7
ロバートはエイダの前で立ち止まる。エイダはまさか自分のところにやって来るとは思わなかったので、驚いて顔を伏せてしまう。ルームメイトはその状況に、ちょっと、エイダ?、とわたわたしてしまっている。
周囲がざわつく中、ロバートはエイダを無言で見下ろしている。そして自身に向けられる畏敬を越えた、入学式の時とも違う純度の高い恐れを見出だしている。自分の予想していた通りに。
その沈黙たった数秒のことだった。ロバートがおもむろに口を開く。「エイダさん、いまから私と一緒に来て頂けませんか?」
エイダはまるで予想していなかった言葉に一瞬、えっ、と声を出して顔を上げるが、またすぐに顔を伏せて、いや、その、と煮え切らない音を溢す。
すると、彼はさっと彼女の手を取った。「大丈夫です。あなたに何かしらの嫌疑がかけられているとか、そういうわけではないのです。あなたは何も悪いことはしていません。ただ私事で、人目のある場所だと憚れることを2,3お伺いしたいのです」
彼女は彼の落ち着いた声音を聞いて、入学式のあの壇上と同じように恐怖がすっと体の中から抜け落ちていく感覚を覚えた。低いながら軽やかな彼の声は、まるで体表を撫でていく豊かな猫の尻尾のようだ。いやそれ以上に、彼の口から「あなたは何も悪くない」と言われたことが、この2日の泥濘にとらわれた自身の心を掬い上げてくれたように感じたのだ。
彼は握りしめた彼女の手から抵抗感から来る力みが失せていくのを感じとると、ルームメイトの方に振り向いていった。「彼女を少しお借りします。もしかしたら、午後の最初の授業の開始には間に合わないかもしれません。その時はあなたから担当教諭に事情を説明して頂いてもよろしいでしょうか?」
は、はい、とルームメイトは圧され気味に答えた。
「では、行きましょう」と彼は言った。
はい、とエイダは半ば放心状態で言った。表情も少しとろんとしているように見える。ロバートはそれを見て、エイダの手を引く。エイダはその力に素直に従う。そして彼は振り返って食堂の入り口に向けて足を差し出し、2人は食堂から出ていってしまった。
2人のいなくなった食堂はそれなりの騒ぎになった。生徒会長が代表挨拶を任された新入生――それもとびきりの美貌を持つ女子生徒――を理由も告げずに連れ去っていった。そしてその生徒会長はこの国の王子様でもちろん婚約者もいる。下卑た想像をするには十分過ぎた。
ある1人が口を開いたのを皮切りに、みな口々に2人のスキャンダラスな憶測について交わしあっている。ロバート王子は婚約者を鞍替えしようとしているのか? であるならば、その相手になりえる彼女はいったい何者なのか? もしかして異国の王族なのかしら? と、根拠のないことを無責任にぶらぶらぶらと並べ立てている(もちろん、エイダには実は海外王族の血が流れているなんて設定はない。いや、明記されていないだけかもしれないけれど)。いつの時代・世界でも、王族や皇統の身辺の勝手な妄想は人々の娯楽になるのだ(もちろん、本人の前ではおくびにも出せない)。そのなかで1人呆然と立ち尽くす、エイダのルームメイトの後ろ姿がとても印象的だった。
「ねぇ、本当にみんなが言ってるようなことなのかな?」
ジュデイがやっと、私たちの中の均衡を破った。
「いえ、違うと思うわ」ディアナが答えた。
続いてシンディが潜めた声で言った。「もしかして、昨日話し合ったいじめのことかいな」
「――そうかもしれない」私も潜めた声で応える。「ただ、この場でこれ以上のことを言うのはよしましょう。責任が取れないわ。私たちを火種として、目の前の勝手な色めきたち以上の延焼を起こしてしまうかもしれない。まるで粉塵爆発のようにね」
「……ふんじん?」ジュデイがボソッと呟いた。
「……後で教えてあげるわ」私は言った。「さぁ、もう時間もないしさっと頂いてしまいましょう」
私たちはその浮わついた黄色い憶測の波を掻き分けて、取っていたテーブルに着いた。もうその頃には、その無根拠な週刊紙的スキャンダルは食堂を飛び出してウイルス的拡散をはじめている。それがレベッカのもとまで届くのも時間の問題だ。そしてそれこそが、ロバートの第一の狙い違いなかった。
私たちが食事をしているテーブルからは、エイダのクラスメイトの横顔を伺うことができた。色白の肌に疎らなそばかすがよく映えている。そのそばかすと同様薄茶色の瞳をしていて、そばかすはそこから溢れ落ちた輝きのようだ。顔のパーツは慎ましやかさがありながらも整っている。まさに主人公の身近な人間代表といった容貌だ。その先ほどまで立ち尽くしていた彼女も、いまは席に座って残りの食事を口に放り込んでいる。そして好物なのか、エイダの方に残った付け合わせのポテトフライに手を伸ばしていた。
「彼女に声をかけてあげようかしら」ジュデイがたまらず言った。
「いえ、そっとしておいてあげましょう」私は言った。「面識のない人に急に声をかけられても混乱してしまうだけよ、緊急事態でもない限り」
もちろん、私の真意は違う。本来の『オールウェイズ・ラブ・ユー』の主要キャラクターが、そのストーリーに関係しないモブと不必要な接触をするのを可能な限り防ぎたいだけである。もちろん、私を除いて。私の宿願のためには、そういったコントロールを欠かしてはならない。私はいま、ある種のストーリーテラーなのだ。
私たちは4時間目が開始される10分前に食事を終えて、空になった皿とコップをトレイと共に返却口においてさっと食堂を出た。エイダのクラスメイトは私たちよりも先に食堂を後にしていた。
A館へ戻る間、珍しくジュデイとディアナが意気投合して会話していた。昼食の終わり掛けから、主に5時間目の体育の授業がお互い憂鬱だという話題を交わしていた。私とシンディはその2人の後ろを付いていっていた。
街道を横断し東側の敷地に入ったあたりで、シンディが潜めた声で言った。「さっきの彼女、確かエイダさんやっけ? もしかして、レベッカさんから何かひどいことされたんやろか?」
やはりシンディは鋭いなと、私は思った。「あなたもそう思うのね」
「やっぱ、ホイットニーもそう考えてるんや」
「それが1番自然だとは思う」私は答える。「レベッカさんが彼女にしたことを生徒会長の前で口走ったもしくは態度に出して、それを問題視して接触したってところかしら。でも、すべては私たちの勝手な憶測、何度も言うように本当は軽々しく口にしてはいけないのよ。この学園の、とりわけA館のなかではね」
そしてA館に入り、私とシンディは貝のように口を閉ざした。
ただまぁ、憶測と言いはしたけれど、もちろん食堂を出た後のエイダとロバートのやりとりはすべて知っている。具に記憶している。
次話は明日の19時台に投稿予定です。




