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 着ぐるみじゃない、生けるものとしての熱と息遣いを確かに感じる直立した羊だ。それが自身の仕事部屋に突如として出現した恐怖に腰を抜かしそうになる主人公に向かって、羊はまず非礼を詫びて危害を加えないことを伝えた(『オールウェイズ・ラブ・ユー』の世界観においても、人語を介する存在は人類だけだ)。表情に――当然ながら――人間のような変化はなく、声音も淡々として――そう、まるで前世で言うところ機械音声のように――平板だ。そして、羊が続けて述べた内容に、主人公は自身の耳を疑った(最初、あまりにつらつらと溜めも強調もなく言うものだから、ついつい聞き落としそうになってしまっていた)。


「世界大戦が、再び起ころうとしています。第二次大戦です」


 なんだって? と聞き返す主人公。羊は相変わらず無機質に話を続ける。その本題に入る前に、羊はまず自分が紛れもなく羊であり、何かしらの宗教的象徴でも、人類が人工的に造り出した新たな生命体というわけでもないことを説明した。本当の羊は直立歩行もできて拙いながら言葉も話せるのだが、人類の前でそれを披露することは羊の掟で固く禁止されているとも言った。故に、今回のことは異例中の異例、特別な許可のもとこうやってあなたの前に現れたのだと。


 主人公はそこまでを聞くと、失礼だが、これがそもそも何かしらの催眠魔法を用いた敵国からの攻撃じゃないか確認させてほしい、と言った。羊は、手短にどうぞ、と答えた。


 主人公もそれなりの魔法の使い手である(エイダと同じく、平民出身ながら魔法の才能に恵まれていた)。彼は手はじめに自身に対して探知の魔法をかけた。しかし何も反応がなかった。主人公は続けて、あなたの腕に触らせて欲しい、と言った。羊は、優しくお願いしますね、とその短い前足(右)を差し出した。


 主人公は羊の前に恐る恐る歩み出て、それに触れた。確かな実体があって、小さい時に触れた記憶と相違はなかった。そして、獣らしい臭いもした。



 主人公は羊の存在を信じることにして、以後「ひつじさん」と呼ぶことにした。 


 主人公は言った。「それで、ひつじさん。そもそも第二次大戦がはじまるとして、何で私の前に現れたのですか? 私よりももっと上の人間で、なおかつ現場に近いものの方がよかったのではないですか?」


 ひつじさんは答える。「次の戦争は我々が一方的な侵攻を受けるわけではなく、この国自身が相手国への罪を擦り付けるようなかたちではじめる戦争になるからです」


 主人公はまたも耳を疑った。そしていっそう潜めた声で言った。「もっと詳しい説明をお願いします」



 ここで物語の流れは1つ置いて、この「オールウェイズ・ラブ・ユー」の近年の歴史について説明する必要があるだろう。『孤児たちはみな唄う』の舞台は、この世界の現実をベースにしているからだ。


 この世界はいまから30年前に(第一次)世界大戦があった。大陸での小国同士の小競り合いが大事件に発達し、その小国が同盟を組んでいる大国の参戦を経て、世界を二分するとり返しのつかない泥沼の戦争に発展した。コモドア魔導王国はファシナンテ王国と共に西側陣営の要として参加していた。しかし、戦争の初期はこちら側が劣勢にたたされていた。東側陣営の要である立憲君主制の大国が、とある独裁者を擁しカルト的な結束力と軍国主義によって快進撃を続けた。西側の小国をどんどんと占領・併合し、しまいにはコモドア魔導王国、ファシナンテ王国の国境まで侵しはじめた。主人公はその時の戦闘で被害を受けた街の住民だった。様々な魔法兵器が空から降ってきて、様々な事物を破壊し罪のない人たちの命を奪っていった。そして主人公は戦災孤児になった。この『孤児たちはみな唄う』は、その戦争で孤児になってしまった6人を主人公にした6篇の短編集なのだ。そして、この「ひつじさん、フォードを救う」が最も直接的に戦争に触れている作品だった。


 しかし最初劣勢だった大戦も、大陸の北にあるこれまで中立状態にあった大国が西側陣営で参戦したことで逆転した。大戦開始の直前に帝政打破の革命が起きてこれまで沈黙を貫いていたが、新しい民主政権が誕生してすぐにこちらの味方となってくれたのだ(公式には東側の独裁国家が力を持ちすぎるのを恐れたためと発表されている)。そこから西側3国は一致団結して東側陣営の侵攻を押し戻し、ついには東側陣営の無条件降伏によって大戦が終結した。例の独裁者は終戦の間際に自殺し、西側の主導で新たな国際秩序が樹立された。それが『オールウェイズ・ラブ・ユー』の現実と『孤児たちはみな唄う』の物語に共通する歴史である。 



 ひつじさんは言う。「この国の軍のお偉方たちはどうやら、先の大戦で共に戦った北の大国を目障りに思っているようです。機会の平等化を進めるといいながら身分制度は固持したいこの国にとって、共和制民主主義国家が発言力を増している現在の情勢が非常に疎ましいわけです。そこで彼らはある作戦を計画しました。国内の重要度はそこまで高くない街で大規模な爆発を起こし、それを相手の仕業として糾弾し大義のもと宣戦布告する。それを幾つかの同じ考えを持つ同盟国と結託して水面下で進めているわけです」


「そんな話、私は欠片も聞いていない」


「当然です。この計画は軍上層部と彼らの直接の息がかかった一部の人たちでしか共有されていません。恐らく王でさえ知りません。国家元首をも騙すことでより戦意の高揚を図ろうとしているのです。言わば勝手な忖度です」


「そんな馬鹿な話……」


 主人公は思わず言った。


「全ては真実です」


 ひつじさんはきっぱりと言った。


「――そこまで固く守られている秘密なら、何でひつじさんはそれを知ることができたのですか?」


「羊に人間の言葉は聞き取れないし、その意味も分からないと思って私の同族の前でうっかりと溢してしまったお馬鹿さんが運良くいたわけです。それが羊独自の情報網にのって羊の王に伝わり、私が特別にこうやってあなたの前に派遣されたのです」


「羊にも王がおられるんですね」主人公は好奇心に任せて聞いた。「羊の王も王冠を被られたりするのですか? それとも特別な毛皮を纏っているとか?」


 羊は答える。「いえ、こう言っては不敬ですが、見た目は私と同じごくふつうの羊です。人類が定義するサフォーク種です。黒い顔と四肢ともこもこの毛皮を持っています。特別な角だったり、()()()()()を持っているなんてこともありません。我らの陛下は人間のように見た目で権威を誇示したりせずとも、ただそこに在るだけで王なのです」


「なるほど、とてもよく分かりました」


 まさか別の生命体から人類そのものを客観的に批判される機会が訪れるなんて思ったこともなかった。


「本題に戻ります」ひつじさんは続ける。「これがもし、先の大戦と変わらない規模であるなら私たちは静観したと思います。それでもたくさんの同胞が巻き添えになるのでしょうが、それよりも人類に我々羊の実像を知られてしまうことの方を避けなければならないのです。しかし、今回の大戦はそうではありません。単純な30年の技術革新に加え、この国はとんでもない魔法兵器を開発してししまいました」


「それって」


 主人公は口を挟む。


「その魔法兵器については、あなたも少し聞かされていると思います。その魔法兵器が生み出す爆発は、街1つを一瞬で蒸発させるほどの高熱を放ちます。しかし、それだけじゃないんです。その爆発はある毒を撒き散らす。魔法を侵す毒です。地域一帯に滞在する()()()()に作用して、その働きを狂わせる。水の魔法のつもりが火が出てしまったり、治癒の魔法のつもりが強力な酸を生成してしまう。そういったことがランダムに発生してしまう。そのうえ、その変性した魔法・魔力は生命体にもきわめて有害です。時間をかけて同じように生命の内部構造をぐちゃぐちゃに狂わせて、最悪死に至せしめます。その毒は数十年、あるいは百年以上も地上から取り去ることはできない。そんな悪魔的兵器です」


 主人公は言葉を失う。強力な爆弾の開発が進められているという話は知っていたが、爆発の他にそのような非人道的(もちろん爆発自体も非人道的ではあるのだけれど)効果があるなんて聞かされていなかった。


「とても悲しいことです」ひつじさんは続ける。「最初は兵器開発とはまったく関係なかった研究発表が、底無しの悪意の目に止まりとんでもない兵器に応用できることが判明してしまった。そして各国でその兵器の開発競争が勃発してしまい、それは初期の想定以上の残虐性を持つに至ってしまった」


「そ、そしてその兵器を我が国が最初に実用化にこぎ着けたと言うわけですか?」主人公は言った。「私にはまだ開発中と聞かされていた」


「表向きにはそうです。しかし、この国は数ヵ月前に開発に成功し、秘密裏にテストも済ませてます。北の大国を出し抜いて。後は実際に戦争で使用するだけです。そして今回の、言ってみれば自作自演の作戦に使用されることになった。自国の領地で、一応爆発や被害は比較的小規模に計算はされて」


「そ、それをどこでやるつもりなんですか?」


 主人公は訪ねる。息が弾み、額に汗が滲んでいる。


「フォードです」ひつじさんは答えた。「あなたの故郷の街、フォードです」


 主人公は言葉が出ない。まるで膨張して喉の奥詰まってしまったみたいに。その膨張した言葉に圧迫されたように、目がかっと開かれてしまう。


「先の大戦で壊滅的被害を受け、その復興問題が幾重に積み重なっているあなたの故郷を、()はこの機にまっさらと消してしまうつもりなのです」

次話は明日の20時台に投稿予定です。

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