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こんなタイトルにしていてあれですが、私はひろゆき自体はあまり好きではありません。
さて、全ての攻略対象がそれぞれどのようなリアルを私に叩きつけてきたのか、それをいまからこんこんと解説していくのも面白いかもしれない。しかし、ただ私の話を一遍に並べ立てても、「それってあなたの感想ですよね?」みたいな底意地の悪いことを言われるのがオチだろうから、全ては実際に見て、聞いて、感じてもらおうと思う。
これからの3年間、是非私にお付き合いを頂きたい。
とりあえず、私は学園施設の案内をしている上級生のもとへ向かうことにした。ゲームの知識で配置は全て把握しているのだけれど、1人でいる新入生が何も見ずにすらすらと歩いていくのは端から見たら気味悪がられるかもしれない。来る時まで、私は可能な限り目立ちたくないのだ。
たくさんの少年少女とすれ違う。目のあった人は私に挨拶をしてくれる。おはようございます、と。私も素直に挨拶を返す。皆爽やかな笑顔だ。そして、一様に整った容姿をしている。ゲームの世界だ。特別な理由がなければ、皆ある程度美しく創り出される。私もそうだ。私がこの世界に転生して、悪くないと思った数少ないことの1つだ。
先述したように、私は『オールウェイズ・ラブ・ユー』の世界に飛ばされたと気が付いた時、悪夢だと思った。まるで飢えた野犬の群れに生きたまま意識も鮮明なまま腸を貪られているような、最悪な気分。その発端は魔力に目覚めた7歳の時だった。不思議な力が身体の奥底から込み上げてきて、次の瞬間にはくまのぬいぐるみを数秒宙に浮かせていた。両親はたいそう喜んでくれた。この世界で魔法の才能があるものは、大体6歳前後でその片鱗を覗かせるのだ。
きっと、魔力が私の奥底から引き上げられた時に付随してきてしまったのだろう。同時に前世の記憶が逆行再現された。悪魔のような黒歴史。私は気分が悪くなってその場に倒れ込んでしまった。
その最悪な気分・状態は暫く続いた。記憶だけではない。身体年齢と精神年齢が著しく乖離した結果、体がうまく動かせなくなった(のだと思う)。両親は何人もの医者に見せたが、原因は不明で治癒魔法も効果がなく、栄養を取って養生するしかないとしか診断されなかった。両親はとても心配してくれた。それから5日で、私の魂と身体はそのちぐはぐとした状態に順応した。両親は私を抱き締めながら回復を喜んでくれた。しかし、もやもや・イガイガとした異物感は、私の心の中に残り続けている。9年間ずっと。
そう、9年。『オールウェイズ・ラブ・ユー』の物語が開始するまでに私に与えられた、ある種のチュートリアル期間だ。それだけ過ごせば、まぁ悪くはないという部分も幾らか出てくる。先ほども述べた世界全体の平均的な容姿の良さ、魔法そのものの利便性の高さ、そして「ちゃんと両親がいて、そのうえ私に性欲を向けないきょうだいをくれたこと」。
最後については、いまはまだ話したくない。
ズン
歩いている最中、突如背中に衝撃を感じた。私はおっ、と声を出してしまう。どうやら誰かがぶつかってきたようだ。しかし大した威力はなかったので、私より少し早いペースで歩いてきた女の子のしわざみたいだ。
「すす、すみません!」
甲高い、ころころとした声だ。発せられた音の高さをみるに、私より大分背が低そうだ(私の身長は163cmである)。
私は振り返る。慎重に、相手を威圧しないように。
「もも、申し訳ございません」
声の主は反対に勢いよく頭を下げた。顔を確認する間もなかった。青みを帯びたロングストレートの黒髪が、バサッと鳥の羽ばたきのようにうねった。制服が真新しい。同じ新入生のようだ。手に施設案内の紙を持っている。そして態度を見るに、とりわけ高貴な身分ではなさそうだ。
「顔をお上げください」私は言った。「別に怒ってなどいませんよ」
彼女はビクッと体こわばらせてから、恐る恐る顔を上げた。
私はぽかんと口が開いてしまった。彼女はこの美しいことがふつうの世界でも出色の美貌を持っている。翡翠色の丸い大きな瞳、通った鼻筋、アーチを描く眉、ぷっくりとした涙袋、踞るうさぎのような耳。桃色の頬が白い肌に良く映えてまさに白桃ようだ。その肌のきめのよさは、まるで実体がないように儚げで幻想的とさえ思える。同性で、バイセクシャルやホモセクシャルではない(と思う)私でも、奥歯の辺りから甘い唾が滲み出てくるような魅惑を彼女は持っている。
そうか、そうきたかと、私は思った。
「あ、あの、本当に申し訳ありません!」
彼女がまた勢いよく頭を下げた。どうやら私の呆然とした姿が彼女を威圧してしまったようだ。
「だ、大丈夫ですから」私はできる限り優しい声音を意識する。「むしろ頭を下げられている方が困ってしまいます」
「す、すみません」彼女はもう1度顔を上げる。それでも、おどおどとした様子は収まらない。
しかし、彼女がこれほどまでにおどおどしている理由を私は知っている。彼女は、けして裕福ではない平民の出身なのだ。
モータウン学園は、もともとは貴族階級のみが通う教育機関だった。そもそもこの世界の貴族が遺伝的要素の強い魔法の才能を独占・洗練するためにその血と権能を守っている人々であり、逆に平民で魔法の才能を持つものはほとんどいない。しかしごく稀に、突然変異的に魔法の才能を発現するものがいる。もしかしたら、魔法の才能に関わる遺伝子は潜性なのかもしれない(貴族が平民にくだって平民と子供をもうけても、その子供に魔法の才能が発現することはまずない)。以前は魔法の才能があっても平民であればその才能を磨く場所を公には用意されていなかったのだが(それでも独学で大きな功績を残した人も過去にいる)、全世界的な平等な社会を達成するべきという機運にこの国も門戸を開くことになった。彼女はその国の施策によってこの学園に特待生として招待された。
その彼女こそ、『オールウェイズ・ラブ・ユー』の主人公の女の子の1人。名前は、「エイダ・タルボット」。
そう、主人公の女の子の1人。『オールウェイズ・ラブ・ユー』は攻略対象だけじゃない。主人公も複数から選べるゲームだった。主人公3人の攻略対象5人。3×5の15通り。同じ攻略対象でも、選んだ主人公によってルートが微妙に変化する。いや、ルートよりは反応というべきだろうか。イベントの核が大きく変わることはないが、コミュニケーションにあたって攻略対象の浮かべる表情や言葉選びに差が出る。実に些細な差違だ。しかしそこが、私がこのゲームを手に取らせた部分だった。私はそこに濃密なリアリティを感じたのだ。生きた演技のできる俳優が、自分の演技プランだけを押し付けるわけではないように。しかし、実際には濃密なリアルがそこにあった。ダメージはその分深く刻まれ、多量の血が流れ出た。
エイダはその3人の主人公のセンター的存在だった。パッケージの中央に配置されて、もしアニメ化されるのならメインヒロインは彼女になるのだろうなという感じだった。他2人の主人公も同程度に魅力的ではあったのだけれど、まるでグループアイドルを見る時のように運営に推されている雰囲気というのが読み取れた。
その他2人に、ホイットニーという名前の子はいない。そこに私はいない。そう、私は『オールウェイズ・ラブ・ユー』の世界に「モブ」として転生したのだ。
ただこれまで、モブといっても物語に関わるモブか数だけのモブかについては分からなかった。ただどうやら、私は物語序盤にエイダと衝突し、その直後に彼女が平民の生まれだと見抜きそれを誹謗する意地悪なモブ、「新入生A」のようだ。まぁ、私の姓のイニシャルはBなのだけれど。
実は平民出身か貴族出身かは視覚的にも分かるようになっている。ピアス・イアリングの習慣だ。
貴族階級では、魔法の才能を発現した子供にきれいな耳飾りを贈る習慣がある。左耳にピアスあるいはイアリングを身につけさせる。一種の証明だ。私たちの子供は無事に成長していますよ、と言った具合に(ごく稀に貴族でありながら魔法の才能に恵まれなかった者もいる。彼らは残念ながら差別の対象になる)。性格的には娘が初潮を迎えた際に赤飯を炊く行為に近い。しかし、こちらの方が100倍素敵だ。いつでも着脱のできるきれいな耳飾りと、食べたらすぐになくなってしまって反対に交遊なんて時たまにしかない親戚のおっさんから気色の悪い笑顔で「おめでとう」と言われた記憶が一生心の中に残るのと、どちらがいいかなんてわざわざ説明する必要もないだろう。
大方の場合、最初はイアリングにしてもう少し大きくなってからピアスに替えるのだが、私は最初からピアスにした。小さなトパーズが埋め込まれている。
しかし、エイダは耳飾りをしていない。平民にその習慣がないからだ。ただ、平民だとしても富裕の家ならその習慣を真似ることがある。貴族と同等にきれいで高価なものを身に着けていれば、それなりに一目をおいてもらえるのだ(実際、主人公の女の子の1人は平民ながら裕福な商家の出身という設定だ。彼女はサファイアのイアリングを着けていた)。
もちろん、エイダも粗末なものでいいならピアスやイアリングを身に着けられるだろう。しかしこの場合、それは裏目に出てしまう。貧乏平民の必死の背伸びと捉えられるだろう(学園側も、わざわざ高価なピアスかイアリングを彼女に贈るまではしてくれない)。だったらしない方がマシだ。持たざる者の努力は見苦しい、現実の差別的構造をうまく取り入れている。
しかし、魔法によってその構造をぶっ飛ばせるのが、ゲームや物語のいいところだ。
「あ、あの」
エイダはずっとおどおどしている。これは貴族と平民の階級差以上に、彼女の生来の性格よるところも大きい。その彼女が、後々にあんなえぐいことをするなんて、実際に目の当たりにしてみると信じられない気持ちになる。
本来の私、つまり新入生Aはそんなエイダに対して端から気遣いの言葉はなく、平民と分かるや否や接触した部分を叩いて「あらやだ汚らわしい」と大きな声で言った。すると側にいた同じく意地悪な新入生の2人が近づいてきて更なる誹謗を加えるのだ。「下賎の血め」、「あなたが魔法を学んだところでなんになるの?」、「畑の耕し方を学んだ方がよろしくてよ」、と言った具合に。
それまで自分達にしか許されなかった領域・特権に余所者が分け入っていく。それが気に触って攻撃したくなる一部の人たち。攻撃まではしないけれど、その一部の人たちと対立するくらいならなにもしないと動かないその他大勢。世界とはそういう場所だ。
まぁいまの私に、『オールウェイズ・ラブ・ユー』、その世界の意思に従ってやるつもりは毛頭ないのだけれど。
次話は明日の19時台に投稿予定です。