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好きな日本人作家は村上春樹の他に、三島由紀夫・筒井康隆・遠藤周作です。
「エイダさんも昨日の新入生代表挨拶とても素晴らしかったですわ」レベッカは言った。「それで個人的にあなたに興味がわきまして、是非いまからご一緒にお昼でもと思いまして」
エイダはどう返答するべきかまごまごしながら5秒くらい考えていた。「そ、そうですね。学内食堂のメニューで差し支えないなら是非」
レベッカは全てが自分の思いどおりに進むことがおかしくてたまらないといった表情を浮かべている。「それでしたらおすすめの食堂がありますので、そこまで移動しましょう」
「は、はい!」
「ふふふ」レベッカは微笑む。そしてエイダのすぐ隣まで歩み寄る。「このまま通りを抜けて左の方へ進むとあるんです。さっそく向かいましょう。売り切れになってしまうかもしれません」
「はい、そうですね!」
エイダがレベッカがいい人だと本気で信じている。入学式で王子様に優しい対応をしてもらい、同じ視点のルームメイトに恵まれて、彼女の中で抱いていた自衛心が緩んでしまったのだ。もしかしたら、いまはそこに私との邂逅の記憶まで含まれているかもしれない。ゲームの彼女はもう少し長く思案をしていたような気がした。それは全てがプログラミングされた通りに進んでいるわけではないことを示している。
「ふふふ、善は急げですわね」
レベッカはそう言って、エイダを促し進みはじめる。エイダは翻って隣に立ち付いていく。緊張しながらも明るい表情を浮かべる彼女の顔がよく見える。取り巻きたちもその後ろを付いていく。エイダは進みながらではあるが、彼女たちにも律儀に自己紹介をしている。
これまでの一連を、通りにいた他の生徒の何人かが冷ややかに見ていた。レベッカ・バートンの性格の悪さは学園内の2・3年生や一部の1年生には周知の事実と言えるものだった。その彼女がああいう風な笑顔を見せて新入生を連れていく。これから行われることは容易に想像できる。一緒に昼食なんてとんでもない。そもそも彼女は、入学後1度も学内食堂で食事をしたことなんてないのだから。レベッカはこれから、あの1年生をリンチする。それは火を見るより明らかなことだ。そして、なぜあの1年生が彼女の逆鱗に触れたのか、それもなんとなく予想ができる。彼女の性悪の風説は、主に婚約者のロバート王子に関連するものだからだ。あの1年生とロバートに何かしらの接点ができて、レベッカはそれが気にくわないのだろう。
しかし、そこまで分かりきったことでも、誰もレベッカのことを止めようとはしない。1番の理由はレベッカが筆頭公爵の令嬢であることだ。現在学園に通っている女子生徒で、彼女よりも立場が上の人間はいない。ただ、それだけが決め手ではない。結局のところ、あの1年生が平民であるからだ。助けたところで得なんて思い付かない。ただレベッカを明確に敵に回すだけだ。だから見ない振りをする。それが傍観者の懸命なのだ。
そのことを、レベッカは承知している。彼女は自身の性根が風説化していることを理解している。そして彼女は、遠慮なくそのことを利用できる胆力もある。エイダが平民であることを暗に周りに提示したのは、風説の媒介者たちに対するある種の牽制なのだ。私のことを如何様に言っても構わないけれど、そう言うあなたたちも同じ穴の狢だし、なんならもっと狡い存在ではないの? と彼女はその心に直接突きつけているのだ。レベッカはこのように、他者に対して常に優位を取っていないと仕方がない性格をしているのだ。それは彼女が家で受けた教育の賜物でもあるし、それ以前にそういう本質を孕んで産まれてきた人間なのかもしれない。彼女のその独善的性格には、それだけのエグ味がある。それは魔法と同じく、濃縮された遺伝的発現なのかもしれない。
私はエイダとレベッカたちが通りを抜けていくのを窓から見送る。私は彼女らを追わず、その場で10分ほど時間を潰してから東側の敷地に戻る。彼女たちが向かった場所は学園内でもとりわけ一目に付きにくい場所で、少なくとも魔法が未成熟ないまの私がバレずに観測することは無理なのだ。ただし、それはもはや見る必要のないことだった。これまでの流れで確信した。『オールウェイズ・ラブ・ユー』、そのゲームのなかで描写されたことそのままの暴力が、エイダに襲いかかることを。
「あ、あの行き止まりみたいなんですけど?」エイダが恐る恐る質問する。
エイダが連れてこられたのは西側の敷地の最果て、高い壁に囲まれた袋小路。その細い入り口を防がれてしまったら、壁の上に上る以外に物理的観測は不可能だ(取り巻きの4人のうちの2人がその役目を果たしている)。そしてプライバシーの観点から、学園は魔法による遠隔監視なども行っていない。須くやりたい放題だ。
レベッカはにやにやしながらエイダに詰めより、壁際まで追い込む。しまいにエイダの背中が壁に付くと、レベッカは彼女の胸ぐらを掴む。
ひぃい、と恐怖を声に変えようとするエイダの口をレベッカは塞ぐ。服の中から杖を取り出し、「テトワ」と唱えると、エイダは唇が接着されてしまったようになり声が出せなくなった。
テトワは前世で言うところのフランス語で、「黙れ」という意味だ。「グランシャリオ」によろしく、『オールウェイズ・ラブ・ユー』の世界において現実のフランス語が魔法用語として定着している(文字は別の形状に差し替えられている)。生物の学名をラテン語で記すように。それは魔法を発明した国の言語であることが由来している。
「あなたは何も分かっていないようだから、私がいまから教育をしてあげるわ」レベッカは言った。話し方が先ほどとはまるで別人のようだ。「一部校則違反なところもあるけれど、全てはあなたのためだから、見逃してね」
エイダは縫い付けられた口の奥で、ふごふごもがもがと喘ぐことしかできない。返答なんてできるわけがない。
エイダの瞳、瞳孔は、恐怖により拡大する。それに愉悦を覚えながら、レベッカは続ける。「まずね、私の家はこの国の筆頭公爵と謳われるあのバートン家なのよ。貴族ならバートンと聞こえれば無条件に速やかな敬意をあらわすものなのよ。まぁでも、庶民のあなたには知る由もないことよね」
そう言ってレベッカは、エイダの髪の毛の左サイドをかき分けて、左耳に掛ける。レベッカの行動に、エイダはよりいっそう硬直する。
レベッカの言う通り平民が、とりわけただの村娘であるエイダが有力貴族の名前や顔を知らないなんて当然のことだ。江戸時代の庶民のほとんどが、京の貴族たちがどのような名と容貌でどのような生活をしているかなんて知らなかったのだから。ただまぁ、これから貴族が圧倒的数的マジョリティの環境に身を置くなら、せめて高名な貴族の姓くらいはあらかじめ把握するのが懸命だと思うのだけれど、そこまで用意周到な性格に設定すると物語が進まないのだろう。
エイダは自身が平民だと看破されていること、その看破された相手があまりにも大物であることに更なる戦慄を覚える。そして混乱する。なぜ先ほど実際に顔を合わせたばかりの彼女に平民であることがバレているのか? ただの差別心だけでこれほどのことができるものなのか? エイダには分からなかった。
「知らないついでにもう1つ2つ教えてあげる。これらが最も大事なことよ」レベッカは言った。「昨日は生徒会長のロバートに色々とフォローしてもらったわよね? って、いまは口を利けないか」
エイダはとりあえず首を縦に振ることにした。その反動で目尻に溜まっていた涙がスーッと頬に落ちていった。
「そうね、お互いの認識に誤りはないわね」レベッカは言った。「じゃあ、ロバートがこの国の第二王子であることは知っているかしら?」
エイダは首を縦に振る。
「そうね、流石にそれくらいは知ってるわよね」レベッカは言った。「平民のあなたは知らないかもしれないけれど、王族や高位の貴族ってまだ歳が1桁の時に婚約とかしたりするものなのよね」
エイダはハッとした。レベッカがこれほどまでの害意を向けてくる理由がやっと分かった。
「ふふ、ここまで言えば流石のあなたでも分かるわよね」レベッカは笑顔をつくった。「そうよ、私こそがロバートの婚約者なのよ」
レベッカは満面の笑みを浮かべているのに、発せられた言葉はまるで深海のように冷え冷えとしていた。そして、エイダは思い出した。入学式の日、壇上に上がる階段で躓いた時、ロバートの後ろの直線上にレベッカが立っていたことを。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




