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章題は「Iggy Pop and The Stooges」の楽曲より。
下から突きあげられるような衝撃を感じて、私は目を覚ました。地震? いや、どうやら馬車の車輪が大きめな石の上を通過したようだ。
「おや、やっと起きたね」
キャビンの私の隣に座る父が、潜めた声で言った。正面には母がいて、その膝にもたれ掛かるようにして幼い弟がすやすやと寝入っている。母は人差し指を唇に当てて、しーっ、と口を結んで見せた。優しい表情で。
「もうそろそろ到着ですか? お父様?」私も潜めた声で質問した。
父は答える。「いや、後30分はかかるかな」
「そうですか」私は言った。「もう少し眠っていてもよろしいですか?」
「構わないよ」父は答えた。「どうやら今日が楽しみで、昨日はあまり眠れなかったみたいだね」
「……そんなところですかね」
私は応える。そして目を瞑る。先ほどまで、私は随分昔の夢をみていたみたいだ。でも、内容はとんと覚えていない。細かな砂が指間から零れ落ちるように消えてしまった。ただ、悪くない気分だったのは感触として残っている。指の腹同士で揉みあうと、残留した僅かな砂の粒子を読み取ることができる。私はそれを頼りに夢の続きにたどり着くことを願う。しかし、今度は夢を見ることすら敵わなかった。
「ホイットニー、もうすぐ着くよ」
今度は父が優しく起こしてくれた。肩をぽんぽんと叩きながら。
私は、うーん、と小さく唸る。そして目を擦る。「分かりました」
「お姉さま、おはようございます!」弟は既に起きていて、元気な声で私に挨拶をくれた。
「おはよう、ゲーリー」
私も弟に挨拶を返す。精一杯の微笑みを見せて。それを見て、母はにこにことしている。
目を覚ましてから3分くらいが経過した。キャビンの窓から進行方向を覗くと大きな建物が見えてくる。建物の前にはロータリーがあって、たくさんの馬車が並んで降車の順番待ちをしている。
私たちもその最後尾について順番を待つ。その間、私は自身の服装を整える。しわを伸ばし、目のつくところに埃が付着していないかを確認する。新調したばかりなだけあって、ちょっとしたところが本当によく目立つ。白いカッターシャツ、紺色のスカートとローブとリボンタイ、ブラウンの革靴。父と母と弟も、それぞれがフォーマルな装いをしている。
少しして、私の降りる番になった。私たちの後ろにもどんどんと馬車が連なって順番を待っているので、速やかに降車する。何も手には持たない。
「ホイットニー、いってらっしゃい」と母が言って、「楽しんでこいよ」と父が言った。弟は「また後ほどです、お姉さま」と言った。3人共、キャビンに居座ったままだ。
「ありがとうございます。では、いって参ります」
私は微笑みながら簡潔な挨拶をする。そしてキャビンの扉が閉まるのを待ってから、身を翻し建物に向けて歩きだした。少しして後ろから、ガラガラガラと、私の乗ってきた馬車が再発進する音がした。
建物は煉瓦建築の5階建てで、中央にアーチがあってさらに奥へと進むことができる。アーチをくぐると舗装されて緑と花も豊かな広い中庭があり、その奥に多種多彩なデザインの建物が建ち並んでいる。そして中庭は、私と同じ格好をした同年代の少年少女で犇めいている(男はスカートではなくスラックスを穿いている)。
そう、ここは学校だ。これからの3年間、私はここで学ぶことになる。
新入生の皆様! ご入学おめでとうございます! と上級生の声がちらほらと聞こえる。彼らは概ね3つのタイプに別れている。施設の説明をする者、自身の所属するクラブへ勧誘する者、そして、奇跡のような業を見せる者。
何人かの上級生は、手に小さな木製の杖を持っている。彼らは何かを唱えながらそれを振るう。1人の上級生は目の前の池の水を操り、ドラゴンを模して生きているかのように動かして見せる。1人の上級生は中庭に咲く桜から落ちた花弁を操り、自分の周辺に纏わせてドレスのようにする。1人の上級生は目の前の新入生そっくりに変身して驚いた本人の動作を面白おかしく模倣する、まるでパントマイムのように。
まるで、いや、それは正真正銘の「魔法」だ。
そう、ここは魔法学校なのだ。「王立モータウン学園」、魔法を学び、国家・国民のために奉仕する術を学ぶ場所だ。
周りの学生は皆、目を輝かせている。新入生上級生を問わず。その中で、私の目だけが濁っている。うわべだけの張り付いた笑み。感動が鈍っている。心臓が弾力を失って石灰化してしまっているようだ。それは私の生来の性格も関連しているのだけれど、根本はまた別にある。
私は16歳で迎える入学式を、既に1度経験している。私は、いわゆる転生者なのだ。前世は現実に魔法が存在しない世界で、日本という物質的には恵まれた国に住んでいた。
前世の高校での入学式と、そして今回。いや、正確を期するなら2度だ。私は前世でいまと同じ状況・世界を、あるコンピュータゲームで体験しているからだ。
そう、ここはそのゲームの中の世界だ。
ゲームの世界に転生する、それだけを聞くと大抵の人たちは羨ましがると思う。まさに夢のような話だと。しかし、私はそのゲームの世界に転生していると気付いた時、悪夢だと思った。何せそのゲームは、私がこれまでプレイした中で最低の評価をくだしたゲームだったからだ。
その名は『オールウェイズ・ラブ・ユー』、タイトルとは裏腹なクソ乙女ゲームだ。
クソゲーといっても、それは所謂ゲームシステムが稚拙であるとか、バグが頻発していたとか、そういう意味合いではない。むしろ、そういった土台の部分は信頼に値するものだった。エンジニアはとても丁寧な仕事をしていたと思う。ユーザーのニーズに沿ったスペックを忠実に再現していた。やりたいこと可能なこと全てをそのまま欲望のまま詰め込むといった開発側のエゴや押し付けは微塵も感じなかった。「セガ」に見習ってもらいたいくらいだ。クリエイターが輝く領分とアーティストが輝く領分は明確に違うのだ。
では、何がいけなかったのか? 問題はシナリオだった。
シナリオも、もちろん丁寧に練られていた。大きな矛盾も感じず、キャラクターにはちゃんと共感性があった。いや、だからこそだ、ゲームから1番排除したいものが目について仕方がなかった。
先に断っておくが、結局のところそれは私の主観の話だ。
ゲームから排除されるべきもの、それは「リアル」だ。
『オールウェイズ・ラブ・ユー』のシナリオは、リアルと「リアリティ」を混同していた。
リアルとリアリティを混同するとはどういうことか? それを説明する前に1つはっきりとさせておきたいことがある。厳密にいうと、リアルとリアリティは品詞が違うだけで意味的な違いはない。リアルは形容詞で、リアリティは名詞だ。ここで言いたい両者の違いとは、創作や物語を愛する者たちでのみ共有される観念である。
私は前世で数多のゲームをしてきた。もともと――前世の――父の影響で、私が生まれる前のゲームハードやソフトもよくプレイした。最初はただただ楽しかった。しかし子供がいつしか親の庇護から独立して様々なことに自分なりの意味付けをしていくように、私のゲームに対する思いも変わっていった。
それは謂わば、私なりの逃避行だった。
現実、リアルは、人の嘘が跋扈する場所だ。それは時折、本物のナイフ以上の鋭利さをもって私の肌を刺してきた。私はそのために何度も何度も血を流してきた。そして、私も自身を守るためにナイフを持たざるを得なかった。それは次第に拳銃や爆弾と誇大に、攻撃的になっていった。そしてある日、私は自身の武器を捨てた。女の私がどれほど武装をしても、構造的に優位に立つ者たちには敵わないことを悟ったからだ。私は人間関係を最小限に抑え、必要であればリセットして、よりいっそうゲームの世界にのめり込ようになった。
ゲーム、物語の世界、それは世界自体が私 (プレイヤー)に嘘をつく場所だ。しかしそれは、私を庇護してくれるための嘘だ。現実の世界はいつだって中立だった。そして、中立は最終的に構造的強者の味方をする。私にはそんなつもりはないという顔をしながら。でも物語の世界は違う。物語の世界は明確に私に寄り添うための嘘をついてくれる。そしてその世界の道理にしたがって、キャラクター達は私に友情や尊敬や愛を示してくれる。ナイフや拳銃や爆弾で脅かしたりなんてしない。現実ではイタい妄想のような台詞や行動も、物語の世界では真実になる。マイナスにマイナスを乗するとプラスになる。私がゲームに求めるリアリティとは、即ちそういった夢の集合なのだ。
しかし、『オールウェイズ・ラブ・ユー』は違った。このゲームの世界も嘘はついている。けして中立ではない。しかし、このゲームが庇護したがっているのは主人公の女の子ではない。ましてやその主人公のライバルキャラ、いわゆる「悪役令嬢」でもない。この世界が庇護しているのは、「攻略対象の男」なのだ。それが随所で読み取れてしまう。1番の利益はいつも男がかっさらう、男が流す血はいつだって最小限、最後には全て女が悪いことになる。世界がそれをアシストしている。
ただまぁ、中立ですよーって顔をしながら結局は強者の味方をする現実の有様と比べれば、それはフェアなのかもしれない。立ち位置を明確にしているだけましなのかもしれない。しかし私はそこに、シナリオライターの厭らしい意図を感じた。
女そのものを、誇張的に貶しめているようにしか思えなかった。
女はいつも男に振り回されて、共犯か被害者のどちらかにされてしまう。プレイヤーのあなただってそうだろ? と。
正直に言って、私もその通りだと思う。現実とはそういう場所だった。私もその当事者1人だった。男の愛を得るために同じ女を攻撃し、また攻撃された。私は主人公の女の子であり、また同時に悪役令嬢でもあった。私はそれが嫌になって、ゲームの世界に逃げ込んできたのだ。だからこそ、『オールウェイズ・ラブ・ユー』のシナリオにはうんざりした。
勿論、その全てを直接に描写していた訳ではない。表面的には他の乙女ゲームと同様にリアリティを描いているように最初は思えた。しかし、攻略対象の男や主人公の女の子の行動にだんだんと微妙な違和を感じはじめて、そして全てが繋がった時、そこに描かれたものがリアリティではなくリアルだと気付いてしまう。そのような計算のもとに、『オールウェイズ・ラブ・ユー』のシナリオは設計されていた。
私は全てのルートをクリアして、全ての攻略対象からそのリアルを叩きつけられた。せめて誰か1人だけでも私にリアリティを、「誠実」をくれないかと願っていたのに。そしてひどく傷つけられた気持ちになって、すぐにTSUTAYAに売りに家を出た。可及的速やかに、私の手元から手放したかった。残念なことに、私が住んでいたマンションは決まった日にちにしか塵として出せなかったから。
悲劇は家を出た直後に起こった。
マンションの正面玄関から出た瞬間、私は軽トラックに跳ねられて死んだ。軽トラックの運転手の男がスマホを見ながらよそ見運転していた顔を、いまでもよく覚えている。そして、私はこの『オールウェイズ・ラブ・ユー』の世界に飛ばされてしまったわけだ。
次話は明日の19時台に投稿予定です。