らない。そしてこのままでは、彼は勝手な尊い犠牲として統計の数字に化けてしまう。そんなことはあってはならない。私は彼のような人こそ守らなければならないのだ、と主人公は思った。


 そして主人公とひつじさんは彼の目を盗み、倉庫の地下へ侵入する。しかし数分後、主人公は後ろから左肩を撃ち抜かれてしまった。 



 もちろん主人公は警戒していた。探知の魔法も展開していた。しかし、人と魔法どちらの気配もない中、突然激痛が左肩を襲った。熱い塊が組織をズタズタにしながら通過した感触があった。


 主人公は撃たれた左肩から倒れ込む。反対に四つん這い状態で随行していたひつじさんは立ち上がって主人公に声をかける。主人公は朦朧とする意識の中、ひつじさんに、行ってくれ、なんとしても止めてくれ、と言葉を絞り出した。ひつじさんが躊躇うなか、後ろから何者かが近寄ってくる足音がした。主人公は再度、行ってくれ、止めてくれ、と言葉を絞り出す。ひつじさんも遂に聞き入れて、四つん這いに戻って前方に駆けていった。主人公はそれをぼんやりと見送るうちに意識を失った。



 次に主人公が目を覚ましたのは病院のベッドだった。ガバッと上体を起こした主人公に、近くにいた看護師の女性が、目覚められてよかった、と声をかけた。


 ここは? と質問する主人公に、看護師はフォードの公立病院であると答えた。そして続けて、病院に運ばれる前後の状況を教えてくれた。看護師曰く、主人公は倉庫の管理者と別れてすぐに昏倒したとのことだった。


 主人公は左肩を確認する。左肩には何の損傷も認められなかった。かなりの深傷だったはずで、どのような治癒魔法でも跡を残さずに治療するのは不可能なはずだ。


 ひつじさん、と主人公は呟いた。すると看護師がその言葉に反応した。


「あなたが眠っている間、時折「ひつじさん、がんばれ」と言葉にしておりました。その、ひつじさんとは?」


「……いえ、自分でもよく分からないんです」主人公は答えた。



 翌日に退院すると、主人公は例の倉庫に向かった。そこでまた管理人に挨拶した。救急隊員を呼んでくれたのは管理人だという話を伺ってもいたからだ。ご無事でよかったです、という管理人に、私は昨日につれていた羊のことなのですが、と聞いた。しかし管理人は、あなたはずっと1人で羊なんか連れていませんでしたよ、と答えた。


 管理人と別れると、主人公は駅に向かった。そこでも先日に利用した際に連れていた羊について質問した。対応した駅員も、羊など存じておりません、と答えた。


 主人公は訳が分からなくなった。まるで鏡の向こうの世界に紛れ込んでしまったような気分になった。やはりあれはたちの悪い白昼夢だったのだろうか。しかし、出発前のひつじさんの言葉を思いだし、ある種の納得に至った。


 エックスデーを越えて、無事なフォードの街に自分はいま立っている。それでいいじゃないか。



 主人公はマーキュリーに戻ると、しばらくして軍を辞めた。そしてフォードに移り住み、そこで羊飼いになった。しばらくして、羊に話しかける腕のいい羊飼いが、フォードのちょっとした名物になった。

次話は明日の20時台に投稿予定です。

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